2024年8月6日火曜日

追憶の8.15

 敗戦の日が今年もやって来る。世に言う終戦記念日である。何が記念日か。敗北の恥ずべき日だ。拭い去り難い恥辱である。にもかかわらず世間は終戦記念日と言う。まるで大して勉強もせず挑んだ試験で落第したのに「テストが終わった」とはしゃいで遊びに行くアホな学生そのものだ。

・さながら薩長史観のテーマパークである

靖国は賑わっていた。いつものことだし別に構わないのだか沿道にある洒落たカフェーのようなものがやはり許し難い。先の大戦では過半数が食うや食わずで死んでいった。それを知りながら店を出したのか。冒涜である。いわゆるネット右翼は何故怒らない?モロトフカクテルの一つでもお見舞いしたか?貴様らはクルド人にしかもネットの上でしか粋がれないのか。恥である。直ちに切腹せよ。

・相変わらず人のいない千鳥ヶ淵戦没者墓苑

腹立たしいのはそれだけではない。千鳥ヶ淵の無名戦士の墓に人影が見えないことだ。僕は一人今年も平伏し花を添えてきた。すれ違ったのは1人か2人か。何も賑わうような場所ではない。しかし目と鼻の先の靖国にはあれだけいた人がここには参らないことが何とも腹立たしいのだ。無名戦士こそ労うべきではないのか。しかも繰り返すがその過半数は餓死なのだ。そこに思いを馳せることが出来れば参道で呑気にカフェ飯なんぞ食える筈もないだろう。

・一人一人に人生があったし家族がいた。

戦死者とは須く国策の犠牲者である。特に先の大戦はそうだ。勝てる見込みのない戦争に乗り出して結果的に多くの人民を飢えさせ殺した。終わったから終わりではない。我々の手により検証する必要があるのだ。何故あのとき間違えたのかと。その議論をしてこそ初めて「戦後」
なのだ。


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