2014年8月30日土曜日

沖縄論②:琉球処分

ということで連載を進めていきたいワケですが、今日は沖縄という場所がいかにして日本に組み込まれたのかまで遡って話を進めていきたいと思うのです。というのも、そもそも論として、日本人の多くは沖縄がどのようにして日本に編入されたのかをよく理解していないんですよね。なんか気が付いたら日本に入ってたとか、下手をすると元々日本だったと思っている人すら居るんじゃないかとさえ思います。だから、まずはその歴史を正しく踏まえるところから始めようではないかということです。

1、琉球処分
実は、沖縄が正式に日本に組み込まれたのは比較的最近のことなんですね。それがこの章のタイトルでもある「琉球処分」ということになるのですが、これが明治初期の1872~1879年のことであり、とどのつまり沖縄は正式に日本に編入されてから未だ150年も経っていないのです。

しかし、琉球王国という独立国であった沖縄はなぜこうもスンナリと‘併合’されてしまったのでしょう。話はそこから270年前に遡ります。関ヶ原で後に語り草となる「島津の退き口」を決行し、戦に勝ったはずの家康を脱糞させたビビらせた島津義弘率いる戦闘民族薩摩でしたが、その後も領地を減らされたとは言え、それ以上の措置を取れないような状態にありました。その最中の1609年、薩摩は突如として琉球に侵攻します。

侵攻に至った経緯については諸説あるのですが、何れにせよ何かしらの外交的トラブルに端を発するもののようであり、薩摩は江戸幕府から征伐の御朱印を受けた上で実行したというのが実際のところのようです。殆ど非武装状態だった琉球側は、徳之島などでの小規模な戦闘を除けばあまり戦わず、一貫して和睦を求めたというのが定説であり、だいたい1ヶ月程度で琉球は薩摩に屈することとなりました。戦後処理として琉球王国は薩摩の附属国とされ、またここに於いて奄美大島が琉球より割譲されて薩摩の直轄地となったのでした。また、このとき首里城などにあった宝物や歴史書などが薩摩に持ち去られたようです。かくして薩摩の間接支配を受けることとなった琉球王国は「琉球は古来より薩摩の附庸国(衛星国)である」ことを述べる起請文を出すこととなり、以降琉球の強みのひとつでもある貿易についても薩摩がその実権を握ることとなったのでした。

その後明治維新を経て件の琉球処分に至るのですが、1872年の9月末には外交権が外務省へと移され、ここにおいて貿易国・琉球は姿を消すこととなります。またこの過程で琉球と冊封という一種の君臣関係にあった清と明治政府との間で外交衝突が起こることとなるのですが、これは事実上棚上げされて、その解決は日清戦争の結果を待つこととなるのでした。


2、ハワイとの比較
沖縄と立ち位置がやや似ているのがアメリカのハワイ王国でしょうか?元来独立国であったハワイ王国は1893年の1月17日にアメリカにより王国は転覆(ハワイ事変)、その後紆余曲折を経て95年に王国は消滅、そして1900年には併合されることとなります。(ハワイ領土併合法)ここに於いてハワイの住民は合衆国民となったものの、大統領選や副大統領選時の投票権は与えられず、また連邦議会議員選の投票権も与えられないなど、大幅な制約が設けられることとなったのでした。(ちなみにハワイが正式にアメリカの「州」となったのは1959年の8月21日のこと。)

それからおよそ1世紀後の1994年に米国議会とクリントン大統領(当時)はハワイ人の自治権剥奪に対する正式な謝罪をしたのでした。謝ったから許されるということでもないかもしれませんが、違う価値観を共有した上で、過去を克服していうこという姿勢自体は評価すべきだと思うんですよね。昨年4月には実質的には回復なんてしていない主権を「回復した」として仰々しくも式典を開いた我が国の政府とは歴然とした差があるといっていいでしょう。


3、誰からも謝罪されない沖縄
上記のように、比較的最近になってからではあるもののアメリカはハワイに対する侵略行為を一定認めた上で謝罪しています。しかし沖縄はどうでしょう?未だ誰からも正式な謝罪を受けていないのです。薩長政府も、それを引き継いだ今の政府も、そしてアメリカも、誰一人として謝っておらず、更に言えば加害者としての認識すらあるかどうか怪しいくらいなのです。「歴史」というのは視点を何処に置くのかによってその評価・見方が大きく変わるものです。1つの集団を形成していく上で「共通点」を探すことは勿論必要です。しかし、基本的に自分と他人というのは違うものです。だからこそ、「違い」を共有することはもっと重要になるんですよ。この辺は日本社会が見つめ直すべきところだと思うんですけどね...。ともあれ今日の内容はここまで。次回は時間軸を現代に移して話を進めていきたいと思います。


~おまけ(参考文献とか沖縄セールスとか)~
今回の連載について、読者の方から「ちょっと沖縄の宣伝みたいなのも入れたらいいんじゃないか」という意見を頂いたので、参考にした文献の提示とともにこれからは毎回こういうコーナーを設けていこうと思います。今日紹介するのは小林よしのりさんの「沖縄論」と、2011年の沖縄来訪時に宿泊したホテルです。



色々と物議を醸すことも多い小林よしのりさんですが、この本に関しては本当に同意するところが多かったですね。いわゆる保守派の論客、小林よしのりさんの言葉を借りれば「自称保守」ということになると思うのですが、そうした人たちの多くはアメリカの蛮行に目をつぶり、ただひたすらに中国の脅威を煽るだけという姿勢を未だに変えようとしません。それに対して小林さんは本当に沖縄に寄り添い、そして本土ではなく沖縄を中心にして沖縄の抱える問題を考えようというスタンスを明確にしています。

沖縄の心 瀬長亀次郎回想録 新装版
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特筆すべきは、同著の中で一章を割いてまで瀬長亀次郎に言及しているという点。社会主義運動を出発点とし、沖縄の日本復帰後は共産党に属するなど大凡小林さんとは思想背景が違うであろう人物を、そういう色眼鏡を抜きにして沖縄の主権回復のために戦った義士として忠実に描いているところでしょう。この辺は産経新聞やチャンネル桜には到底できないであろうことであり、そうした意味でもやっぱり小林よしのりという人物は面白いと思いますね。


で、次に紹介したいのはリザンシーパークホテル谷茶ベイという恩納村にあるリゾートホテル。写真にあるように目の前に海があるのに加えて、ホテル内にはプールや温浴施設もあり、その他レストランやバーなんかも併設されています。

・部屋からの眺め

僕が行ったのは3月の上旬だったのですが、テンションが上がっていたこともあったのか、最終日には海で泳いでましたからねw 8月も明日で終わり、次第に季節は秋へと移っていくと思うのですが、多分沖縄はあと1~2ヶ月は夏気分を味わえると思うので是非とも足を運んでみてください。そんなところですが本日はこれにて失礼します,ジベリ!

2014年8月15日金曜日

沖縄論①:プロローグ

敗戦記念日第二弾の記事は、前々から言っていた沖縄論の第一回となります。そもそも僕はこの連載をやろうと思ったのはだいたい今からちょうど1年前。沖縄の問題を沖縄中心に見つめ直すことが今一度必要なんじゃないかという問題意識の下に構想を進めました。

この連載を読んで貰うにあたって言っておきたいのは、まず第一にこれが現在進行形の問題であるということ、そして二つ目には、問題の当事者はあくまで沖縄に住む人々だということ、そして第三には沖縄にとってそもそも日本(本土)は加害者に他ならないということ。これらを踏まえた上で、この連載を読んで頂きたいのです。


1、沖縄と中国
最初に皆さんに一つ質問を投げかけます。次のうち、歴史上1度も沖縄を侵略(※軍事を伴うものに限定)していない国はどこでしょう。

A、日本
B、アメリカ
C、中国

結論から言うと正解は中国なのです。後々詳しく書きますが、アメリカはペリー来航の時点で既に沖縄で狼藉を働いていますし、日本は江戸時代の薩摩藩(鹿児島)による軍事的侵略から明治初期の琉球処分を挙げるまでもなく侵略行為を繰り返しています。では中国はどうでしょう?たしかに「朝貢」という形で中国の服属国という形式を取っていたことはありますが、朝貢貿易というのは双方に利益のあるいわゆるウィン・ウィンの形の制度(?)であり、加えて言えば別段主権に大きな制約を加えられるようなものではありません。琉球は中世から近世まで、この中国との関係をベースとして一大貿易国として独自の発展を遂げていきます。

つまり何が言いたいかというと、沖縄にとって中国という国への歴史的評価はそう低くはないということです。成程尖閣諸島の問題はありますが、逆に言えばそれだけのことであり、また至極極端なことを言えば、現状人も住んでいない辺境の島のことよりも、自分の住む町に基地を作られ我が物顔で街を闊歩されることの方が余程目に余る問題というものでしょう。だから何だと言われればそれまでですが、そもそも論としてそこを認識しておく必要があると考えたので、ちょっとこんな話をさせて貰いました。(だいたい中国の軍部の暴走、もとい江沢民派の暗躍の裏にはアメリカの手引きがることもお忘れなく...。)


2、実は問題だらけの沖縄
沖縄といえば皆さんは何を思い浮かべるでしょう。料理や泡盛を思い浮かべる人もいるでしょうし、綺麗な海をはじめとする豊かな自然を思い浮かべる人も居るでしょう。しかしながら、実際の沖縄というのは多くの問題を抱えているところでもあるのです。基地負担のこともそうですが、その他にも高い失業率(現在7~9%)や低賃金など労働面でも多くの問題を抱えていますし、また長寿のイメージが強いですが、男性の平均寿命に関して言えば47都道府県中30位とあまり芳しくありません。この背景に何があるかと言うと実は自殺率の高さなのであり、とどのつまり景気の悪さが背景にはあると言えるのですが、それは雇用を生み出さない基地への依存にも直結する問題なのです。

・首里城にて(2011年3月来訪時の撮影)

後々の記事でまた詳しく書きますが、そもそも沖縄は殊貿易方面では高いポテンシャルを持つところだったのです。そうした「強み」を活かせるようになれば沖縄にとっては元より、日本にとってもプラスになるのは間違いないことなのですが、果たしてそれが実現される日はいつなのか。少なくとも自民党政権が続く限りは無理なのだと思うのですが、まずは沖縄県知事選で非自民の候補を勝たせることから全ては始まるというものでしょう。今回は本当に大筋というかさわりの部分だけになってしまったのですが詳しい話はおいおい今後していくとして、今日のところはこれにて失礼したいと思います,ジベリ!

敗戦日に寄せて

69年目の敗戦日を皆さんはどうお過ごしでしょうか?僕はといえばまた今日もバイトであり、本当に「日常」としてこの日を過ごしていた次第です。69年という年月は、長く思える一方で意外と短くも感じるものであり、それから現在に至るまでのこの国の変わり様を思うと感慨深くあると同時に、今またいつか来た道を歩もうとしている我が国を心から憂いているところでもあります。


そもそも皆さんは今日のことを「終戦記念日」と呼んではいないでしょうか?勝とうが負けようがとりあえず終わってほしい。そう思った当時の国民の気持ちは何となく分かりますし、だいたい戦争なんざない方がいいに決まっています。しかし、そもそも戦争というのは少なくとも誰かが始めたきっかけとして行われるのであり、そこに至る経緯というのも実に様々であります。



2年前の夏から冬にかけて僕は「あの戦争」を見つめ直す連載をここでやりました。少なからず反響を呼んだ同連載で言ったように、日本は戦争に突入するべくして突入し、負けるべくして負けたということなのですが、あの連載で1つ欠落していたことがあるとすれば、我が国にもあの戦争で儲けた人が居るということであり、そうした人たちが「開戦」の機運を高めたということでしょう。そしてさらに重大な点は、その人脈がまた今同じことをやろうとしているということなのです。それを知った上で行動しなくては、またもこの国はする必要のない戦争をして死ななくてもいい人を多く死なせてしまうこととなるでしょう。加えてもう1点。その2年前の連載で僕は敢えて「構造的敗北」と言ったのですが、「負け」の要因となった旧日本軍および薩長政府の有していた構造上の問題を今の日本はそのまま受け継いでしまっているのです。

・230万人はどのように戦死したのか?
http://mainichi.jp/feature/afterwar70/pacificwar/data1.html

これは毎日新聞社が作成したものなのですが、このデータによると230万人の戦没者のうちの半数以上がなんと戦闘行為における、いわゆる「戦死」ではなく餓死或いは病死なのです。悪名高いインパール作戦においても司令官である牟田口廉也は司令部で芸者を侍らせて遊興に耽っていたと言います。あれはかなり極端な例かもしれませんが、前線で働く人を屁とも思わない上層部というのは、現代におけるブラック企業を彷彿とさせますし、それらを下支えする我が国の権力者をも連想させます。(いわゆる特攻隊のエピソードからもそれは感じますよね...)



それにしても何故これほどの餓死者を出すことになってしまったのでしょう。連載の中でもチョロっとだけ触れたのですが、この背景にあるのは実は兵站の軽視だったのです。(詳しくはこちら)この兵站(ロジスティックス)というのは単に物資の補給を指すものではありません。負傷者を本土へと送還することも業務の1つですし、加えて言えばどういう人材をどこに配置するのかというのすらもここに含まれることとなるのです。


つまるところ兵站というのは会社で言うところの人事に当たると言えるのですが、思い返せば日本の会社は人事が無能なんて話、しばしば聞きますよね?まぁそれと僕がなかなか採用されないことの関連性については敢えてここでは明言しませんが、ともあれ、それを除けても人事担当者をそこまで良いと思ったことはありませんし、また好んで人事課を望む人にもあったことがありません。しかしながら軍事において実は兵站が極めて重要なのと同じで、会社における人事というのは決して軽視していいものではないのです。



かつて武田信玄は「人は石垣、人は城」なんて言いましたが、成程組織を構成するのは人材以外の何者でもありません。どういう人を採用し、どういうセクションに振り分けるのか。(そしてどのようにして育成していくのか...)そうした業務を一手に引き受けるのが「人事」という仕事なのですから、人事は極めて重要な仕事なのです。「人物本位」なんていうのは耳障りこそ悪くありませんが、要するに尖ったものを除けて無難な人を残すということです。それでいながら、やれ「クリエイティブな人材」なんて言っても、そんなものが集まると考える方がバカ丸出しです。イノベーションを起こしたいとか言いながらマスターベーションに耽っているだけの話なのです。(なんか似たようなことを前にも言ったような気がw)人脈においても「負け」の構造という意味においても、悉く先の大戦を引きつっている我が国。たしかに「敗戦」からは70年経ちましたが、まだまだ本当の意味での「戦後」には年月がかかりそうです。今日はもう1本書きたい記事があるので、一旦ここで失礼します。

2014年8月10日日曜日

台風とモテ期と宅配便は来てほしい時に限って来てくれない

・「六道さん」の呼び名でお馴染みの珍皇寺

台風で大荒れの西日本ですが、今日の夜は毎年恒例の六波羅蜜寺の万灯会&六道参りに行ってきました。本来今日は五条の陶器まつりにも行く予定だったのですが、その台風のせいで2日前から中止になっているらしく、今年は行くことができませんでした。(ちーん)

・多くの参拝客で賑わう六波羅蜜寺

そんなこともあり、家を出たのは本当に夕方で、今日のところは迎え火に行ってきただけということになったのですが、まぁ本当に好きな行事の1つなんですよね。こうしてしんみりとご先祖様をお迎えして、そして16日に見送る。ただそれだけのことなんですが、墓参りにも大して行けない僕にとっては大切にしたい行事なんですよね。

・境内に地獄に通じる井戸がある珍皇寺

それにしても台風ってホント空気読んでくれませんよね。どうせだったら飛んでほしい予定に重なって予定もろともぶっ飛ばして貰いたいのですが、なかなかどうして上手い具合いにいかないものです。まぁでも実際人生なんてそんなもんですよ。「出会い」もそうですが、タイミングってのは全く難しいものです。だからこそ出会いとか別れって大切にしなきゃいけないんですよね。皆さんもそこのところしっかりしといたほうがいいですよ。そんなところですが、本日はこれにてお暇します,ジベリ!

2014年8月5日火曜日

阪急そば

今日はまた就活で大阪まで出掛けていました。もうある程度進路が決まっているのでそう動き回る必要もないのですが、内定取り消しみたいな不測の事態もあるので、カードだけは揃えておいたほうがいいということでw

・すだちわかめうどんとかやくご飯(570円也)

というかぶっちゃけ、それに近い仕打ち(?)を既に受けてるんでね。まぁその辺は近々また詳しく書きますが、とかくまだ安心はできないのです。で、今日もまた梅田まで出ていたのですが、帰りに今回は梅田駅内の阪急そばに立ち寄ってきたのです。(この季節は冷たい麺類が美味しいですね^^)それからまた日刊ゲンダイを買って僕は京都へ向かう電車に乗り、やや早めに帰路に着いたのでした。

・京の七夕、今年も開催!

あ、それからついでに。祇園祭が終わってから間もない京都ですが、鴨川及び堀川界隈では「京の七夕」なるイベントが始まっています。ライトアップされた鴨川沿いはおそらくいつもに増してカップルで溢れかえることとなるのでしょうが、なかなか風流があって楽しいイベントなんで、お近くに来た際は是非お立ち寄りください。それでは今日はこの辺で失礼します,ジベリ!

2014年8月2日土曜日

HUBの日

・とりあえずのギネスとジャケットポテト

昨日言っていたように、今日は就活絡みで大阪に行っていたのですが、その帰りにHUBに立ち寄ってきました。というのも8月2日は「HUBの日」ということで、なんとアルコールが全品半額になっていたのですね。

・スコッチウイスキーのダブルとローストビーフ

ただ一杯目のギネスだけは、どうやら半額になる時刻の直前だったようで殆ど正規の価格で飲むことになってしまったのですが...。ともあれそれ以降は半額で頼めちゃったので、折角ということでいろいろ飲んできましたよw



ウイスキーだと基本僕はオールド・クロウとかフォアローゼスという、いわゆるバーボン(アメリカのケンタッキー州を中心に製造されるウイスキー)を好んで飲むんですけど、やっぱり時たまスコッチも飲むワケであり、だいたいそういうときはカティサークってのを買ってきます。(オトンはバランタイン派だったっけか...)

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あ、ちなみに「バーボン」の由来って知ってますか?これは僕も最近知ったんですけど、どうやら話はアメリカ独立戦争に遡るのだそうな...。いわゆる「敵の敵は味方」の法則でアメリカ側に付いていたフランス、その当時の王朝がブルボン王朝ということになるのですが、それに因むものなんですね。独立宣言の起草に携わり、のちに大統領になるトマス・ジェファーソンは、ケンタッキー州の郡の1つをバーボン郡と名付けるのですが、つまりここで製造されるウイスキーがバーボンということなのだそうな...。(ただ、当時ここで造られていたのは、トウモロコシを主原料とするいわゆるコーンウイスキーなので、現在の定義と必ずしも同じということではないようです。)



あとイギリスといえばジンですが、これもやっぱり好きな銘柄があって、それがボンベイサファイアってやつなんですね。まぁこれに関してはタンカレーも捨てがたいところなんですけど、ぶっちゃけ味に加えて瓶のデザインが好きなのがこっちなんですよねw


・店内はこんな感じです

ちなみに今回行ったのは中之島のフェスティバルホールの地下にあるお店で、店内にはどことなく高級感が漂ってます。コンサート帰りなのかな?みたいな人もいれば、場所柄から仕事帰りのサラリーマンの姿も多く見えて、写真のとおり多くのお客さんで賑わっていました。

・レッド・ツェッペリンの名曲の名を冠するカクテル

お酒は結局合計で4~5杯飲んできましたよ。ちなみに写真のカクテルは「天国への階段」と名付けられたものなんですが、味は結構甘口なんですがアルコールは結構高めというもの。今日はこれを〆の一杯として店を後にしました。

・淀屋橋付近にて

それから淀屋橋まで川沿いをホロホロと歩いていき、そこから京阪電車に乗り込んで深草まで引き返し、20時前くらいに帰宅。明日は何の予定もない休日なので、ホントに家でゆっくりしようと思ってます。そんなところですが、本日はこれにて失礼します,ジベリってことで。

2014年8月1日金曜日

新企画、始動!!!

今日から8月ということですが、皆さんは如何お過ごしだったでしょうか?さて、先日ついに「地方紙の逆襲」が感動(?)のフィナーレを迎えたワケですが、今日は早くも次の連載の告知をしたいと思います。まずはタイトルから...


「沖縄論」


実は沖縄については前々から思うところがあって、いつかこういう連載をやりたいと思ってたんですよね。実際にかなり文献も読んだのですが、まぁここらで満を辞してやろうではないかということです。思えばあの沖縄旅行からですらどれ程の年月が流れたのでしょうね。

・あの蒼い海が懐かしい(恩納村、2011年来訪時)

考えてみたらあの時はまだ民主党政権(ちなみに首相は菅直人)でしたよね。色々と問題のあったあの民主党政権ですが、あの政権交代(といっても殆ど鳩山政権のみに限定されるが...)が日本にとって少なからずプラスになったのは言うまでもありませんし、とりわけ沖縄にとってはそれが大きいのではないかと僕は考えています。今回の連載ではその辺も含めつつ、また歴史的な背景も踏まえた上でこれからの沖縄について論じていきたいと考えています。色々書きたいことはあるのですが、今日は概要までに留めます。明日はまた就活絡みで大阪に行くことになっているので今日はこれにて失礼します,ジベリ!