2024年8月20日火曜日

我が酒場放浪記(4)

・不思議な不思議な池袋

この連載、個人的にはお気に入りなんですが、まだまだ浸透してませんな...。まぁ地道にやっていきますよ。YouTubeとの連携もまだまだですしね。今回は東京における我が本拠地のお話しです。


第4夜、池袋

袋は四捨五入すれば埼玉である。などと言われるくらいに池袋には埼玉県民が多いそうだ。たしかに池袋は埼玉方面へのゲートウェイであるし僕自身もかつはてはここから東武東上線で川越に向かっていたものだ。そんなこともあってか、僕にとって池袋は気が付いたら東京におけるホームタウンのようになっていた。

・この雑多さが池袋の魅力

加えて言うと池袋にはかつて僕の師とも言うべき御仁が住んでいた。豊田屋が行きつけになったのも、そもそもはその人の行きつけがその店だったことが大きく影響しているのだ。戦後間もない頃、池袋の北口にはバラック小屋が立ち並び、闇市として大いに賑わっていたという。未だにあの辺りは雑然としていてなかなかにカオスな空間なのだが何か影響しているのだろうか。尤も豊田屋の創業は1970年代なので別段その時代の雰囲気を今に遺すような場所とは呼べないのだが、それでもここに来ると昭和を感じるし、そして何故だか落ち着くのだ。

・焼き鳥という名の焼き豚

焼き鳥と言いながら豚が充実していたり、味付けが辛味噌だったりするのは朝鮮からの出稼ぎ労働者の影響らしい。前述の東武東上線の沿線にある東松山では今でも沢山の焼き鳥屋さん(勿論使われているのは豚肉)が軒を連ねているそうだ。

・見よ、このシブさ

今回の遠征では池袋の角打ちにもお邪魔した。キャッシュオンデリバリーでウイスキーを何杯か頂いた。今は深き山中に引きこもってしまったかつての我が師もここには来たことがあったのだろうか。また共に戦えるならそれが一番良いのだが、それよりもとりあえず一杯やりたいものだ。豊田屋でホッピーを飲み尽くしながらバカ話に耽るのも一興だ。

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ちなみに独立党は辞めたワケではないのです。ただ活動実態が無いので実質何も今は関わりがないというだけの話です。とりあえずは志士会だけでやれるだけやる他はありませんよ。そんなこんなですが今夜はこれにて失礼致します。ジベリ!

2024年8月15日木曜日

敗戦の日に寄せて2024

 

・今年も迎え火に行ってきたよ(8月8日)

皆さんお盆を如何お過ごしですか?僕はと言えば盆休みどころか絶賛連勤中であり等価交換とは何かという問いかけをしている最中なのですが今年もこの日がやってきました。「敗戦の日」です。終戦記念日とは絶対に呼びません。先週のは前置きであり談話はこちらになります。今年のテーマは一言で言うなれば「政治のあり方」です。今こそこれを確認する必要があると思うのです。

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「政治の在るべき姿」

政治の根本的な仕事とは、そもそも血を流す戦争をしないことである。血を流さない交渉をするのが政治なのだ。つまるところ血を流すことありきでやるのは政治ではない。いかにそれをしないで人命と国土を護るのが政治家の最低限の仕事である。

先の大戦で我が国は大敗を喫した。多くの人命が戦争で、それも飢餓で亡くなったのだ。いかなる美辞麗句を用いてもその事実に変わりはない。負け戦を美化しようだとか正当化しようという試みは無駄だ。そんな薄ら寒い感傷に浸っている暇があれば結果と真摯に向き合い、二度と繰り返さないようにするにはどうしたらいいかを突き詰めるべきではないか。

そしてもう1つ。我が国にしかできない仕事がある。世界の非核化をリードしていくことだ。抑止力という幻想を論拠に核武装を主張するなど以ての外である。結局のところ核武装は囚人のジレンマを招くのみであり、何も問題を解決しない。アメリカの言いなりでまともにイスラエルすら非難できないようではいけないのだ。世界の非核化、そして非戦。そのために日本は動かねばならないのではないか。そしてそうした決意を思い出す日として8.15を刻み続ける義務が我々にはある。


2024.8.15

志士会塾長 天王寺センイチ

2024年8月6日火曜日

追憶の8.15

 敗戦の日が今年もやって来る。世に言う終戦記念日である。何が記念日か。敗北の恥ずべき日だ。拭い去り難い恥辱である。にもかかわらず世間は終戦記念日と言う。まるで大して勉強もせず挑んだ試験で落第したのに「テストが終わった」とはしゃいで遊びに行くアホな学生そのものだ。

・さながら薩長史観のテーマパークである

靖国は賑わっていた。いつものことだし別に構わないのだか沿道にある洒落たカフェーのようなものがやはり許し難い。先の大戦では過半数が食うや食わずで死んでいった。それを知りながら店を出したのか。冒涜である。いわゆるネット右翼は何故怒らない?モロトフカクテルの一つでもお見舞いしたか?貴様らはクルド人にしかもネットの上でしか粋がれないのか。恥である。直ちに切腹せよ。

・相変わらず人のいない千鳥ヶ淵戦没者墓苑

腹立たしいのはそれだけではない。千鳥ヶ淵の無名戦士の墓に人影が見えないことだ。僕は一人今年も平伏し花を添えてきた。すれ違ったのは1人か2人か。何も賑わうような場所ではない。しかし目と鼻の先の靖国にはあれだけいた人がここには参らないことが何とも腹立たしいのだ。無名戦士こそ労うべきではないのか。しかも繰り返すがその過半数は餓死なのだ。そこに思いを馳せることが出来れば参道で呑気にカフェ飯なんぞ食える筈もないだろう。

・一人一人に人生があったし家族がいた。

戦死者とは須く国策の犠牲者である。特に先の大戦はそうだ。勝てる見込みのない戦争に乗り出して結果的に多くの人民を飢えさせ殺した。終わったから終わりではない。我々の手により検証する必要があるのだ。何故あのとき間違えたのかと。その議論をしてこそ初めて「戦後」
なのだ。