2011年1月31日月曜日

理想とする社会とは何か?(後編)

1日空いちゃいましたが早速続きを...。因みに期末テストは明日で終わり,そっから向こうは大学院の入試勉強を頑張ります♪

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②社会構造をChange!

前回言ってきたように、少なくとも現在の我が国の社会状況は、国民の一人ひとりが「普通の幸せ」を追求出来るものではないんです。例えば‘仕事’を例にとって考えてみましょう。企業はただでさえ‘笊の目の法’と称される労働基準法すら遵守しておらず、その結果として日本の労働者というのは正規・非正規の分別無く概して冷遇されています。こうした状況下では働く側のやる気が削がれても仕方ありませんし、労働時間をいたずらに増やすことは過労に繋がるばかりでなく、家族との時間を奪ってしまうことに繋がりかねません。教育の現場も然りです。教師に碌な裁量権も与えず、その癖,学力低下の責任を教育現場に押し付ける...。これでは教師が疲弊するだけで何の意味もありません。


1、働くということに「幸せ」が感じられる社会
もし仕事をすることに幸せが感じられるような世の中になれば、僕はニートなんて殆ど居なくなると思うんですね。たしかに「働く」ということは、楽しいばかりのことではありません。誰だってお金を使う(≒遊ぶ)方が面白いに決まってます。

でも、働くことには全く‘喜び’がないのでしょうか?僕は多分,違うと思うんですよ。大学に来てから始めてバイトして給料もらったワケなんですけど、やっぱりその時って凄い嬉しかったんですね。あと,何っていうか「お金の重み」みたいなのも分ったりして...。僕は前に家庭教師をしてたんですが、教え子の成績が上がった時って自分のこと以上に嬉しかったんですよね。(←事実,本人以上に喜んでいたというw)人のために,或いは社会のために何かをするっていうことは実際それだけでやりがいのあることなんですよ。もしも会社が雇用者をもっと大切にするようになったら、そういう「働く楽しさ」みたいなのがもっと実感できるようになると思うんです。

それにしても労働者を守るということは家族を守ることであり、それは即ち国家を守ることでもあるということを政府が理解していないのは悲しいことです。企業の大小を問わずして安心して仕事に打ち込めるような環境に恵まれれば、誰もが仕事に熱心に取り組めることとなり、社会全体にとっても大きな利益になるんですけどね...。


2、「学ぶ楽しさ」のある教育
教育現場に全く競争が必要無いとは僕は思ってません。しかし「成績」だけに拘った教育をしていると結局のところ‘目標の青天井化’を招きかねないんです。それにテストを中心にした教育というのは効率的ではあるのですが、一方で授業がテストありきのものになりがちであり、結局のところ実用的ではない‘暗記中心の勉強’になってしまう可能性を持ち合わせているのです。PISA(OECDの実施している学力テスト)で日本が好成績が上げあれないのはそういう所以なのですね。

一方,僕が卒業論文でも取り上げたフィンランドではどうしているのかというと、全国的な学力テストは実施されていません。教育のイニシアチブが教育現場と地方自治体に譲渡されており、国は‘協力’の範囲でのみ携わることとなっています。評価方法ないし評価基準など一部が定められる以外は教師の自由裁量とされており、それゆえ現場の先生たちは各々で模索し、授業を作り上げていく...という手順が確立されているのです。教師が個性を生かせるからこそ、教わる側の生徒もいきいきと出来るのではないでしょうか?


3、政治家は毅然とすべし
次にこれがあります。‘国民の代表’たる政治家が毅然としていなければ、それは国家の存亡に関わります。例えば北方領土が還ってこないのは何故でしょう。日本がロシアに対してその要求をしてこなかったからではないのでしょうか?昨年の尖閣での一件とて、毅然とした対処をしていればその後の混乱も無かったんですよ。 そして民主党になってからも度々取り沙汰される「政治とカネ」の問題。もういい加減にしてほしいところなんですが、そうも行きそうにないのが悲しいところです。いわゆる‘政治の透明度’を高めなくてはこれはまた民主主義の腐敗を招きかねません。


4、これからの国際協力
前回,「助け合えることも幸せの絶対条件」と言いましたが、それは何も人と人との関係だけではありません。たとえ日本が‘幸せな国’になったとしても、隣に強権的な政府の下で国民が苦しんでいるような国があれば、弾圧されている少数民族があったとすれば、或いは環境破壊で国家存亡の危機に立たされている国があったとしたら、それを放っておいて旨い飯は食えないというものです。困っている人を助けるが如く、困っている国を助けるのもまた「幸せな社会」の確立のための絶対条件なのです。

そしてこれからの国際協力を考える上で留意しなくてはいけないのは、日本の‘長所’を生かすということです。そこで必要になるのが日本帝国時代におけるアジア政策の考察です。そこに「植民地支配」があったのは間違いありませんし、侵略戦争を仕掛けた歴史があるというのもまた否定出来ないものです。(そこを否定するような発言をするのは、少なくとも良識のない人物であろうと思います。)

ただ,一方で「いいところ」も沢山ありました。その証拠に台湾では今でも八田與一児玉源太郎を讃える人は少なくありません。インドネシア独立に際して尽力した日本人が居たというのも有名です。だから、これからはそういう‘日本のいいところ’を、次は本当に一つの友好国として生かしていくような国際協力の形を考え、とりわけアジアではそのイニシアチブを執って環境保全や民主化の推進に尽力すれば、もっと世界が日本という国を好きになってくれると僕は確信しているのです。(日本がそういう姿勢を見せていけば自主防衛路線確立に対しても、他国からの支持を得られるでしょうし...。)


ーあとがきー

僕が政治家になってからやりたいことを簡単に言うと次に挙げる3つなんです。まず第一に国民一人一人が日本国民であることに誇りを持てる国家を作ること。次に仲間はずれを作らない「共生社会」を確立すること。そして国民一人一人が主体的に社会の向上を考え、行動できる世の中にする...という言ってしまえば‘それだけのこと’なんです。そのために何をするのか?ということについては、実際,僕もまだよくは分って無かったりするんですがその辺はこれから勉強して、或いは色々な人と意見交換をすることで考えていきたいと思う次第です。皆さんも何かありましたらご提案下さい^^

というワケで今年最初の連載はこれにてお開きです,ジベリ!

2011年1月29日土曜日

新春連載!理想とする社会とは何か?①

連載やるって言った手前、こないだは軍鶏鍋作って食べたっていうワケの分からない「自炊アピール」で飛んじゃってたんですが、今回から2回に分けて例の連載をしたいと思います。今回書くのは、僕が理想とする社会について。そして次回はそのための方法ですね。ちょっと内容的に抽象的になってしまうところもありますが、最後まで読んで貰えると嬉しいです。

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①僕が理想とする「社会」

「どんな国に住みたい?」そう考えるのが政治を考える根本だと僕は思うんです。そして,どんな国がいいかというイメージが固まったら次はそれを実現するにはどうしたらいいか考える...。政治って実はこんなに簡単だったんです。これまでは自分の理想に一番近い政治家ないし政党に選挙の時、投票してオシマイだったんですが、昨今はその実現手段にも変化が出てきました。NGOないしNPOの登場です。僕ら一般市民も直接,地域や社会の問題解決のアクターになり得るようになったのです。
 
※1ポイントStudy:NGO&NPO
最近益々,その力に注目が集まっているNGOやNPO。俗に‘新しい公共’などと称されるこの「新しい力」についてのお話です。NGOとは言うまでもなく非政府組織の略称であり、一方,NPOとは非営利組織の略称。この2つは似たようなものではあるんですが、NGOが主に国際協力に特化しているのに対してNPOはもっと身近な国内の問題に主に取り組んでいる...という点で異なります。


僕が理想とする社会を考えたとき、一番に思いついたのは没頭できる仕事がある,ということでした。(お金はまともに生活出来るだけあればいいいかな?とw)仕事の打ち上げには仲間全員で酒を酌み交わして朝まで騒いで、休日は家族と旅行に出掛けて...。そんな「普通の日常」が送れる...ということが得てして一番幸せなんじゃないかと僕は思うんです。でも、たとえ僕がそういう生活を享受していても隣で人が餓死していたり、仕事仲間がカルト教団から勧誘され、恐喝されていたりしたとすればそれをホッタラカシにしていて果たしてそれは「幸福」と言えますか?困っている隣人を助けられること,つまりは助け合えることもまた幸せの絶対条件だと僕は言っているのです。 

・諸悪の根源はコイツだったりする(画像はリチャード・コシミズ氏のHPより)

しかし、今,この国は、それが実現できないような状況にあります。それが顕著になったのが、いわゆる「構造改革」以降です。構造改革とは何だったんでしょうか?民主党政権になっても、結局,そこに関する議論は希薄です。

※1ポイントStudy:構造改革
小泉純一郎の下で進められた新自由主義的改革の通称。いわゆる「ワンフレーズ・ポリティクス」の先がけであり、国民の多くはその内容を理解していなかった。‘痛みを伴う改革’と言ってはいたが、その打撃は社会的弱者に容赦なく降りかかる。社会保障や教育などへの投資が容赦なく削られた。その一例として、母子加算,老齢加算の廃止や生活保護基準の引き下げ、大学への補助金削減などがある。

行き過ぎた規制緩和によって大企業の横暴が許され、人件費は削られて雇用者の生活は困窮。金持ちは益々金持ちになったかもしれませんが、貧乏人は貧乏になる一方ではないですか?しかもその間に国民の資産(郵政株やかんぽの宿などの施設)が外資に明け渡され、国益は損なわれる...。それがこの10年に起こったことです。こういう社会の在り方を変えねばならないと僕は言ってるんです。では,どうするのか?それを次回は観ていきたいと思います。

今日はこの辺で失礼します,ジベリ!

2011年1月27日木曜日

軍鶏鍋を作ってみた

   ・軍鶏鍋...ではなくただの鳥すきだったりする

期末テストは来週の火曜日で終わります。今回はテスト多めだったんですけど、結構,バラバラやってたんでそれほど疲れることはありません。大学院入試の願書も出し終わったんで、あとは試験に備えて勉強して合格するだけですw



んで今日は夕食に軍鶏鍋を作ってみました。坂本龍馬先生の好物としても有名なアレです。っても軍鶏じゃなくってフツーの鶏肉使ったんで、ただの鳥すき焼きではありますが...。でも美味しかったのでOKです。(すき焼きと云えば牛肉って人も是非,やってみて下さい^^)



まだ寒い日が続きますが、やっぱり鍋は温まっていいですね。因みに軍鶏鍋にはビールか日本酒が合います。京都の地酒と一緒に頂けば気分は完全に幕末の志士ですね。僕も日本を変えるべく現代の志士となりましょう!!では今日はこの辺で失敬,ジベリ。

2011年1月20日木曜日

大学ラスト授業

僕はもうすぐ大学卒業なワケですが、そのラストを飾る授業は昨日3~4限の「国際NGO論」という講義でした。この授業は毎週,様々な講師を招く「リレー講義」という形式のもので、多種多様なNGO団体の人の話を聞くことのできる非常に有意義なものでした。中でも西谷文和さんの話を聴けたのは良かったですね。ただ去年紹介した大田昌秀さんの講演会のときは大講堂貸切でやってたのに、西谷さんのときは普段通りの小ぢんまりした教室。あれの100倍は価値がある講義だったのに何だこの差は...。西谷文和さんはイラクで米軍の侵略によって苦しんでいる子どもたちを救援する活動を行っている人で、僕と同じくアメリカの「テロとの戦い」に疑問を投げかけている人でもあります。最近はテレビなどにも出演しているので、見たことのある方も多いかもしれません。


・イラクの子どもを救う会
http://www.nowiraq.com/blog/

詳しくは近々開始予定の連載でやろうと思ってるんですが、9.11の真犯人はビン・ラディンじゃないです。間接的に関与しているかもしれませんが、首謀者はもっと「上」に居ます。ぶっちゃけて言えばアメリカの内部犯行です。よくそう言う話しをすると「陰謀論」とかって一蹴されちゃうんですが、そもそもアルカイダが実行犯ってのも確固たる証拠の無い‘陰謀論’に過ぎないんですよw

まぁその話は置いといて今日の「国際NGO論」が僕の大学ラスト講義だったワケですがその内容はこのリレー講義を総括する内容であり、そして最後に出された課題は僕が大学で政治学を勉強してきた中で、そして政治家になるためにずっと考えてきたことだったんです。その先生が出した課題は「皆さんが理想とする社会とは何ですか?そのためには何が必要だと思いますか?」といったもの。これって恐らく小学生に質問しても、それなりの答えが出せそうな設問なんです。大学生にはあまりに簡単過ぎるかもしれません。でも,考えてみたら原点ってこれなんですよ。それを考えるところから政治の勉強が始まるのではないですか?「始まりこそがゴール」とはよく言ったものです。僕がそれに対して出した回答は後日,改めて書きますが、なんかこういうテーマで大学生活を締めくくれたという‘偶然’になんか感謝です。(まだ期末テストが残ってるけどw)では今日はこれにて,ジベリ!

2011年1月13日木曜日

初詣in京都

   ・早朝の疎水風景(深草駅前:撮影・1月6日)

先週の木曜にこっちに戻ってきたのですが、前に言ってたようにその翌日の夜からはまたデートだったワケであります。昨年のクリスマスデート以来ってことでかなり前のことのように錯覚していたんですが、実はたったの2週間振りだったりするんですよねw

       ・7日夜に行った居酒屋「池田屋」のメニュー表

待ち合わせは7日の夜,その日は三条で待ち合わせて夕食にあの池田屋事件の現場後に作られたという曰く付きの居酒屋に行っただけでした。ここでは坂本龍馬の好物としても有名な軍鶏鍋ってのを初めて食べました。すき焼きの鶏肉バージョンって感じのやつなんですが、結構,美味しかったです。あと遠距離なんで余計に感じることなんでしょうが、なんか一緒に食事してるってだけでも幸せなんですよね...。(←完全ノロケなんでスルーして貰って結構ですw)



            ・元日から1週間も依然賑わう八坂神社


翌日の8日は、八坂神社~清水寺のコース,京都での初詣は八坂神社からのスタート。流石,全国的に有名な神社だけあって年明けから1週間経過しているこの日でも参拝客は多かったです。(出店なんかもちょいちょい出てましたよ。)


      ・坂本龍馬&中岡慎太郎先生の銅像(何回目の登場か...)


次の目的地は清水寺円山公園を経由して、途中,お土産屋などに立ち寄りながらの移動だったんで、多分、1時間ほど掛かってます。(七味唐辛子の専門店に行った。試食してみたら案の定,辛いw)


      ・地主神社にあった変な銅像たち

清水寺もやっぱり人多いです。フツーの土日だったんですが案の定...。ここの境内には地主(じしゅ)神社という縁結び(そして縁切り)で有名な神社があるのですが、これはそこにあった銅像です。ウサギとピコピコハンマー(←多分違うw)を持った古墳~飛鳥時代頃のお偉いさん風のおっちゃん。実はこれ、大国主命因幡の白ウサギなのだそうです。因みに写真には写ってませんがこの横にピコピコハンマーもとい金色の小槌が置いてあって、記念撮影できるようになってます。


              ・清水の舞台はこんな感じになってます

その後,またお土産を買ったりしながら宿泊先のホテルに帰ると、時間はもう夕方。この日の夕食は「かつくら」という豚カツの有名な店で。(昔,このブログでも紹介したかな?)
         ・三条のリプトンティーハウスでケーキセットを

そのあとリプトンティーハウスやカラオケなどに行って夜の京都を楽しみ、最後にROSEOという最近,行くようになったバーに立ち寄ってこの日も楽しく終了。(ホテルに帰ったのは多分,0時くらいかと...。)


               ・軽く雪の積もった下賀茂神社

翌日は近くの上島珈琲店で朝食を食べたあと、下賀茂神社へ参拝。写真を見て貰えば分かると思うんですが屋根なんかに若干雪が積もってました。僕は去年の夏以来の参拝で、彼女の方はというとここに来るのは初めてとのコトで、珍しそうにしてました。ここで今年初のおみくじを引いてきたのですが、今年出たのは「平」というワケの分からないもの。調べてみたところ、あれは‘へい’と読むらしく、まぁ読んで字の如く「普通」なのだそうです。(珍しさでは大吉を上回るとの説もあるんですが、何もそんなところで運使わんでもええのに...。しかも書いてたこと結構,酷かったw)


        ・修復が終わりきれいになった伏見稲荷大社

んで、その日は伏見稲荷大社にも行く予定だったんですが、彼女の方が疲れたとのコトで、この日の予定はここまで。あとは家に帰って自宅でお好み焼きパーティーをすることに...。夕方は家でノ~ンビリと過ごしました。翌日になって伏見稲荷大社には行きました。上はその時に撮った写真です^^

          ・9日夜に食べたお好み焼き(僕が焼きましたw)

稲荷大社を参拝したあと、京都駅でちょっと早めの夕食を食べたあと、彼女を見送って今回のデートは終了。僕もしばらくは期末テスト&大学院入試で忙しくなるんで、次に会えるのは1ヶ月以上向こうのことになると思います。そういや今回はプリクラとか撮ったんですが、最近のプリクラ凄いですね。(画質とか軽い詐欺のレベルですよw)

まぁそんなワケなんですが今日はこの辺で失礼します,ジベリ!

2011年1月4日火曜日

新春・松山観光2011

・ドラマ「坂の上の雲」の撮影に使用されていた大砲(松山城に展示されている)

          ・<伊佐爾波神社>今年の絵馬はこんな感じ

ってなワケでちょっと遅めですが、今年も初詣&松山プチ観光に行ってきました。今回は天気が良かったので路面電車ではなくサイクリングでのお送りでした^^


              ・「時計台」のナポリタン

まず,お昼が近かったので、松山で行きつけにしている喫茶店,時計台で軽くランチを頂きます。ここはこのブログにも何回も出てきているお店で、僕は帰省する度に一度は必ず訪れている場所なのですが、今回注文したのはナポリタン。喫茶店の定番ですね,ハイ。
              ・JR松山駅前の大通り(北条方面)

実はこの時点ではまた路面電車でゆっくり...とかも思ってたんですが、写真の通りホントに天気が良かったんで、結局は自転車ツアーにしたんですよ。

     ・加藤嘉明像(このアングルから映すと一層カッコいい!)

まずは松山城へ。多分,登るのは去年の1月以来で一年振りです。久し振りに行ってみると、ロープウェー乗り場の前に何やら立派な銅像が出来ています。これは松山城を築城した加藤嘉明の像ではないですか。ちゃんと槍を持ってるところにこだわりを感じます。(加藤嘉明は槍の名手としても有名)恐らく歴女も文句無しの逸品でしょう。また,ロープウェー乗り場には冒頭の写真にあった大砲のレプリカが展示されてるんですが、これはNHKで放送中の大河ドラマ「坂の上の雲」のロケで使用されたもののようです。気になる方は是非,行ってみてください。(作品絡みの展示会も開催されているようなので...。)

          ・松山城天守閣(右下に見えるマスコットは「よしあき君」)        

              ・「丁字村」の真之弁当を食べながら...


              ・城下町を見下ろす(こちらは三津浜方面)

松山城に登る時、僕はいつもロープウェー街にある「丁字村」という弁当屋でおにぎりのセットを買って行くんですね。そして城山からの眺望を楽しみつつそれを食べる...というのが僕の松山城の楽しみ方だったりします。(夏とかだと天守閣前のお茶屋さんで売ってる「いよかんソフト」なんかを食べるのもいいですね^^)


                ・路面電車道後温泉駅

            ・伊佐爾波神社にはこのような彫刻が見える

城山を降りると、次の目的地である道後温泉方面に向けて移動。とりあえず自転車を止めて伊佐爾波神社の参拝へ。家の事情で正月に初詣出来てないんで、何気にこれが初詣です。毎年初詣に来てる場所で、冒頭で紹介した「ジャンボ絵馬」はここの名物だったりするのです。松山では毎年,これを楽しみにしている人も少なくないことと思います。(このブログで紹介するの自体,これでもう3年目ですね。)

          ・宝厳寺の入り口より(ネオン坂方面に向かって撮影)

道後温泉界隈には伊佐爾波神社のほかにも歴史ある寺社仏閣が散在しているのですが、実際,殆ど知られていないのが実情です。写真の場所は宝厳寺という一編上人の生誕地として知られるお寺で、先程紹介した伊佐爾波神社のほど近くにあります。


・宝厳寺前のいわゆる「ネオン坂」(再開発は進まず、ほぼ廃墟となっている)
              ・どういうワケか野良ネコが多いネオン坂近辺
このお寺の前にはかつて「ネオン坂歓楽街」と呼ばれたところなのですが、今ではほぼ廃墟と化していて、営業しているお店は殆ど無さそうです。(この辺はその昔,いわゆる赤線だったんですね。夏目漱石の小説「坊ちゃん」にも登場しています。まぁ,今では少なくとも日が沈むまでは安全な場所ですので悪しからずw)


  ・椿の湯はこんな感じの外観になってます(ライトアップもしてるよ)


商店街をちょっと物色したあと、今回は道後温泉別館の椿の湯へ。外装は本館と比べるとかなり異なりますが、お風呂そのものは大差ありません。入浴料は360円で、別途ロッカー料に10円,その他、石鹸、シャンプー、タオルなどの備え付けは無いので持参下さい。(←これは本館も同じです。)

          ・雨が風情ある通りを一層,艶やかに脚色する



入浴後,外に出ると、雨が降っているではないですか。でも持って帰る用のお菓子なんかを買っていると、ものの十数分後には止んでいたので、恐らく通り雨だったんじゃないか?と思います。かくして軽い松山観光を楽しんだあと、僕は帰路に着いたのでした。そして明日の夜にはもう京都に戻るのです。京都に着いた日の9時から授業あるのでもうバタバタです。でもその翌日にはまた彼女が京都に来るので一緒に初詣ついでに新春の京都を楽しもうと思ってます。

では,今日はこれにて失敬。ジベリ!

2011年1月2日日曜日

今年も頑張るぜよ!

                ・有名な桂浜の龍馬像

                    ・ここが桂浜!

・高知市内を走る路面電車(これはもともとノルウェー・オスロ市電だったらしい)

皆さん明けましてハピーニューイヤーです。←なんじゃそりゃw
今年もヨロピクと仰っております。
              ・石鎚SA(上り)からの眺め

今日は久々の家族旅行で高知に行ってきたんですが、そんなワケで今年の第一弾は坂本竜馬ゆかりの地,桂浜からのお送りです!!高知県に行くのは実は13年近く前の小学校中学年の頃以来で、実際,殆ど記憶にはなかったんですが...。

                ・石鎚サービスエリアでちょっと休憩
昔は恒例行事だったオトンの車での家族旅行も、僕が大学に行って更に弟が高校に行くようになると機会がだんだんと少なくなっていたので、それだけでも珍しいことなんですが、今回はお正月の外出,5年くらい前に琴平の金毘羅山参りに行って以来のニューイヤー旅行でした。

・上り線の石鎚SAにあるパン屋で買った「じゃこかつバーガー」(298円 in tax)

松山インターから出発して川之江ジャンクションを経由して高知方面へ...。途中,石鎚サービスエリア(位置的には西条市に当たる)に立ち寄って一休み。パン屋さんに「じゃこかつバーガー」という珍しいものがあったので、ちょっと食べてみることに。フィッシュバーガーみたいな感じなんですが、じゃこかつの食感と相俟ってこれがなかなか美味しかったです。ここ以外でも売ってるところはあるらしいので、皆さんも愛媛に来た際は是非,食べてみて下さい^^
            
                 ・桂浜に到着!(ここは駐車場)

出発から2時間ほどで桂浜に到着。お土産屋やレストラン,旅館に水族館、おまけに闘犬場まである高知随一のレジャースポットなのですが、なんか若干,錆びれてます。(勿論,龍馬記念館なんかもあるんで、幕末ファンの皆さんにも打って付けの場所ですよ^^)

              ・ちょっと波の強い桂浜

そしてこれが、かの坂本龍馬が幼少期に眺めていたという大海原。その向こうに龍馬先生は大きな志を抱くワケですが、砂浜をの上で、「ここを先生も歩いたのかな?」と思うと、何だか感慨に浸ってしまいます。遠く見渡す海の向こうには‘未知’の世界,若き日の龍馬先生は太平洋に何を見ていたのでしょうね...。


               ・桂浜には綺麗な石がたくさんあります

あと,ここは凄く砂浜がきれいなんですよ。上の写真は僕が拾った石なんですが、こんな感じの小石がたくさんあります。あと,貝殻とかもありましたよ^^(※砂浜はみんなのものです。石の持ち帰り過ぎには注意しましょう。ゴミを捨てて帰るなど下衆の極み!)

             ・お土産屋の前で見つけた変な置物

その後,お土産屋をちょっと物色して、次は高知の市街地へと移動。はりまや橋や高知城を目指します。桂浜も一応,市内ではあるんですが、市街地までは車でも数十分掛かります。


              ・有名な「はりまや橋」,最近リニューアルした模様。

高知城とはりまや橋は近い距離にあります。はりやま橋は最近になって建て替えられたらしく新しくなってましたが、ホントに小さな橋なので見落とし注意です。(日本三大ガッカリ名所の一つらしいしw)


     ・これが高知城(脇手には山内一豊の像も置いてある)


            ・水面に映るお城が綺麗です^^

そしてこちらが高知城。松山城みたいに山の上にあるワケではないので、そんなに見物に時間はかからないんじゃないかな?と思われますが、今回は行ってませんので何とも言えませんw

 ・龍馬をはじめとする様々な偉人たちの史跡が残る高知の城下町

お城の周辺には武市半平太の絶命地や、坂本龍馬出生の場所なんかもあるようなので、その辺も見てみたいなと思ったり...。(お城のすぐ前のところには山内容堂の出生地跡がありました。)



帰りに南国SAに立ち寄って遅めの昼食を。南国ラーメンという鰹でだしを取ったと思われるラーメンと焼き鳥丼みたいなののセットが普段1000円くらいのところ、4日は西日本サービスエリア全体の割引デーということで3割引で食べれちゃいました。(そういやじゃこかつバーガーも安くなってたな...。)来る途中は山道に雪が残ってたりしたんですが、暖かくなったので帰る頃には溶けてしまった様子。晴天に恵まれ、新春旅行は楽しく幕を閉じました。僕は5日夜まで松山に居て、6日の授業が仕事始めと言った感じです。

                ・作者のシルエットw(桂浜にて)

それでは今年も皆さん,このブログを、そして作者であるSenichiを一つよろしくお願いします。皆さんにとって、そして僕とって今年が良い年たらんことを切に願い、新年の挨拶とさせて頂きます。それでは今日はこの辺で,初ジベリぜよ!