2012年9月27日木曜日

俺の知ってる足湯と違う

・旧出雲駅には蒸気機関車が展示されている

・玉造湯神社

ということで今日はもともと一つの記事にまとめる予定だったのに予想以上の長編になってしまったために前編と後編に分けることになってしまった先週18日の出雲旅行の話しの続きを書いていきたいと思います。

・大梶は旧大社駅の目と鼻の先にある

まず最初はお昼ご飯を食べた出雲そばのお店、大梶。あまり知られていることではないのですが、出雲の蕎麦は岩手盛岡のわんこそば、長野の戸隠そばとともに「日本三大そば」の一つに数えられるくらい有名なんですよ。その特色は色がやや黒いことと香りが高いことで、だし汁を直接そばに掛けて食べる...という食べ方にもその特長があります。

・名物の三色割子そばは一人前800円也

あと写真を見て気になった人もいると思うのですが、出雲そばは通例この三段重ねで一人前なのです。僕は写真にある三色割子そばというのを食べました。いろいろな薬味の味が楽しめるので個人的にはお薦めのメニューです。因みに付属の蕎麦湯ですが、これはだし汁とブレンドさせて飲むのがその楽しみ方だそうです。だし汁自体がちょっと甘口なんで結構蕎麦湯と合うんですよ。食事のシメに是非飲んで帰って貰いたいです。

・出雲大社を模したとされる旧大社駅の外観

食事のあとは大梶の真向かいにある旧大社駅へ...。この神社を彷彿とさせる建物がその駅舎なのですが現役のものではなく、この駅舎は現在では観光スポットとして活用されているのです。

・駅舎の天井にはシャンデリアが備え付けられている

駅舎が作られたのは1912年。つまり丁度100年前なのです。その後出雲大社から程近い当駅は出雲の玄関口として大いに賑わったそうなのですが、1990年の大社線の廃線とともに駅は廃業。その後は旧駅舎として観光スポット化されることとなりました。

・旧大社駅のホーム(中央奥に出雲大社の鳥居が見える)

歴史ある建物ということで2004年には重要文化財の指定を受けており、加えて2009年には近代化遺産にも指定されている当駅舎ですが、駅構内は勿論、ホームや線路などもそのまま残されています。また冒頭の写真にあったD-51蒸気機関車も展示されていて記念写真を撮るには絶好のスポットとなっています。

・まがたま橋

次の目的地は出雲から車でおよそ30~40分走ったところにある玉造温泉というところ。山陰有数の温泉地であり、道後温泉にもゆかりのある少彦名命(すこなびこなのみこと)が発見したとされる歴史ある場所で、奈良時代に編纂された「出雲国風土記」にもその記載があるそうです。そのような経緯もあり、古くから「神の湯」とされてきたここ玉造温泉ですが、その名の由来はここの周辺で青瑪瑙(めのう)が採掘され、現地の人々が勾玉づくりを生業としていたことであるとされています。写真の勾玉をモチーフにした橋はその名残ということでしょう。(近くに勾玉作りが体験できる場所もあるそうな...)

・玉造温泉の足湯は無駄に熱い

道後温泉などと同様に、ここの温泉街にも足湯があります。温泉街の真ん中を流れる小川のほとりにあり、ちょっとした石垣を隔てたところに川の水が流れているような感じのところなのですが、ここの足湯、とにかく熱いんです。一応熱めとぬるめの2つがあるんですけど、そのぬるいはずのところですらとにかく熱いんですw

・フルージュなるミックスジュースは3種類あってそれぞれ300円(Sサイズ)

まぁそういうことなので、入るときはちょっと注意したほうがいいと思います。(僕はあまりもの熱さに川に入ることになりました^^;)まぁその熱い足湯に入ったあと、温泉街の店を見ているとべジフルージュという名前のジューススタンドがあったので立ち寄ってみることに。ここは野菜ソムリエがやっているそうで、野菜を使ったミックスジュースを看板メニューにしています。僕が頼んだのはバナナベースのやつだったんですけどあっさりしていて飲みやすかったです。これを飲みながら先程の足湯に浸かるのが正解なのかもしれませんw

・温泉街からは少し離れた場所にある玉造国際ホテル

本来は玉造温泉唯一の温浴施設である「ゆ~ゆ」という場所に行く予定だったのですが、どうやら休館日だったらしいので外湯をやっているホテルを幾つか探し、その結果行き着いたのがここ玉造国際ホテルだったということになります。

・玉造国際ホテルの湯船からは宍道湖を見渡せる(写真はホテルのロビーより撮影)

上記のとおり国際ホテルは温泉街からは少し離れた場所にあるのですが、ここの最大の長所は恐らく宍道(しんじ)湖を一望できるということでしょう。シャンプーや石鹸、あとタオルなどは備え付けであるのですが、温泉そのものは大浴場が一つあるのみで少し寂しい感じもしなくはないです。(とはいえ日帰り入浴であれば300円で入れてしまうので、あまり文句も言えないのですがw)

・お好み焼き&作者

温泉を出たあと、また下道をひたすら2~3時間走ってうちの弟の下宿先である東広島を目指します。折角広島に来たということで、夕食はお好み焼きを食べました。弟の下宿している場所の近く(といっても徒歩だと結構歩くことになる)にある(しおり)というお店です。広島風お好み焼きは好き嫌い分かれるみたいなんですけど、僕は結構好きなんですよ。

・島根県観光キャラクターの「しまねっこ」

もともと弟を送っていくのが目的ということもあって日帰りに短い旅でしたが、なんか久々に家族旅行できて楽しかったです。あとやっぱり出雲に行けたのはよかったなと。来年の式年遷宮に向けて島根は今盛り上がっているようですので、皆さんもよかったら足を運んでみては如何でしょうか?僕もまだ見てないものが沢山あるので、また数年のうち(できれば来年...)に再び出雲を訪れたいと思っているところです。そんなところですが、今日はこの辺で失礼します,ジベリ!

2012年9月25日火曜日

八百万の神が集まりて何かする

・出雲大社の鳥居前にて

バタバタしていて少し時間が空きましたが、今日は1週間前の出雲旅行について書きたいと思います。たった一日の日帰り旅行でしたが初の島根訪問、初の山陰地方、初の日本海...と色々と新鮮な経験の出来た旅となりました。例によって今回も写真満載でお送りします!

・日御碕神社は古代よりあるという隠れた名所

今回は久々のオトンの車での旅行だったのですが、松山を出たのは午前2時頃。そこから今治経由でしまなみ海道を経て尾道へと向かい、そこから島根まではというと高速道路が通っていないので下道をひたすら走ることになります。途中ドライブインで休憩したりしながら、出雲に到着したのは朝8時頃。最初の目的地は日御碕(ひのみさき)神社というところ。

・境内はこんな感じ

名前こそ聞きなれないところですが、実は由緒ある神社なんです。日御碕神社は素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祀った神の宮と天照大御神を祀った日沈みの宮という2つの本社からなる神社でその歴史は古く、特に日沈みの宮は元々欠史八代(2代目の綏靖天皇~第9代の開化天皇までの8人の天皇の総称ないしその時代の名称。古事記や日本書紀に名前はあるものの事績が記されていないことから予てより非実在説と実在説の論争が絶えない。)の一人である安寧天皇の時代に造られたとされています。つまり、紀元前の6世紀よりここにあったことになるのです。

・神の宮はちょっとした崖の上にある

まぁ尤も今あるものは江戸時代、徳川家光の下で再建されたもので、その建築様式は「権現造」と呼ばれるものとなっています。他の権現造の代表的な建築物としては久能山や日光の東照宮や京都の北野天満宮なんかが挙げられるワケですが、成程言われてみれば構造や色彩が似ているなといったところです。

・日御碕燈台は日本一の高さを誇る石造の灯台である

そして次の目的地は、先程の神社から車で7~8分走ったところにある日御碕燈台というところ。日本会を間近にした断崖沿いに佇んでいるこの灯台は1903年に造られたものであり、実に109年もの間、ここで明かりを灯しているのであります。建築当時より日本最大の灯台だったのですが1世紀以上が経過した今でもそれに変わりはありません。この白い巨塔はいつまでも荒ぶる日本海を見守り続けているのでしょう...。

・灯台上部の展望台からの眺望

この灯台には入場料200円を払えば登ることができるようになっています。灯台の上部は展望台になっていて、そこからはこのような絶景を楽しむことができます。荒涼な日本海を見渡すにはここは絶好のスポットなのです。日本海=演歌みたいなイメージがあったりするんですけど成程ここでサザンやチューブは生まれないワケです。そりゃ演歌の1~2曲作りたくもなりますよ。(←それ褒めてんのかけなしてんのか分からんぞw)

・内部はこんな感じになってます。(※エレベーターなし)

灯台の中はご覧のような螺旋階段が延々と上まで続いているワケですが、驚くなかれここにはエレベーターというものがありません。ひたすらこの螺旋階段を上り下りしなくてはならないのです。(しかも土足厳禁なので、靴下で延々と階段を登ることになります。因みに階段は163段あるそうな...。)


・出雲大社境内には神話を見チーフにしたモニュメントが並ぶ

さて、いよいよこの旅最大の目的地である出雲大社の登場です。因みにこれはというと大国主命が大物主から和魂(にぎたま)である幸魂(さちみたま)と奇魂(くしみたま)を授かっているところなのだそうな...。大国主命はこれを授かって祀ることで国造りを成功させたと伝えられています。ではその祀った場所というのが出雲なのかというとそうではありません。その場所というのは奈の三輪山なのだそうです。

・こちらは因幡の白兎と大国主命のモニュメント

では出雲大社とは何なのかというと、その大国主命が天高原から国譲りを行う際にその代償として天津神(あまのつかみ)のために造営した宮殿だったのです。古代より杵築(きづき)大社と呼ばれていましたが、1871年に出雲大社と改称します。近代社格制度において唯一「大社」を名乗ることを許される神社となったのですが、それはここが日本神話において極めて重要視される場所だったことの所以と言えるでしょう。(因みに今では御祭神は大国主命とされています。)

・境内はこんな感じです(拝殿前)

出雲を実際に訪れてみると分かると思うのですが、なんか京都と同様に不思議な磁力を感じる場所なんです。田舎に帰った時とは別の次元の‘懐かしさ’を感じる場所なんです。恐らくこういう場所が京都と出雲以外にもう一つあるとしたらそれは伊勢でしょうか?とにかく歴史的な重みに加えてそういう空気を感じる場所なんです。

・国旗掲揚台(本来はここに巨大な日の丸が翻っている)

あと出雲大社を参拝するときに気を付けてもらいたいのは、通常の神社と拝礼の作法が少し異なるコト。普通は二拝二拍手一拝なのですが、ここは二拝四拍手一拝なのです。なぜそうなのかは諸説あるのですが、そもそも神社が二拍手に統一されたのは明治維新以降の話であり、それまでは比較的作法もバラバラだったそうです。余談ですが、四拍手の拝礼作法を取っている神社はここの他にも大分の宇佐八幡宮などが挙げられます。(細評はこちらを参照)

・神楽殿の注連縄(しめなわ)は5tもの重さがあるという

それから出雲大社といえばこの大注連縄ですが、ここに賽銭を投げて見事刺されば願いが叶う...という話しをたまに聞きます。しかしこれは全くの俗信であり、何か神話的な裏付けのあるものでは一切ないので間違ってもやらないようにお願いします。(そもそも迷惑極まりないですし、注連縄を損傷しかねない罰当たりな行為に他ならないのでw)

・本殿の東西にある十九社は神様の宿のようなもの(写真は西十九社)

今でこそ山陰とか出雲というと地理的に辺鄙な場所(実際に高速道路も途切れてるし...)というイメージが強いのですが、ここがこれだけ栄えたのは勿論この地がどこか神聖な場所だから...というだけの理由ではありません。前にも言ったようにここは中国や朝鮮との交易の要衝だったのです。ご存知の方も多いと思うのですが、島根県には神無月というものがありません。島根にとって10月は神在月なのです。「八百万の神」とも称される神々の皆さんはここ出雲大社に集まるのです。上の写真の神様の宿舎なる建物は境内の東西に一つずつあるのですが、出雲より西の神様は西側の宿舎に、出雲より東の神様は東側の宿舎にそれぞれ滞在するそうです。

・四の鳥居こと銅鳥居は萩の二代目藩主である毛利綱広に寄進された

しかし神々の皆さんは一体何のために集まるのでしょう?それを知らない人は結構たくさんいるんですが実は知ってしまうと何のことはないのです。はい、縁結びの相談をするのです。「他にやることはないのかw」と思う方も多いと思うのですが、そもそも一重に縁結びとは言ってもそれは何も男女のことだけではありません。広義に人との出会いすべてを‘縁’ということもできるワケで、それを相談しているとなると一層大切なことではないですか。

・稲佐の浜の目と鼻の先にある弁天島

かの「古事記」において出雲神話は全体の3分の1を占めているのですが、そのため出雲にはあちこちに神話の舞台になったところがあります。ここ稲佐の浜もそのひとつです。ここは先述したいわゆる「国譲り神話」の舞台であるとされており、この地で大国主命と武甕槌神(たけみかづちのかみ)が国譲りの交渉をしたと伝えられています。写真の弁天島は神仏習合の時代は弁財天を祀るところとされており、その名残から今でも地元民からこの島は「弁天さん」の名で親しまれているそうです。因みに今は神武天皇の祖母とされる豊玉姫を祀るところとされています。

・稲佐の浜をバックに久々の作者登場(ってメガネだけかーいw!)

まだ昼食の蕎麦屋にも入ってないのですが、ここまででかなりの分量になってしまったので、ひとまず今日はこの辺でお暇します。次回は先述の出雲そばから始まって夕食を食べた東広島のお好み焼き屋で終わり...ということになるものかと思われます。それでは本日はこの辺で失礼します,ジベリ!

2012年9月20日木曜日

またまたバスの旅

・京都に帰ってきました!

今日の昼行便のバスでまた京都へと戻ってきました。松山を出たのが11時で、京都駅に着いたのがだいたい19時半頃だったので7時間半の旅となりました。とはいえ明るい時間のバスの旅は夜行ほど退屈でなく、鬱蒼とした気分にもならないで済むので少々日程に無理があっても昼行便で帰りたいと思ってしまうのであります。

・瀬戸内海と青い空

しかも最近はルート変更したらしく、親切にも僕が個人的に思い入れのある海辺のルートを走ってくれるんで余計にねw 昼間に帰りたくなるワケです。なんか昔からこの道が好きなんですよね、僕は。(それにまた京都に帰ったらしばらくは海も見えないワケで余計に海って見ておきたくなるんですよw)

・バスは海辺のルートを走ってゆく...

また例によって僕は窓の外にカメラを向けてはこうして写真を撮っていたのですが、あとは特に本も手元に持ってなかったのでついでに色々と考え事をしたりもしていました。(そしてtwitterを通してまちづくりに関する意見や原発論を論じてみたりしていたワケでありますw)

・工場萌えって何か分かるわw

北条から海辺のルートを経て今治へと向かうのですが、そうすると菊間町のあたりに太陽石油の大きな工場があるんですね。世間では「工場萌え」なんて言葉もあるようですが、僕自身それって理解できない世界じゃないなとここを通る度に思います。なんか惹かれるものありますよね、工場とかあと廃墟とかって...。

・石鎚山SAでカフェラテを...

今治駅でそこから乗車する乗客を乗せたあとは高速道路に入り、30分ほど走ったところで一度目の休憩で石鎚SAに立ち寄ります。パンやおにぎりなど昼食は松山を出る前に買っていたのでここでは買ってませんが、ちょっとコーヒーが飲みたかったのでまたコーヒールンバの自販機で今回はカフェラテを買いました。

・吉野川付近を走るバス

・松山の太陽市というところで買った茄子味噌おにぎり(240円)

持参していたお昼御飯を食べたりコーヒーを飲んだりしながらぼんやりとしているうちにバスは徳島へと入っていました。途中サービスエリアで10分ほどの休憩を挟んでバスは山中の道を延々と走っていくのですが、ここの時間は心なしか長めに感じます。(まぁ実際結構時間掛かるんですけどねw)

・バスは鳴門に差し掛かる(四国とはもうすぐお別れです...)

そしてバスは大鳴門橋へと入っていきます。鳴門といえば渦潮が有名ですが、運がよければバスからでも見えなくはないです。まぁ鳴門自体結構いいところなんでもしよかったら立ち寄ってみても楽しいことかと思います。観光というと渦潮関連のものが大方なんですけど良好な漁場でもあるこの辺りは港町の例に漏れず海産物が美味しいところでもあるので是非食事も楽しんで貰いたいところです。

・バスの車窓から撮った淡路島

橋を経てバスは淡路島へと入っていくワケですが、この淡路島という島は意外と広いんですよ。(実際高速道路を通ってもここをでるのにいつも1時間~1時間半くらい掛かってますから...。)淡路島自体には数える程しか来たことがなく、何があるのかも大して知らないのですが、明石海峡大橋の見える温泉があったのだけは何となく覚えています。

・大阪に着く頃には日も暮れて...

室津のサービスエリアでの休憩を最後にバスはノンストップで京都を目指すのですが、大阪に着いた頃にはもうご覧の通り真っ暗になってました。それから1時間ほど後の19時半前にバスは京都に到着。20時に家に到着し、京都駅で買ってきた551の肉まんを食べてから今はこうしてブログを書いている次第です。別段何があるでもないのですが、ちょっと疲れ気味なので今日はもう寝たいと思います。それでは皆さんおやすみなさい,ジベリ!

2012年9月19日水曜日

道後ビール

・道後ビール(道後麦酒館にて。全4種でそれぞれ1杯470円也)

明日の昼行便でまた京都に帰るということで今日はまた例によって毎回恒例の道後温泉に行ってきたのでありました。京都で暮らすようになって以来、ほぼ毎回帰省するたびに僕はこうして道後温泉を訪れているのですが、まぁ好きなんですよね。温泉は勿論ですけどあの辺の町並みとかも含めて...。

・ストラトブール美術館展は来月下旬まで

今日はその前にもう一つ立ち寄ったところがありました。堀之内にある愛媛県立美術館です。開催中のストラトブール美術館展を鑑賞するためです。こっちに帰ってからテレビを見てると偶然この展示会のCMがやってたんですよね。このブログを読んでる方は分かると思うんですが僕は洋画とか好きなんでこれは是非と思い足を運んだのでした。

・県立美術館の外装はこんな感じ

そんなに数があるワケではないのですが、比較的ゆっくりと見ていたこともあって美術館を出る頃には1時間くらい時間が過ぎていました。ポストカードをまた例によって数枚買って帰ったのですが、僕が一番気に入っていたマルセル・カーンという画家の作品はポストカードになっていなかったのでそれがちょっと残念でした。

・松山城(城山公園のやすらぎ広場から撮影)

美術館のある堀之内というのはその名前からもわかるように、ここは松山城のお堀に囲まれるようにしてあるのです。公園内には美術館以外にも市民会館という大きめのホールや県立の図書館、それにNHKのテレビ局なんかも敷地内にあります。昔は市民プールとか市民球場もここにあったのですが、老朽化により取り壊され、それらは今は一坪の中央公園に移されています。(いわゆる「坊ちゃんスタジアム」が丁度その市民球場の代役を務めているワケです。)

・道後に到着!

・夕暮れ時の道後駅周辺(足湯より撮影)

それから道後へと移動し、少しまた街を散策。久々に足湯にも入ってみました。実は昨日の出雲旅行のときも玉造温泉っていう温泉街に立ち寄ったんですけどそこにも足湯があったんですよね。また写真などは後ほど載せますけどお湯がメッチャ暑かったんですよw ここのは丁度いい湯加減なんで個人的に気に入ってるんですよ。からくり時計(写真右側)も近くにあって場所的にもいいところなんですよね。

 
・道後温泉本館

3月の帰省の時に「椿の湯」を訪れたので今回は本館の方に入浴してきました。入浴のみの場合は400円で入れますが、観光で訪れた際には是非ともお2階の座敷にも上がってもらいたいですね。僕は一度しか行ったことはないんですけどいいところなんで...。特にこの季節の夕涼みの時間帯に来ると心地良いですよ^^

・太刀魚巻き(550円)

湯浴みのあとは勿論ビールです。本館のすぐ脇のところに道後麦酒館っていうのがあって、僕は大体いつも湯上りにはそこで1杯飲んでから帰ってます。いつもは1杯&1品くらいなんですけど、なんか今日はもう少し飲みたかったのでもう一杯だけ呑んできちゃいましたw

・2杯目は日本酒を頂きました(それとピリ辛こんにゃく)

2杯目に飲んだのは「一浴一杯」という愛媛の蔵元で造られている日本酒です。(500円也)因みにこのお酒の名前は松山にも滞在していたことのあるという俳人、種田山頭火のエピソードに由来しているのだとか...。キリッとしてて美味しいお酒です。あと付け合せに頼んだピリ辛こんにゃくも密かにオススメです。(370円なんで是非食べてみてくださいw)

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明日のこの時間にはもう京都にいると考えると不思議な感じがしなくもないんですが、まぁそれは毎度のことといえば毎度のことなワケで...。とかく今日は準備もあるのでこの辺で失礼します。帰ったら早々2学期スタートということですが論文に就活に攘夷運動に、また真剣に取り組んでいきたいところであります。それでは今日はこれにて失礼します、ジベリ!

東条英機と日米開戦

こないだ言ったように先日は山陰の方に出掛けていたのですが、とりあえずその話は置いといて連載を再開したいと思います。後編第一弾は東條英機と日米開戦ということで、まずは日米開戦前夜の日本及びアメリカについて2回くらいに分けて言及していきたいと思います。突然ですが問題です。次の5つのうち、正しいものが一つだけあります。どれでしょうか?

①東京裁判においてA級戦犯とされた人物は全員、当初より日米開戦に肯定的だった。
②東條英機は日米開戦阻止を目的として内閣総理大臣に就任した。
③アメリカはニューディール政策によって恐慌から立ち直った。
④日独伊三国同盟の方針は政府の満場一致で決められた。
⑤F・ローズヴェルトは欧州戦線に参戦することを公約に掲げて大統領選を制した。

正解は...今日の記事の中で発表します。(こらそこ、「えー」とか言わないw)え?本当に正解は一つしかないのかって?ありませんよ、真実は1つのみです。逆に言えば、残りの4つは真っ赤な嘘なのです。「一体どういうことなんだってばよ!?」とお思いの方も居ると思いますが、まぁそう焦らず記事をお読み下さい。
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1、日米開戦前夜
結論から言えばごく一部の閣僚を除けば多くの人が日米開戦阻止のために動いていました。更に言えばその布石となる日独伊三国同盟の締結にも反対している人物は少なくありませんでした。当時外交官であり、その後外相となり敗戦国全権として戦艦ミズーリに赴いた重光葵(まもる)もその一人です。(因みに彼もA級戦犯として巣鴨プリズンに投獄されていました。)政府が同盟締結に向けて動く中、当時イギリスに赴任していた彼はナチスの進行に対して徹底抗戦するイギリスの様子やアメリカの動向などを鑑みてイギリスの勝利を予見。「日本は欧州戦線に介入してはならない」と再三再四打電したと言います。しかし結局聞き入れられることはなく、独ソと連携してアメリカに対抗しようという松岡洋右外相の主導により日独伊三国同盟が結ばれます。

2、恐慌とアメリカ
さて、ではアメリカはどのような状況だったのでしょうか?1929年のいわゆる世界恐慌がアメリカのウォール街での突然の株価暴落に端を発している...というのは有名な話しなのですが、その大不況からどのようにして立ち直ったのか?ということについては正しく理解されていません。恐らく多くの人はいわゆる「ニューディール(新規巻き直し)政策」によって景気回復を成功させたと思っているのではないでしょうか?しかしそれは正しくありません。景気回復という面にのみ着目して言えばこの政策は殆ど功を奏することはなかったのです。そして追い討ちをかけるように37年にアメリカは再び恐慌に襲われます。(37年恐慌)

内需拡大の見込みは少なく、更に欧州では戦火が拡大し、大量消費される工業製品も買ってくれる見込みはありません。しかし、あるものに限っては需要がありました。そうです武器です。とはいえ当時のアメリカは交戦中の国家に対して武器を売ることはできませんでした。「中立法」の存在です。第一次大戦への参戦を「無益だった」と考えたアメリカ政府は1934年に委員会を発足させ、何が原因で欧州戦線に参戦せざるを得なくなったのかを究明しようと試みました。(委員長の名前から「ナイ委員会」と呼ばれる。)その結論として「軍需産業や資本家が利益を狙って武器などを輸出した」ことがあるというものが導き出されます。そして翌年に最初の中立法が制定されます。ここで禁止されたのは武器弾薬の輸出のみでしたが、翌年の改正では交戦国へのローンも禁止され、更に翌年の改正では石油などの戦争基準資源の輸出をも禁止されることとなります。また国民世論としても欧州戦線への参戦は殆ど支持を得られていませんでした。事実F・ローヴェルトは1940年の大統領選で公約の一つに「子どもたちを戦場に送らない(欧州戦線に加勢しない)ことを掲げて当選しているのです。(因みに同国史上初の大統領三選だった)

とはいえ彼の内外政策は3選を迎えるより以前からヨーロッパにおける戦争への参加を狙うものとなっていました。勿論軍需生産による景気回復を目論んでのことです。選挙前の39年には中立法を改正し禁輸条件を緩和し、更に当選から間もない1940年末には参戦の可能性を慎重に否定しながらもヨーロッパにおける戦いがアメリカの安全と不可分であることを訴える演説を展開(いわゆる「民主主義の偉大な兵器廠演説」)します。アメリカが参戦することの大義名分を訴えるのが目的でした。

そして翌年の末に真珠湾が奇襲されると「リメンバー・パールハーバー」を旗印にいよいよ大戦に参加していくことになるのですが、それ以前からルーズヴェルトは戦争に参加する手筈だったのです。のちに元大統領のフーヴァは彼を「対ドイツ参戦の口実として日本を対米戦争に引き込んだ狂気の男」と揶揄しています。未だに「陰謀論」が論じられることの多い真珠湾での一件ですが、日本の行動を察知しながらも動かなかったのは事実のようです。そもそも戦争における「奇襲」は前例の無い非道なものだったのでしょうか?実はそうでもないのです。独ソ戦のときのドイツもそうですし、もっと言えば当のアメリカとて1916年の対ドミニカ戦争では奇襲の末に占領しているのです。確かにハーグ陸戦協定には宣戦布告条項がありますが、あまり重要なものとは思われていなかったです。事実イギリスも「奇襲」によって日本にマレー半島を攻略されていますが、イギリスは取り立ててそのことを問題視しませんでした。ではなぜアメリカがそれを極度に問題視したのかというと、世論誘導のためなんです。「日本は非道な国だ」というイメージを持たせて開戦へと輿論を向かわせるための策略の一種だったのです。(だいたいハーグ陸戦協定を破ることに定評のあるアメリカがこれを騒いでいる時点で笑止千万といったところですが^^;)

3、日本の世論
政府レベルでは日米開戦について比較的慎重派が多かったのは先述したとおりでしたが、日米を取り巻く当時の日本の国内世論はどうだったのでしょうか?実は日米開戦は多くの国民に望まれたものだったのです。勿論それはメディアによる洗脳の所以ではありましたが、とかく多くの国民の総意としてはそのような傾向にあったのです。では日米開戦当時の首相である東條英機は日米開戦論者だったのでしょうか?実は違うのです。前にも言ったように東條は陸軍大将の出身であり統制派と呼ばれるグループに属している人間でした。陸軍は大陸での戦線拡大にこそ比較的積極的でしたが、日米開戦に関しては寧ろ海軍の意向が強く働いているのです。(海軍善玉・陸軍悪玉という構図が必ずしも正しくなことこはここからも明白)

東条英機は元より政治に興味が無く、取り立てて自らの思想も持たない典型的な事務官僚という性格が良くも悪くも強い人物でした。恐らく本人は元より、周囲の誰もが彼が首相になるとは思いもしなかったことでしょう。東條英機が政治に初めて関わったのは陸相となった1940年のことでした。その1年後内閣を投げ出した近衛文麿の後釜として彼は首相に任命されることとなるのですが、天皇陛下からの詔勅は「日米開戦の阻止」であり、東条英機内閣は日米の緊張関係修復を目的としてスタートします。東條英機は貧乏くじを引かされていたと言っても過言ではありませんでした。たしかに軍部に対して東條は一定の発言力を持っていましたが、それでも高まる開戦論を押さえ込むほどの力があったとは考え難いですし、だいたい先述の通り世論は日米開戦ありきで動いていたのです。事実なかなか開戦に踏み切らない東條内閣を口汚く批判する風潮も少なからずありました。そこに「ハル・ノート」の登場です。日本を中国およびインドシナから全面撤退させる一方、日本の求めていた経済封鎖の解除については明言していない不当極まりこの通達を受けた日本政府は苦渋の決断で「開戦」へと踏み切ります。勿論ハルノートが最後通牒ではないという見方も出来ますが、恐らくたとえこれを日本が受け入れたとしてもアメリカは何か次の手筈を踏んできたでしょう。だって日本を戦争に仕向けることが目的だったのですから。

―参考文献―
・フーヴァ元大統領が批判:「ルーズヴェルトは狂気の男」(産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/111207/amr11120722410009-n1.htm
・いわゆる「A級戦犯」(小林よしのり)
・国家の品格(藤原正彦)

ということで冒頭のクイズの答え、実は②が正解だったんですね。長くなりましたがとりあえず今回のところはこれまでということにします。今日は午後から美術館&温泉に行ってくる予定なので、この辺でとりあえずお暇します。

2012年9月17日月曜日

アットホームな店ほど最初は入り辛かったりする

今日は3~4ヶ月の間、電池切れで使えなくなっていた腕時計の電池を交換して貰いに松山市駅前の「ウエタ」という今時珍しい個人経営の小さな時計店に行ってきました。ああいうところって結構入り辛いことが多いんですけど実際入ってみるとアットホームなところだったりするんですよね。電池は900円で入れ替えて貰えて、ついでにちょっとした手入れもして貰えたので行ってみてよかったなというところですw

・時計台のアイスカプチーノ(570円)

その後はまた時計台に行ってました。松山に帰ると殆ど確実に来るところの一つがここなのですが、まぁお気に入りの場所なんです。相変わらずモーニングメニュー終日サービスは復活していませんでしたが、今日はアイスカプチーノを飲んできました。(因みにストローの横に見える棒のようなものはスティックタイプのシナモンです。)本を読んだり作詞の続きをしたりと小一時間ほどゆったり過ごしてから店を後にしました。

・松山駅(台風も無事過ぎ去ったようで...)

そして明日はというと家族で出雲の方に行ってきます。弟を下宿先の広島に送っていくついでということだそうです。僕以外は去年にも出雲を訪れているのですが、僕はまだ行ったことないんですよね。初めて見る日本海とか「第出雲展」が記憶に新しい出雲大社など、楽しみなものはいろいろあるのですが準備など手伝わなくてはいけないこともあるので今日はこの辺で失礼します、ジベリ!

2012年9月16日日曜日

有馬旅行記番外編(というか映画レビュー)

・にしむら珈琲店は由緒正しき喫茶店である

なんか大分空いちゃったんですけど旅行記の続きです。でもタイトルにもあるように、この記事は殆ど2日目に観た映画のレビューになります。というのも20~21日と神戸に居たものの1日目はほとんどの時間をカラオケで過ごし、2日目は映画を観たあと京都へと撤退しちゃった感じなんでとりわけて旅行記になりそうなものが無いんですよね(^^;

・中華料理屋...ではなくこれ実はジャンカラの廊下なんですw

まぁそういうことなんで今日は映画のレビューとプラスアルファで神戸のカフェの話をしていく感じになります。いやでもこのジャンカラ凄いでしょ?カラオケ屋の廊下で写真撮るのもおかしな話なんですが、もうこれは絶対ネタになると思ったので撮ってきちゃったんですよ。皆さんも神戸でカラオケに行くことになった際は是非このジャンカラのサンキタ通り店に立ち寄ってみるといいと思いますw


・にしむら珈琲店のケーキセットは900円から

それからこれは冒頭の写真の「にしむら珈琲店」で食べたケーキセット。僕はオレンジのタルトを、彼女の方はクグロフというドイツの焼き菓子的なのを食べました。流石神戸といった感じでケーキもコーヒーも美味しかったです。店の雰囲気も良くてついつい長居してしまいます。三宮駅からも近く、異人館のあるエリアに隣接しているので是非観光に訪れた際には立ち寄ってもらいたいところです。

--------ここから下は映画レビューになります---------------

・今回の作品は新シリーズのバッドマン三部作の完結編となる

ということでここからは8月21日に観に行った映画「ダークナイトライジング」のレビューをお送りしたいと思います。クリストファー・ノーラン監督による「バッドマン・ビギンズ」、「ダークナイト」に続くシリアスバッドマンシリーズの第三作であり完結編が今作ということになるのですが、一言で言うと本当に凄い映画でした。前作に負けず劣らずの作品であり、三部作の有終の美を飾るにふさわしいものだったと思います。あまり話してしまうとネタバレになっちゃうんですけど、とにかく終盤のどんでん返しに唖然とします。ただストーリーの展開に飲み込まれる一方、悪役に関して言えば勿体無いなというのが率直な感想だったりします。ベイン(ポスターの右端)は充分魅力的な悪役なんです。だからこそ最後まで‘完全な悪役’を貫いて欲しかったワケですよ。だから悪役に関してだけ言うとどうしても前作のジョーカーには一歩劣ってしまうかな?というのが僕の感想です。悪役が悪役然としていてこそ、ヒーローが際立つというものだと僕は思うんですよ。だからいわゆる‘名作’と呼ばれるものにはそれぞれ魅力的な悪役が登場するではないですか?ということで下のコーナーに移ります。

~作者の独断による名悪役ランキングBest8~
ハリーポッターのキーパーソンでもあるスネイプ

第8位:ビフ・タネン
(バックトゥーザフューチャー)
いわゆるジャイアンタイプの悪役。自身は勿論、孫から先祖に至るまでワルでありとことんバカという限りなく救いようのない遺伝子を継承している人物でもあります。ただバックトゥーザフューチャーという作品にスピード感を出しているのは紛れもなく彼の存在です。バカも使い用というのはあながち間違いではないことを教えてくれる存在です。

第7位:伊東鴨太郎(銀魂)
「真選組動乱篇」に登場。自らの度量を世に示すため、鬼兵隊と内通して真選組をのっとろうと画策します。しかし鬼兵隊に‘利用’されていただけだった彼は戦闘の中で深手を負います。裏切られてもなお部下ではなく一人の友として手を差し伸べる近藤勲や真選組の面々を見て、自分の本当に欲しかったもの(仲間や自分の居場所)がそこにあったのだということを悟ります。新選組に看取られて最後は謀反者ではなく一人の仲間として死んでいくことになりました。

第6位:セブルス・スネイプ(ハリーポッター)
7位の鴨太郎同様、「かわいそうな人」タイプの悪役。ある意味ヴォルデモート以上に悪役として立ち回ることも多かったスネイプ。ただ嫌味な態度が目立つもののその真意はかつて愛していたリリーの息子であるハリーを守ろうとしていただけであり、最終的にはハリーも彼を「いちばん勇気のある人」と認めることになるのでした。ハリーポッターシリーズのもう一人の主役とも言うべき人物で、実際に人気投票では、ハリーやロンなど主要キャラを差し置いて1位に輝いたこともあります。

第5位:アル・カポネ(アンタッチャブル)
禁酒法下のアメリカに実在した伝説的ギャングのボス。ただの極悪非道な人物ではなくユーモアも兼ね備えた魅力ある悪役としてロバート・デ・ニーロが演じています。個人的には食事中に気に入らない部下をバットでメッタ殴りにして殺すシーンが最高でした。それでこそギャング、あれでこそ悪役です。裁判では陪審員の買収を図りますが事前に発覚して陪審員を入れ替えられてしまい、タイーホされて終了。(史実通り!!)

第4位:ムスカ大佐(天空の城ラピュタ)
ジブリシリーズ屈指の悪役。名をロムスカ・パロ・ウル・ラピュタと言う。「見ろ、人がゴミのようだ」や「跪け、命乞いをしろ」などのザ・悪役な発言とその立ち振る舞いで多くの視聴者の人気を得ます。(因みに英語版ではルーク・スカイウォーカーでお馴染みの俳優、マーク・ハミルが吹き替えを担当)最後はラピュタ崩壊とともに自身も海に‘ゴミのように’落ちていきました。

第3位:クロコダイル(ワンピース)
ワンピースでおそらく一番魅力的な悪役は間違いなくこのクロコダイルです。壮大な計画を実行する緻密さと大胆さ、また敵であっても実力のある者は認める度量も持っています。「‘理想’ってのは実力の伴う者のみ口にできる現実だ」という台詞からも分かるように彼もまたひとつの美学のようなものを兼ね備えており、それが彼を一介の悪役では終わらせない魅力でもあります。「マリンフォード編」では利害関係の一致からルフィに協力しますが、肝心なところで助けに入ったり、首を狙っていたはずの白ひげに悪態をついたりと完全にツンデレキャラに変貌していましたw

前作「ダークナイト」の悪役であるジョーカー

第2位:ジョーカー
(ダークナイト)
前作「ダークナイト」でバッドマンの前に立ちはだかった最強の敵。旧シリーズではジャック・ニコルソンが扮しており、当初は演者の変更を疑問視する声もありましたが、それを払拭する‘怪演’をヒース・レジャーが見せてくれました。狂気の人であるとともに知性にも富んでおり、殊に人の心理をよく理解している人物でもあります。光の騎士と呼ばれていたデント検事を「トゥーフェイス」に変貌させたのはジョーカーでした。

1位:皇帝パルパティーン
(スターウォーズ)
ベストオブ悪役と言えばやっぱりこの人の他はないでしょう。ライトセーバーの腕前だけて言えばメイス・ウインドゥに劣るもののジョーカー同様に人の闇に漬け込むことに長けており、アナキン・スカイウォーカーを暗黒面に引き込み、ジェダイの壊滅に成功します。その後銀河帝国の皇帝となり宇宙を支配していた彼ですが息子のルークによってジェダイに戻ったダース・ベイダーもといアナキンの捨て身の攻撃を受け、エネルギー炉へと転落していきます。 圧倒的なカリスマ性を感じさせる悪役であり、またルーカス自身も好きなキャラの一人としてパルパティーンの名前を挙げています。

結論:悪役はだいたい顔が青白いです。家でファミコンやメガドライブやディスクシステムばかりやってるとこうなっちゃうので皆さん外で遊びましょう。(←どこから突っ込んだらいいんだw)
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・映画を見終わったあとに立ち寄ったタリーズにて...

あと映画の感想で特筆すべきところがあるとしたら何でしょう?やっぱりゲイリー・オールドマンがカッコいいということでしょうか。あとバッドマンがなかなか序盤出てこなかったりして「これ本当にバッドマンか?」なんて思っちゃうかもしれませんが御安心下さい。あなたの見ている映画はたしかにバッドマンです。あれは「必殺仕事人」がなかなか仕事をしないのと同じ原理なので悪しからず...。それとあれですね。ベインが証券取引場を攻撃するシーンは明らかなプロパガンダですね。未だ収束する気配のないオキュパイ運動の参加者を悪者に仕立て上げたい誰かの思惑が何となく伝わってきました。まぁ実際ハリウッドのいわゆる「超大作」と呼ばれるものは、たとえ一見政治的メッセージのない娯楽作品だとしても何らかの政治誘導的意図が働いていることが多いので注意が必要なんですよね。(詳しくはこちらをどうぞ)そんな訳ですが、今日はこの辺で失礼します。そろそろあっちの方の連載(大東亜戦争のやつ)も再開したいと思いますのでまたよろしくです,ジベリ!