2012年11月20日火曜日

通販番組で出てくる台所家電って時々無意味に欲しくなるけど買ったら買ったで使わないよね?

・OMMビルからの景色(休憩時間中にパシャリと撮影)

今日はバイトで大阪に行ってきました。天満橋のOMMビルでイベント運営のお仕事です。「ショップチャンネル」なる通販番組をご存知の方は多いと思うのですが、今日はそのアウトレット即売会みたいなのをやっていたのです。




大阪でしかもバーゲンということは僕らの相手にするのが日本はおろか世界でも類を見ない最強の種族であると噂される大阪のおばちゃんたちということ。これは今日の現場は荒れるな...などと一人気を引き締めていたのですが、まぁそんな心配をよそに仕事はこれといったトラブルもなく進行、少なくとも普段の荷物運びよりはやりがいのある(というか作者の性に合った)仕事をした感じがしました。まぁそりゃ学研教室に戻れればそれに越したことは無いんですけど、それを言ったらオシマイですからねw

・エスプレッソコンパナで一服...

あと話戻しますけど、大阪の人って基本的に悪い人ではないですからね、実際。誤解生まないように言っときますけど...。(大学時代の知り合いに大阪の人も沢山いましたけど、比較的いい人ばっかりでしたからw)そして仕事後に今日はちょっとスタバに立ち寄ってエスプレッソを飲んできました。なんか仕事終わりにカフェで一服なんて洒落たことしちゃってますけど、実際はまだ就活中の身ですからね。早く仕事決めないとマダオ一直線ですw そんなところですが本日はこれにてお暇します,ジベリ!

2012年11月19日月曜日

YUI、活動休止!!!

小沢一郎先生の無罪確定と我らが亀井先生による新党の結成...と、嬉しいニュースが立て続けに入ってきた本日11月19日ですが、一方で寂しいお知らせも入ってきてしまいました。我らがYUIさんが、再び活動を休止するそうです。


先月の女性アーティストらによるカバーアルバムのリリースに続き、初の紅白出場に初のベスト盤リリース、それに伴うメディア露出の増加...と、ここのところどうも慌ただしく動いていたのにはどうやらそういう背景があったようです。前回の休養同様今回も別段体調不良とかそういうのではなく、‘新たにやりたいことの準備’というのがその理由なのだそうです。(以下は公式サイトに載せられているYUIさん直筆の手紙)




こないだは半年で戻ってきてくれましたが、果たして今回はどうなるのでしょうか?また戻ってきてくれるとは分かっているのですが、それでもやはり寂しいのに変わりはありません。でもYUIさん本人がポジティブな気持ちで決めたことだと言ってますし、僕らファンとしては信じて待っているほかに出来ることもないというもの。これまで僕は何度もこの人の作る歌に助けられてきました。救われてきました。その恩は絶対に忘れません。それを忘れるようでは攘夷志士はおろか、男ですらないというものです。

・きっとまたその笑顔見せに帰ってきて下さいよ

恐らく一番苦しいのはYUIさんなんです。だから僕らは見守ってあげるしかないんです。信じて待っているしかないんです。そして近い将来あの人が戻ってきたときに少しでもいい自分で、そして暖かい笑顔で迎えてあげることが僕らに出来る最大の恩返しなんだと僕は思っています。あの人がこのブログを読んでくれている可能性は限りなくゼロに近いのですが、それでも僕は今日の〆の言葉をYUIさんに捧げたいと思います。きっと自分の信じる道を勧めますように...ジベリ!

2012年11月18日日曜日

結局どうして負けたのか?

前回も言った通り、例の大東亜戦争に関する連載はゆったりと続いています。これまで2回に渡り日米開戦前夜の動きについて東條英機など首脳部の動きに則して追ってきたのですが、今回は前線及び軍部の内部事情について書いていきたいと思います。ホントにこの件を読むと、やっぱり日本はただでさえ負ける戦に負けるべくして負けにいったのだな...と痛感させられます。しかしながら実態は実態として把握しなければ物事と向き合うのは困難であり、課題解決には結びつきません。変えられもしない過去のことをグダグダという暇があったら、失敗した過去をしっかりと見つめなおし、変えられる今に生かそうじゃありませんか?

1、隠蔽体質
大東亜戦争で日本が負け始めるきっかけとなったミッドウェー海戦ですが、首相である東條英機がその敗戦を知ったのはなんと巣鴨プリズンだったといいます。つまり東條英機はミッドウェーを制したと思い込んだまま戦争を続けていたのです。貧乏くじを引かされていたとはいえ、トップに立つ人物であるはずの彼にすら正確な情報が届いていなかったというのですから、これは驚くべき真相です。このエピソードが端的に示すように、とかくこの戦時中の日本は陸海両軍に隠蔽体質が浸透しており、トップにすら正確な情報が入ってこなかったのが実情なのです。





2、意味不明の戦線拡大
さぁてここで問題です。次のうち大東亜戦争中に日本軍が進出していない場所が一箇所だけありますがそれはどこでしょう?

①カリフォルニア沿岸
②ハワイ
③マダガスカル
④ニュージーランド
⑤スリランカ

正解は④、つまりそれ以外の場所には少なくとも一度、攻撃を仕掛けているのです。これは驚くべき事実でしょう。因みにマダガスカルは何のために行ったのかというと、ヴィシー・フランス政権(パリ陥落後にナチスドイツが擁立した臨時政府)からの要請があったからなんですね(因みにかなり善戦したらしいです...)それにしても凄いメンタリティです。部屋に籠りっぱなしのネットウヨの皆さんも少しは見習ったらどうでしょうかw?

ただ悲しいのはその戦線拡大に何ら脈絡がないということ。風呂敷を広げるだけ広げたはいいけど、それでどうするかは無計画だったんですね。司馬遼太郎先生とドナルド・キーン氏の対談を書籍化した「日本人と日本文化」において‘日本軍は倭寇のようなものだった’と記している一文があるのですが、この事実はそれを納得させる十分な材料と言えるでしょう。要するに短期戦しか想定していないんです。大局的な見方というものが完全に欠落していたのです。そういうことですから、次に挙げるような問題が起こってしまうワケです。


3、補給という発想が無かった?
タイトルを見て唖然としている方も多いかもしれないのですが、別段これは誇張した発言ではありません。(史上最悪の作戦としてその悪名を歴史に残したインパール作戦を見てもそれは明らかでしょう。)戦争において「補給」が生命線だということは、「三国志」を見ても明らかです。




しかし旧日本軍にとって「補給」は二の次でした。特にこれは海軍の方に顕著だったそうです。大抵の場合、補給部隊に回されてくるのは士官学校で成績がビミョーな人たちばかりで、優秀な人材は全部前線に行っちゃってたんです。なんでそんなことになるかというと、これは軍部の評価システムにも関連してくることとなります。補給をどんなに頑張っても、大して昇級の材料にはならなかったのです。また敵の補給艦を撃沈してもあまり評価されなかったため、補給艦を攻撃することに対して消極的だったそうです。敵の補給路を断つ、というのがスマートな戦術だというのは軍事の素人でも分かりそうなものですが、一体どうしてこうなったのかは皆目見当もつきません。


~今日のまとめ~
こうしたことを総合的に考えると、やっぱりあの戦争って負けて当然だったのだな...と改めて思ってしまうところであります。でもよく考えたら、大局的なモノの見方が出来ないのも、隠蔽体質が蔓延っているのも今のこの国と何ら変わりはないような気もします。そしてもう1つ、戦前も戦後も変わらない‘欠陥’というものがこの政府にはあるのです。次回はそこを中心にお話ししたいと思います。(そして恐らく次回が最終回ですw)それでは今日はこの辺で失礼、ジベリ!

作者のオフの過ごし方なんて殆どOLだ

今日は午前中、同志社女子大学に行ってきました。また試験監督のバイトです。流石キリスト教の学校ということで、入口付近のモミの木はこのようにクリスマス仕様になっていました。京都駅のツリーも昨日より点灯とのことで、徐々に街はクリスマス色に染まりつつあるようです。(なんかこのクリスマスまでのソワソワした時期って無意味にワクワクしちゃいますよねw)

・同志社女子大学のクリスマスツリー

今回のバイトは昼食付きで午後2時くらいまでで終了。丁度ここに出てくるのに1日乗車券を買っていたのでそのあとはのんびりとその辺を散策。すると大学から少し歩いたところにezu blueという名前のお洒落なパン屋さんがあるのを発見。ちょっと小腹も空いていたので立ち寄ってみることに...。

・賀茂大橋からの景色

その後、折角なのでどこか眺めのいいところで一服しよう...ということで、そこから程近くにある下鴨デルタへと移動。丁度持っていたソルティ・ライチのジュースを飲みながら、そして秋のデルタの景色を眺めながらベーグルを食べます。

・ドライバナナベーグル(152円也)

まぁここは本当に僕の好きな場所なんですよね。ぼんやりと鴨川の景色を眺めるのも良いですし、弁当とかパンとかを持ってきて食べるのにもいいですし、あと夏場だったらちょっと川に入ってみてもいいかもしれませんね。(ただ、食べ物を持っていく場合は野鳥に注意してください。鳶に襲われたっていう事件も頻発しているようなので^^;)



その後は河原町へと移動し、そろそろクリスマスプレゼントの下見でも..ということでイノブンなどをちょっと覗いたりしてから17時頃に帰路につきました。明日は16時から大学の「エネルギー塾」なるイベントのアシスタントに行ってきます。そんなところですが今日はこの辺で失礼します、ジベリ!

2012年11月7日水曜日

カラオケで勝手にハモり出す奴って一人くらい居るよね?

・今回のライブ会場は二条の拾得というところ

昨日から久し振りに遠恋中の彼女がこっちに遊びに来てます。来週の月曜には、付き合ってから2周年ということでまた記念パーティーをするところなのですが、昨日はというと音速ラインのライブに行ってきました。今年2回目の音速のライブ参戦、会場は京都は二条の閑静な住宅街の中に佇む拾得(じっとく)という小ぢんまりとしたライブハウス。(話によると日本最古のライブハウスなんだとか...。)

・マイヤーズというダークラムを飲みながら...

今回のツアーはアコースティックツアーということで、いつもとは一味違う...とのことだったのですが、ホントにアットホームで温かいライブでした。お座敷席に座ってお酒を片手に演奏を聴く...という雰囲気からしてもうライブに来たっていうよりはちょっとした宴会に参加しているような、そんな一時を過ごしてきました。(因みにお2人さんはトイレから登場w)

・ライブ会場はこんな感じ

セットリストは...というと実際正確には覚えていなのですが、とりあえず1曲目は先日発売されたアコースティック集でも1曲目に収録されていた「Birthday」。あの震災を受けて、「戻れない」けど「夢を持っていこう」といった感じの力強いメッセージの込められたこの曲を力強く歌い上げる藤井さん。その姿から勇気付けられたのはきっと僕だけではないはずです。その後も「逢瀬川」、「マジックワード」、「Nir」といった具合に往年の代表曲を演奏。また「Baby、Baby!」ではお客さんみんなにコーラスさせたり「真昼の月」ではイントロを口ずさませたり...といつものライブ以上に今回はとことんお客さんを参加させてました。(そしてとことんイジられる大久保さんw)



そして「ポラリスの涙」ではなんとバックコーラスを何人かにステージで歌わせる...というサプライズも。よせばいいのに果敢にも挙手した僕は参加することに...。近くで聴いて改めて思ったのは藤井さんの声が本当に綺麗だということ、そして高いということ。僕自身、コーラスって殆どやったことないんですよね。勿論バンドはやってたんですけど、下の音を歌うってことはありませんでしたし(←そりゃそうだろw)、そもそもバンドでコーラスってのも殆どやらなかった方なんで...。まぁでも何やかんやでいい経験になりました。その後ライブは例によって藤井さんの即興曲作りコーナーへと移り、その後はカバー曲コーナーの始まりです。「マリオネット」(BOØWY)に始まり「赤いスイートピー」(松田聖子)、更には「ギザギザハートの子守唄」(チェッカーズ)に「Diamonds」(プリンセスプリンセス)とともすれば果てしなく20代置いてけぼりの昭和メドレーでしたが、大盛況のうちにコーナーは終了。藤井さんの声は昭和の曲に合うんですよね。(←勿論いい意味で)

・今日の夕食はサイゼリヤにて

その後「Grateful A.C.」唯一の新曲、「心の中にパレードを」で本編は終了。その後、アンコール曲の「逢いたい」ではまたまたお客さんをステージに。次は’大勢で歌おう’とのコトで最終的に数10人がステージに上がるという珍事にw (このときは僕は上がってません。この曲は思い入れがって2人で一緒に聴きたかったんで...)ともあれ楽しい音楽の時間はかくして閉幕。いつも以上に音速ラインらしいライブだったような気がします。(っていうか藤井さんに至っては飲んでたしw)ライブ終了後は一旦河原町まで引き返してサイゼリヤで余韻に浸りつつ夕食を。その後は既にバスは最終が終わっていたのでお京阪で深草まで引き返して行きました。今日はというとお昼にファミレスに行った以外は家での~んびりと過ごしてます。そんなワケですが本日はこの辺で失礼します,ジベリ!

2012年11月1日木曜日

田舎のジャスコの駐車場は無駄に広い

・のどかな田園を走る近鉄の田原本線

今日はまた午前中から例の派遣のバイトでなんと奈良県の比較的僻地に出かけてました。そこは近鉄の田原本線にある大輪田という場所で、The・田舎といった雰囲気の場所なのです。京都から奈良の西大寺までがおよそ1時間で、そこから2度の乗り換えを経て大輪田まで辿り着くのですが、西大寺のあたりで急にお腹が痛くなりとりあえず一度下車。ここのタイムロスでなんと遅刻することになってしまったのです。とりあえず開始前に連絡したのと作業時間自体が前の予定が押してて遅くなっていたので半ば事なきを得たのですが、まぁ11月早々とんでもない災難に見舞われたものです(^^;)

・大輪田駅のプラットホームから撮影

まぁそんな災難に見舞われての出勤でしたが、仕事自体は別段トラブルもなく円滑に進行、仕事は時間より30分も前に終わってしまいました。(因みに今日の仕事はジャスコの催事場でお歳暮コーナーの設営の手伝い。もうそんな時期なんですね...。)そうしてあとは引き返すワケですが、戯れに少しルートを変えてみました。

・富雄駅前の景色(駅のホームからの撮影)

行きは橿原経由できたのですが、帰りは生駒経由にしてみたのです。実はこれにはちょっとした理由があるのです。そうすると懐かしい場所に行けるんですよ。それというのが生駒から程近い富雄という場所、実はここに昔従妹が住んでて数年間毎年夏が来るとここに遊びに来てたのです。

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それで最後に行ったのが中学二年の5月頃だったので、こことは実に10年振りのご対面ということになります。今日はバイト帰りで途中下車して帰るほどの余裕もなかったのですが、また近いうちに遊びに来たいところです。別段何かがあるところでもないんですけどねw

・京都に向かう電車からの景色

よく考えたら実際、奈良を訪れたの自体かなり久し振りだったんですよね。遠い場所じゃないのになかなか機会がなくて出ていけなかったんです。でも富雄以外にも行きたいところは幾つかあるんで本当に近いうちに1度遊びに来る予定ではあります。修論とか色々やることはあるんですが、まぁそのくらいの余裕はどこかで作れても何ら不思議はない感じなので...。明日はというと、今年もまた京女の学祭に行ってきます。1日休んでまた頑張るのです。そんなところですが本日はこの辺で失礼します、ジベリ!