伏見を拠点に活動するストリート系ジャーナリスト、Senichiが中心となってお送りするウェブ新聞。発行はスタッフのテンション次第。地元伏見の情報を中心に、音楽、映画といったエンタメ情報や裏社会の動向までをもお届けします!コメントは自由にして貰って結構ですが、記事に無関係なものは原則削除します。それから執筆等の仕事の依頼および質問等は下記アドレスにお願いします。 t.senichi@gmail.com
2008年3月31日月曜日
USJの衝撃
2008年3月26日水曜日
情けは人の・・・
僕は今日、特に何処に行くでもなく、自転車を走らせていた。それこそ心の赴くままに。心地よい春風を切るように河川敷を走った。そうして伏見桃山の商店街に差し掛かったときだった。駐輪場で僕と同年代か少し下かといった感じの女性が将棋倒しになった自転車を直していたのだ。すると何を思ったのか僕は自転車を止めると、それを手伝い始めたのだった。全てを直し終えると、彼女は僕に礼を言って、京阪の伏見桃山駅のホームの方へ向かっていったのだった。
ただそれだけのことなのだが、僕はその後いろいろと考えることになった。「一体、僕は何をやったのだろう。」と。相手がもし小っこいガキんちょでも、そこら辺のオッサンでも、僕は同じことをしたのだろうか。それとも相手が若い女性(しかもかなり美人)だったから助けたのか?と。だとするとそれって最低だ。「下心」っていうか何と言うか。男として、人間としてどうだろうか。しかし少なくともこの時恐らく僕は「これをすれば・・・」的なことは考えていなかった。だから多分、それが誰であっても助けたのだろう。それが今喧嘩している地元の阿呆だったにしても同じように助けただろう。(「何してんだよ、バーカ。」的なことは言うだろうがw)
事実,それをしたことによって僕は何を得た訳でもない。いや、貰った。「ありがとうございます。」というお礼の言葉と笑顔をだ。物質的な何かでは感じ得ない「幸福感」を貰ったのだ。だから僕にとって今日という日はなぜかとてもキラキラと輝いている。金銭的な何かでは絶対に作り得ない輝きを彼女は、今日という日はくれた気がする。何の変哲も無い日常の中の「暖かさ」や「充実感」を。彼女にとっての「今日」も、そういう日であってほしい。名前も何も知らないが。
すれ違う人の誰もが何かの「闇」や「痛み」を持って生きている。(若干、松下奈緒さんの『Rain』の歌詞が入ってるけど)それって大抵の場合は絶対に分かり得ないし知り得ない。でも、自分の何気ない行動で人に「幸福」を与えられたなら、「笑顔」を作れたならば(笑われるという意味ではなく)、僕は物凄く幸せだ。「情けは人の為ならず。」いい諺があるものだ。まさにその通りなのだ。じゃあ今日はこの辺で。
皆さんにとっての「今日」も輝きますように。ジベリ!
2008年3月24日月曜日
I’ll go My Way
僕が思うに、人間,物事ができるか否かなんて、実際はどうでもいいんです。大した問題じゃないんです。大切なのはやるかやらないかです。ドアを前にした人の行動はたったの二つ。開けるか、開けないか。僕の進む道にドアがあれば、勿論,開けます。空かなければ蹴り壊すまでです。たとえその先に何があろうと、進み続ける,その果て、命を落とすとしても。それはその時。僕はそれだけの男だったということでしょう。
来月の26日には僕も20歳。僕も「大人」になる訳です。恐らく,なりたくは無かったであろうはずの。でも今僕はこう考えてます。「いい意味で大人になろう。」と。夢を持ち、大いなる海を越えていくことをやめ、ただ「安定」だけを目指し、己の殻に篭るのが大人なら、利害関係や面子だけを考え、己の正義に背き、ただただ多数派に流されるのが大人なら、僕はそんなものに成りたくは無い。こっちから願い下げだ。僕の思う「大人」とは、自分だけでなく人の幸福をも考えられる者のことなのだ。人に尊敬され、愛される人のことなのだ。他者を認め、己の弱さを知り、人を許すことのできる人間のことなのだ。僕はそういう男,いや、そういう人間になりたい。
無論,これは自己犠牲にばかり生きるという訳ではない。難しいことだが自分も幸せにならねば。そうして「笑顔」でいられれば、周りも自然と笑顔になる筈だから。あと、まだ僕にはそういう人は居ないが、「この人だけは何があっても守りたい。」と思えるような人に出会いたい。そういう人が居るのもまた、「大人」の条件だと思うから。過去も未来も、悲しみも喜びも、幸福も痛みも、全てを受け入れて分かち合えるような人が居るということが。
僕の人生観みたいになってますが、まあそういうことですね。
今日はこんな感じで。ジベリ!
2008年3月23日日曜日
まだ桜は咲いてない
(椿寒桜<ツバキカンザクラ・「初美人」の呼び名も>城山上り口付近にて)
(道後温泉の外装。『千と千尋の神隠し』に出てくる温泉のモデルにも)
今日の朝7時過ぎくらいに、京都に帰ってきました。長旅(?)で若干疲れてますが、明日は大学の登校日です。
まぁそれはともかく、僕は松山から京都に戻る日、普通に松山観光を楽しんでました。松山城に登って弁当食べて、その後は道後に行って温泉に入ったりショッピングしたり、坊ちゃん団子食べたり・・・と。京都に住むようになってから、それまでは感じなかった「松山」という町のよさがわかるようになった気がします。京都も松山もいいところです。それぞれ持つキャラクターは違いますけど...。
(スペシャルのり弁当/以前紹介した「丁字村」という弁当屋にて。)
松山城にも来週くらいには桜が咲くのでしょう。「まだ咲いてないな。」と、僕は先日,桜の木を眺め、音楽を聴きながら弁当を食べてました。
YUIさんの「CHE.R.RY 」からスタートさせ、ランダム再生させたウォークマン(携帯電話だが)。2曲目はQueenの「Love of my life」その次は松下奈緒さんの「my place」そして・・・ふと振り返り、桜の木を見上げた瞬間,あの印象的なリック・ライトのキーボードの音が。ピンクフロイドの「Echoes」だ。23分を超える大作にして傑作。そんな曲が僕の気分にシンクロするように始まったのだ。これは僕の勝手なイメージだが、この曲は「四季」なのではなかろうか。歌詞のことではない。メロディがだ。(以下は僕のイメージを一つの話にまとめたものだ。→雪解けの雫が池に一滴、また一滴と。そして桜の咲く春が来る。やがて梅雨の季節、そして夏。静かな秋が訪れ、そして冬が訪れる。冷たく虚無な冬は終わり、雪は解け、清らかな水となり、そして池に脈打つ。水は川を流れてゆく。桜の咲く季節、河川敷で満開となった桜,花びらは川に小さな音を立てて落ちるのだった。小さな雫のように。)
実際、この曲の持つ意味合いは、そんなものではないのだが。歌詞をいつか載せようと思っているが、この曲は「生命の誕生」を歌ったものなのだ。おっと、話が完全に逸れてしまった。とにかく、ランダム再生とは、時に不思議な「偶然」を招くということ、それが言いたかっただけだ。(そうかと思えば、脈絡の無い曲順で再生を始めることも多いが。)
話は戻るが道後温泉は、相変わらずいい湯でした。また夏に帰省した際にも行こうと思ってます。皆さんも松山に遊びに来てくださいね。いいところですから。じゃあ今日はこの辺で。ジベリ!
2008年3月21日金曜日
コスタ北条へ!
・コスタ北条(海側から撮影)中には温泉のほか、ホテル,レストラン等がある。
と言う訳で、今日は弟とオカンと祖母と僕で松山の北条にあるコスタ北条に行ってきました。(オトンは仕事やたからおらんかった。)
ここの温泉は別に天然温泉でもないのですが、炭酸泉(人工)があるのと、露天風呂からの景色がいいことで、僕はかなり気に入ってます。特にサンセットの時間帯は絶景ですよ。(今日はちと遅かったけどね。)夜は星空も奇麗に見えます。あと今日は月もきれいでした。
風呂上がりには隣設のレストラン、コスタ・デル・ソル(スペイン語で「太陽の海岸」の意。コスタ→海岸、デル→~の、ソル→太陽)に行って晩御飯を食べました。このパターンも定着してますね。今日は写真の海鮮丼を食べました。これがかなり美味しかったですね。もっともここは大概,何でも美味しいんですけどね。あとパエリアなんもお勧めですよ。(出てくるのに時間かかるけど...。)まぁ今日はとても楽しい日でした。
明日の夜間バスで京都に帰るので今日は松山で過ごす最後の夜,ファミリーとも四国とも、しばしお別れです。では皆さんもいい夜を。ジべリ!
2008年3月17日月曜日
伊丹十三記念館
今日は、昨年の5月15日(同氏の誕生日であり、また彼の没後10年目の節目に当たる)に松山の東石井にオープンした、伊丹十三記念館に行ってきました。伊丹十三さんは高校時代を愛媛・松山で過ごしており、また父・万作(こちらも著名な映画監督)が松山の出身であることもあり、松山はゆかりの深い地となっているのです。
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同氏は映画監督(代表作・『お葬式』、『ミンボーの女』など)のほか俳優、CM制作、エッセイストなどとしても知られており、ここにはそんなマルチな才能を持ち、活躍した彼の軌跡が「十三」の名にちなみ、13のコーナー別に展示されています。御存知の方も多いと思いますが、彼は1997年に突然,「自殺」という形(「他殺説」もある)でその短い生涯に幕を閉じました。ここの建設にはそんな彼を追悼する意味も込められているのだとか。ちなみにこの建設の中心となったのは彼の妻(宮本信子)なのだそうです。何だか「温かさ」みたいなものを感じますね。僕は特にこの人の映画のファンとかそういうのでも無いし、正直,観てない作品の方が多いのですが、これを機に観てみようかな?なんて思ってます。じゃあ今日はここら辺で。ジべリ!
2008年3月12日水曜日
道後観光
今日は道後観光に行ってきました。と言っても温泉には入ってません。かなりコアなところばっかり行ってみました。まず前スレで言っていた秋山兄弟の兄・真之氏(元・陸軍将軍。日露戦争にて活躍。騎兵隊の父と呼ばれる。教育者としても有名)の墓参りに...。
(時宗の寺院である宝厳寺)
次に「踊り念仏」で知られる時宗の寺院で、その開祖・一遍上人の生誕地である宝厳寺に行き、最後に初詣でもいった伊佐爾波神社の参拝をしてきました。
(天ぷらサンドなるもの。525円なり)
帰路、道後の商店街にある「カフェ・ド・なも」という喫茶店に行って「天ぷらサンド」なるものを食べてきました。メニュー表見て、「これオモロそうや」とあんまり考えずに注文したんですね。そしたらじゃこ天とレタスやらをフランスパンにはさんだのが出てきて。よく分らんけど「スゲー」って・・・。予想に反してかなり美味しかったですけどね。
次は温泉にも行こうと思ってます。ここ最近、急に暖かくなってきましたね。この時期って風邪とか引きやすいと思いますけど気を付けてくださいね。では、ジべリってことで。
2008年3月11日火曜日
創作中
(豆菓子/4本入り・こっちも125円。同じく南京町にて購入。)
2008年3月9日日曜日
松山は雨・・・
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CDですか?無論よかったですよ。両方とも。シド・バレットのほうは何っていうか本当に「危ない」感じっていうかそういうのが伝わってくるようでしたし、『namidairo』の方は、歌詞とかが良くってかなり気に入ってますし。まあそんな訳なんですが、今日はこのへんで。ジべリ!
2008年3月6日木曜日
プラハ国立美術館展
2008年3月3日月曜日
チャイナタウン
帰省の帰りにちょっとした神戸観光をしてきました。まず南京町に行って、ラーメンとか杏仁豆腐(写真参照)などを食べたり、ショッピングなんかをしました。日曜日だったので、かなり人は多かったです。有名な「豚まん」の店があるのですが、今回は列のレベルが違いました。何回か食べた事あって、結構美味しいので、買おうと思ってはいたのですが、そんなこんなだったので、結局やめました。
・アクロバティックな中国の獅子舞(やってたのは多分、日本人だけど。)
この日は広場で獅子舞がやってました。中国の獅子舞は飛んだり跳ねたりと、アクロバティックで凄かったです。写真じゃ伝割らないと思いますが、もう「すごい」の一言に尽きます。
・北野異人館街にある旧トーマス邸こと「風見鶏の館」
その後、ついでに縁結びなどで有名な生田神社に行ったあと、北野の方に上って、異人館街を見に行きました。前に中には入ったことがあるので、今回は外から見て写真を撮っただけでしたが...。変わったところでは、モスクなんかも見てきました。神戸のモスクは、日本最古のようで、外装にもどこか重みがありました。ただせっかくきれいな建物なのに、周りの電線とかが邪魔で、あまりいい写真は撮れませんでしたが・・・。
・これがその神戸ムスリムモスクである
あと本当はそのあとに、三宮の高架下にあるコーヒーショップ(javaっていう名前。旅行本に載っていた)に行こうと思っていたのですが、場所がよく分からず、結局,行けませんでした。(チーン)でもまぁ、場所だけは今回分ったんで、次こそ行こうと思います。
とにかく、何やかんやで松山に無事帰ってます。
またしばらくは、愛媛からのアップになります。では今日はこの辺で。ジべリ!
2008年3月2日日曜日
今日は、里帰り!(Part 2)
また帰省すると家族やら親戚やら友達やらに、いろいろ聞かれるのでしょうけど...。
こういうときに、便利な切り返しがあるんですね。それは「うん,まぁ。」です。用例はこのような感じです。「大学はどう?」→「うん,まぁ。」 「京都はどんな感じ?」→「うん,まぁ、ええんちゃうかな。」と。
更に、いろいろ聞きたいことがあるとき、関西弁には便利な言葉があるものです。それは「どや?」です。仕事・プライベート・悩みetc・・・何でも聞けてしまいます。だから、仲がいい友達との会話は、こうなることもあります。「どや?」→「うん,まぁ。そっちは?」→「ボチボチや。」→「そか。じゃあ、そこのコーヒー屋でゆっくり話そや。立ち話も何やし。」→「・・せやな。」みたいな感じに(笑)
俗につうかあの仲と呼ばれるやつですな。こうなってくると雰囲気で、何を言わんとしているか何となく分かることもありますね。まぁ、そのレベルの仲のよさの人って、ホントにごく希ですけど。まあとにかく、友達は大切にしましょう。そういうことです。(また脈絡の無い・・・。)
じゃあ、皆さん。ジベリやがな。