およそ1ヶ月半に渡ってお送りした
沖縄論も今日で完結を迎えることとなりました。構想自体は1年近く前からあったとはいえ、なぜかここ1ヶ月くらいの間、僕は何かに取り憑かれたかのように沖縄問題に取り組んできたんですよね。そこまで僕を駆り立てたものが一体何だったのかは自分でもよく分からないのですが、これを1つの「区切り」としつつも絶対に終わりにしちゃいけないなというのが今の所感でもあります。
1、「沖縄独立」という選択肢
沖縄には予てより独立論というものがあります。1970年には琉球独立党なるものが結成されるのですが、この後身となるものが現在の
「かりゆしクラブ」なのであります。アメリカの統治下で
瀬長亀次郎らが訴えたのはあくまで「本土復帰」。それはリアリズムに則った上での妥協点であったのは間違いのないことなのですが、やはりそれに不満を持つ人たちというのは居たワケであります。そしてそれは皮肉にも本土に復帰した後も途絶えることなく残り続けているのですね。無理もありません。それでもまだ革新勢力は沖縄に寄り添ってきましたが、自民党をはじめとするいわゆる自称保守勢力は沖縄を常に蚊帳の外においてアメリカとの話を進め、常に「生け贄」として沖縄を差し出し続けてきたのですから。
・辺野古埋立てに賛成するために日の丸を持って集った自称保守(
こちらより)
なぜ今この話題をするのかというと、
件のスコットランド独立投票に関して沖縄の2つの地方紙がそれぞれ社説を書くなどして「関心」を寄せているからなのです。ちなみにその1つである沖縄タイムスでは特集を組んでこれを取り上げているのですが、その中で沖縄独立に関するアンケートをやっていたのでそれを紹介したいと思います。
・タイムスリサーチ:スコットランドで独立問う住民投票。沖縄だったら?
http://www.okinawatimes.co.jp/research/?id=31
未だ途中結果だけですが、このように独立派が一定数を占めているのが興味深いところです。「現実的ではない」みたいな声もあるかもしれませんが、たとえばスコットランドとて仮に独立したとしても現状は農業国にしかなり得ないと推測されるのであり、色々な支障が出るのは目に見えていることです。しかし農業国ほダメで工業国はいいというのも考えてみたらおかしな話ではないですか。国ってそういうもんじゃないでしょう。ちなみに2紙の社説ではこう書かれています。まずは沖縄タイムスから...
・社説[独立問う住民投票]自治への問い手放すな(沖縄タイムス)
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=83640
住民投票という極めて民主的な手段で「独立」の是非が問われたスコットランドに対し、沖縄はどうなのかというのがこの記事で提起されているもの。中段にはこんな話も...
国会で独立論議に一石を投じたのは沖縄選出の上原康助議員(当時)である。1997年2月、衆院予算委員会で上原議員は「もし沖縄が独立をするという場合、どういう法的措置が必要なのか」と政府の見解をただした。大森政輔内閣法制局長官は、現行憲法にはその規定がなく不可能、との見解を明らかにし、議論はそれ以上深まらなかった。しかし、普天間問題をめぐって沖縄の民意は、しばしば裏切られてきた。独立には批判的でも「政府のやり方には我慢できない」と政府不信を訴える県民が増えている。自立・自己決定権を求める動きは、政治的主張にとどまらず、文化的な自己確認の運動としても、従来の保守・革新の枠を超えて広がりつつある。
ちなみに1997年当時の総理大臣は橋本龍太郎。(第二次橋本内閣。ちなみに当時は自民党に加えて社民党と新党さきがけが「閣外協力」という形で連立し、政権を運営していた。)上原議員の問題提起は上記の通り相手にされることなく忘れられていったのですが、先述の通り沖縄には今でも独立論が一定の支持を得ているのであり、また僕自身もこの連載をやるようになってからは特にそれも致し方がないことなのかなと思っているところでもあります。勿論すぐに独立を問う住民投票をやれとは言いませんが、これを機に沖縄の人だけでなく本土の人も「沖縄独立論」と向き合い、何故そのような声が出るに至っているのかというところについて考えていくべきだと思いますね。では次は琉球新報の社説を見てみましょう。
・<社説>スコットランド 自治権拡大は世界の潮流だ(琉球新報)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231845-storytopic-11.html
スコットランドの歩んできた歴史に触れた上で、今回の住民投票の意義について語る...というのが主な内容ですが、後半では今回の騒動の争点の1つに基地問題があったことに触れています。
島袋純琉大教授によると、スコットランド自治政府は現時点でもあらゆる分野で高度な自治権を持つ。英国の政府予算の一部は自動的に自治政府に配分され、英政府のひも付きでなく独自に予算配分を決定できる。欧州連合(EU)の機関にも独自の代表を置く。中央政府と外交権を共有するのに近い。そこに一層の権限拡大が約束された。だから、賛成派は独立こそ勝ち取れなかったものの、大きな果実を得たとも言える。原潜の基地の存在にも焦点を当て、非核化の願いを国際的に可視化した意義も大きい。
ここについてはあまりメディアでも取り上げられていないんですけど、実はそうなんですね。9月24日発刊の
日刊ゲンダイ、ジャーナリストの高野孟さんのコラム
「永田町の裏を読む」も、このことについて言及しています。
スコットランドの独立を問う住民投票は多くの日本人にとっては遠くの出来事でしかなかったが、沖縄県民にとってはそうではない。グラスゴーの西40キロのファスレーン海軍基地は、英国唯一の核戦力であるトライデント弾道ミサイル潜水艦の母港であり、賛成派の各党はこぞって「独立達成の際には基地も潜水艦も核弾頭も出て行ってもらう」と主張している。
このコラムで高野さんは沖縄の独立論に触れており、
「沖縄が独立すれば日中関係も好転する」といったことも主張しています。たとえば東ティモールの独立の裏にユダ金があったように、独立運動にはしばしばアジテーターが介入することも事実であり、そうした意味から個人的にそれは流石に楽観が過ぎるとは思うのですが、同時に問題提起としては面白いと思いますし、そうした方がいいんじゃないかと考える沖縄県民が続出してもおかしくはないような状況になりつつあることもまた否めないところです。
ちなみに神戸新聞や京都新聞、それから中日新聞なんかはどのようにこの歴史的な出来事を捉えているのかと思い、その日の社説を見てみたのですが、「40%も独立に賛成する声があったことをイギリスは重く受け止めなくてはいけない」だとか、「民主的な方法で独立の賛否が問われたことを評価すべき」だとか、「投票率の高さを評価すべき」だとかありきたりなことしか言ってなくて、ちょっとガッカリしました。
・スコットランド/自ら決めた「残留」の重さ(9月20日、神戸新聞社説)
http://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201409/0007345929.shtml
・スコットランド 民意表明の尊さ示した(9月20日、中日新聞社説)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2014092002000113.html
それからこれは余談ですがそのスコットランドの住民投票にも
不正選挙疑惑が浮上しています。集計係が「Yes(独立賛成)」の票を「No(独立反対」としてカウントしている決定的な動画もネットにはアップされるなど騒然とした自体が続いているようですが、まぁ不正選挙の先輩(?)である日本から1つ言わせて貰えば、「想定の範囲内」ということでしょうかw(ともあれつくづくいやな世の中になってしまったものです...。)
・スコットランド不正選挙と暴動騒ぎ(RKブログ)
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201409/article_197.html
2、レスポンス
この連載を読んでくれている読者の方から、例によってまたメールで質問が来ているのですが、その中から今日は3つ、お答えしたいと思います。
Q.1:中国は本当に歴史上一度も沖縄に武力を行使したことは無いのですか?たしか隋の時代にそのようなことがあったと思うのですが...
これについては僕の言い方が悪かったですね。中世の、つまり琉球王国の成立後(1429年以降)は...という但し書きを付けるべきでした。仰る通り、たしかに「隋書」には琉球への攻撃を記したものがあります。ただ、ここで注意しなくてはいけないのは、
その当時の琉球というのが必ずしもそのまま今の沖縄を意味するとは言えないということです。件の「隋書」で琉球は「流求國」もしくは「琉求國」と言った形で記されているのですが、これは一介の島嶼部を指しているものであり、その中には台湾等も含まれると考えられています。(また、事実として沖縄本島周辺を「大琉球」、台湾を「小琉球」と呼んでいた時期もあったそうです。)などのことから、隋の攻撃対象が本当に沖縄だったのかは定かではありませんが、その「可能性」はたしかにあると言えるでしょう。
またこれは余談ですが、日本にも二度来襲したモンゴル軍の攻撃(元寇)にも沖縄は晒されています。鎌倉幕府と同じく沖縄もこれを撃退しているのですが、やはり少なからぬ犠牲を出すことになったと言います。
Q.2:琉球王国はどのようにして貿易大国となったのでしょうか?
そうですね。ここについてもう少し触れておくべきでした。琉球王国のやっていた交易というのは、一言で言えば
「中継貿易」なのです。沖縄自体には明に対して輸出するものがあまりなかったことにも起因しているのですが、そこで琉球は東南アジアとの交易によって得られたものの一部を中国に輸出し、そして明からの回賜品を東南アジアに輸出する...というシステムを整えたのでした。琉球の商人は嘘をつかないということで、大層信用されたと言われていますが、加えて言うと、この貿易システム自体が実は琉球からの積極的な働きかけで実現されていたものであると言われています。単に貿易の中継地点というだけでなく、明と東南アジア諸国を結ぶ一種のパイプ役として琉球は機能していたのですね。詳しくは山川出版社が2011年に発刊した
「琉球からみた世界史」(村井章介・三谷博、編)に記されていますので、そちらなんかを読んで貰えると一層分かるんじゃないかな?と思います。(あ、でも楽天ブックスでは売り切れか...)
Q.3:薩摩の琉球侵略、そして明治時代の琉球処分はその当時の歴史の流れを見るに、やむを得ないものだったようにも思えるのですが、その点に関してはどうお考えでしょうか?
この連載でも紹介した小林よしのりさんの「沖縄論」にもそういう記述がありましたよね。でもそれを言うならアメリカのハワイ併合だってしょうがないことになりかねませんし、下手をすれば中国のチベット侵攻もしょうがないということになってしまいます。
たしかに一部の歴史家は琉球王国を美化しすぎているようなきらいはありますが、かといって今伝わっている歴史だけを見て評価するのもやっぱりおかしな話です。(だって
「歴史は勝者が作る」のですから...)薩摩藩が琉球王国を服属させたとき、首里城から宝物が多く持ち去られたというのは既にしたお話だと思うのですが、一説にはこのとき琉球について記した歴史書も持ち去られたと伝えられていますし、侵略後に「琉球は古来より薩摩の附庸国(衛星国)である」ことを述べる起請文をわざわざ書かせていることも引っかかります。
歴史上の多くの疑問は、ホントにそれこそタイムマシーンでもなければ適正に判断することができないものばかりなのです。またそれが「結果的によかったんじゃないか」という議論も無論、あまり意味を成しません。例えば、たしかに朝鮮は日本が「併合」していなくても中国かロシアか、或いはどこかの列強かに支配されていたでしょうし、加えて言えば日本統治の影響で近代化、世俗化が進んだのも事実かもしれません。
しかし、やっぱり「支配」していたことには変わりは無いですし、何よりこういうのはアイデンティティに関わる問題ですからね。それに傷を付けたのは疑いようのない事実なのですから、やっぱり「謝罪」しなきゃいけないんですよ。僕は少なくともそういう考えですね。
あとがき、「美ら海」へと続く道
小林よしのりさんは「沖縄論」の中でこんな事を語っていました。(「最終章:歴史とクニガラ」371項より)
わしはガラにもなく「平和」を祈ってみた。たとえ本土が焦土と化そうとも、この沖縄が二度と戦禍を蒙(こうむ)ることがないように・・・
あの小林さんが言ってるからというのもあるんでしょうけど、僕はなんかこの一文に本当に衝撃を受けたのです。沖縄論をなぜ書こうと思ったのかは正直なところ、よく分かりません。4年前に沖縄に行ったことも多少影響しているでしょうし、今年末に県知事選を控えていることも少なからず脳裏にはありました。薩摩の侵略、琉球処分、そして沖縄戦という歴史を抱えながらも本土への復帰を渇望し、アメリカと戦ってきた沖縄。しかし本土は沖縄のために何をしたでしょうか?本当のところ、裏切り続けてきただけではないですか。
今だったらきっとまだ間に合います。「美ら海」を守るために、葛藤を抱えながらも本土に期待を寄せる沖縄の人々のために、今こそ戦おうではないですか。辺野古の海はまだ綺麗です。沖縄の「未来」を本土の僕たちが諦めちゃいけません。<沖縄論、完>
~おまけ:沖縄セールス~
沖縄と言えばやっぱりこれを外しちゃいけません。そう、
オリオンビール!とりあえずの一杯には勿論、泡盛のチェイサーにもこれは欠かせません。心なしか沖縄に居る時は3割増くらいに美味しく感じるオリオンビールですが、遠く離れた場所で沖縄を想いながら飲むのも悪くないでしょう。まだまだ暑い時期が続きますので是非とも一家に1ケース、オリオンビールをお買いください。そんなところですが、本日はこれにて失礼します,ジベリ!