2008年11月30日日曜日

エクストリーム・不運

悪いことと言うのは連鎖するものですね,いやホント。もうさすがに滅入っているところですよ。本当にここのところは悪いことが続いてます。何が一番最悪かって言えばそれは間違いなく「編入試験・不合格」の件です。金銭的にも時間的にも精神的にも総力を尽くした結果がコレですからね。(一応言っておきますが、「金銭的」と言うのは参考書・文献資料の入手にかかった費用やその他の雑費に貯蓄を割いたということで、実弾行使をしたということではありません。悪しからず。)それだけでも十分すぎるくらいのショックなのですが、先程も言ったように悪いことは連鎖します。お気に入りの傘が盗まれるわ,もう一つ増やそうと思うてたバイトの面接には落ちるわ,下らん成り行きで足は負傷するわ...と、さすがに沈んでしまいそうです。ですが....



   僕は負けません!<宣言>



こんなときこそスマイル!こんなときこそハイテンション!



飛ばせ不調,俺は不死鳥,来月の俺は絶好調っ!



ん~,スーパー!(←まさかのフランキー)



このブログを始めたばっかの頃の記事で‘僕のこれまでの人生には「負け」の方が多い’なんてことを言いましたが、ホント,その通りなんですよ。でも僕にとって自分の不幸は5日も経てばネタですから。いつからかは分からないのですが、僕はそうしようと決めたんですよね。ただ僕は誰に負けることを認めても、自分に負けることだけは認めません!逃げ出すとか諦めるとか...。それだけは決して認めません。だって,それを認めたら二度と「高み」には行けない気がしますからね。第一,自分の未来を諦めるような人間が、どのツラ下げて「革命家」だなんて言えます?立つ瀬がないでしょ,そんなの。自分の未来も、この国の未来も、そして人類の未来も、決して僕は諦めません!落ち目のときにこそ明るくしなきゃ、状況は変わりませんからね。僕の好きな漫画,『ONE PIECE』(←名言の宝庫!)に出てくるサンジの台詞にこんなのがあります。「最悪の事態には、必ず相応のチャンスが眠ってるもんだ」と。また,チャーチルの名言に以下のようなものがあります。「悲観主義者はすべての好機の中に困難をみつけるが、楽観主義者はすべての困難の中に好機を見いだす」 と。要するにネガティブにしてても、何の得もんてないんですよ。明るく行きましょう,明るく。そんな訳ですが、今日はこの辺で,ジベリ!

2008年11月27日木曜日

もういくつ寝るとクリスマス♪


           ・飾り付けしたクリスマス・ツリー(まだ若干,作業中)


と,言うわけで、先日,クリスマス・ツリーを出しました。小さいツリーですが光ファイバーが通ってて、スイッチを押せばライトアップ!それなりに楽しめますよ。クリスマスの1ヶ月前に、クリスマス・ソングを聴きながらツリーの飾り付け,これをせにゃ、クリスマスって気がしないんですよね。まぁ,このまま行けば恐らく今年も一人で過ごすことになるんでしょうが、去年同様,工夫して過ごしたいと思います。今日は短めですが、この辺で。ジベリ!

2008年11月24日月曜日

遅ればせながら...

     ・CD(見開き)と、特典のステッカー。そして愛用のCDプレーヤー


2週間前の水曜(11月12日)にリリースされたYUIさんのニューアルバム,MY SHORT STORIESの簡単なレビューを書きたいと思います。 
 
当然のように初回限定版を当たり前のように発売日にいつものタワレコに買いに行ったわけでありますが、なんやかんやでレビューの投稿が遅れました。<ごめん!> 
 
さて,肝心のその内容ですが、言ってしまえば「B面集+新曲一曲」なんですね。B面っていうと、なんかオマケ的でパッとしない印象がありますが、彼女の場合は例外です。A面に負けず劣らずのハイクオリティな曲が多く、隠れた名作もたくさんあります。加えて,僕の場合、ファンになったのがほんの一年くらい前な訳で、必然的に殆どの曲が初めて聞くものでした。加えて初回版にはPVに加え、今年のアルバム・ツアーのダイジェストを収めたDVDが付いており、十二分に楽しめるものとなっていました。それにしても彼女は凄いです。ツアーの合間にストリート・ライブまでやってるんですから。(その様子も収録されてます。)本当に音楽を愛してて、且つファンを大切にする人なんだな,と改めて思いました。
 
前にも言いましたが、彼女はしばらくの間,充電期間に入るようです。活動再開を待望しつつも、とりあえずはゆっくりとリラックスして、そしてまた素晴らしい作品を作って貰えれば,と思う次第です。
いろいろ書きたいこともありますが、今日はこの辺で,ジベリ!

2008年11月23日日曜日

<号外>国際党つうしん/国籍法改正を問う!

先日,国籍法が改正されましたが、それについての我が国際党の見解を発表したいと思います。改正の内容は簡単に言うと、次の通りです。

「外国人の母から生まれた後に日本人の父に認知された子どもを、結婚を国籍取得の要件とする規定を撤廃し、両親が結婚していなくても日本国籍を取得できるようにする。」

と。従来は未婚の子どもは認められず、それゆえ日本人の父の子どもでありながら、日本国籍が取得できず、子どもたちが、戸籍や住民票、健康保険などもなく、就学もできない,といった事態が発生してました。確かにこれは然るべき事態であると言うべきでしょう。しかし、それでも僕はこの改正案に賛同することはできません。それには次の二つの理由があります。


 まず第一に指摘したい点は、今回の改正までの流れが、あまりに拙速であった点です。事の発端は、今年の6月4日,日本国籍を求めて訴えを起こした、フィリピン人の母と日本人の父との間に生まれた子どもたち十人に対し最高裁が同法の「婚姻要件」を『違憲』と判断したことでした。その後,今月4日に改正案が閣議決定,そして先日19日,衆院本会議にて全会一致で採決されました。ところが,多くの国民はおろか選挙の準備に追われているため、議員さえもこの改正内容を十分に把握していないと言うのです。拙速極まりないと言う他はないでしょう。

 次に指摘したいのは、この改正案に潜む「抜け穴」についてです。そしてこれが最大の問題点なのです。その「抜け穴」子どもの国籍認知までの流れにあります。DNA鑑定などの手続きを無くして、ただ「父の認知」だけで国籍が認められてしまうのです。更に,このことを利用した偽装認知ビジネスの横行も想定されます。これによってニセ日本人がネズミ算式に増加してしまう可能性は低くありません。事実,現在までにも、そのような偽装認知事件は発生しているのですから。また,それに対する処罰も極めて軽いのが現状です。


<結論>

改正の必要性は認めるが、国籍の認可には厳粛な審査を経るべきであり、また,偽装行為を行ったものには重い刑罰を科すべきである。よって,現時点での拙速な改正には国際党は原則,反対するものである。なぜなら,安易な認知は様々な問題を誘発させ、治安の悪化,政情不安などを招くであろうと想定されるからである。 <国際党総長・Senichi/2008・11・23>


皆さんは、この改正について知ってましたか?初めて知ったなら、コレを見てどう感じましたか?少なくとも重要な問題であるということはご理解頂けたはずです。現時点でも反対世論は強く存在してますが、これが更なる高まりを見せれば、政府としても見直しをせざるを得ない状況になるでしょう。これは政治に限ったことではありませんが、まずは「知ること」,そして次に「考えること」、それが大切です。衆愚政治を招かぬよう,我々人民も、心がけていきましょう,ジベリ!

2008年11月18日火曜日

近況報告!

          ・夕闇に映える京都タワー(京阪七条駅周辺から望む)

最近,なんかシリアスな記事が続いていたので、たまには力を抜いた記事を書こうと思います!んと,もうタイトルのまんまですが、近況報告します。 
 
一大イベントも終わり、暇になったと思いきや、もう大学は討論会のシーズンです。去年ほど忙しいことは無いでしょうが、それなりには忙しくなるものと予想してます。ゼミは楽しいんで、別段,苦でもないんでうけどね。問題があるといえば、このまま行けば、2年連続,クリスマスを一人で過ごすことになりそうだ,あぼーんということです。まぁ、どうでもいいっちゃ,どうでもいいんですけどね。(いや,良くはないか...)

 そして寒くなりましたね。底冷えのする京都の冬は一層,厳しいものがあります。つい先日まで、夏服だったんですが、もうさすがにキツいので、ようやく明日から冬スタイル」始動!!です。ジャンパーと、あと手袋も。(マフラーは...まだいいかな?まぁ、その辺はボチボチということで。)この冬スタイルが、恐らく3月くらいまで続きますね,いやホント。んで冬といえばコタツですな。まぁ,もう2週間くらい前には出してたんですが、やはりコタツは暖かいですね。毛布やコタツから出るのが辛い日々が続きますよ。

               ・肉じゃが<最初にしては上出来かな?>

最近は時間ができたので、また料理もボチボチやってます。昨日は「肉じゃが」(上記写真参照)をはじめて作ってみました。インターネットのレシピを見て、試行錯誤しながら...ですけど。味はいつも食べてるやつと大差なかったと思うんだけど、じゃがいもが煮とけて2日目には残ってなかったんですよwww次に作るときはその辺も気をつけなくてはと思いました。



・カフェ・グレコ


 最後になりましたが、こないだコンビニで見つけたコーヒーです。「カフェ・グレコ」とかってやつです。なんかこういうのに弱いんですよね。(因みにカフェ・グレコってのは実際にローマにある店のらしい。<アンティコ・カフェグレコという>何でも1706年からあって、ゲーテやアンデルセン,ワーグナーといった文化人も訪れたとか。)値段はちょっとしましたが、けっこう美味しかったです。それはともかく行きたいですね,ヨーロッパ。お金さえあれば明日にでも行きたいです。(おっと,パスポート作らねば。不法滞在になってしまう...。)

まぁ,言うとりますが、今日はこの辺で失礼します。ジベリ!

2008年11月6日木曜日

新自由主義をやっつけろ!

    ・民衆を導く自由の女神<1830・ドラクロワ作/ルーブル美術館収蔵>

・21世紀のアンシャン・レジーム

西洋史の勉強をしていて、僕はふと気付きました。今の日本の状況は、革命前の旧体制(アンシャン・レジーム)のフランスの状況にどこと無く似てるんです。まず,最初にアンシャン・レジームとは何か?について説明します。当時のフランスには、3つの階級がありました。第一身分は「聖職者」,第二身分は「貴族」,そして第三身分は「平民」。全人口の5%である第一身分と第二身分は「特権階級」として君臨,残りの95%にあたる平民への搾取を強行していました。「王権神授説」(王権は神によって決定された絶対的な権威であるとする戯言)「重商主義」(重金主義と貿易差額主義という理念に基いた、国利を第一に考えるもの)を拠り所に専制政治を実行、民衆,とりわけその過半数以上を占める農民たちは貧困に苦しんでいました。そんな中,この身分制度に疑問を持ち、体制の打倒へと向けて動き出す人々が現れます。ルソーモンテスキュー,ヴォルテールといった啓蒙思想家の渓流を受け継ぐ形で...。そして1789年.7月14日、民衆によるバスティーユ牢獄の襲撃により、「革命」は幕を開けます。

 では,現在の日本を見てみましょう。何かと儲けている宗教家(かの池田大作の個人資産は1兆円とか。そりゃ「庶民の王者」とか大口叩けるワケだ)はそのまま第一身分<聖職者>,次に,第二身分<貴族>に当たるのは、世襲議員、官僚,あるいは富豪。そしてあとは平民。大きく違うのは、その3者の関係です。フランス革命は、平民の高層階級に位置する有産階級が一つの大きな担い手となりました。「お金はあるけど、政治的権利が無い」といった平民階級の高層のブルジョワジーたちが、権利を求めて決起したことが、あの革命の大きな要因だったのです。なので、当初の政府は物凄くブルジョワ有利なものになっていました。(革命後も農民や貧民の暮らしは大して変わらなかったといいます。)要するに,フランス革命は、人民の権利獲得の終着点ではなく、そのスタートであったに過ぎないのです。例えば、財産による制限選挙だったのが、いくつかの段階を経て、「普通選挙」を完成させた,という事実がそのいい例です。
 
 一方,現在の日本の政体・経済体制というのは、政府による金持ち優遇で成立しています。これは一部の金持ちによる「搾取」に他なりません。例えるならば、高層階級が半貴族化,特権身分化しているのです。「金持ちを優遇すれば、周りめぐって下々の人間の懐も満たされる」(因みに、これを「トリクルダウン理論」という)などと、未だに考える人間もいるようですが、それはあくまでお花畑に過ぎないということに、気付いてもらいたいものです。現在の日本の現状を見れば、それは明白ではないですか?同じく新自由主義を盲信するアメリカの状況を見ても分かるはずです。間違っているのは明らかです。


闘争から連帯

 先程,「打破せねばならない。」とは言いましたが、従来の「階級闘争」では、問題の解決は成されないでしょう。前々から言ってますが、やみくもに「対立」を煽ることでは、何の進展も見込めません。倒すべき悪は、打破しなくてはいけませんが、一つの集団を一丸に「悪」と捉えるのは間違いです。戦わなくてもいい人とまで戦うことはありませんからね。「対話」で解決できれば、それに越したことはありません。まぁ,どうしても邪魔するのなら、そのときは面倒ですが、地獄へと突き落とすのみです。「武力行使」や「テロル」で世界が変わった例はありませんが、降りかかる火の粉は払いのける,それだけのことです。人類の進展と権利獲得のためのやむを得ぬ戦いであれば、命を懸ける「理由」がありますからね。死なばもろともってヤツです。(要するに殉教上等!


・「変化」の時代
 
 フランス革命期,ヴァルミ-の戦い(1792)で、フランスの義勇軍は始めて反革命を掲げるプロイセンの正規軍を打ち破ります。その時,敵陣にあった文豪,ゲーテは言いました。「ここから,そしてこの日から、世界史の新たな1ページが始まる。」,と。僕は「現代」という時代は、そんな歴史の大きな分岐点だと思うんです。「変革のとき」が訪れているのです。自己責任一辺倒の新自由主義との決別を図り、その先にある「新時代」に、人類の進展を見ようではありませんか。「変える」ためには、「変わる」ことが不可欠です。個々が「現状の打破」を望み、意識改革すれば、ごく簡単に世界は変えられます。一歩踏み出す勇気,そして「連帯」!来るべき新時代に向けて、今こそ決起するときではないでしょうか?長くなりましたが、今日はコレにて。ジベリ!

  
 <お詫び>
日付は書き始めた日になってます,スンマセン。(編入試験等で忙しく記事の公開は本日11月14日になってしまいました。) 

2008年11月4日火曜日

「歴史」を学ぶということ

最近,編入試験の勉強でまた世界史を黙々と勉強しているのですが、やっぱり歴史の教科書って残酷ですね。以前僕は「世界で一番恐ろしいのは人の心だ」的なことを言ってましたが、歴史を勉強する度に僕はそのことを再認識せざるを得なくなります。今のこの時代は本当にたくさんの人の血の上に,あるいはたくさんの過ちの上に築かれてるんですよね。それを思うと「今」という時間の重さを,そして今を生きることの重みを、感じずにはいられないのです。

 歴史上の出来事をどのように捉えるか,これが「歴史学」の極めて難しいところでもあります。戦争なんてのは特にそうです。戦勝国から見たそれと敗戦国から見たそれって、全然,捉え方も違ってきますからね。「勝てば官軍,負ければ賊軍」って言葉がありますが、まさにその通りなんですよ。例えば第二次世界大戦は決して連合国(善)vs枢軸国(悪)の図式で行われたものでは有りません。実態は「植民地の争奪戦」です。東京裁判も、何の意味も成していません。その証拠に原爆の投下を決めたトルーマンも、残虐の限りを尽くしたヨシフ・スターリンや毛沢東も刑罰を受けていないではないですか?南京事件を責めるのならば、なぜアメリカの原爆投下を責めないのか?(日帝を擁護する訳ではないが、南京事件の犠牲者が30万人というのはどう考えても有り得ない。一万歩譲っても、原爆で死んだ罪無き一般市民の数の方が多い。どこぞの名誉会長は「原爆は仏罰だ」などと抜かしていたが、甚だ腹立たしい限りである。久間元防衛相の「しょうがない」発言も問題だが、この発言はその100倍は問題だ。これを批判できないのが日本のマスコミだ。マスコミはすでに創価にヤられてるのか?)重慶への無差別爆撃を言及するならば、なぜ東京大空襲について言及しないのか?日本が帝国主義の侵略国家であったことは明白な事実ですが、同様にイギリスもフランスもオランダも侵略国家でした。アメリカは現在進行形の侵略国家です。独善的で自己中心的で...。いつまでフロンティア気分なんでしょうか?未だに「マニフェスト・デスティニー(明白な天命)」だとか思ってるんでしょうか?日本人の多くがアメリカに抱く感情は複雑です。ある意味では感謝すべき存在であり、同時に物凄く憎たらしい存在でもある訳ですから。

 さっき日中戦争についてちょっと触れたのですが、誤解を招かないために、以下の内容を付加しておきたいと思います。まず南京事件,僕は「無かった」とは思いません。犠牲者数は違えど有ったと思います。100%無かったといえる証拠は無いからです。ただ一人でも犠牲者がいれば,ただの一人でも傷付けたのならば、それは許されざる過ちです。そもそも,日中戦争が侵略戦争であったことは明確です。よく「欧米のやったことの方が残酷だ」,とか「通州事件(中国人によって数多くの日本の居留民が略奪され、惨殺された事件)があるから...」などと言う人が有りますが、それが日本帝国の犯した罪を無にする理由にはなりません。(ただ,何度謝っても,賠償を支払っても、「謝罪せよ」,「金よこせ」の一点張りの中国・韓国の政府もいかがかと思いますけど。国際的なルール無視ですからね。)


 「歴史」というのは殆どのところ、「失敗」と「過ち」の積み重ねです。時代が進んでどれ程科学技術が発達しても、ある意味では全く成長していない「人間」を歴史の中に見ることは、とても容易なことなのです。過去(歴史)とは後悔するためではなく、反省するためにあるもの だと僕は思うんですね。反省して模索して、また反省して...それでいいと思うんです。昨日の失敗を今日に生かせれば、少しでも前進できれば、それでいいと思うんです。歴史を学ぶことは自らを啓発し、進歩することに直結するのだと僕は思うんです。

 日本国際党の最終目的ともいえる「世界政府の樹立」。僕はここに人間の可能性を信じているのです。かつて傷付けあった人々が、仲睦まじく、「未来」を歩む姿,いつかそんな日が来ると夢見て、且つ,どこかでこんな明日が来るを確信しているのです。

‘目が覚めたとき、世界には平和が訪れていた。

非道な独裁者たちは追放されて、人々は解放された。

もう何かに怯える事も無く、彼らは心から崇める神に祈りを捧げている。

かつての支配者たちも平和を謳歌して手を合わせる。

永久にその友情が続くようにと祈りを捧げている,


中東では、イスラエルの子どもとパレスチナの子どもが一緒に遊んでいる、

もう「壁」は無くなって,爆弾の代わりに、空には花火が打ち上げられた。

昨日まで刃を交し合った2人,今は酒場で盃を交わしてる。



アフリカのどこかでは長きに渡った紛争が終わりを告げた。

兵士たちは家族の元へ帰っていき、子どもたちは学校へ。

銃声はもう聞こえない。明るい笑い声が響いているだけ,


労働者たちは「権利」を勝ち取って、

職場から「暗い皮肉」が姿を消した。


教室からは「思想統制」と「冷たさ」が消えた。

「学ぶ楽しさ」だけを残して。


太陽はいつものように輝いてる。 風はいつものように僕らを包む。

月明かりは夜を照らしてる。 恵みの雨は今日も大地を潤して。


随分と遠回りしたけれど、ようやく辿りついた世界。


これで全部,元通り。


これは決してユートピアや夢物語では無いのです。いつか訪れる「未来」なのです。いや,訪れるべき「明日」なのです。そのための革命,そのための闘争。それなら命を懸ける意味がある、僕はそう思っています。長い記事になりましたが、読んで下さってありがとうございました。今日はこの辺で,ジベリ!

2008年11月2日日曜日

学園祭の季節

                   ・正門付近にて撮影(京都女子大。盛り上がってました!)



10月下旬から11月下旬にかけての間,日本の大学では「学園祭」なるイベントが開催される。うちの大学も今日から火曜までの3日間にかけて開催される。試験も近いのだが、まぁ息抜きということで、昨日は京女の文化祭に行ってきた。だってこういう時じゃなきゃ女子大なんて行くこと無いからな。七条京阪で下車して、そこからは徒歩。そんなに距離は無いと思うんだけど、坂道(因みに女坂っていうらしい)だから結構,疲れる。これ学生は大変だろうな,と、つくづく思ったり思わなかったりしたが、まぁ,そんなことはどうでもいい。




           
















         ・最後のカーテンコール(?)での一幕






















着いたのは2時頃で、まずは「ファッション・ショー」(上写真参照)ってのを見に行った。これが学園祭のイベントと侮ること無かれ,だった。演出から照明・音響効果まで、完全に「魅せるショー」として成り立っていた。ファッション・ショーなんて大して分からないが、あれは良かった。是非,来年も行きたいね。その他にもいろいろやってたな。模擬店もたくさん出てた。僕は焼きそば(下写真参照)とか食べた。模擬店といえば高校2年の文化祭のときは「揚げ蛸」やったな。準備とか大変だけど結構,楽しかったな、アレはアレで。<因みに京女の学園祭(藤花祭)は、月曜まで,とのこと。>








































・模擬店で買った焼きそば。弓道部の出店だったらしい。


んで,今日はうちの大学のイベントに行ってきた。「風味堂」っていう3ピースのバンドのライヴだ。このバンドは今日まで知らなかったし、笑点もやってるから特に行く気もなかったんだが、まぁ,せっかくだし、何よりタダだったから行ってみたんだけど、実際,行ってみると結構良かったね。特にキーボードが良かった。僕もバンド組みたいんだけど、結構,キーボード重視で行きたいって思ってるからなぁ...。カッコ良いね,やっぱり。(誰かおれへんかいなぁ...。いてたら言うてなww)まぁ,今日はこんな感じで。ジベリ!












風味堂 - クラクション・ラヴ