2014年9月28日日曜日

沖縄論完結記念 in 赤ひげ

・とりあえずのオリオンビール

先日遂に完結した沖縄論ですが、今日はその打ち上げということで木屋町の沖縄料理屋、「赤ひげ」で呑んできました。オリオンビールに泡盛、今日はとことん呑みましたよ。(←といっても現時点で殆どお酒抜けきってますけどw)

・グルクンの唐揚げは時価(700~1000円くらい)とのコト。

ちなみに料理は何を食べたのかというと、1つ目はグルクンの唐揚げ。時期によって値段が変わるという一品なのですが、これが本当に美味しいのです。オリオンビールはお通しを肴に飲みきってしまったので、次は泡盛を注文。(ちなみに天龍蔵っていう銘柄)

・ラフテーは800円くらいだったはず

そして料理も2品目。こちらも沖縄名物のラフテーであります。そして泡盛も2杯目をオーダー。(次は王朝の邦というやつ)全く主食的なものを食べてないにも関わらず、結構これでお腹いっぱいになったのでその後退散。

・やっぱりこの店は落ち着きます

料理2つとお酒3杯で4400円という嘘のような会計に衝撃を受けつつも、僕は2軒目へ...。といっても次飲むのはお酒ではなくコーヒーです。向かうお店は、お馴染みエレファントファクトリーコーヒー。まぁ知る人ぞ知るお店なんですが、今日も沢山の人で賑わってましたよ。

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京都には、いわゆる夜カフェが楽しめるお店が沢山あるのですが、まぁその中でもここは好きな店の1つなんですよね。特に凝ったメニューがあるでもなく、値段も決して安くはないんですけど、しんみりとコーヒーを楽しむにはこれ以上ない空間なんですよ。

・夜の四条河原町

京都に来てから今年で7年目。河原町も色々と様変わりしているのですが、僕が好きな街であることには変わりありません。ここにずっと居たいという思いは相変わらず強いのですが、それが叶うかどうかはまだ分かりません。現時点で次の住まいとして有力なガガガSPでお馴染みのあの街も好きではあるのですが、好きとか何とかを超えるくらいこの街には愛着がありますからね...。明日は1日休みなので、家の用事なんかをやる予定です。そんなところですが、本日はこれにて失礼します,ジベリ!

2014年9月27日土曜日

沖縄論完結篇:ウチナンチュとヤマトンチュ

およそ1ヶ月半に渡ってお送りした沖縄論も今日で完結を迎えることとなりました。構想自体は1年近く前からあったとはいえ、なぜかここ1ヶ月くらいの間、僕は何かに取り憑かれたかのように沖縄問題に取り組んできたんですよね。そこまで僕を駆り立てたものが一体何だったのかは自分でもよく分からないのですが、これを1つの「区切り」としつつも絶対に終わりにしちゃいけないなというのが今の所感でもあります。


1、「沖縄独立」という選択肢
沖縄には予てより独立論というものがあります。1970年には琉球独立党なるものが結成されるのですが、この後身となるものが現在の「かりゆしクラブ」なのであります。アメリカの統治下で瀬長亀次郎らが訴えたのはあくまで「本土復帰」。それはリアリズムに則った上での妥協点であったのは間違いのないことなのですが、やはりそれに不満を持つ人たちというのは居たワケであります。そしてそれは皮肉にも本土に復帰した後も途絶えることなく残り続けているのですね。無理もありません。それでもまだ革新勢力は沖縄に寄り添ってきましたが、自民党をはじめとするいわゆる自称保守勢力は沖縄を常に蚊帳の外においてアメリカとの話を進め、常に「生け贄」として沖縄を差し出し続けてきたのですから。

・辺野古埋立てに賛成するために日の丸を持って集った自称保守(こちらより)

なぜ今この話題をするのかというと、件のスコットランド独立投票に関して沖縄の2つの地方紙がそれぞれ社説を書くなどして「関心」を寄せているからなのです。ちなみにその1つである沖縄タイムスでは特集を組んでこれを取り上げているのですが、その中で沖縄独立に関するアンケートをやっていたのでそれを紹介したいと思います。

・タイムスリサーチ:スコットランドで独立問う住民投票。沖縄だったら?
http://www.okinawatimes.co.jp/research/?id=31

未だ途中結果だけですが、このように独立派が一定数を占めているのが興味深いところです。「現実的ではない」みたいな声もあるかもしれませんが、たとえばスコットランドとて仮に独立したとしても現状は農業国にしかなり得ないと推測されるのであり、色々な支障が出るのは目に見えていることです。しかし農業国ほダメで工業国はいいというのも考えてみたらおかしな話ではないですか。国ってそういうもんじゃないでしょう。ちなみに2紙の社説ではこう書かれています。まずは沖縄タイムスから...

・社説[独立問う住民投票]自治への問い手放すな(沖縄タイムス)
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=83640

住民投票という極めて民主的な手段で「独立」の是非が問われたスコットランドに対し、沖縄はどうなのかというのがこの記事で提起されているもの。中段にはこんな話も...

国会で独立論議に一石を投じたのは沖縄選出の上原康助議員(当時)である。1997年2月、衆院予算委員会で上原議員は「もし沖縄が独立をするという場合、どういう法的措置が必要なのか」と政府の見解をただした。大森政輔内閣法制局長官は、現行憲法にはその規定がなく不可能、との見解を明らかにし、議論はそれ以上深まらなかった。しかし、普天間問題をめぐって沖縄の民意は、しばしば裏切られてきた。独立には批判的でも「政府のやり方には我慢できない」と政府不信を訴える県民が増えている。自立・自己決定権を求める動きは、政治的主張にとどまらず、文化的な自己確認の運動としても、従来の保守・革新の枠を超えて広がりつつある。

ちなみに1997年当時の総理大臣は橋本龍太郎。(第二次橋本内閣。ちなみに当時は自民党に加えて社民党と新党さきがけが「閣外協力」という形で連立し、政権を運営していた。)上原議員の問題提起は上記の通り相手にされることなく忘れられていったのですが、先述の通り沖縄には今でも独立論が一定の支持を得ているのであり、また僕自身もこの連載をやるようになってからは特にそれも致し方がないことなのかなと思っているところでもあります。勿論すぐに独立を問う住民投票をやれとは言いませんが、これを機に沖縄の人だけでなく本土の人も「沖縄独立論」と向き合い、何故そのような声が出るに至っているのかというところについて考えていくべきだと思いますね。では次は琉球新報の社説を見てみましょう。

・<社説>スコットランド 自治権拡大は世界の潮流だ(琉球新報)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-231845-storytopic-11.html

スコットランドの歩んできた歴史に触れた上で、今回の住民投票の意義について語る...というのが主な内容ですが、後半では今回の騒動の争点の1つに基地問題があったことに触れています。

島袋純琉大教授によると、スコットランド自治政府は現時点でもあらゆる分野で高度な自治権を持つ。英国の政府予算の一部は自動的に自治政府に配分され、英政府のひも付きでなく独自に予算配分を決定できる。欧州連合(EU)の機関にも独自の代表を置く。中央政府と外交権を共有するのに近い。そこに一層の権限拡大が約束された。だから、賛成派は独立こそ勝ち取れなかったものの、大きな果実を得たとも言える。原潜の基地の存在にも焦点を当て、非核化の願いを国際的に可視化した意義も大きい。

ここについてはあまりメディアでも取り上げられていないんですけど、実はそうなんですね。9月24日発刊の日刊ゲンダイ、ジャーナリストの高野孟さんのコラム「永田町の裏を読む」も、このことについて言及しています。

スコットランドの独立を問う住民投票は多くの日本人にとっては遠くの出来事でしかなかったが、沖縄県民にとってはそうではない。グラスゴーの西40キロのファスレーン海軍基地は、英国唯一の核戦力であるトライデント弾道ミサイル潜水艦の母港であり、賛成派の各党はこぞって「独立達成の際には基地も潜水艦も核弾頭も出て行ってもらう」と主張している。

このコラムで高野さんは沖縄の独立論に触れており、「沖縄が独立すれば日中関係も好転する」といったことも主張しています。たとえば東ティモールの独立の裏にユダ金があったように、独立運動にはしばしばアジテーターが介入することも事実であり、そうした意味から個人的にそれは流石に楽観が過ぎるとは思うのですが、同時に問題提起としては面白いと思いますし、そうした方がいいんじゃないかと考える沖縄県民が続出してもおかしくはないような状況になりつつあることもまた否めないところです。

ちなみに神戸新聞や京都新聞、それから中日新聞なんかはどのようにこの歴史的な出来事を捉えているのかと思い、その日の社説を見てみたのですが、「40%も独立に賛成する声があったことをイギリスは重く受け止めなくてはいけない」だとか、「民主的な方法で独立の賛否が問われたことを評価すべき」だとか、「投票率の高さを評価すべき」だとかありきたりなことしか言ってなくて、ちょっとガッカリしました。

・スコットランド/自ら決めた「残留」の重さ(9月20日、神戸新聞社説)
http://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201409/0007345929.shtml

・スコットランド 民意表明の尊さ示した(9月20日、中日新聞社説)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2014092002000113.html


それからこれは余談ですがそのスコットランドの住民投票にも不正選挙疑惑が浮上しています。集計係が「Yes(独立賛成)」の票を「No(独立反対」としてカウントしている決定的な動画もネットにはアップされるなど騒然とした自体が続いているようですが、まぁ不正選挙の先輩(?)である日本から1つ言わせて貰えば、「想定の範囲内」ということでしょうかw(ともあれつくづくいやな世の中になってしまったものです...。)

・スコットランド不正選挙と暴動騒ぎ(RKブログ)
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201409/article_197.html



2、レスポンス
この連載を読んでくれている読者の方から、例によってまたメールで質問が来ているのですが、その中から今日は3つ、お答えしたいと思います。

Q.1:中国は本当に歴史上一度も沖縄に武力を行使したことは無いのですか?たしか隋の時代にそのようなことがあったと思うのですが...

これについては僕の言い方が悪かったですね。中世の、つまり琉球王国の成立後(1429年以降)は...という但し書きを付けるべきでした。仰る通り、たしかに「隋書」には琉球への攻撃を記したものがあります。ただ、ここで注意しなくてはいけないのは、その当時の琉球というのが必ずしもそのまま今の沖縄を意味するとは言えないということです。件の「隋書」で琉球は「流求國」もしくは「琉求國」と言った形で記されているのですが、これは一介の島嶼部を指しているものであり、その中には台湾等も含まれると考えられています。(また、事実として沖縄本島周辺を「大琉球」、台湾を「小琉球」と呼んでいた時期もあったそうです。)などのことから、隋の攻撃対象が本当に沖縄だったのかは定かではありませんが、その「可能性」はたしかにあると言えるでしょう。

またこれは余談ですが、日本にも二度来襲したモンゴル軍の攻撃(元寇)にも沖縄は晒されています。鎌倉幕府と同じく沖縄もこれを撃退しているのですが、やはり少なからぬ犠牲を出すことになったと言います。


Q.2:琉球王国はどのようにして貿易大国となったのでしょうか?

そうですね。ここについてもう少し触れておくべきでした。琉球王国のやっていた交易というのは、一言で言えば「中継貿易」なのです。沖縄自体には明に対して輸出するものがあまりなかったことにも起因しているのですが、そこで琉球は東南アジアとの交易によって得られたものの一部を中国に輸出し、そして明からの回賜品を東南アジアに輸出する...というシステムを整えたのでした。琉球の商人は嘘をつかないということで、大層信用されたと言われていますが、加えて言うと、この貿易システム自体が実は琉球からの積極的な働きかけで実現されていたものであると言われています。単に貿易の中継地点というだけでなく、明と東南アジア諸国を結ぶ一種のパイプ役として琉球は機能していたのですね。詳しくは山川出版社が2011年に発刊した「琉球からみた世界史」(村井章介・三谷博、編)に記されていますので、そちらなんかを読んで貰えると一層分かるんじゃないかな?と思います。(あ、でも楽天ブックスでは売り切れか...)

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Q.3:薩摩の琉球侵略、そして明治時代の琉球処分はその当時の歴史の流れを見るに、やむを得ないものだったようにも思えるのですが、その点に関してはどうお考えでしょうか?

この連載でも紹介した小林よしのりさんの「沖縄論」にもそういう記述がありましたよね。でもそれを言うならアメリカのハワイ併合だってしょうがないことになりかねませんし、下手をすれば中国のチベット侵攻もしょうがないということになってしまいます。

たしかに一部の歴史家は琉球王国を美化しすぎているようなきらいはありますが、かといって今伝わっている歴史だけを見て評価するのもやっぱりおかしな話です。(だって「歴史は勝者が作る」のですから...)薩摩藩が琉球王国を服属させたとき、首里城から宝物が多く持ち去られたというのは既にしたお話だと思うのですが、一説にはこのとき琉球について記した歴史書も持ち去られたと伝えられていますし、侵略後に「琉球は古来より薩摩の附庸国(衛星国)である」ことを述べる起請文をわざわざ書かせていることも引っかかります。

歴史上の多くの疑問は、ホントにそれこそタイムマシーンでもなければ適正に判断することができないものばかりなのです。またそれが「結果的によかったんじゃないか」という議論も無論、あまり意味を成しません。例えば、たしかに朝鮮は日本が「併合」していなくても中国かロシアか、或いはどこかの列強かに支配されていたでしょうし、加えて言えば日本統治の影響で近代化、世俗化が進んだのも事実かもしれません。

しかし、やっぱり「支配」していたことには変わりは無いですし、何よりこういうのはアイデンティティに関わる問題ですからね。それに傷を付けたのは疑いようのない事実なのですから、やっぱり「謝罪」しなきゃいけないんですよ。僕は少なくともそういう考えですね。


あとがき、「美ら海」へと続く道
小林よしのりさんは「沖縄論」の中でこんな事を語っていました。(「最終章:歴史とクニガラ」371項より)

わしはガラにもなく「平和」を祈ってみた。たとえ本土が焦土と化そうとも、この沖縄が二度と戦禍を蒙(こうむ)ることがないように・・・

あの小林さんが言ってるからというのもあるんでしょうけど、僕はなんかこの一文に本当に衝撃を受けたのです。沖縄論をなぜ書こうと思ったのかは正直なところ、よく分かりません。4年前に沖縄に行ったことも多少影響しているでしょうし、今年末に県知事選を控えていることも少なからず脳裏にはありました。薩摩の侵略、琉球処分、そして沖縄戦という歴史を抱えながらも本土への復帰を渇望し、アメリカと戦ってきた沖縄。しかし本土は沖縄のために何をしたでしょうか?本当のところ、裏切り続けてきただけではないですか。

・ダイバーに人気の「クマノミ城」と呼ばれる岩場(沖縄タイムスのページより)

今だったらきっとまだ間に合います。「美ら海」を守るために、葛藤を抱えながらも本土に期待を寄せる沖縄の人々のために、今こそ戦おうではないですか。辺野古の海はまだ綺麗です。沖縄の「未来」を本土の僕たちが諦めちゃいけません。<沖縄論、完>


~おまけ:沖縄セールス~



沖縄と言えばやっぱりこれを外しちゃいけません。そう、オリオンビール!とりあえずの一杯には勿論、泡盛のチェイサーにもこれは欠かせません。心なしか沖縄に居る時は3割増くらいに美味しく感じるオリオンビールですが、遠く離れた場所で沖縄を想いながら飲むのも悪くないでしょう。まだまだ暑い時期が続きますので是非とも一家に1ケース、オリオンビールをお買いください。そんなところですが、本日はこれにて失礼します,ジベリ!

2014年9月24日水曜日

沖縄論④:民主党沖縄ビジョンと「基地のない沖縄」

ということで今日は前回説明した通り、民主党沖縄ビジョンと日米がひた隠しにする米軍基地の再編計画を主題として話を進めていきます。


1、歪曲された民主党の「沖縄ビジョン」
政権交代直前の2008年頃、僕も批判的に扱っていたこの民主党の沖縄ビジョンなのですが、今回1つ目のテーマはこの「沖縄ビジョン」を色眼鏡なしでもう一度読んでみようということなのです。

・沖縄ビジョン(民主党HP)

そもそもこれが作られたのは2002年8月末。当時の代表はその後首相にもなった鳩山由紀夫その人でした。これは民主党が考える沖縄に対する基本理念とそれを実行するための具体的政策群の1つの集大成とも言うべきものであり、そのベースとなる「民主党沖縄政策」はその2年前1999年の段階で存在していました。冒頭にはこうあります。


沖縄では、先の大戦で唯一の地上戦が繰り広げられ、数多くの尊い人命が失われたばかりか、その後は、米軍の占領下に置かれ、日本本土から引き離された。さらに、1972年の復帰以降も、在日駐留米軍の基地面積の75%が集中する状況が続いている。このような沖縄の歴史と現状をしっかりと踏まえなければならない。

しかし、「沖縄」を考える視点は、こうした「負の精算」にとどまるべきではない。グローバル化が進む今日、東アジアの中心に位置する沖縄の地理的特性等は、その重要性を高めている。中国本土、朝鮮半島や台湾等に近い沖縄は、これらの地域と貿易や文化を通じた深いつながりを歴史的に持ってきた。沖縄は自然、文化、観光、教育や安全保障面等でこの地域の核となりうる「力」を十分持っているのであり、アジア、そして世界への日本の貢献を実現するモデル地域として、沖縄を活用することができると考える。(1、「沖縄を考える」より)

私たちはこうした視点から、以下の通り「民主党沖縄ビジョン」をまとめた。


大まかな内容は1つには沖縄に大きな自治裁量を認めることであり、2つ目には米軍基地の縮小を進めていくということ、そして3つ目には環境保全に取り組んでいくというものであると言えます。

特に自治に関しては一国二制度(中華人民共和国に対しての香港、マカオを考えて貰うと相違なし)の導入にまで言及しており、これは親中的な民主党の面々と相まって一部の人々から「民主党は沖縄を中国に明け渡そうとしている」と誤解されることとなりました。ともあれ勿論実際はそうではありませんし、おそらく「沖縄ビジョンの正体」なんて言ってる人の多くは全文に目を通したことは無いのではないかと思います。とにもかくにも一国二制度について書かれた部分をこちらに転写してみましょう。

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3.ビジョンに向けて、分権のさきがけとしての「一国二制度」

 ビジョンを実現するにあたっては、まず「中央政府による全国一律の規定・基準を見直し、沖縄のことは沖縄の住民自らが決める」という分権の手法が不可欠である。「地域のことは地域で決める」という分権は、民主党の基本理念のひとつであり、国家の権限を最小限にし、外交・安全保障等を除き、決定権を地域に委ねていくことを主張している。とくに沖縄は、他県と陸続きの県境を有していないことをはじめ、文化、環境、基地等、様々な面でその特性が明確であり、大幅な地方分権を全国に広げていくパイロット・ケースとして適した地である。民主党は、「一国二制度」の大胆な発想・手法で、沖縄の自立・独立を推進していく。

 例えば、自主財源を確保させ、沖縄に財政運営を任せていくことを提案する。平成12年度の沖縄県の国税納付額が2736億円、一方、沖縄県(市町村を含む)に支払われた地方交付税と国庫支出金の合計は7450億円である。国からの支出を、全額使途を限定しない一括交付金として、財政上の主体性を確立させることが重要である。さらには、負担と受益の関係を明確化する観点から、国と地方の政府間財政調整制度のあり方も含めた検討を進めることが必要と考える。

また、介護保険制度も、沖縄の置かれた状況や特性を考慮しながら、沖縄に適した柔軟な制度を作っていくべき例の一つである。本島が本土から距離を有しているだけではなく、いくつもの離島が存在する沖縄では、介護保険制度を実施するうえで不利な条件に置かれており、硬直的に全国一律的な介護システムを適用することが困難な場合もある。地縁的組織など長寿県沖縄ならではの資源を活かすことをはじめ、地域の実情にあった柔軟な運用を認めることにより、不利は不利でなくなり、日本の他の地域での問題解決に役立つヒントを得ることができるはずである。

なお、分権の受け皿として民主党は道州制を提唱しているが、歴史的にも地理的にも独自性の高い沖縄は、九州と統合した単位で検討されるべきではなく、単独の地域とすべきである。
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本論からはやや逸脱しますが、まず最初に言っておくとすると僕は道州制の導入には反対の立場です。色々と理由はあるのですが、地域の格差が余計に拡大することは目に見えていますし、過疎地は一層の過疎化が進むことになると想定されるからというのが1番でしょう。しかし地方自治が現在十分な形で進んでいるとは勿論考えていませんし、そのために施策を打ち出していくことの必要性は十分に感じています。それを前提の上に話を進めていきたいのですが、ここにもあるように民主党がここで言っているのは沖縄を地方自治推進の一種のモデルケースとしていくということであり、それ以上でもそれ以下でもないのです。

その他、たとえば言語教育の中に中国語を..というのも恐らく沖縄ビジョンがその筋の人たちに懐疑的に取り扱われた理由の1つだとは思うのですが、もし沖縄が本来のポテンシャルを発揮するようにと考えたときには必ず必要になる場面はあると思いますし、歴史的な背景を考えても意義のあることだとは思うんですけどね。(ただ個人的には外国語教育の前に国語をしっかりやれというのが持論としてあるので、その「やり方」の如何によってはあまり賛成はしませんが...)

このように、冷静に読んでみると民主党の「沖縄ビジョン」というものは決して一部のネット右翼が騒いでいるような内容のものではなく、それどころかかなり理にかなった内容のものであることが分かります。(まぁ騒いでいたネット右翼の皆さんのうちの何割が原典を読んだのかどうかは分かったもんじゃないですけど...)


2、隠される米軍基地再編計画
続きましてはこの話題。米軍の極東基地の再編計画が水面下で進んでいることは多くの人が知っているところだとは思うのですが、肝心の中身については殆どの人が正しく把握していないんじゃないかな?というのが僕の印象です。

そもそも日米はそれぞれの思惑から‘本当のところ’を理解してほしくないのでしょう。結論から言えば米軍は中長期的には基地を沖縄から完全に撤退させるつもりだからです。ちょっと前の記事ですが、こちらを読んでみて下さい。

・官僚が隠す沖縄海兵隊グアム全移転(田中宇)
http://tanakanews.com/091210okinawa.htm


タイトルからして唖然ではあると思うのですが、実際には恐らくそうなのです。早かれ遅かれ沖縄から米軍の多くは撤退するのです。そもそも沖縄に基地を置いておくことでアメリカは軍事的なメリットが何かあるのかと言えば、実際には殆ど無いのです。たとえば件の普天間基地ですが、実は1年のうちあの場所にどのくらい米軍が滞在しているかというと、なんとたったの3分の1なんですね。つまり半年以上はオーストラリアだったり本土だったり戦地だったりと各地を転々としているワケですよ。しかもジェット機の高性能化や長距離ミサイルのことも考慮するなら殊更です。ではなんで沖縄に基地を置き続けるのかというと、日米双方の支配層に利益があるからに他なりません。前の記事で辺野古基地の計画がそもそも沖縄の本土復帰前からあったということはお話ししたと思うのですが、それがのちに再び具体案として浮上したのは、お金を出す人が見つかったからです。そう、日本政府です。グアムの移転計画にしても日本が何故かお金を出しているようですし、更には恐らく行方不明のジャンボ機が留まっているであろうディエゴ・ガルシアの基地も日本のカネで賄われていると言いますからもう訳が分かりません。とどのつまり、アメリカにしてみれば米軍基地再編成にかかる費用を日本に少しでも多く出させるためにこのある種の茶番を続けていると考えられるのです。ちなみにこれは余談ですが、思いやり予算はアメリカでも「Omoiyari Yosan」で通じるのだとか。(※どうしても英語にしなくてはいけないときは「Host Nation support(親中受け入れ国支援)」と言うそうですが...)

では日本には何の得があるのか?これが難しいところなんですね。一般的には「しなやきたちょうせんからまもってくれる」ということなんですが無論そんな単純な話ではありませんし、繰り返すようですが北朝鮮の事実上の宗主国はアメリカですし、同様に中国の軍部(そして上海閥)を裏からコントロールしているのはやっぱりアメリカ。つまりユダ金お家芸のマッチポンプなのですよw では実態としてはどうなのかというと、その答えは至極単純で、現在のレジーム(体制)を守るために過ぎないのです。安倍晋三もそうですが、満州アヘン人脈に端を発する日本の支配層というのはアメリカ(もといユダ金)とベッタリな連中ばかりです。そしてその庇護のもとに確立しているのが官僚機構とマスコミなのですが、もし「対米従属」という大前提が崩壊してしまったらそうした勢力は一気に力を失うとともに、国民の大いなる反逆を受けることとなります。それが怖いからアメリカにすり寄り、一日でも長い対米従属を続けようと、そしてその象徴である沖縄の米軍を歓迎しているのでしょう。


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さぁて本日ご紹介するのはこちらの商品。そうです、泡盛ですね。独特の味と匂いが「苦手だ」って人も多いと思うのですが、金武酒造の「龍」は比較的クセがなくて飲みやすいのが特色です。割モノはソーダでもコーラでも、はたまたルートビアでもいいのですが、ちょっとアルコールに自信(?)のある方は是非ともロックで一度飲んで貰いたいですね。

・我が家の食卓(撮影は9月19日)

お酒のお供には是非、そうめんチャンプルーなんかを作るといいと思います。ゴーヤはあまり得意じゃないのですが、ミミガーもいいですね。ちなみに現地のレシピに忠実にすると、ゴーヤチャンプルーも肉は入れないそうですよ。僕の場合は具材にトマトとシーチキンとアボガドを使うという大凡現地レシピとはかけ離れたものを作ってしまっているのですが、宅呑みにはこのくらいが丁度いいのですw 連載が終わったら木屋町の老舗沖縄料理屋「赤ひげ」で一杯呑みますよ。それを楽しみに頑張るのです。そんなところですが、本日はこの辺で失礼します,ジベリチャンプルー♪

喝鈍


・阪急電車(中津駅付近にて)

今日は就活絡みの試験を受けるために大阪に行ってきました。会場は中津というところで、試験自体は1時間程度で終了。それからちょっと遅めのお昼ご飯を食べようということで、今日はこのブログにも何度か登場している喝鈍に久々に行ってきました。

・名物のかつ丼は600円也

本店は難波の法善寺横丁で、ちなみにそこを初めて訪れたのが今から10年前の夏休み。(たしか旅行ガイドに載ってたんですよねw)翌年の夏休みもやっぱりここに来てて、そして2007年にこっちに引っ越してきてからも何度となく訪れているので、本当に馴染みの長いお店なんですね。今日行ったのは梅田スカイビルの地下にあるレストラン街、滝見小路というところにあるお店。就活等で最近は梅田に来ることが多いこともあって、ここにはよく行ってるんですよね。大好きな味を楽しんでから、今日は少し早めに大阪を後にして、今は大学の研究室でこの記事を書いています。今日はもう1つ、例の沖縄論の記事を上げたいので、ここで一旦失礼します。

2014年9月21日日曜日

サイクリング日和

・乃木神社

今日の京都は素晴らしいまでの快晴。9月下旬とは思えないような暑さではあったのですが、吹く風は心地よく、随所に秋を感じます。こんな日はサイクリングしかない...という
ことで自転車に乗って目指すは乃木神社


言わずと知れた乃木希典陸軍大将を祀った神社で、境内には乃木大将の胸像や、幼少期を過ごした長府(山口県)の生家を再現したものなどがあり、また戦争で散っていった名も無き兵士たちの慰霊碑も幾つかあります。

・内苑には乃木大将ゆかりの石碑も

また、ここには内苑という庭園のようなものが本殿をぐるりと囲む形であるのですが、これはここを百周するとご利益が得られるという、いわゆる「お百度参り」の出来る場所なんですね。(入場料100円)一日で百周するもよし、1日1周として100日で達成するもよし...といった具合にするもののようですが、僕はおそらく未だ合計で半分も成し終えていないように思います。

・北海道の味噌野菜ラーメンは税込で842円也

その後、本来の予定ではまた大中ラーメンに行きたかったのですが、日曜ということもあったのか、店の前には大行列。ちょっと並ぶ体力は無さそうだったので、違う店を探すことに。そんなこんなで辺りを物色していると見つかったのが田所商店というお店。もともとは千葉県にあるラーメン屋のようなのですが、ここの特色は何といってもバリエーションに富んだ味噌ラーメンが味わえること。今日食べたのは味噌ラーメンの王道とも言うべき北海道の味噌ラーメンなのですが、その他にも名古屋や江戸前の味噌,更には京都の白味噌を使ったものなども置いてあります。大中ラーメンに比べると、ちょっと値は張りますが、味の方はこちらもなかなかといったところ。

・この時期の疎水沿いは実に爽快です

食べ終わると、再び自転車を走らせて帰宅。それからは自習したり昼寝をしたりしながらノンビリと1日を過ごしたのでした。明日明後日はまたバイトで、その翌日の水曜はSPI受検のため大阪へ。そして週末には京都市の教育事務職の筆記試験が...。加えて沖縄論もいよいよ佳境と予定は目白押しですが、なんだかんだ充実しています。そんなところですが、本日はこれにて失礼致します,ジベリ!

2014年9月18日木曜日

沖縄論③:鳩山政権が沖縄に与えたもの



1、今回の概要
ということで、今回で3回目となる「沖縄論」ですが、今日の主題はズボリ鳩山政権の功罪なのであります。最終的にはテンヤワンヤで終わってしまった鳩山政権でしたが、実際ここがもたらしたものって結構多いんですよね。以下はTwitter上でアベノリスクさんという方がまとめてくれたものなんですが、まぁちょっと見てみて下さいよ。(ちなみに僕は8月15日にRTしてます。)



だからこそ支配勢力(マスコミ、官僚)の総攻撃を受けたのではありますが、ともあれ今日は鳩山政権が沖縄に与えたインパクトと、件の辺野古移設計画の歴史に主題に話を進めたいと思います。鳩山首相(当時)は、普天間基地の移設先について「最低でも県外」の方針を打ち出し、住民からの根強い反対の声を他所にして既に日米両政府の間で固定化されつつあった普天間基地の辺野古への移設計画を根本から覆そうとします。それにしても辺野古移設案というのは、いかにして出てきたものなのでしょうか?今日はそこからお話ししたいと思います。


2、辺野古の基地計画
辺野古の基地計画というものがいつ頃からあったのかというと、実は1960年代、つまり沖縄が本土に復帰する前の段階からあったんです。(1966年)ではなぜこれが実施に移されなかったのかというと、当時アメリカはベトナム戦争での出費とドル安で財政難だったからなのですね。その後1972年には沖縄が本土に復帰するところとなるのですが、それから四半世紀後の1997年に辺野古は普天間基地の移設先として浮上することとなりました。当時、県知事だった大田昌秀はこの計画に反対していたものの98年の知事選で自民党の推薦を受けた沖縄財界の要人でもある稲嶺恵一に敗れたことからこの方針が固められていくこととなりました。(ちなみにこのときの選挙では稲嶺陣営に3億円の官房機密費が流されたと言われています。当の稲嶺さんらは否定していると言いますが、これは日本政府の常とう手段であり、1968年に実施された初の琉球政府主席公選時にも使われています。先日行われた名護市長選や石垣市長選でも似たようなことがあったかもしれませんし、今年12月の知事選でも仲井間さんのところにお金が流れるかもしれません...。)

とはいえ、実はこのときアメリカは普天間の移設先を必ずしも沖縄に限ってはおらず、本土への移設計画も打診していたようですが、拒否ったのはどうやら日本政府のようです。ともあれ稲嶺知事は1つの条件を付けていました。それは「使用期限を15年とする」というものです。そしてこれを最大限の「沖縄県民が許容できる限界」としていたのです。(ガバン・マコ―マック、乗松聡子、著「沖縄の<怒>」105項より)ちなみに辺野古基地の建設に携わる予定の会社というのがどこかというとあの悪名高いベクテルなんですね。また辺野古に関しては、いわゆる辺野古土地転がし~ずの存在も忘れてはいけません。(それにしてもここに上がってる9人が、まぁ全員が全員ユダ金の手先みたいなのばっかりなこと...。)その後、辺野古移設計画は沖縄の頭上で日米が勝手に話し合うという形で継続。そんな中で沖縄は2009年の夏を迎えます。結果は民主党の圧勝。沖縄でも辺野古移設容認派の候補は全て落選するという結果になりました。


3、鳩山首相の失敗
就任後、党内工作員(前原、岡田など)の反発や、マイケル・グリーンをはじめとするジャパン・ハンドラーズの恫喝を受けながらも普天間問題に明け暮れた鳩山首相ですが、それから1年も経たないうちにアメリカに屈する形となり、鳩山さんは首相の座を退くこととなりました。ありていなことを言えば、結局鳩山さんが失敗した原因は移設先を探したことなんですよね。だってそもそも喜んでアメリカの基地を受け入れますよなんて場所はありませんし、国家の主権として「基地はいらない」ということを示すだけでよかったんです。「じゃあ僕たちはどうすればいいんだ?」とアメリカが聞いてきたら、「自分たちで受け入れ先を探しなさい」と言えばそれで済んだ話なのです。なぜ鳩山さんはそれをしなかったのか。人がよすぎたのか、或いはあの人もまた対米従属という関係を1日でも長く続けたいと願う政治家の一人だったのか、真相の程は定かではありませんけどね。ともあれ鳩山政権が生み出した‘余白という名の希望’の上に今の沖縄の抵抗があるのは言うまでもありませんし、その意味で一定の評価はしてもいいんじゃないかというのが僕の所感です。


~おまけ:沖縄セールス~


本日紹介するのは、沖縄では定番の炭酸飲料、ルートビア。スヌーピーでお馴染の漫画「ピーナッツ」にも度々登場するアレですね。ちなみにA&Wは直営のレストランをやっているのですが、日本国内だと沖縄にしか店舗はありません。那覇の国際通りを歩いたときに特に思ったことでもあるんですけど、アメリカ文化と沖縄の風土が折り重なったあの独特の空気ってやっぱり他に類を見ないものなんですよね。沖縄から基地が消えてもきっとこの文化はこれからも独特の進化を遂げていくんだろうなと思います。沖縄はもともとポテンシャルのある地域ですからね。基地とか大規模なリゾートとな無くっても、いや多分無い方がより一層の発展が望める筈なんですよ。次回でこの連載も4回目を迎えるのですが、ボチボチ佳境に入るものと思われます。文字ばかりのあまり楽しくない記事かもしれませんが、最後までまたお付き合いください。それでは今日はこれにて失礼します,ジベリ!

2014年9月16日火曜日

I do It

・お昼はフレンドリーにて(ハンバーグ&海老フライセット1080円也)

えっとタイトルはYUIさんがステレオポニーに提供したあの曲ですね。例によって意味はあったり無かったりです。今日は〆切が今日中の論文があって、それの仕上げに日がな一日奮闘していました。大学に学生としていられる時間は、本当にあと半年。色々と感慨深いものはあるのですが、ともあれ僕は出来ることを最大限にやっていくといういつも通りの姿勢です。

・今年のお土産は炭酸煎餅です

あ、そうそう。遅ればせながら研究室に有馬温泉旅行のお土産を置いてきましたよ。今日は数人の後輩たちで賑わっていた研究室ですが、未だ大学は夏休み中。きっと休みが終わればもっと賑わうのでしょう。明日はまたバイト。ちょっとここのところ体調を崩しかかっているので、今日は家に帰るやいなやくらいの速度で眠りに就きたいと思います。それでは皆さん、夢の国で逢いましょう。ジベリ!

不正選挙進捗報告

先日お伝えしたように、小沢さんの講演会で直接渡すことに失敗した直訴状ですが、本日の消印で小沢一郎先生の議員会館宛てに送付しました。3か月ほど前にやると言ったっきりやってなかった仕事を1つ終えた次第であります。

・手紙&封筒はこんな感じです

講演会での様子から、やっぱり小沢さんは不正選挙騒動について何か知っているなと改めて確信したところではあるのですが、同時にちゃんと動いてくれるのかはあまり期待できないでいるのもまた事実といったところ。ともあれ、ちゃんと送りましたからね。次はやっぱり我らが亀井(静香)先生でしょうか?或いは山本太郎さんあたりに声をかけてもいいかもしれません。不正選挙追求には、先生方の力が不可欠です。本当にこの国の独立のために戦う政治家だったら、必ず動いてくれると、僕はそう信じています。今日はもう1つ書きたい記事があるので、一旦ここで失礼します。

2014年9月13日土曜日

小沢さんはやっぱり何か知っている

・生活フォーラム主催の小沢さんの講演会に...

今日はバイトの後、弾丸で大阪へと向かい、小沢一郎さんの講演会に参加してきました。バイトが終わるのが17時で、講演会のスタートは18時半。大急ぎで移動はしたものの、駅から会場の大阪市北区民センターまでちょっと手間取ったりしたこともあり、結局到着は19時を過ぎた頃に。ともあれ初めて小沢さんの生の声を聞くことができましたよ。話で印象に残っているのは、1つには小沢さんがまだ政権交代を諦めていないということ。安倍政権を倒すために野党が連合を組む必要があるのだと小沢さんは訴えていました。

・壇上で話をする小沢一郎さん

その他質疑応答では脱原発に向けた舵取りについても語っていたのですが、やはり不正選挙に関する質問はスルー。僕も挙手はしていたのですが、当てられませんでした。(本当は‘あるもの’を手渡したかったのですが...)先日の豊島公会堂の講演会でも不正選挙の関する質問をかなり不自然な形でスルーした小沢さん。その姿勢こそが「何か知っている」ことを物語っているような気がしてならないのです。一体小沢さんは何を知っていてどうしようとしているのか...。不正選挙追求は最終的に政治家サイドが動いてくれないと完成しないと個人的には思っているのですが、はてさてこれからどうするか。また考えていきたいものです。

・すし政は天満にある回らない寿司屋

講演会後、折角ここまで来たということで、昔1度だけ来たことのあった天満の寿司屋、すし政を久々に訪れることに。そのときはランチタイムで大混雑だったのですが、この時間帯もやっぱり店内は大盛況。ここはいつも賑わっているようです。

・とりあえずの日本酒と寿司4貫

ここはいわゆる‘回らない寿司屋’なのですが、その割には比較的リーズナブルな値段設定なのがいいところ。賑わうのも頷けます。店の雰囲気は高い寿司屋というよりも、どちらかと言うと居酒屋のような騒がしい雰囲気で、また店は大して広いワケではないので、そういうのが苦手な人にはオススメできませんが、僕は好きなんですよね,こういう店。

・烏賊の炙り焼きは400円(だったはず...)

寿司の他にも写真の烏賊の炙りみたいなのなんかも食べて、お酒も日本酒とビールを頂いてお会計は全部で3000円少々...。それからJRと京阪を乗り継いで帰宅。明日は1日休みなので、まぁのんびりと過ごしたいと思います。そんなところですが、本日はこれにて失礼します,ジベリ!

2014年9月7日日曜日

ビターな人生には一片の糖分が不可欠だ

・およそ1カ月ぶりくらいの北浜レトロ

・夕暮れのまばゆい光に浮かぶ中之島中央公会堂

こないだ言っていたように今日は中日新聞の筆記試験があって、僕はそれを受けるために大阪まで行ってきました。11時半スタートと、事実上お昼を挟むような予定だったので、今回も恒例の弁当持参でのお送りでしたw

・車窓からの眺め

家を出たのは9時半頃で、今回は京阪電車での移動。天満橋で下車して地下鉄に乗り換えて、そこから谷町9丁目へと向かいます。会場は大阪社会福祉指導センターというところで、まぁちょっと分かり辛い場所ではあったのですが、なんとか時間までに到着。

・今回のお弁当はこんな感じ

1科目目は一般教養。といってもまぁ殆どは時事問題で占められていて、あとは漢字が少々と数学みたいなのが1~2問。時事問題は多少難しいのもありましたけど、まぁそんな危惧することもないかなといった塩梅の仕上がりに終わりました。

・試験会場からの眺望はこんな感じ

ただ問題なのは次の時間の英語でしょうか。まぁこれがホントに難しくてね。ぶっちゃけ殆ど白紙に近い状態の仕上がりで提出しちゃいました。ともあれ次の作文は例によって上々の仕上がり。中日の作文が「変わっている」とは知っていたのですが、黒板に「輝」っていう字を書かれて、これを主題に書けと言われた瞬間は流石に唖然としましたw

・天満橋からの撮影(京阪電車と水上バスが見える)

でも数分で書くことは決まって、そこからは一気に書き上げるといういつものパターンでしたけど。ちなみに僕は何を書いたかというと、「輝」というのは前向きな言葉なのに、それを過去に求める人が多いということで、ありもしない戦前の「輝かしい日本」という亡霊を追い続ける安倍政権を批判し、そうではなくて過去と正面から向き合って、未来を少しでも輝かしいものにしていこうではないかといった感じのことを書きました。その後、エントリーシートみたいなのを書く時間を経て試験は終了。会場から天満橋までは歩きで移動し、それからまた北浜レトロに立ち寄ってカフェタイムへ。

・チーズケーキ(ロンドンスパイス)とレモネード

先々月の記事でも言ったように、もう何度も来ているこの店なのですが、考えてみたら紅茶以外のものって飲んだことなかったんですよね。まぁ次行くのは最低でも1カ月くらい後になるだろうなってことで、今日はちょっと夏っぽいレモネードを飲むことにしました。そしてケーキはチーズケーキを。

・ビルの隙間から見える月

相変わらずここは何を飲んでも食べてもハズレがないなと思いながら優雅なカフェタイムを楽しんできたのでありました。外に出て見ると日が傾き出していて、なんとも空の色が綺麗。まぁ折角ということで、もう少し散歩してから帰ることにしたのでした。

・今日も世界は美しい(淀屋橋からの撮影)

世界が一番美しく見えるということから写真や映像を撮る人からは俗に「マジックアワー」なんて言われるこの時間帯。僕もこの時間が一番好きなんですよね。単純かもしれませんけど、この景色を見てると今日も一日頑張ったのかななんて思うワケです。



三谷幸喜さん監督の映画、「ザ・マジックアワー」では、たしかこれを人生に置き換えて描いてましたよね。僕にとっての‘その時’はいつ訪れるのか、それは正確には分かりませんが、待っていれば必ず訪れるのがマジックアワー。泥の中でこそ咲く花があるように、もがいていればきっといつかは輝けるときが来るのでしょう。だとしたらその時が来るまで戦うのみです。そのとき少しでも強く輝けるように...。(だいたい「このままくたばってたまるかい!」)そんなところですが、本日はこれにて失礼します,ジベリ!

2014年9月4日木曜日

学食。

今日は久々に大学の研究室に行ってきました。まだ夏休み中ということもあってあまり人は居ませんでしたけど何人か久々に知ってる人とも会って久し振りに話も出来ましたよ^^

・これで400円くらいだったかな?

久々と言えば今日は学食でお昼を食べましたね。ホントに下手すると1年近く来てなかったんじゃないかというレベルなんですが、まぁ折角まだ仮にも大学に在籍しているのですから利用しない手はありませんよね。

・作業風景

で今日は何をやっていたのかというと、締め切りを10日後に控えた論文の執筆と、今連載を進めている沖縄論のための情報収集、そして3日後に迫っている中日新聞の一次試験の準備といった感じで、この通り机は散らかりたい放題になってしまったのでありました。明日はまたバイトなので、今日はこの辺りでボチボチ失礼します,ジベリ!

2014年9月1日月曜日

どちらが「無能」かは皆さんで判断なさってください(京都市)

いよいよ今日から9月なのですが、皆さんは如何お過ごしでしょうか?さて「沖縄論」連載の途中なのですが、同時進行でもう1本連載を進めたいと思います。ちょっと前に僕がいわゆる内定取り消しの憂き目に遭っていることはお話したのですが、それはそれとして置いておくとして、ちょっと気になった企業(ないし自治体)の話をしていきたいなと思うのです。第一回は京都市。僕は2012年以来、ここを3回連続で受け続けていたのですが、筆記は通過するものの面接で落とされるというのが続いています。特に今年なんて本当に落とされる理由が皆目見当もつかなかったのですが、それも一旦置いておくとして今日はそもそも僕が京都市に入って何をしようとしていたのかをお話しようと思うのです。


1、もし京都市の職員になったら
僕が京都市を勤務希望先の1つにしているのには確固たる動機があります。それは他の何物でもなく僕が2007年以来7年の時を過ごしてきた伏見区に貢献したいということです。いつぞやからかこのブログでも「伏見区」というタグを設けて、少しでも多くの人に伏見の魅力を伝えようとしているのですが、ともあれ伏見に対する思い入れは少なくとも人一倍であるというふうに自負しています。

・三栖の閘門(これも伏見にあるのです。)

と、ここで伏見に対する思いを虎舞竜の「ロード」よろしく13章に渡って話しても良いのですが、それはひとまず置いておくとして、具体的にどのような提言があるのかを、主に2つの観点からお話していきたいと思います。

・エントリーシートより

①観光
伏見区と言えば真っ先に思い付くであろう観光地は伏見稲荷大社なのですが、勿論それだけではないのです。最近では僕が暇さえあれば行っている伏見桃山の酒蔵街もそうですし、方除けの神様として有名な城南宮もあります。その他にも乃木神社や伏見城跡など、本当に伏見には様々なものがあるのですが、今ひとつ課題として挙げるべきなのは、それらの回遊性が確保されていないこと。バスは現状本数が少なめなのが多いですし、乗り換えも面倒です。市バスのダイヤ改正がそれには有効なのでしょうが、もともと赤字の市バスでそれをやるには限界がありそうなので、これに関しては他の施策(観光地や地元企業との協働によるバスの運行など)を検討してもいいでしょう。また、レンタサイクルを充実させるというのも個人的にはアリだと思います。



それから伏見桃山と言えばかつては宿場町として知られたのですが、これが今では全然無いんですよね。個人的にはこれをどうにかして復活させて、伏見という街をもっと満喫できるようにして貰いたいところです。(伏見区ステイプランとでも名付けましょうかw?)

また、これはすぐにでも出来ることなのですが、「水都・伏見」をもっと外の人にPRしていくべきだと思うんですね。冒頭に挙げた写真は、まだ伏見が港町として活気にあふれていた頃に作られたものなのですが、これ近代化産業遺産にも登録されてる歴史あるものなんですよ。と言ってもやっぱり県外の人はこういうのをあまり知りませんし、というかそもそも伏見が港町だったということも知らないのです。(僕もこっちに来るまで知りませんでした...。)なんかこういうのってやっぱり勿体ないなと思うんですよね。だからこれを宣伝していくことがやっぱり必要だと思うんです。たとえばブログコンテストをやるだとか、Twitterのハッシュタグを用いたフォトコンテストをやってみるというのも面白いかもしれません。


②居住
次に居住者向けの提言。1つ目は、先述の回遊性の話にも関わってくるところなのですが、現状市バスで伏見から河原町に出ようとすると、京都駅での乗り換えを挟まなくてはいけないんですね。ただ話を聞いていると、やっぱりこれが昔はあったようであり、それを懐かしむ声も多く聞きます。繰り返すようですが赤字のところではあるのですが、週末のみ1日数便だけでもいいので、これを復活させて貰えないかな?というのが一点目。

そしてもう1つは大学や企業との協働。我が龍谷大学をはじめとして伏見には幾つかの大学があるのですが、もう1つ言うと京セラや月桂冠等の酒造メーカーなど有力な企業が点在しているところでもあるのです。有り体に言えばこうしたところと市が協働して何か出来ないかというのが僕の提言したいところなのです。たとえば京都市の小学校では今、僕が大学院で研究していたテーマでもあるシティズンシップ教育の一環であるスチューデント・シティというカリキュラムを実施しているのですが、この拠点となっているのが現状では京都府庁近くの「京都まなびの街生き方探究館」というところだけなんですね。しかし伏見にはこれだけ多くの生きた材料があるのに加えて大学など場所も十分に提供できるのですから、是非とも伏見をその第二拠点として活用していくべきだと思うんですよ。




それから3つ目は空き家対策。市内の行政区の中で最も多くの空き家を抱えているのが実は伏見区であり、これが2013年時点で16540戸、全体の11.9%が「空き家」という状態なんですね。だからここの改善もやっていかねば...というのが僕の言いたいところなのです。この対策に関しては市内に先輩(?)が居ます。全体の20%以上という空き家を抱えている東山区です。最近になって六原地区では大学(京都女子大)や企業(UR、無印良品)との協働でこのリノベーションを図ろうとする動きが出ているのですが、同様のことを伏見区でもやっていこうということなんです。(同様の取り組みは桃陵団地の再開発でも用いることができるでしょう。)



この他にも提言は色々ありますが、皆さんの中に1つ疑問があることも否定できません。もし「伏見区以外のところに行ったら何をするのか?」という質問をぶつけられたら...というものです。勿論想定の範囲内でした。たとえば空き家対策に関して東山区に先行事例があるように、どこに行ってもノウハウの蓄積は出来ますし、それをいつか伏見区に転属になったときに還元していけばいいだけの話なのです。それに、そもそも京都という街自体が僕は好きなので、どこの区のどの部署に行ってもやりがいは感じると思うんですよねw

~おわりに~
今年の面接では志望動機すら聞かれなかったのでこれを伝えることはできなかったのですが、ともあれ、あの面接で落とすという発想ができないくらいのものだったので、本当に何だったのか今でもよく分かりません。ただ1つ言えるのは、こういう具体策を持っている人を今の京都市の人事は意識下で重要視していないということでしょう。(少なくともエントリーシートは読んでいるハズですからね...)やはりその辺のくだらない企業と同じで、差し障りなく没個性的で、且つ声の通りのいい人だけを取っておこうという魂胆なんでしょう。

人事が無能だから無能が集まり無能集団が形成される。それにいつ気付くのかは知りませんが、それがどれほどの損害になるのか今一度、上の人たちには考えてもらいたいものです。中国の故事に「千里の馬は常にあれども、伯楽は常にはあらず」というものがありますが、まぁそういうことなのでしょう。まだまだ書きたいことはあるのですが、京都市についてはとりあえずここまでに留めておきます。おそらく居ないと思いますが、京都市並びに伏見区の関係者の方で、「そこまで言うなら...」と思う方が居たら是非とも声を掛けてください。僕はいつでも力になります。明日はまた伏見桃山にお酒を飲みに行くことになっているのですが、ともあれ本日はこの辺で失礼したいと思います,ジベリ!