・魅力的な店の多い淀本町商店街
・十石船は絶賛運航中です^^
・淀城跡からの眺望
今日は日曜ということで仕事が休みだったので、ちょっと淀まで出掛けてきました...というか結果的にそうなったんですよね。本来はまた港公園でのんびりとするつもりだったのですが、気候の心地よさに釣られて歩いていると、結果的に淀まで行ってしまったというw
・今日行く予定だったイベント
というか本来はこのイベントに行くはずだったのですよ。それが先日の仕事の疲れもあってかウトウトしているうちに時間が過ぎていき、結局桃山に着く頃にはイベントが終わってしまっていたのです。(ちーん)
・カフェタイム(ついでに今回の同伴者)
まぁ終わったものはしょうがないということで気分を切り替えて、とりあえずいつもの納屋町商店街のササキパンでパンを買い、コンビニでコーヒーを買うと本来の目的地である港公園へ。三栖閘門からの眺めを楽しみつつ、カフェタイムを楽しむのが僕流の過ごし方なのです。
・それぞれの休日
休日の港公園は沢山の人でごった返していて、皆が皆、それぞれの休日を満喫しています。ピクニックをする人もいれば読書をする人もいて、写真のように魚釣りを楽しむ人も。ここを憩いの場とするのは人ばかりではありません。水辺には戯れる猫の姿もありました。
・ススキや葦の生い茂る宇治川河川敷
僕はといえばそうした風景を写真に収めたりしながら河川敷を特に目的地も決めずに歩いていくことに。港公園より向こうは全くの未知の領域だったのですが、まぁ何とかなるでしょうという見切り発車でのお送りでした。毎年恒例になってしまっている甲南大学からの無謀なウォーキングといい、僕はこういうことをたまにやりたくなるのです。
・宇治川大橋からの景色
しばらく河川敷を歩いていくと宇治川大橋に差し掛かります。これは国道一号線、いわゆる京阪国道の一部として1966年につくられたところであり、ここを真っ直ぐ行くと久御山にたどり着き、更に道なりに進んでいくと枚方に抜けるのです。
・とりあえず対岸まで来てみた
そういう車ありきの道で歩きや自転車の人が通ることを大凡想定していないため、ここには信号がないのです。これは大きな誤算でした。仕方がなく向こう岸まで渡り、河川敷に降りて歩くことになったのですが、どうやら最短ルートは他にあったようです。
・同伴者から一言
河川敷の獣道を歩くこと数分、ようやく上に上がるルートを発見。この時点で僕は淀駅の対岸に当たる場所に居るのであり、先はまだまだ長い模様。しかしここで引き返すのもなんか嫌だったのでここは前進することを決断。旅はまだまだ続きます。
・これは久御山排水機場
ちなみにこの時点で僕が歩いている場所は久御山。そう、伏見から出てしまっているのです。もちろん初上陸の地。電車が通ってない場所なので、基本的に行くことのない場所です。そして目的の地である淀もまた未知の領域。果たして本当にたどり着くことは出来るのか...。
・転がり続けて歌うよ、旅路の歌を
ちなみに少し先には高速道路があります。けたたましい速度で走る車の横を悠々自適に歩いていく。人が定めた速度でなく自分が定めた速度で、自分が決めた場所に自分のやり方で向かう。少し時間はかかるかもしれませんが、僕はその方が好きなんですよ。それにその方が見えるものもたくさんあるような気がするんですよね。
・淀大橋からの眺望
更に歩き続けること十数分。ついに淀大橋に到達。この橋を渡ると伏見に戻ることができるのです。長い旅もこれでようやく終わりです。そして目指す先は淀城跡。場所はよく分かりませんが、まぁ競馬場の方に行ったら大丈夫でしょうw
・淀城跡に到着!
途中、パン屋さんに寄ったりしながら遂に淀城跡に到着。淀城は廃城となった伏見城の代替として江戸時代初期に築城された城で、築城当時の城主は松平定綱。その後、永井・石川・戸田・稲葉と城主は度々交代しましたが、共通するのは親藩・譜代といった幕府に近い人が藩主だったということでしょう。大阪城とともにここは西国に睨みを利かすための拠点という意味合いが強い場所だったようです。
・場所に歴史あり
また、この地は朝鮮通信使が東京へと向かう際の立ち寄り所としても重要な場所だったそうな。淀川を船で上ってきた一団は、丁度淀城のあたりで上陸。そしてここから陸路で京都を経由し、江戸へと向かったのですね。
・多分この木は城の歴史をずっと見つめてきたのだろう
淀城は今日では天守閣はおろか、城を想起させる建築物を1つも残していません。これは何故かというと、別段戦争で焼失したとかそういうことではないのです。江戸時代中期の1756年に天守閣を含む主要な建築物は落雷で焼失。幕府は再建用に費用の貸付もしていたのですが、天守閣や本丸御殿はそれっきり再建されることはなかったようなのです。
・城跡はこのように市民の憩いの場となっている
そして幕末、ここは皮肉なドラマの舞台となりました。戊辰戦争時、鳥羽・伏見の戦い(1868年)で破れた旧幕府軍はここに助けを求めて逃げ込んできたのですが、身内同然のはずの藩主、稲葉正邦はこれを拒否。結局旧幕府軍は大阪まで受難の敗走路を辿ることとなりました。(しかもその大阪では慶喜の敵前逃亡ですから踏んだり蹴ったりですよね。まぁ逆に言えばそれほどまでに朝廷に「賊軍」と見なされることのダメージは大きかったということなのでしょうけど...。)で、結局敢え無く廃城となった淀城ですが、その後昭和初期の巨椋池の干拓事業で本丸を含む城の大半が取り壊しに。更に京阪電鉄の貫通で城は完全に取り壊される運びとなったのですが、そこに至ってようやく城の保全運動が隆起。開発の手を免れた石垣や堀が残され、また公園等がつくられて今に至るのです。
・与杼(よど)神社
敷地内には神社が2つあります。1つは長く淀の城主を務めた稲葉氏を祀るもので、もう1つは与杼(淀)神社というところ。その起源は10世紀に遡るという大変長い歴史を持つ場所であり、ちなみに今の場所に移されたのは明治時代とのこと。11月には淀祭とも称されるお祭りが開催されるそうです。今月から来月くらいにかけては祭りが続きますね^^
・夕暮れ時の淀本町商店街
その後、駅前の商店街をふらついていると何やら人だかりが。店は翼虎(よくこ)という惣菜屋で、コロッケやハムカツなどを買い求める地元の人でごった返している様子。別段今日が安売りの日とかではなく、どうやらここはいつも大繁盛のようです。僕もここで少し買い物をしてきましたが、こういう店が近くにあるといいですよね。
・電車待ちついでにちょっと酒盛り
淀は競馬場で有名な場所。今日もおそらく競馬を楽しみに来たであろう人たちで駅の周りはいっぱいでした。僕はあまり賭け事が好きな方ではないのですが、颯爽と走る馬の姿を見てみたい気はしますね。まぁそれはまたの機会です。買ってきたお惣菜とコンビニで買ったビールで酒盛りをしていると、すぐに電車が。これで中書島へと戻ります。
・伏見には坂本龍馬ゆかりの場所も幾つか...
中書島駅は伏見のターミナルとも言うべき場所の1つであり、また宇治線と本線の交差する京阪電鉄の要衝でもあるため駅舎は比較的大きめの規模であり、こうした待合室なんかも設けられていたりします。(冷暖房完備なんで、皆さんも乗り継ぎの際には是非...)
・皆さんも是非、御香宮神幸祭へ!
で、中書島で降りたあとは大手筋商店街に立ち寄ることに。伏見桃山は今、「伏見祭」とも称される御香宮神幸祭の真っ只中なのです。ハイライトは来週なんですが、この通り商店街では舞いの奉納が行われていたりしました。踊りが終わると昔のビッキーズのごとく飴を撒いてくれます。僕も2つほど貰ってきました。明日はまた仕事なんですが、ちょっとリフレッシュも出来たので心機一転また頑張ろうと思います。それでは本日はこの辺で失礼します,ジベリ!
0 件のコメント:
コメントを投稿