・神宝神社は伏見稲荷大社の境内にある由緒正しい神社
・稲荷大社といえばこの千本鳥居
京都に戻り、はや4日になるのですが、今日はちょっと息抜きついでに伏見稲荷大社に出掛けてきました。(ここ数日は大学の方の課題をやるのでほとんど部屋に籠りっきりだったんですよねw)年が明けてもうすぐ2週間ということになるのですが、未だに初詣に来る人は多いようで、平日にも関わらず境内は多くの参拝客で賑わいを見せていました。
・初詣客で賑わう稲荷大社
初詣においては近畿地方で1位、そして全国でも4位の参拝客を集めるという稲荷大社は、年が明けて10日になる平日の今日も大盛況。でも稲荷大社の歴史って意外と多くの人が知らないんですよね。ただ、それもそのはずというところもあり、実際調べてみると結構ミステリアスな場所なんですね。「稲荷」という名前から分かるように、稲荷神は稲作・農作に縁のある神様と理解されているのですが、そもそもこれはある意味後付けであり、神社のある稲荷山という地名も元々は「伊奈利山」と書いたのです。ではこの漢字にはどのような意味があるのかというと、漢字伝来以前の日本語を無理やり漢字変換した、いわゆる「当て字」であり別段意味があるワケではないのですね。
・ミステリーゾーン、稲荷大社
「じゃあ、イナリって何なんだよwww」って思うかもしれませんがそれは一旦置いておくとして、そもそものここの歴史を振り返ってみましょう。8世紀に勅命(天皇からの命)を受けた秦氏によってここに神が祀られたのがそもそもの起源であるとされるのですが、この「秦氏」というのがまた厄介なんですよ。秦氏が渡来人なのはほぼ疑いようのないこととして、はてさてどこから来たのかということなんです。で、よくよく調べると浮かび上がるのは「ユダヤ」の3文字。
不思議なことに、そもそも
神道とユダヤ教には共通点が多いのですが、それはここでは置いておくとして、先程の「イナリ」に話を戻します。話は一気に聖書へと飛ぶことになるのですが、新約聖書の「ヨハネによる福音書」に
「IESUS NAZARENUS REX IUDAEORUM」(ユダヤ人の王、ナザレのイエス)という一文が登場するのをご存知でしょうか?これはそもそもイエス・キリストが磔刑に処された際、その十字架に掲げられた罪状書きの文であり、これを省略した
「INRI」の4文字がその後の宗教画や彫刻には残されているのですが、ちょっと待ってくださいよ...INRI...これって「いなり」と何となく響きが似ていませんか?「アホかお前はw キリスト教が日本に入ってきたのはry...」と思っているそこの貴方。忘れてませんか?秦氏のユダヤ人説を...。「伝わって」いなくとも「知っていた」んですよ。そしてそれを形にした、それもかなり精巧な方法で。現時点での推論はそんなところです。
・大秦景教流行中国碑(画像はWiki先生より9
また余談ですが、日本にキリスト教が伝わったのは、どんなに遅く見積もっても8世紀です。たしかにカトリック(つまりアタナシウス派)が伝来したのは1549年ですが、それ以前にキリスト教は景教(つまりネストリウス派)として伝来していたのです。中国では上の画像にある石碑が作られるほどに流行していた景教ですが、少なくとも直接的にこれが日本で流行することはなかったというだけの話であり、実際弘法大師はその経緯からして確実に景教に触れていると推測されます。(不思議なことに景教と密教も少なからず似通った点があるんですよね...)
・え...そうだったの?(撮影は9月参拝時)
で、稲荷大社絡みでもう1つ情報を与えておくと、稲荷大社の主たるイメージ要素であるあのキツネ。実はこれも後付けなんですね。日本武尊を助ける白狐のエピソードからも分かるように、そもそも狐というのは日本において神聖なものとされる存在でした。時を経て稲荷大社の主祭神である宇迦之御魂神(うたかのみたまのかみ)の別名である御饌津神(みけつのかみ)が狐の古名である「けつ」を用いて「三狐神」と当て字されるようになると稲荷の狐は「稲荷神の使い」と捉えられるようになり、更に時を経て江戸時代になると稲荷狐=稲荷神という間違った解釈が一般に広がることとなりました。時を同じくして全国で稲荷神社が急激に増えることとなり、この‘誤解’は定着化していくのでした。
・奥社へと向かう千本鳥居ルートを少し外れると...
おっと話が著しく脱線してしまったw 稲荷大社もそうなんですが、今回それ以上に行きたかったのが
伏見神宝神社(3年前の記事に一度だけ登場)というところなんです。稲荷大社境内とはいうものの少し奥行った場所ということもあり、あまり参拝客は居ないのです。そして僕自身もあまり行けてなかったんですよね。(最後に参拝したのは多分2年前だったと思います...)
・獣道の先にひっそりと佇む神宝神社
神宝神社は稲荷大社の境内にこそあるものの別段その摂社というワケではなく、独立した神社としてここにあるのです。主祭神は天照大御神で創祀は稲荷大社と同じ頃とされていますが、調べてみてもそれ以上のことは分かりませんでした。もともとは稲荷山の山頂にあり、9世紀後半には宇多天皇の庇護を受けたそうなのですが政変などにより中世以降は廃れていったそうな...。
・全国的にも珍しい狛龍
その後、今の場所に再建されたのは戦後の1957年。ちなみに社名の「神宝」というのは奉安の十種の神宝(沖津鏡、辺津鏡 、八握剣、生玉、死反玉、足玉、道反玉、蛇比礼、蜂比礼、品物比礼)のことであり、これらは物部氏の祖神、饒速日尊(にぎはやひのみこと)が天上よりもたらしたとされるものなのだそうです。この神社の名物というか非常に珍しいところは、狛犬ではなく狛龍があるということなんです。ちなみに狛龍がある神社はここだけというワケではないようであり、僕が調べたところでは元伊勢(伊勢神宮が現在地に遷る以前に、一時的にせよ祀られたという伝承を持つ神社ないし場所のこと)の一つである宮津の真名井神社(籠神社の摂社に当たる)というところにもあるようです。
・色彩豊かな叶雛
勿論ここに狛龍があるのには、ちゃんとしたワケがあります。それはここの方角なんですね。ここは平安京から見て辰巳(南東)の方角に位置しており、辰は天龍、巳は地龍と捉えられることから、天地をつなぐものとして左右にそれぞれが据えられているのです。で、上の写真は何かと言うと、これは叶雛(かなえびな)という絵馬のようなものであり、これに願い事を書いて奉納すると、その願いが叶うと言われているものなのです。
・願い事を書いて...
ということで作者も願い事をして帰ります。今年でいよいよ8年目を迎えるワケですが、また新たなステージへと進む「節目」の年でもあるので、誓いを新たにして仕切り直そうということですね、ハイ。(それにしても「脱マダオ」てw)
・龍みくじ(500円也)
で、あとこれも名物と言っていいと思うんですが、上の写真の「龍みくじ」ってやつ。まぁ陶器でできた龍の人形の中におみくじが入ってるっていうだけのものなんですが、なんかデザインがいいなと思ったので買っちゃいました。(たしか上賀茂神社にも似たようなのがあったはず...)
・疎水に映る街と空
ちなみに中のおみくじは「末吉」でした。今年は既に大吉を引き当てているので、グレードダウンには他ならないのですが、内容自体は「願望:思いがけぬ事にて叶う」みたいな悪くないことも書いてあったのでそうそう悪い結果ではないのかな?といったところです。まだ就活とか大学の方の課題とか、今月もまだまだ忙しくなるのですが、くれぐれも体調には気を付けたいと思うところです。(またインフルとか流行りそうですしね^^;)そんなところですが、本日はこれにて失礼します,ジベリ!