2009年4月30日木曜日

妙心寺展

           ・妙心寺展のポスター(バックは海北友雪の雲竜図)


ゼミ発表も終わり、ちょっと落ち着いたのでようやく前から行きたかった「妙心寺展」に行ってきました。



          ・「妙心寺展」のポスターが貼られた国立博物館

大学が昼まであったので、やっぱり今回も午後からの行動です。世間では、もうゴールデンウィークな方もいるというので、さぞかし混んでいるのかと思いきや、そんなでもありませんでした。これは助かりました。

ところで妙心寺って行ったことないんですけど、ムチャクチャ広いらしいですね。んで竜安寺は親戚みたいな感じらしくって...。意外に知らないことは多いものです。あと,開山(初代住職)の関山慧玄(かいざんえげん)って人,ホントに凄い方だったんですね。一番感心したのが、自分の像はもとより、肖像さえも書かせなかったというところ。余程謙虚でなければ出来ないコトです。どこぞの学会の誰かさんとは大違いです,ここまで違うんですね、人間って...。

あとは狩野山楽龍虎図屏風。やっぱりあの迫力は圧巻,といったところです。それと白隠慧鶴(はくいんえかく)による達磨像のインパクトも...。それともう一つ,棄丸(僅か3歳で亡くなってしまった豊臣秀吉の子)関連の品々...。ハッキリ言って僕は秀吉が大嫌いなのですが、彼も人の子ではあったんですよね。なんか親バカしてる秀吉が目に浮かんできました。

今回はポストカードは3枚購入。龍虎図は「龍」と「虎」に分かれていたのが、ちょっと不満です。やっぱ、揃ってなきゃね,あれは。因みに後の一枚は、達磨象。一枚100円だから、3枚で300円。

               ・「考える人」の像(ロダン作)  

                    ・本館前の噴水 


その後,敷地内の庭園を周ってみた。この日は堪庵という茶室(下写真参照)が開放されてたので、ちょっと見てきた。

                     ・堪庵入り口
                                      ・中はこんな感じになってる

                  ・部屋の中はこんな感じ。


どうにもお腹が減っている...そういえば昼ご飯を食べていない,という毎度の展開。(注:すでに16時前です)丁度,この辺りで気になってた店があったので、今回はそこに行くことに。「アジアンスイーツカフェ」って名前のところです。んで,ナシゴレンとマンゴーラッシー(下写真参照)を注文。

               ・ナシゴレンとマンゴーラッシー

因みにナシゴレンは、下のデザートとスープ<左手>が付いて840円。マンゴーラッシーは500円。ドリンクとのセット割り引きが-150円だったから、しめて1190円。まぁ,安い方なんじゃないかな?

                     ・ココナッツアイス


この店、味は勿論だけど雰囲気が僕としては凄い勢いでお気に入りです。なんか弱いんですよね,バリ島とか東南アジア的なやつ。愛媛の新居浜ってところにバリ島風の温泉があるんだけど、そこが僕は気に行ってて、松山にいた頃にはよく行ってたんだな。そういえば、今の部屋にも、ちょっと東南アジアチックな小物が2,3点置いてある。同じものがこの店にもあったので、ちょっと嬉しかった。

そのあと,河原町へと向い、ちょっと買い物を。あと,CD(YUIさんの新シングル,『again』 勿論,初回限定版。)の予約も...。ついでに気になってたThe Timersのアルバム(「復活!! タイマーズ」ってやつ)を買ってきた。清志郎さんはやっぱり凄い,いろんな意味で(爆)     

ってか,何気に今日で四月終了。一ヶ月が半端無く早い,気が付いたら夏が来てそうだ。これは冗談抜きで。まぁ,一日が早いってのは、人生楽しんでる証拠だ。なにも問題なし,楽しく行こう、何事も。   

 

じゃあ今日はこれにて、ジベリ!

2009年4月26日日曜日

誕生日!

と,言うワケで、僕は今日,めでたく21歳になってしまいました。(パチパチ...)
しかし現在,なんやかんやで稼ぎ口がないため、かなりみずぼらしい誕生日をお送りしてます(爆)


まぁ,そんなことも忘れて、楽しく行きましょう!
(今回はまたインタビュー形式でお送りします。)


Q.1/20歳になってから今日まで,どんな一年でしたか?

A/20歳になったばかりだというのに、昨年は見事に不調でした(笑)


ホント,編入試験には落ちるわ、予定どおりにコトは運ばぬわ、某カルト教団から勧誘は受けるわ...と、もう散々でしたよ。でも一方で有意義な幾つかの出来事があった年でもあります。また,日本国際党の結成は昨年の七月でしたし、それに関係して、この一年で随分と政治的知識・国際情勢の把握,といった面では大きな収穫を得られたと思います。あと,親友との再会も、ちょっとしたエポックになったと思います。


Q.2/今年度はどんな感じですか?

A/とりあえず多忙です。でも楽しくやってますよ。 まぁ,楽しくやってるのは毎度のことなんですけどね。でもまぁ,去年が不甲斐ない感じだったんで、今年は何かしら結果を残せるよう努力したいです(笑)


Q.3/Senichiさんにはいろいろな側面があるように思うのですが、御自身では自分って「何」だとおもいますか?

 

A/そうですね,敢えて言うなら「歴史家」で「芸術家」で「政治家」の、「革命家」ってところですね。  

色々言ってますけど、結局は全部,そこに行きつくんですよ。色んな側面はありますけど、すべての終着点は「革命」です。だから例えて言うなら「革命」というビッグステーションがあって、そこに向かって「歴史」だか「芸術」だか「政治」だか「宗教」なんかのレールが向かってるんですよ。そしてその‘革命’っていう駅から、いよいよ「理想」へと向かってレールを伸ばし続けるんです。でも,どの段階にせよ、それらの列車は全て「情熱」という尽きることのない恒久の燃料を使って動くんですよ。ゆえに止まることも無ければ、行き先を見失うことも無いんです。

 

Q.4/では最後になりますが、読者の皆さんにひとことお願いします。 

A/はい,ホントこんないい加減なブログですけど、読んで貰えたら光栄です。あと,コメントや応援のメッセージなども頂けると嬉しいですね。時々,メール貰えるのですが、ああいうのを読んでると、ホント,続けてて良かったな,って思います。国際党の党員も常時,募集してますので、是非ともお願いします。入党費・会費等,一切取ってませんので、お気軽に...。 

では,ジベリ!

2009年4月25日土曜日

翻訳・洋楽ロック⑬/Twenty-one

              ・『ならず者』のアルバムジャケット   

久し振りに、このコーナーを復活しました。今回は、イーグルスの2ndアルバムであり、僕のお気に入りのアルバムの一枚でもある『ならず者(英題:DESPERADО)』(1973)から、「Twenty-one」をお送りしたいと思います。

初登場につき、Eaglesに関する軽い紹介を。

イーグルスは1971年に結成されたアメリカを代表するロックバンドで、路線としてはカントリー・ロックというジャンルの作品を多く作りました。グレン・フライ(ギター),ドン・ヘンリー(ドラム,ピアノ)という2大巨頭にばかり目が行ってしまうバンドですが、ランディー・マイズナー(ベース)や、バーニー・リードン(ギター,バンジョーetc...)の2人も、同等の評価に値するミュージシャンではないか?と僕は思ってます。のちに加入したドン・フェルダー(ギター,スライドギター)ティモシー・B・シュミット(ベースジョー・ウォルシュも、また然りです。(因みに言うと、現在,マイズナーはすでに引退している模様です。)その後,1976年には『ホテル・カリフォルニア』を発表。当時,繁栄の絶頂にあったアメリカの‘陰’を歌ったこの作品は世界的な大ヒットを放ち、また同時にロック史に名を刻む名盤となりました。 

しかし,リスナーの期待は大きな重圧となり、1979年,七枚目のアルバム『ロング・ラン』を発表したのを最後に、’82年,ついにバンドは解散します。’94年には再結成の上、ニューアルバム『ヘル・フリーゼズ・オーヴァー』を発表。大規模なワールドツアーも行いました。その後、’98年にはロックの殿堂入りを果たし、在籍した7人のメンバー全員がステージに登場し、ファンを驚かせました。その後も各地でライブを行い、大盛況を納めていましたが、新アルバム制作の話は、長く聞かれませんでした。しかし’07年,彼らはついにその沈黙を破り、13年振りの新作,『ロング・ロード・アウト・オブ・エデン』を発表します。21世紀に入っても、全く衰えてない音楽性・メッセージ性を見せつけたこの作品は、全世界でヒットを放ち、その底力を見せつけました。

さて,この曲のタイトルはtwenty-one,要するに21歳の若者の気持ちを綴った歌です。作詞及び作曲ははバーニー・リードン。彼のカントリー・ロックのセンスが冴え渡った作品です。バンジョーの音色が爽快です。この曲ではリードヴォーカルも、バーニーが担当しています。まぁ,とりあえず行ってみましょう!  

・Eagles - Twenty One

21歳,僕の気は充実してる。 自由が僕に意味することを知っている。
何故かは言えないけど 僕は死にたいと思ったことはない。

命に終わりが近づいてることを恐れも気に懸けもしていない。
昇りゆく陽と同じように、僕らは前途洋洋なんだから。

旅路の上で人生を過ごすかも知れない。知識を増やそうとしてるだけのコトだ。
いつか落ち着くことになるのかもしれない。その時は友達に囲まれてることだろう。

男は商売をやれって世間は言うけれど、僕は他の道を見つけるよ。
出来ることをするべきだと思うんだ。若気の至りを止める気はない。

僕は若くて素早いから、自由が僕に意味することを知ってるんだ。
君にそのワケを話せやしないけど、僕は死にたいと思ったことはない。ワケを話せやしないけど、 僕は死にたいとは思ったことはない。

この曲の収録された「ならず者」というアルバムは、西部開拓時代の無法者の姿と、いつの時代も無鉄砲な若者の姿を重ね合わせた作品だと思うんですよね。そんな若者たちを鼓舞する一方で、ちょっと苦い忠告をしてみたり...。このアルバムにあるメッセージは、今でも全然,通用するものだと思います。若者って今も昔もバカですからね。でも,時代を創っていくのもやっぱり若者...。いつか年老いた‘彼ら’は、その時代を生きる若者を見て、「昔は良かった」って愚痴を溢すんですよね,自分の昔のことはすっかり棚に上げてwww

このアルバムの素晴らしいところは、そこまで若者に対して卑屈になってない大人の言葉が書かれていることです。だから一層,入ってくる言葉はリアルに感じられます...。それにしても、はじめてこの曲を聴いた時,僕はまだ19だったのですが、この曲のタイトルと同じ年になるのがこんなにも早いとは・・・。まぁそんなこんなですが、今日はこの辺で,ジベリ!

明日で「21歳」

信じられん,一昨日まで高校にいて、つい昨日京都に上ってきたような感じやのに・・・。ってか、高校出てから月日が経つのが早く感じる,コレはマジで。何も変わってないといえば変わってないんやけど、よくよく考えると全然変わってるような気がする,周りも然り、自分も然り...。

前にも言ってたけど、僕はいつもなんだかんだ言いながら、結構,楽しんでるのよね,不思議なモンで。 ホント、コレばっかりはよく分らん。ただ,これは予想やけど、僕は10年後も同じこと考えてる気がするし、そう有ってほしい。もう20年以上「人生」やってることになるけど、実際,まだ「答え」とか全然分らん。(そもそも「無いんちゃうかな?」とか思うこともあるけど...)やりたいことの「半分」も出来てないし、行きたい所の「半分」も行けてないからね,実際。まぁ,それでいいんやけど。だって全部やってしまったら、それはそれで退屈やからね...

ってか,今日天気悪い。しかも土曜やのに授業とかあるし、僕は昨日のゼミ発表(細評は後ほど...)で、ヘトヘトやし...。もう家で寝てたいけど、そういうワケにもね...。なんで僕はこれから学校に行く準備します。

2009年4月24日金曜日

創価学会の横暴を暴く!(part2)


         ・この連載を書くにあたって読んだ本(細評は下記参照)



と,言うワケで予告通り、連載の続きを書いていきたいと思います。

3、独裁者を賛美する池田大作

中国共産党を讃美し続けている池田名誉会長の姿を見て入れば分かると思いますが、彼は徹底して独裁者を讃えてきました。「主体思想」を掲げて迷走を始めた金日成を「社会主義建設で大きな進歩を遂げた」と称賛し、1983年にはルーマニアの時の権力者,チャウシェスクに対しても、「若く偉大なる指導者」などと、手放しの賛辞を送りました。しかし,政権崩壊後は、何事もなかったかのように批判の立場に回り、ブカレスト蜂起に立ち上がった市民を誉め讃える,という手のひら返しです。その発言には責任も何もあったものじゃないのです。
            ・ノリエガ(右)と握手を交わす池田名誉会長(左) 
その他,パナマの時の権力者であるノリエガ将軍とも友好関係を結んでいました。その後,1989年にパナマは、米軍兵士の殺害などを理由にブッシュ(父)大統領による米軍の侵攻を受けます。拿捕されたノリエガは、自身が池田の指示で学会の資金をパナマで運用し、麻薬取引の資金繰りにも使わせていたことなどを自白たのです。(この事件には小沢一郎の関与説も。)
また、ウズベキスタンのかつての独裁者,カリモフとも交友があったといいますが、学会員の多くは、こうした事実を知りませんし、よしんば知ったところで、「池田先生は騙されたのだ。」としか思わないようです。 どころかゴルバチョフと交友があることを、これ見よがしに自慢してくれる始末です。

・勝訴した裁判のことだけが書かれた、まるで大本営発表のような学会の広報


4、とてつもない公明党

①代表を含む人事は全て学会幹部の手に...

公明党の議員は、学会員の中から名誉会長や最高幹部たちにより選出されます。また,代表も、同じく幹部ないし名誉会長に選出されています。つまり、公明党の代表選挙は結党以来一度も行われていないのであります。

そのため殆どのところ、公明党というのは、学会の言いなりになるのです。もし下手に逆らうようなことがあれば、公認を取り消され、挙句には聖教新聞や集会などで「悪人」に仕立て上げられてしまうのでですね。この文書を作成するに当たり読ませてもらった著書の著者である福本潤一や先日,学会を相手取った裁判に勝訴した矢野絢也も、学会のこうした性格を批判しています。

②公明党とカネ
予てから政治とカネについて公明党には幾つかの疑惑があり、更にそのうちの幾つかは、どうやら確信犯のようです。

まず、当選した議員から「上納金」として数百万円を吸い上げている,というもの。また,それが政治資金収支報告書に記載されていないのではないか,とするもの。次に非課税の宗教法人施設を使っての選挙活動問題。或いはアメリカ創価大学への寄付の押し付け,そして最後がいわゆる「P(=プレジデント→池田名誉会長)献金問題」です。とにかく公明党の議員は何かにつけて学会からお金を吸い上げられている模様です...。(お気の毒さま...ですね。)
また,福本氏は、池田名誉会長の著作である『新・人間革命』を地域書店で、政党助成金ないし政務調査費を使って200部程度購入することを命ぜられた,とも指摘している。これもある意味では「献金」と云えますが、そこまで知恵が働くのなら庶民のためになる政策を考えて貰いたいものですね。


③まさにマッチポンプ

            ・美辞麗句が踊る公明党の宣伝用ビラ


公明党はしばしば「増税戦犯」と呼ばれているのですが、そもそもの発端は‘03年総選挙でのマニフェスト(政権公約)にあります。ここで公明党は、「基礎年金の国庫負担割合の段階的引き上げ」を理由に、「所得税の定率減税及び年金課税の見直し」を掲げました。これはその後定率減税の廃止と年金増税という形で提言され、これらは‘06年から実施されます。住民税額と連動して決められる国民健康保険料や介護保険料もこれらの増税に連動して増額したため、「雪だるま増税」とでも言うべき事態を引き起こすこのになったのでした。その他,公明党は、コメ輸入自由化や派遣労働法の改悪など、現在にまで尾を曳く幾つかの問題において「賛成」の立場に立ってきました。現在,公明党のポスターには「庶民の生活を守る」とか「増税反対」といったニュアンスの文字が見受けられるますが、マッチポンプもいいところです。もう公明党には用も存在意義もないので、寝たふりしてる間に出ていってほしいものです。
 
 
5、この章の結び
 
この連載も、残すところあと一回です。ここまで読んでいただいた方には、創価学会の怖さを分かって頂けたのではないかな?と思います。 しかし,幾ら創価が恐ろしい団体だからといって、くれぐれも信者を無下に攻撃したり、いじめの対象にしたりしないで下さい。それをしてしまえば、あなたのやっていることは、池田大作と同じですよ?じゃあ今日はこの辺で,ジベリ!

<関連資料>
~著書~
『創価学会 公明党/カネと品位』 (著:福本潤一)
 <著者プロフィール:福本潤一(ふくもとじゅんいち)/1949~>広島県出身の政治家・博士(農学)であり、その後,新進党・公明党の所属議員として2期12年間活動。2007年,秘書の葬儀問題を理由に公明党からの公認を得られず、異例の「離党」を。(同時に創価学会も脱会している。) 
2007年の参院選では、学会からの妨害の下,選挙戦を戦うも落選。最近はこうした学会批判の著作を発表しており、また,民主党への接近など、政界における動向も注目を集めている。 
~サイト~
・日本共産党HP
「公明党はなぜ増税戦犯と呼ばれるのか?」
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-02-24/2007022402_03_0.html
「北朝鮮問題」反省すべきは公明党ではないのか
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-11-23/14_0401.html
・創価学会の麻薬ビジネス
http://www.e-net.or.jp/user/mblu/ndb/skbk1/sg1/media/mayaku.htm
・池田大作「海外要人会見」のお粗末ルーマニアの独裁者チャウシェスク大統領との蜜月 
http://www.forum21.jp/contents/03-2-1a.html
・ウィキペディア
(創価学会,牧口常三郎,戸田城聖,池田大作,公明党etc…)
・you tube
<VS創価>亀井静香のターン(国会にて
石井一〝P献金〟「公明党と創価学会」
創価を脱会して・・・

2009年4月22日水曜日

創価学会の横暴を暴く!(part1)

これまで幾度となく、僕は創価学会の悪逆性ないし違法性について言及してきましたが、今回はその第一次集大成として、この特集を組みました。(各方面から集めた資料・情報をもとに書かせて頂いてます。ソースは連載の最終でまとめて書きたいと思ってますので、その点御留意下さい。)


1、もはや宗教団体ではない!
(元ネタ/ドラえもん<てんとう虫コミックス第6巻>

・熱心(病的)な学会員と話していると、よくこういう光景に立ち会うコトになる...

知らない方のために言っておきますが、創価学会はそもそも牧口常三郎氏によって、日蓮正宗の信徒団体(いわゆる‘講<こう>’)の一として設立されたのです。当時の名称は「創価教育学会」です。第二次大戦に際しては、反戦と反国家神道を主張し、牧口やのちの2代会長戸田城聖らは投獄され、牧口はそのまま牢獄で死を迎えることとなりました。戦後の1951年,戸田の下で、宗教法人格を獲得し、創価学会はスタートを切るわけですが、その時,学会は日蓮正宗と、次の3つの約束を守ることを条件にその許可を貰ったのです。

①、折伏(しゃくぶく/入信させること)した人は信徒として末寺(まつじ/本山や本寺の支配下にある寺院)に所属させること
②、当山(日蓮正宗富士大石寺)の教義を守ること
③、三宝(さんぽう=仏宝・法宝・僧宝)を守ること(仏宝は末法の御本仏日蓮、法宝は文底秘沈七字の南無妙法蓮華経,僧宝は大石寺開山日興のことを示す。)

しかし,池田大作が3代会長に就任した後、本山と学会は対立するようになります。その原因について学会員たちは、「日顕(法主)の嫉妬だ。」としてますが、無論,事実はこれと異なります。簡単に言ってしまうと、原因は学会側にあるのです。2回に渡る本山と学会の抗争,俗に言う宗門戦争について次項で説明します。

<第一次宗門戦争>
1977年,池田会長(当時)は、「創価学会は在家と出家の双方の役割を果たしているから供養を受けう資格がある。」,「小説『人間革命』(池田大作の自伝<ということになっているが、殆どが創作とのこと。>)は日蓮大聖人の御書に匹敵する。」などという発言を繰り返し、宗門を激怒させます。この時は池田が本山への謝罪の上で、会長から名誉会長に退くことで和解しますが、大きな軋轢を残すこととなりました。(俗にいう「池田本仏論」が生まれたのもこの時期です。)

<第二次宗門戦争>
1990年,池田は幹部会のスピーチで再度,宗門や日顕法主を批判。正宗は「撤回」を求める「お尋ね」書を送付しますが、これを学会は拒否,そして聖教新聞などを用いて大規模な「反宗門キャンペーン」を展開します。その内容は、法主や僧侶の誹謗中傷に始まり、しまいには日蓮正宗の教義までをも批判するというものでした。また,これに前後して創価学会は、僧侶を抜きにした葬儀(学会葬・友人葬)を執り行うようになります。

そして1991年,ついに創価学会は、日蓮正宗を破門されます。この時点で創価学会は、仏教の一派でありながら、僧侶も寺院も持たない在家だけの集団になったのでした。そもそも、条件を守ってないのだから、「宗教法人格」も本来ならば剥奪されるべきなのです。しかしながら周知の通り、現在でも創価学会は、「宗教法人」として認可され、その関連施設には課税が免除されています。また,現在創価学会が用いている御本尊は、日蓮正宗のそれを何箇所か改ざんした、いわば「ニセ御本尊」なのです。

2、財務は狂う,組織は腐る
二代目会長の戸田城聖は、「お金の掛かる宗教は、邪宗である。」と言っていました。事実,当初の創価学会は「病人と貧乏人の宗教」と揶揄されるほどお金のかからない宗教でした。しかし,3代会長・池田大作(本名・成太作<ソン・テチャク>)は、その言葉を見事に裏切ってくれました。

宗門との対立に前後して、学会は多額の財務(お布施)を集めるようになります。「広宣流布のためのお金」との建前の下、「財務をすれば幸せになれる。」,「池田先生と同じテーブルに座れる」,極め付けには、「池田先生と会えば人生が変わる」などとして、一口100万円或いは1000万円のも額の財務を集めるという荒稼ぎを成功させます。 (←もはや詐欺師ですよね...)

集められたお金は、池田が多方面から勲章を買い集めたり、韓国や北朝鮮に裏金として流されたり、果てには麻薬ビジネスに使われたりしているというのだから、信者の方々には何とも気の毒な話です。
そもそもカネで幸せが買えると思いますか?そんな筈がありませんよ。もし,それが出来ると思っている方がいるとすれば、非常にその方を気の毒に思います。しかし,それを「宗教」が率先してやっているというのだから、全く呆れたものですよね,理解に苦しみます。


・裏話:池田大作は元チンピラ

         ・若き日の勇ましい姿の(っていうかガラの悪い)池田大作

戸田城聖は経営者としても有名です。東京建設信用組合などの幾つかの事業を起こし、そこで稼いだお金を学会の運営費として運用していたのですが、その中に「大倉商事」という、高利貸し業者がありました。カネ持ちの学会員から資金を集め、それを貧困層に貸し与える,といった具合の商売をしていた業者なのですが、そこでいわゆる借金取りとして頭角を現したのが、あの池田大作だったのです。横暴なやり口で知られ、時には病人から布団を剥ぎ取ってまでカネを回収していたといいます。近年でも度々,後藤組をはじめとする暴力団との蜜月が取り沙汰される学会ですが、どうやら裏社会との繋がりは、歴史の浅いものではないようです。

<第一部あとがき>この連載を組むきっかけとなったのは、まず第一に僕が勧誘を受けて困っているからです。(細評は後日)また,創価学会の危険性を、より多くの人に知ってもらおうと思ったことも大きな理由の一つですね。今週の金曜に大学のゼミ発表があるのですが、そこでもこれを取り上げるつもりです。タブーに挑むなんて格好のいいものでもありませんけど、とにかく周囲に知ってもらいたいので...。では今日はこの辺で,ジベリ!

2009年4月12日日曜日

大阪観光 ~‘09年春’~

             ・なにわのシンボル,通天閣を見上げて...

              ・天保山大観覧車と桜並木

松下さんのコンサートに起因する酔いにプラスして、その前の夜は串カツ屋で軽く飲んでたこともあり、未だ酔いも醒めぬ中での2日目・大阪観光。何かと散財し、ゼニは無い。それでも楽しもうとすると、存外楽しめるもんです。 何の変哲もない町でも、「何かないかな?」と感性を研ぎ澄まして歩いていると、いろいろなものが見えてくるものです。 しかも今回は丁度桜がピーク,更に天気は快晴...その辺はラッキーでしたね。
              ・瓶入りのコカコーラ(スパワールドにて)

多分,この写真だけ載せても何のことやらわからないと思うのですが、こんな感じの自販機で売ってあったので、つい買ってしまいました。『Back to the Future』の1シーンにこんなのが出てくるんですよね。まぁ,それだけっちゃあ,それだけなんですけどね。(中身はフツーのコーラです,勿論ね。) そういえばスパワールドはヨーロッパゾーンだったな。なんか久しくアジアゾーンに入れない...。

 おまけ(pt.1):新世界はユニークな町

               ・新世界で見つけたヘンな看板(pt.1)

                    ・ヘンな看板(pt.2)

             ・レトロな映画館も...
           ・一心寺門前の迫力が半端じゃない阿吽の像
             ・一心寺境内の桜

           ・一心寺全景(左端に見えるのは通天閣)

とりあえず、9時までにスパワールドを出ねばならなかったので、足早に退出。新世界を突っ切って、とりあえず四天王寺を目指して移動開始!途中,一心寺の桜がきれいだったので、ちょっと寄り道。軽く参拝して、本来の目的地である四天王寺に向かいます。それにしても、ここの入口にある仁王像は、いつ見ても圧倒されます。

               ・四天王寺全景(極楽門側より)
                 ・四天王寺五重塔と桜

              ・四天王寺境内の桜

四天王寺を訪れるのはこれで2度目,前に行ったのは2年前の夏休み。あのときはお盆だったこともあり、参拝客でごった返してましたが、この日はそんな客足もなく、春の静かな時間が流れていました。ここにも数は多くありませんが、探せば趣のある桜があり、ちょっとした隠れ名所のような感じです。ここを出ると、次の目的地である梅田へ。前もって買ってあった「(大阪市交通局)共通一日乗車券」(定価850円)を使います。 <四天王寺前夕陽ヶ丘→東梅田>

                  ・大阪マルビル
             ・阪神前の交差点(左手に見えるのが阪神百貨店)

                 ・お初天神付近の路地にて

             ・お初天神境内の桜

  ・おまけ(pt.2):梅田アレコレ
 
        ・なんか上手いこと言ってるwww(流石は大阪だ。)

           ・「Оsaka midnight mix juice」ってタイトルだったと思う。

           ・ビジネス街にも、ちょっとしたアートが...

              ・大阪駅第4ビル前の桜並木     

お初天神は、ホントに都会の渦の中,ビルの隙間といったところにあります。しかしながら、この小さな境内は、都会の真ん中にあるとは思えないような雰囲気を有しています。因みにここ「お初天神」は、縁結びの神様としても有名です。(そういえばこの日周ったのは、図らずも殆どが神社仏閣。前回の記事からの延長になりますけど、こういうのってもう、祈るしかないですからね,ある程度は...。) <梅田→大阪港>
              ・海辺のプロムナードから桜を見上げて...

             ・で,これがその船着場(左にはUSJが見える。)
        ・重複した湾岸線のバイパスと船着場を見渡して...
          ・皆さん,海を大切にしましょう(稀に見ぬ社会派の一枚)

               ・天保山大橋と桜


天保山には、海を見るつもりで行ったのですが、行ってみると図らずもそこにはまさに花盛りといった具合の桜が...。(知らなかったんですけど、「名所」なんですよね。それにしてもアーバンチックなベイエリアと桜並木というのは、どこか不思議な光景でもありました。そこに吹く心地よい潮風も、一層,気分を上向けます。

              ・明治天皇視艦記念碑と桜と橋と...

             ・海辺の桜並木

               ・海遊館を見上げての一枚


しばらく散策した後、何をするでもなくベンチに腰かけて海を見てました。あの大阪湾の景色を最初に見たのは、もう10年前のG・W...。思えばあの時ですよ、大学では是非,関西に来よう!って決めたのは・・・。(←お前,その話何回する気やwww)なんて感傷に浸りながら、また初心に帰っていたのでした。<大阪港→なんば>
              ・道頓堀(最近,ちょっとキレイになった。)

               ・喝鈍のカツ丼(600円)

さて,いよいよ京都に向けて撤収しようというところで次は難波に下車し、昼食をとります。法善寺横丁の一角にあるカツ丼の店,「喝鈍」。もうこれで5回目くらいになります。初めて来た頃は、500円出せば食べれたはずのカツ丼が、どういう訳か値上げされて600円に...。不況の影響なんですかね?まぁ,でもあの味ですからね...あんまり不服でもないですけど...それでもやっぱり安い方がいいですよねwww?

           ・難波の「大たこ」(この日は結構,空いてた。)          


あと,渦中の大たこにも...,こっちは値段が変わってませんでした。300円のを1つ買って、とりあえず淀屋橋まで移動します。

・色々と試行錯誤中の橋下知事(とりあえず個人的にこのポスターはナシかと)

       ・中之島の図書館横にも綺麗な桜が

         ・再開発の進む中之島近辺(難波橋より撮影)

意外に淀屋橋周辺には桜がありませんでした。あと,この辺りは、写真を見て貰っても分ると思いますが、再開発中なんですよね。河川敷のベンチに座ってたこ焼きを食べながら、そんな変わりゆく町を眺めていたのでありました。食べ終わるといよいよ撤収です。(勿論,乗るのは京阪電車!)<(京阪)北浜→藤森>

        ・藤森駅の周辺から撮影した一枚

因みにこの翌日から(実は大学の授業開始日は、この日からだったが、そんなことは誰も気にしない。)、僕は大学に,運命の(?)そして勝負の3年目のスタートです。一気にリアルが僕に会いにきました。「まだ間に合ってます。」と、一応,拒否ってみましたが、人生,そうそう容易く見逃してくれるものではありません。ならば向き合うのみです。いつまでも春休みってワケにもいきませんからね。もう視線はすでに「夏休み」です。(←お前,勉強しろよwww)


そういえば、今年はいろんな所の桜を見ることができましたね。しかし早いもので季節は間もなく新緑へと移っていきます。まぁ,そんなこんなですが、今シーズンもアホみたいに楽しみたいと思います!では今日はこの辺で,ジベリねっ!