2008年6月27日金曜日

暗黒年間⑤・転生~壁の崩壊~

この連載をやって、自分的にも結構,過去の整理が出来たりしてて、その流れでまた「作詞」とかも出来たりしてます。あと,もう一つ、連載って大変だな・・・と。漫画家の方とか、コラムニストとかやってる方は凄いなと感心してしまったりしてます。まぁ,でも何にせよ、これでこの連載もラストです。



 今回の話は高校3年の後期から始まります。夏休みという大台を超え、いよいよ試験は間近に迫っていました。そんな中,10月の下旬にある事件が発生します。いわゆる「履修問題」(正式名称・高等学校必履修科目未履修問題)です。この一件によって、学校ではその後,かなり無理のあるカリキュラムが組まれ、事態の収束が図られることになるのですが、この時,僕は思いました。「これって悪いのお前ら(政治家・官僚,そして教職員)だろ?生徒は何も悪くないだろ?何で俺らがお前らの敗戦投手をやらなきゃいけないんだ?」 と。僕は周囲の人たちに「抗議しよう。」と持ちかけましたが、誰一人として耳を貸しはしませんでした。ここが日本か北朝鮮かで無ければ、こんな平穏には収束しなかったでしょう。恐らく各地でデモが起こっていたはずです。なぜ日本人は何もしないのか?このことに限った話ではありません。いきなり消費税が上げられたときも、国民投票法がいきなり可決されたときも...。マゾか、それで無ければただの現実逃避としか思えません。(勘違いされたくないので言っておきますが、別に僕はデモや暴動を煽っているわけではありません。ただ,何のアクションも無く、なされるがままの、まるで衆愚政治のような日本社会の現状を憂いているのです。それゆえ,最近の民主党の躍進と、それに伴う世論の強化を目の当たりに、少しは安堵しているところです。) 
 
そうした状況下,僕はといえば改めて「社会の矛盾」に気付かされ、ゆっくりと舵を左に切り始め、そしてうっすらと「革命」への意識を強めていました。そして,いつの間にか、あの高い壁も,ガラガラと崩れ始めていました。
 
 そして2007年,大きな変革の年が幕を開けました。履修問題によって大きくスケジュールを狂わされたことや、また例によっての親のプレッシャーや無能なガコの先公どもの邪魔にも負けず、不屈の精神で戦い抜きましたが、結局,第一志望の大学には受かれませんでした。でもそれまで(高校入試や中学の試験)の時のような「後ろめたさ」とかを感じることは無く、なんか負けたのにすっきりと晴れ渡った気分でした。もしかすると、この時点で、「壁」は崩れていたのかもしれませんね。その先のこともよく分からないのに、気分は前途洋々でしたから。
 
 その後,前も言ったとおりギリギリの段階で今の大学が決まって、念願の関西進出に成功したのですが、学部はご希望の文学部ではなく法学部でした。でも前から政治には興味があったので、すぐに馴染んでしまいました。(勿論,今でも文学部目標でやってますが。)

本格的に政治を勉強するようになって僕が分かったのは、まず,自分が目に見えているものしか見ていなかったということ。そして,今の日本の政情がとてつもなく危ういものだということでした。巨大化した資本主義が「新自由主義」という化け物に成長し、世界を牛耳らんとしていることを・・・。こうなれば僕は左舵をいっぱいに切って、掲げる旗は赤!って感じです。最も綿密には僕が掲げているのは社会主義や共産主義ではなく、「社会民主主義」なので、ちょっと「赤」と呼べるかどうかは疑わしいのですが...。
 
でも何にせよ、僕にとっては大きな変化であったことは間違いありません。その革命の年から1年近く経ち、僕は20歳になったわけですが、これからが本当の戦いだと思ってます。人生はますます面白くなってきましたよ。凪の海ではありませんが、だからこそ越えていくのがおもしろいんです。波が大きければ大きいほど、その先にある景色はより美しいもののような気がしますから。

<あとがき>

履修問題のとき、何より僕が憤りを感じたのは、校長や学年の主任、あるいは教育委員会の人間や担任の教師などから「謝罪」の言葉が聞けなかったことでした。僕は法律には詳しくありませんし、法律が本当に人にとって平等な存在であるとは思っていません。ですがそれ以前に僕は、次の4つを守るよう心がけているのです。


①人の迷惑になることをしてはいけない。

②むやみに人を傷つけてはいけない。

③先述した2つのようなことをしてしまったときは心より謝罪し、

それ相応の償いをしなくてはならない。

④誰かから恩恵を受けたときは感謝の言葉を述べなければならならず、

また,その気持ちを忘れてはいけない。

というごく単純な4つです。法律とか何とか言う前に、これらを忘れている人が多すぎる気がします。(増してや、人に物を教える立場の人間がそれを忘れているとは如何なることか...)

 ところで僕は、人生の節目節目で、音楽に助けられました。一度は放棄したはずの音楽に。高校に入って、何にも突破口を見出せなかった時も、クイーンイーグルスなどに救われましたし、大学入試のストレスや疲労を吹き飛ばしてくれたのは松下奈緒さんのピアノでしたし・・・。僕が思うに、音楽とは「力」であり、「心」です。なんかベタなこと言ってる気がしますが、本当にそうだと信じています。

 最後になりますが、僕の「革命」とは何なのか,それを述べたところで今日の,そしてこの連載の締めくくりとしたいと思います。僕の言う革命とはズバリ,「個々への革命」です。自らの行動や言動,あるいは人生そのものをかけて、他者の中に「変革の嵐」を巻き起こす。個々の間で生まれた革命は、徐々に拡大し、ついには世界を包み込む...。それゆえ、「対話」と「行動」こそが、最強の刀となり盾となるのです。 

長くなりましたが、では,いつかの「革命」の日に向けて・・・,ジベリ!

2008年6月26日木曜日

数列がわからない

自伝...っていうか殆どネタですね,今回のは実際。もう最終回を書いちゃってもいいんですけど、前の話が割と重いもので、っていうかこの連載は重い話続きですから、なんか一個くらいはっちゃけたのがあってもいいかな...?と思ったわけです。高校時代,悪戦苦闘した理系科目(特に数学),そしてその中でも異彩を放つほどの分からなさを発揮してくれた「数列」との死闘を回顧し、替え歌に乗せてお送りしたいと思います。曲はちょっと前に流行っていた「エアーマンが倒せない」で、そのタイトルは「数列がわからない」です。では行ってみましょう!

元ネタ・エアーマンが倒せない/http://jp.youtube.com/watch?v=_Ksepoe7cZs&feature=related


「①気がついたら同じ問題3時間  それでも解けない数列問題。

諦めずに塾の先生に聞きにいくけど、なぜか逆ギレされる。

算数のテストならば、楽に100点けっこう取れたのに、

何回やっても、何回やっても、数列よくわからないよ。

あの問題何回やっても意味不明。

例え公式覚えたところで応用なんて利きません。

思い切って解答見るけど途中式分からなきゃ意味が無い。

だけど次は絶対解くために、僕は黄色チャートだけはひっそりとやっておく~!


②気がついたら残り時間もう少ない。  そこでいつも無条件降伏。

諦めずに、再チャレンジしてみるけれども、やはり最後分からない。

カネとかコネとかあれば、楽に裏口入学できるけど、

何回やっても、何回やっても、数学よく分からないよ。

あの数列そもそも用途が見えない。(←それ言ったら尾張)

微分・積分、道歩いてて使う機会がありますか?

足し算、引き算、掛け算、割り算、それだけ出来ればいいじゃない?

だけど次は絶対勝つために、僕はお守りだけは最後まで取っておく~!



③得意の世界史ならば、楽に国立二次も解けるのに、

何回やっても、何回やっても、センター数学,倒せないよ。

あの問題、どんだけやったら解けるんだ?(どんだけ~?)

理系の才能あれば話は大分変わってくるけれど。

ガコの先生,簡単言うけど、文系相手じゃ通じない。

だけど試験絶対,受かるために、僕は世界史満点最後まで置いておく~!

(分からないよ...)」


 学校の勉強というものは実用性の低いものが多々あります。やっているうちに「あれ?これ使えなくね?」とか思ったら、もう最後です。だってその中の半分以上は恐らく本当に要らないことですから。使えないことをやっている...などと知ってしまうほど悲しいことはありません。高校くらいになるとそれが顕著になってきます。別段,一般教養でもなく、「知らなくってもいいだろ?」と思うことがよくあったりして。そして目指してる道にそぐわないものをやらねばならぬという苦痛・・・。んでとりあえずやりはするが、分かるはずも無く、「分からない。」と聞きにいけば、「なんでこんなモンが分からん?」とドヤされる始末。「分からんものは分からんのだ,悪いですか?」みたいなwww結局,数学は2年の最後に事実上放棄し、私立大学の試験に切り替えるのですが、その後も一応はやっててました。センター入試もとりあえず<「記念に」ってことで(爆)>受けましたが、当然のように惨々たる結果に終わりました。
 
 今回のことで、僕がもう一つ言いたいことがあるとすれば、「人生において必要性を疑うものに出会ってしまったときは、一度,捨ててみることも必要かもしれない。」ということです。そしたらその必要性が分かるかもしれませんから。例えば僕は、「音楽」を一度捨てることによって、改めてその「大切さ」に気付かされることになりました。逆に「数学」は少なくとも今のところ、「やっぱり要る。」と思うことは無いですね。なんか例によって話が誇大してますが、今日はこの辺で失礼します。次回はファイナルです。お楽しみに,ジベリ!

2008年6月22日日曜日

クリスタルスカルの王国

                ・劇場前の映画の看板?みたいなやつ

と,いうわけで今年の超大作の一つでもあろう『インディ・ジョーンズ/クリスタルスカルの王国』を、みてきました。<以下,一部ネタバレあり>

<予告編>『インディ・ジョーンズ /クリスタル・スカルの王国』
http://jp.youtube.com/watch?v=2kJ5eMXAkyk
 
僕は元よりジョン・ウィリアムズによる、あのテーマ曲を聴くだけでテンションが上がるようなレベルのこのシリーズのファンで、DVDボックスなんかも持ってますが、当然ながらリアルタイムで観たのはこの作品が初めてです。そして文句無しに面白いです。なんかラストのことで色々言われてますけど、ルーカススピルバーグの製作ですから全然,想定外では無いでしょう。「ジェットコースター・ムービー」と呼ぶに相応しい作品ですね。ハリソン・フォードは勿論,シャイア・ラブーフ(トランスフォーマーの主役の人)扮するウィリアムズも格好良かったです。(でも,インディもこれで世代交代のようで、何か「年月」を感じます...。)このシリーズ定番のギャグセンスも相変わらず健在でした。まぁ,でもこうしたエンターテイメントの中にもある種のメッセージを組み込めてしまうのが、さすがスピルバーグ,そしてルーカスといったところです。スピルバーグ作品に一貫して組み込まれているテーマである「愛」,この作品の中にも確かにありました。台詞にも印象的なのが幾つもありました。冒頭でインディにスタンフォース学部長が言った「我々の年になると、失う一方だ。」という台詞(ただ,その後のインディにとって実際は、そうでもなかった)とか、ラストの近くでインディがウィリアムズに言った「時には腰を下ろすことも必要だ。」的な台詞(この台詞には2つの意味が込められているもとの推測),や、次も同じくインディの台詞ですが、「財産とは知恵だったんだ。」ってやつも「成程...。」って感じでした。




もうすぐ梅雨の季節は終わりますが、梅雨の煩わしさをぶっ飛ばすにも、真夏の爽快感を先取りするにもうってつけの一本です。是非,劇場に観に行ってください。スクリーン映えする映画ですから。と,なぜか宣伝をしたところで今日は終わりにします。ジベリ!

2008年6月20日金曜日

サイド・ストーリー/セピアなカラー写真

かなり前の記事になると思うのですが、僕は自分のことについて「いろんな意味で不器用だ」と言っていました。今回は「暗黒年間」のサイドストーリーとして、少し無関係なエピソードを紹介したいと思います。結論から言ってしまうと「失恋談」です。別段,何でもない話なのですが、僕にとってはこれ以前とそれ以後は何か違うのでした。

 高校2年の1学期くらいからこのエピソードは始まります。先述したとおり,僕は学校への興味がめっきり失せてました。でも大学で好きな事を勉強するには必然的に勉強せねばならぬ訳です。高1の暮れ頃からはいよいよ本格的に勉強するようになり、高校入学の少し後から通っていた塾の自習室に篭って勉強に励むことが多くなってました。そんな中,僕にはちょっとした楽しみみたいなのができてました。同じ塾に通う1年上の女性に好意を抱き、次第に会うのが楽しみになってました。話すでも何でも無いのですが、ただそこにいるってだけでなんか満たされた気分になれて、相変わらず嫌な事だらけな日常のことも忘れられ、僕も頑張らねば・・・と思えたのでした。しかし元々対人恐怖症気味で、尚且つ初恋の苦い思い出がある僕は、あと一歩が踏み出せず、話すことさえも出来ないでいました。えっと・・・そうですよね。先に「初恋」についてしたね。
  
   st Broken Love story>
 時は更に遡って小学校後期初恋の相手は小3以来3年間クラスが同じだった人でした。好意を持ち始めたのが小5の頃でした。割と仲も良く話をすることはよくありました。ところが,なんかの拍子に彼女が好きなのが僕の友人だと知り、結局,自分の気持ちを伝えることなく身を引いてしまった。というよくありそうな、なんとも呆気ない幕切れで初恋は終止符を打たれたのでありました。めでたし,めでたし。(って,どこがやあぁぁ!)


 そんなこともありぃの、中学期の「いじめ」に起因する極度の懐疑心ありぃので、しばらく僕は「恋愛」から遠ざかっていたのでした。どうせあと半年もすれば大学に行ってそれっきり会うことも無いだろう,今回は何もしないで、ただの「きれいな思い出」に留めておこう・・・とか考えていたのでした。 

しかし、ある人物のある言葉を聞いて、僕の気持ちは変わりました。ある日,テレビを見ていると僕の尊敬する人物でもある星野仙一さんが言ったのでした。「迷ったときは前に出ろ,何もしないでする後悔だけは絶対にするな。」的なことを。僕は思いました。「そうだよ、コノヤロー!何もしないなんて、そんなのアホじゃんか。ってまんま今の俺だー!」云々・・・。そうだ言わねば。でも待てよ?何って言うんだっけ?話って何すればいいんだ?スターウォーズ?違うか。音楽?って趣味分からんし。最近の連ドラ?よしんば観てなかったら何のこっちゃ分からんし、第一,受験生が真面目にドラマなんか観てるかい!っていうか初めて話すんじゃん俺。のぁぁぁっ,もう訳分からん。なんだかんだ考えてるうちに時間だけが過ぎていって、とうとう入試シーズンが近づいてました。もうこうなれば特攻あるのみ!とりあえず僕は手紙二思いを書き綴って、お守りと一緒に渡すことにしました。そして確かに渡しました。 
 
 しかし案の定玉砕!ですよ。そりゃそうですよね。予想はしてましたよ。でもショックでしたね。もう塾にはしばらく行きたくないっ!とか思ってみたり。結局,その後も何事も無かったかのように行ってはいましたが。それには受験前の彼女に変な気を遣わせたくなかったってのもあったのですが、実際はそれよりも複雑でした。事態が好転することは無いにせよ、一秒でも長く「ここ」にいたい,と。会うのは辛いけど、会えなくなるのはもっと辛い・・・。そんな状態ですから、僕はなんかもうボロボロでした。何やってんだ俺は?もう生まれ変わったらマリモか何かになりたい...と考えてみたり。(なんじゃそりゃ) 

しかし、なぜか僕はフられてから一度も泣いてませんでした。初めて泣いたのは、以前から親しくしていた塾の先生から彼女の大学合格を聞いた後でした。無論,そこでは泣かず、家に帰って部屋で一人になってからですが。理由の分からない「涙」ってあるんですね。今のところそれっきりですが。
 
 彼女がいなくなって、「もはや戦後ではない。」とでも言いたかったところだったのですが、実際にはその後もしばらくは何処かで引きつってました。自習室でも意図的に彼女のよくいた席に着くようになっていたり、まるで模倣か何かのように延々と勉強に耽るよう(彼女も真面目で、よく朝から晩まで自習していた)になっていたり,と...。 

さすがに今は何ともありませんし、どころか今ではあの「失恋」の思い出は、とてもきれいに心の中のアルバムに残ってます。過去の写真の多くは日々、セピアに色あせていくのでしょうが、その一枚は例外のようです。「愛・地球博」の思い出も同じく色あせぬ輝きを放っているのですが、この一枚とはまた別です。全く輝いていないのに錆びもしない。色も無いのに色あせない。そんな一枚です。 

しかし恋愛というものは不思議です,いやはや愛というものは・・・。それを求めた先に「痛み」があるかもしれないとしても、それが毒だと知ったとしても、なぜかそれを求めずにはいられない。事実,僕はまた恋に落ちている。この結末が、いつかここで取り上げられるかもしれない。ハッピーエンドかもしれないし、またバッド・エンドかもしれない。でも今の僕は昔とは少し違う。誰に対して臆病であっても、その人物にだけは立ち向かえる自信があります。その人の為なら命さえ投げ打てる覚悟が・・・。それに僕は信じてますから。いつか「彼女」に会えてよかったと思える日が来ると。だからこそ、今の僕は心から言える気がします。あの失恋に,彼女に。「ありがとう。」と・・・。 

誰かを愛する全ての人の恋が報われることを祈って今日は終わりにしたいと思います,ジベリ!

2008年6月17日火曜日

五月晴れの空とヒコーキ雲

       (大学キャンバス内にて <撮影者・Senichi>)

梅雨の季節は空がドンヨリしてて苦手なのですが、今日の京都は五月晴れの気持ちいい天気でした。もうすぐ夏だな?と思うと心なしか楽しい気分になったりします。夏休みも近付いてきているのですが、その前に大学の期末試験という一大イベントがあり、それ故,ただ単に浮かれている場合ではないのですが・・・。(それに編入試験の勉強とかもそろそろ本格的にせねばならぬわけですし)今日のブログのタイトルは、そのまま上の写真のタイトルみたいな感じです。飛行機雲がクロスしてる感じとまさに五月晴れといった空模様に触発され、写メに収めてみました。最近はレポートやら何やらが多く、ちょっと疲れ気味です。でもまぁ,梅雨のあとに清々しい夏が訪れるのと同じですね。ここを乗り切れば・・・です。ガソリンは値上がるわ、問責決議案は提出されるわ,内閣信任案は出されるわ何やらと世の中も大変ですが、皆さんも頑張って下さい。夏はもうすぐです。今回もまた号外になってますが、連載もあと僅かです。(綿密にはサイドストーリー等を含めてあと3回)それが終わったら、また普段の何でもないブログに戻る予定です。では皆さんお休みなさい。ジベリ!

2008年6月14日土曜日

暗黒年間④・堕落

もう連載が続いていたことさえも忘れている人も多いことでしょうが、まだあと少し残ってます。今日の話は中3の最後~高校後期まで...です。また例によって暗い話になってますが、ある意味,微妙です。


 中学三年の最後,高校入試からこのエピソードは始まります。3年間,紆余曲折ありながらも一路邁進した成果は実を結ぶことなく、志望校に不合格。この辺りから徐々に僕の人生観は変わり始めます。それまでにあったいろいろな伏線が、そこに来て表面化し始めた...と言った方がいいのかもしれません。人生においてはゴングがなる前に、その勝敗が決まっているゲームが幾つもある。そんな分かりきっていたことを今更のようにそのときの僕は実感していたような気がします。外面さえよければ、中身なんて何でも良い,上っ面の建前だけの正義が亡霊の如く彷徨う社会。それが「新しい自由」の形,それが秩序。求めていた光の一つも得られることも無く、僕は絶望の淵に堕とされることとなったのでした。
 
 高校進学後も、しばらくの間,僕はそれこそ抜け殻のようになっていました。その前後から、僕は本格的にロック(とりわけ,クイーンやビートルズ、イーグルスなど)に傾倒し始めていました。一度,離れていた(もしくは意図的に距離を置いていた)音楽が、再び無くてはならないものになっていたのでした。また、それ以前からも映画などへの興味から、少しは関心があったのですが、本気で芸能界を目標にし始めたのも、この頃からです。学校の勉強には依然としてめっきり興味を失せていた(綿密には、それっきり2度と戻らなかった)のですが、歴史学への興味は絶えていなかったので、独学でいろいろ勉強してました。それで夏休みのリフレッシュもあってか、その年の後半くらいからは、再び次は大学入試に向けて...と再度,走り始めました。志望大学進学の為に...。(結局できてないがwww)
 
しかし,「抜け殻」であることには大差なかったような気がします。抜け殻と言うより、まるで自分の虚像のような自分を壁の外に放り出して、僕はずっと壁の中に閉じこもってました。どこかでは「誰かこの壁の中から出してくれ。」と思っていたのですが、そんな人物はとうとう現れませんでした。そうしていくうちにどんどん壁は高く、強固なものとなってました。親などからの圧力も依然として強く、殆どのところ僕は孤立無援の状態でした。(これは中学の3年間と大した変わりは無かったのですが。)本当にあの6年間は自分でも「よく生きてたな。」と思います。ところが違うんですね。殆ど生きてなどいなかったのです。ただ呼吸して食事して、追い立てられてなのか、何かを目指してなのか、それすらも分からずにただ走り続ける。それでは「生きている」なんて言えないのでしょう。こっちに来てからですね。久々に、常に「生きている」という感覚を持てるようになったのは。またしてもワンピースの受け売りですが、生きるということは喜びです。生きてさえいれば、また何かと出会うことが出来るし、光を手にすることもできるのですから。なんか説教じみた締めくくりになってますが、今日はこの辺で。ジベリ!

2008年6月9日月曜日

「命」の重さとは何か

連載に戻ると言っておきながら、今回も号外です。7名の尊い命が失われた、先日の秋葉原での通り魔事件に触発され、何か書かなければと思ったのです。テーマは読んで字の如く「命の重さ」です。

そもそも「命のおもさ」とは一体何なのでしょうか?「命の重さは変わらない」と言いますが、果たしてどうでしょうか?そのいい例が「戦争」です。戦争においてたくさんの敵兵を殺した者は、その国で「英雄」と呼ばれます。日本に2つの原爆を落として戦争に無関係な民間人をを何万と殺したトルーマンは、その後アメリカの大統領になりました。(一方で日本もアジアの各地に侵略し、やはりその過程でたくさんの人命を奪ってしまいましたが。)戦地で出会ってしまったがために人々は殺しあう。もしも旅行先で出会っていたら?もしも同じ学校や職場で出会っていたら?彼らは友達になっていたかもしれません。そして忘れてならないのは「戦争」は決して過去のものではないということです。今も中東のどこかではテロが起こり、たくさんの死者が出ているかもしれないのです。アフリカの,あるいはアジアやラテンアメリカの・・・。世界の何処かには「忘れられた戦場」があり、そこでは銃を持たされた子供が殺し合っている...。ただ祈ることくらいしか出来ないような現実,助け切れないほどの悲劇。それが世界の何処かに今日もあるのです。

もうひとつの悲劇、それは国家によって,あるいはそれに準ずるような絶大な権力によって人々の命が奪われている...と言うことです。その典型とも言えるものが、ナチスの台頭スターリンの「大粛清」です。一つのイデオロギーや価値観を押し付けようとして,異質なものを駆逐したのです。

毛沢東の自らの権力への固執が生み出した、中国史上最大の惨劇,文化大革命も、これに当てはまるでしょう。毛沢東思想を権威として集まった若者たちは紅衛兵として各地で暴れ回り、寺院や文化財を破壊し、あるいは地主などの富裕層を襲撃し、略奪を繰り返す。反革命分子と判断された知識人や政治家は吊し上げられてひどい場合にはそのまま殺されてしまうなどといったこともありました。また,内部の権力闘争に起因する内ゲバで、たくさんの人が犠牲になりました。それまでの政府への鬱憤を晴らさんとする大衆のパワーは、党は元より,毛沢東のコントロールすら利かなくなってしまいます。そして最終的に毛沢東は軍の介入によって収拾をつけることになるのですが、彼は自らが招いた混乱や、それによる犠牲者に対し,謝ることも無く、何の償いをすることも無く、一国の支配者としてその生涯に幕を閉じました。そしてその後も中国政府は民衆を抑圧しながら権力を保持し、現在に至っているのです。

ところで,ある人がこんなことを言ってます。「社会主義(或いは共産主義)は、たくさんの人を殺した。」と。果たしてそうでしょうか?いや,そんなことがある筈はありません。では聞きますが、英のサッチャー政権や韓国の金大中政権等のとった新自由主義(ルール無用の弱者切捨て)政策の下でたくさんの人が失業に追い込まれ、事実上の「死刑台」にかけられた訳ですが、そうした人々は資本主義に殺されたのでしょうか?違うと思います。思想や宗教が人を殺したりはしません。人を死に追いやるのはいつも人間であり、その人間の心に潜む「闇」です。一,中国も旧ソ連もあるいはかつてのカンボジアも、社会主義など看板に過ぎず、その実態は権威主義や全体主義然りとしたものでした。思想としては素晴らしいと思うのですが如何せん,それを扱う人間に落ち度があるように思えて仕方がありません。(これは宗教についても言えることですが...。)

 この世で最も恐ろしいものとは何か?僕はそれは人の心に潜む‘悪魔’ではないかと思います。しかし一方で、最も美しいものもまた、人の心だと思います。一見矛盾して見えるかもしれませんが、得てしてそういうことなのではないでしょうか?人の心が荒んでしまうような世の中ではいけないと思います。自分を嫌いになってしまうような世の中では悲しすぎます。凄惨な事件を無くすには,戦争や紛争を撲滅するには・・・。結局,人が進歩するしかないのではないでしょうか?こんな今だからこそ,人と人との繋がりを大切にしていかなくてはいけないのではないでしょうか?その2つを問題提起する形で、今日は終わりたいと思います。世界平和を祈って,ジベリ!

過去の関連記事(2つ)
http://ten-sen-progress.blogspot.com/2007/11/blog-post_15.html
http://ten-sen-progress.blogspot.com/2007/11/us-and-them_16.html              

2008年6月8日日曜日

復刻!翻訳・洋楽ロック①


と,言うわけで今日は11月に一度紹介した曲を、改めて紹介したいと思います。Pink Floydのアルバム『The Wall』(1979)に収録されていた,「Happiest days of our lives」と、②「Another brick in the wall(pt.2)」です。(この二曲,綿密にはこのアルバムは全曲がメドレー形式になってます。)後者はシングルカットされて大ヒットした曲でもあります。そして作詞は例の如くロジャー・ウォーターズです。なぜこの曲をもう一回載せるかというと、この前後の記事を読んでもらってからの方が、この曲の内容がしっくり来るのではないかな?と思ったからです。(それにあの頃は読者も少なかったことですし...)まぁ言ってみましょう,どうぞ!


Live Earth(2007) - Roger Waters - 06. Another Brick in the Wall 



①「(「お前だ,そうだお前だ。そこに立ってろ,若造!」)

大きくなって学校に行くようになると

そこには高慢な先公どもがいて、

子供達をあらゆる手で傷付けていたものだ。 


僕らのやること全てを嘲笑の的にする。

そして僕らがどんなに気をつけて隠そうが、

あらゆる弱みを晒しものにするんだ。

 
でもこの町の人ならみんな知ってるんだ、

家に帰るとデブで精神錯乱なヨメさんがいて、

あいつらは命がすり減るほど、鞭打たれてるってことを。




②教育なんて必要ない、思想統制なんて必要ない。

暗い皮肉は教室には要らない。 先公どもよ、子供達にかまわないでくれ。

おい、先公! 子供達をほっといてくれ。

お前らなんて壁の中の煉瓦の一つに過ぎないんだよ。

お前らなんて壁の中の煉瓦の一つに過ぎないんだよ。

教育なんて必要ない、思想統制なんて必要ない。

暗い皮肉は教室には要らない。先公どもよ、子ども達にかまわないでくれ。

おい、先公! 子供達をほっといてくれ。

お前らなんて壁の中の煉瓦の一つに過ぎないんだよ。

お前らなんて壁の中の煉瓦の一つに過ぎないんだよ。」


勘違いしてはいけないのが「教育なんて必要ない。」の真意です。恐らく,ロジャー自身も、「教育なんて要らないし、学問は不要だ。」などとは思っていないと思います。(っていうか,インタビューでそんな旨のことを言ってます。)ただ、「洗脳はやめてくれ」って言いたいだけだと思います。価値観やイデオロギーの押し付けとか、嫌国感情の植え付けとか、そういうのをするなって言いたいのだと思います。 
つまり間違った教育なら不要だってことです。嘘を教えられるくらい迷惑な話はありませんからね。僕自身も、まさか学校は要らないとか、学問なんて時間の無駄だなんてことは決して考えてません。ただ,今の教育制度や体系に欠陥があると思っているだけのことであって。 
 
僕が思うに,『教育』っていうのは自分で物事を考え、様々な思想,倫理観を持てる基盤を作るものであり、同時に「学び方」を学ぶことだと思うんですね。そして『学校』はというと、「学ぶ」とは何かを,学ぶことの楽しさを、学ぶところだと思うんです。また、「集団」で協力・連帯することや、互いの違いを知り、欠点を補い合い、長所を助長し合うことを身につける場だと,そうあるべきだと思うんですね。(でも現実は・・・)社会を改革するには、教育の現場を変えることもまた不可欠なのではないでしょうか? 
 
今日はこんな感じで失礼します。次回は再び連載に戻ります。
 
長い連載もあと数回を残すのみですが、
どうぞ,最後までお付き合い下さい。ジベリ!
 

2008年6月4日水曜日

暗黒年間③・抑圧

前も言ってたと思いますが、最近かなり疲れてます。梅雨の時期ってなんか苦手なんですよね,昔から。空もドンヨリしてて、なんか気分まで暗くなりそうで…。んで書き込みも大幅に遅れてます。ホント,すんません。そして内容もひたすら暗いですが、今回も最後まで読んでみてください。

 
中学入学後の学力テストの結果は上々でなんと学年第四位でした。好調のスタートでした。。一方,この学校では1学期の学級委員(総務と呼ばれていた)は、前属の小学校の方(綿密には6年次の担任らしい)が決めるのですが、なんと例の友人が指名されていたのです。しかも僕と同じクラスの…。(指名基準は未だ謎です。学力というわけでも無さそうでしたし、人格の問題でも無かったみたいですから。なんせ,あのアホ教師のことですからね…)初めこそ僕と彼は仲良くしていて、部活(因みに剣道部)も同じところに入ったのですが、次第に仲はこじれていくことになります。スタートから「4番」なんて成績を収めたものですから、クラスメートの中には「なんでお前が総務じゃないんだ?」なんていう人物も居た訳です。最も,そのことを誰よりも疑問に思っていたのは僕ですし、また彼自身も当初は疑問に思っていたようです。そうした「疑念」がもとで疎遠になり始めた,と言ってしまえばそれまでなのですが、僕としても,もう少し上手く振舞えば…という後悔はありますね。彼は次第に僕に対する誹謗中傷を吹聴したり、部活の先輩に対し、あたかも僕が悪口を言っていたかのようなデマを流すなど、徐々に僕に対して敵対的になっていました。一方,成績の好スタートは僕に思わぬ弊害をもたらしました。周囲(特に親)からの過剰なプレッシャーです。僕は中学の三年間,人間関係優等生コンプレックスの二重苦との戦いに明け暮れることとなりました。

 2学期に入ったくらいからはもう無茶苦茶になってましたね。1学期の最後の方で僕に批判的になっていた人物が一人居たのですが、厄介なことにそいつと彼が仲良くなっていて…。表面ヅラの良い彼に毒されたのか、気がつけば僕の味方は周りに居ませんでした。部活の方でも味方は皆無で、僕は学校にいる間中,精神が休まりませんでした。マジメに何回か命の危険さえ感じましたからねからね。「何で反撃しないの?」って思う方もいらっしゃるでしょう。簡単なことです。正当防衛とはいえ、武力を使ってしまえば内申点にマイナスが付くことになります。すると高校への進学に支障が出て,という悪循環を生むことになってしまう…と親などから聞かされていたため、容易に反撃できなかったわけです。それにむこうが元は友達でもある訳ですから、僕としてもなんとかして話し合いで解決してしまいたい,と思ったのでした。しかし彼は(あるいは彼らは)完全に毒に漬かってしまっており、どうにもなりませんでした。結局,二年時の6月くらいに僕は学校側に直訴し、一応の解決を見ました。あれが最善の手段だったのかは,正直僕にもよく分かりません。でも,そうしなければ僕は早かれ遅かれ殺されてました。
 
 しかし,彼との交友関係が完全に修復されることは最後までありませんでした。一方、その後思わぬ事態が発生しました。部の顧問がこれ見よがしに僕以外の部員の頭を丸めさせたたため、このナイーブであるはずの一件は全校中の話題となり、誰が言い出したのか校内では「陰謀説」(僕が部活を潰そうとしてデマを流した,などといった事実無根のもの)が流れ出し、僕はそれ以前よりも冷たい目で見られるようになり、部内でも先輩に冷遇されるようになってました。それどころか,教職員の一部にも「協調性が無い」とか「黙ってればいいのに」などと言う人が居たそうですからね・・・。もう無茶苦茶ですよ。じゃあ何ですか?弱者は抑圧され続ければいいとでも言うのですか?「いじめ」というのは個人間の侵略戦争です。だからいじめられる側にも責任があるなどということは絶対に無いのです。そんなことも分かっていない人物が教職員(なんと政治家にも…)になっているのだから、世も末です。
 
その後,僕自身も少し変わっていることに気付きました。原則,他人を容易に信じることは無くなっていました。信じることも疑うことも無くなってました。信じているものといえば自分くらいで、それ以外は全てが敵にしか感じられなくなってました。(そんな状況が5年ほど続きます)

僕と彼らとの「違い」は何だったか,それは「加害者でなかった」ということくらいです。被害者と加害者,英雄と戦犯,勝者と敗者。その両者はどれほど異なり,どこまで近いのでしょうね。友人を戦犯にしてしまったという意味では僕も、ある意味では加害者なんですよ。友達を助けてやれなかった訳ですから...。
とてつもなく重たい話になってしまいましたが、今日はここで失礼します,ジベリ!