2008年5月30日金曜日

暗黒年間②・「出る杭」の宿命

最近,どうも体調が悪く、更新が遅くなってます。まぁ,そんなわけですが、今回も前回の続きです。重い話ですが、まぁ,よかったら読んでみて下さい。

 小6の1学期,この頃から僕は徐々に政治にも関心を持つようになってました。この一時期,僕は政治家というものを一つ,志していて、また,政治家が日本を変えられるものと信じていました。(ところが,のちの日本の政局や,あるいは僕の周囲の環境によって、この期待は見事に裏切られる形となり、僕は政治家ではなく革命家を志すようになりました。日本人の大半の言う「政治家」って、所詮は自民党かそれに準ずる政党の政治家なんですよね。そんなことも知らず、僕はただ,「政治家は国民のことを第一に考え、国の発展に従事する人たちのこと」などといった幻想を抱いていました。)また相変わらず僕は知性派まっしぐらでした。例のアホ担任(よく嘘を教えていた)の誤りを訂正する人物の一人でしたし、場合によっては論破してしまうこともありました。これに対し彼は嫉妬とも言える行動をあからさまに取ることがありました。(例・提出した宿題を成績としてカウントしない,明らかに理不尽な理由で説教を始める,夏休みの宿題として提出していた作文を黙殺するetc…)またクラスメートなどにも、下らないことを企てる人間が居ましたね。誹謗中傷を吹聴する奴とか、変な言いがかりをつけて集団で襲撃してきたりする輩とか。(何だったんでしょうね,実際。)
 
 一方,その年の暮れ頃,僕は止せば良いのに中学入試を受けることになりました。僕としては夏休みも遊びまくっていたし、生徒会なんかもやって無いし(受けたのは国立の中学校であり、内申点の比率が高かったため)、受けたところで合格する可能性は低い,と考え、受験をしない意向をオカンに伝えたのですが、まぁ例の如く人の話を聞かない(っていうか聞いてくれない)人物なので、聞き入れられるはずも無く、強行採決という形で受験は決定しました。でも何にせよ買ってしまった喧嘩ってことで、僕もベストは尽くしましたよ。まぁそれで当然のように落ちて、なんか無駄にテンションを下げられた状態で僕は中学に進学します。そしていよいよ「悪夢」の幕は上がるのでした・・・。今日はここまで。ジベリ!

2008年5月26日月曜日

第4章・暗黒年間①・‘喪失’

えっと・・・。なんか間が開いちゃいましたが、今回から数回にわたって、「暗黒年間」(小6~高卒)を、お送りしたいと思います。ひたすら「暗い」です。ただ,こんなことを言うのも変かもしれませんが、この7年間が無ければ、今の僕は無いでしょう。多分,かなり違っていたと思います。「いつかはどんなに辛い日のことも、冗談のように笑い飛ばせる日が来る。」と、誰かが行ってましたが、果たして本当なのかもしれませんね・・・。

 小学校6年生,親友が去ってからはじめて迎えた新学期。クラス表にあるはずもないあいつの名前を探す自分がいた。僕は彼の「代わり」になる人間,いわば第二の’親友‘を探したのだった。誰かの代わりになる人間なんてどこにもいない。それに気付くのに大した時間はかからなかった気がします。更に言えば僕はその後,少なくとも大学に至るまで「親友」と呼べる相手には出会えなかったのでした。また好敵手と呼べる人間は、今でも彼一人ですね。(それとは別に、越えなければいけない存在の人物は、確実に一人は現れましたが。)はっきり言って、その後の7年間は退屈でした。周りの人間にも大して骨のある人間はいませんでしたし。(でも,うちの弟と従妹は、それなりに骨のある奴ですよww)成績とかで僕を凌ぐ人間なら何人も居たのですが、人間として魅力がある存在の人間は現れなかったのです。それ故,僕はそれまで以上に「自己」を意識するようになっていきます。人生とは己との普遍闘争である。」僕は今,そう考えています。

 しかしながら一般的な友達は、多くいましたね。一番,ボーダレスになっていた時期かもしれません。最も、僕は元より人に区切りを付けるのが好きじゃないので、ある意味,当然の成り行きかもしれませんが。ただ、「ずっと、こいつと一緒にやっていきたい。」と思える人がいなかったので、それ故に多くの人物と親交を深めることとなった・・・と、それだけのことです。良いような悪いような・・・ですねよね。この年の担任は碌な奴じゃおまへんでした。こいつと、これから登場する「友達」の一人が、僕のそれから先の航路に大きな嵐を生み出すことになるのでした。先程も言ったように、僕はこの時期,ありえないほど交友関係を広げていました。とはいえ、実質は5~6人くらいが中心となってましたけど。修学旅行のグループ班も、そのメンバーでしたし。その「一人」とは、この際に班長を務めた彼はクラスに1~2人くらい居るような、「スポーツ万能!(でも頭は・・・)」的なキャラで、あと,いわゆる「お調子者」的な気質も持っている人物でした。それ故か、一般的な人気はあったようです。(もう一つ付け加えるとしたら、その「担任」も、そんなキャラでした。学校の人気者の先生・・・みたいなところでした。)ある意味で、それぞれの「無いもの」を持っていた僕と彼は、次第に親密になっていました。(均衡の取れた「コンビ」だったとも言えましたね。) もし彼が、そのまま親友にでもなっていれば・・・と思うことは有りますね。しかし現実はそうは行きませんでした・・・。
と,いいところですがここで、今日はおしまいです。ここからはまた明日ってことで。ジベリ! 

2008年5月23日金曜日

投稿108番目記念

なんとこの記事は108番目の投稿記事になります。108といえば御存知,煩悩の数です。それを記念して今回は特別編でお送りします。(なんじゃそりゃ)

あと,108についてトリビアをもう一つ。除夜の鐘は、人間の煩悩の数,すなわち108回鳴らすのが決まりとなってますが、年内に鳴らすのは107回で、あとの一回は年が明けてから鳴らすんですね。前にテレビでやってて、それで知ったのですが。

また四国八十八箇所巡りには、108煩悩のうちから88の煩悩を取り払う狙いがあるそうです。ちなみにあとの22は、普通に生活していると取り払える物だそうで・・・。

あと,「四苦八苦」という四字熟語も四九→36+八九→72=108というのに由来するなんていう説もあるとか。

「煩悩」についての詳しい解説をここですると日が暮れそうなので、軽く触れておくことにします。まず人間の感覚をつかさどる器官を六根といいます。それぞれ眼・耳・鼻・舌・身・意です。これに六塵,それぞれ色・声・香・味・触・方の刺激が加わると、それぞれ好・悪・平三種、つまり計18の煩悩が生じます。これが浄・染の二種に別れるため三六種。更にこれが、過去・現在・未来の三つ(三世)に配されるので36×3で合計108種とされています。


 まぁ、何はともあれ108番目の記事ということです。今回は質問→返答形式でお送りします!

Q1、20歳になってそろそろ1ヶ月,何か変わったことは?

A 、別段,何も変わりないですね。最近,ゼミが決まったくらいで。


Q2、ですか。ちなみにゼミでは何の研究を?

A、ヨーロッパ政治史が中心です。編入が失敗しても、最悪,歴史の勉強はできそうです。


Q3、成程,編入は受かる自信ありますか?

A、ありますよ(笑)まぁ命綱もありますから、心置きなく挑戦できますし。


Q4、そういえば、先日は一人でカラオケに行ってたみたいですが、よく行きますか?

A、ですね。一人でも行くこと多いです。一応,ヴォーカルなんで、練習も兼ねて。ストレス発散にも良いですし。友達と行くこともありますけど。


Q5、で、何を歌ってますか?

A、洋楽が殆どですね。クイーンとかディープパープルとかイーグルスとか・・・。あと何かと女性ヴォーカルの曲も。松下奈緒さんの曲だったり、YUIさんの曲だったり・・・。あと,こないだ行ったときは、「マイ・シャローナ」(The Knack)とか、「My Way」(Def techの)なんかを歌ったりもしましたけど。


Q6、「マイ・シャローナ」はすっかりエド・はるみさんの曲ですね。それでDef tech?ラップですか。あまりジャンルは選ばないんですね。

A、ですね。Shenさんのパートとか殆ど歌えてませんけど。でもいろんなジャンルの曲を歌ってると、それだけ領域も広がって、曲作りにも役立ちますし。歌うのが好きなのはハードロックですね。それとファルセットの入ってる曲も。フレディ・マーキュリーの影響ですね,これは。


Q7、YUIさんのライブが7月に京都でもあるようですが、行きますか?

A、行きたいのは山々ですけど、チケット買えてないんでね・・・。楽天のオークションで買えたら行く・・・ということになりそうです。松下奈緒さんのコンサートも、またあるなら絶対行きたいですね。ライブは楽しいですよ。クイーンは今年の秋にニューアルバムを出すらしいですから、来年には来日するかも・・・ですね。ピンクフロイドは完全に未定のようですけど。


Q8、御自身はライブってやりたくはありませんか?

A、したいのは山々ですけど、バンドのメンバーもまだ集まって無い状況ですからね。目指すはアールズ・コート,ハイド・パーク,マジソン・スクウェアー・ガーデン・・・ですね。あと「Live in 東寺」とか「四国凱旋」とかも。


Q9、壮大な目標ですね。ところで現在,このブログは連載をやってるみたいですが?

A、あぁ,そうなんですよ。『壁の構築』ってことで、松山にいた18年間のことを。もう佳境ですが。最後の7年間,「暗黒年間」です。ひたすら重いのですが、まぁ読んで頂きたいですね。


Q10、ですか。では最後になりますが、ブログ読者の皆さんに一言。

A、これからもブログを,作者センイチゃんことSenichiをよろしくお願いします。
これからも何でもありの愉快でシュールでたまに重いブログを念頭に頑張っていきます。あと、ファンレター,お待ちしています(爆)では、ジベリでーす!

2008年5月21日水曜日

そうだ、弘法市に行こう!

         (東寺五重塔/北西に位置する金堂裏より撮影)             
        

         (たこ焼き/露天にて購入<9個入り・300円也>)    

 

 今日は学校が休みだったので、「何しよかなー。」と先日の夜,考えたのですが、ふと毎月21日に東寺で「弘法市」っていうやつ(まぁ俗に言うところの縁日ね)があったのを思い出したので、またまた思いつきで行ってきたわけです。前日に(これもまた思いつきで)一人でカラオケに行って2時間くらい歌ってて、さすがにちょっと疲れてたので、起床時間がちょっと遅くなってしまい、それに伴って行く時間も少し予定より遅れはしましたが、まぁ自転車で20分くらいあれば行けるところなので大して影響はありませんでしたね。弘法市は、出店の数が半端無いです。見て回るだけでも結構楽しかったりしますね。油絵を売ってるところがあって、ちょっと欲しいなとか思ったのですが、お金も大して無いので、結局何を買うでもなく、たこ焼きを食べて、あと軽く参拝してから帰ってきました。平日だというのに相変わらず人は多かったですね。修学旅行客や外国人観光客も相変わらず・・・。
 
 外国人観光客といえば先日,祇園付近を歩いていると、ある外国の方々が「お好み焼き」のことを「ジャパニーズ・ケーキ」と説明してて、「ん?そうだっけ?どちらかと言えばピザのような気が・・・」とか思ったのですが、どうなんでしょうね,あれって。「たこ焼き」も、たこ焼きとしか説明のし様が無いし・・・。英語はある程度勉強してるのですが、京都の道案内ってまだまともに出来る気がしませんし、食べ物の説明も難しいですね。 (もっと外国語を勉強せねば・・・)

何かまた話が脱線してますが、今日はこの辺で失礼します。ジベリ!

第3章・瞬光月間~Dear friend~

今回は小5の約一年間について書きたいと思います。この年にはいろんなことがありました。それまでや、或いはその後の「暗黒年間」と比べると、本当に「いい時期」だった気がします。ただ、この年は意外な出来事で終わりを迎えることとなります・・・。

 昨年度の末,それまでの「不良債権」をほぼ一掃した僕は、それこそ「新しい時代」に突入したのですね。まずこの年はG・Wにある「転機」が訪れました。そのちょっと前に従姉妹のおっちゃんが、奈良に転勤していて、んで僕らも遊びに行ったわけです。まぁ,何度も言っているようですが、そのとき以来,関西進出を考えるようになっていたという訳で。(またあの時は開通直後の「しまなみ海道」を経由して行ったのですが、すごい混雑だったのを覚えてます。)その後,夏休みに再度,関西には行きました。初めて京都を訪れたのもその時です。
 
 そのちょっと前から本格的にはまり始めていた「歴史」ですが、もうこの年の前半の時点で、周りから「歴史→僕」みたいな図式が完成し始めていました。あと「雑学王」でしたね。僕も,その例の親友も。また各方面からの評価も得られるようにってました。結構,軌道に乗っていた時期だったのですね。その背景には、その時の担任が、とても良かったということもあります。(3年生のときも、担任はこの先生でした。本当にいい先生でした。若干,おせっかいなところはありましたけど。)まぁ何にせよ僕の知る限りでは、数少ない「いい先生」でしたね。
 
 さて、僕は相変わらず例の「親友」とも仲良くしてました。例のごとく「3人組」での行動が多かったのですが、それも「黄金期」って感じでした。うちの庭の一角で「砂王国」なるものを作ったり(まぁ大掛かりな砂遊びですね)、ミニ誕生日パーティーを開いたり、或いはどこかに遊びに出掛けたり・・・と。

 しかし、そんな中,突然その「悲劇」は起こりました。12月のある日のことでした。先生の口から驚愕の事実を聞くことになります。なんとその「親友」が転校する・・・と。あまりに唐突だったので、「ハハハ、何だよそのネタ。面白く無いぞ。」なんて思ったくらいです。ところが、それは真実で、もう12月の末には愛媛を去る・・・とか。もう意味不明でした。僕は激しく落ち込んでました。寂しいとか云々よりも、そんなこと考えたことが無かったので、ただただ衝撃的で・・・。彼の前でこそ泣きはしませんでしたが、かなり泣いてましたね。松山を発つ直前に「お別れパーティ」みたいなのをやったのですが、それからしばらくも、どこかに彼が居るような気がして・・・。でも冬休み明けの学校に、その姿があるはずも無く、いつも遊びに行っていた家にも居るはずも無く・・・。(多分僕って執着心が強いんでしょうね。ここではあまり語りませんが恋愛なんかにしても、ことごとく没頭するタイプです。もう周りが見えなくなっちゃって・・・。)何にせよ、僕は周りから見ても明らかなくらい激しく落ち込んでました。それを隠そうと時折,必要以上に明るく振舞ったり、明らかに「おかしかった」と思います。(なに?「おかしいのは元からだろ。」って?じゃかましいわ。)  この時期からある人物と仲良くするようになっていくのですが、この人物こそが後のある事件の引き金となるのでした。あっという間のまるで光のような日々。しかし、「光」を完全に掴むことは出来ていなかったのです。そしてそのまま僕は深い「闇」へと堕ちていくことになりした・・・。では、今日はこの辺で。ジベリ!

2008年5月17日土曜日

葛藤年間②・覚醒への飛躍

葛藤年間。前章ではそれを、小一以来の親友とのことを主体としてして書きました。そのこともあり、明るい話になっていたと思います。今回は「その一方で・・・」といった、どちらかといえば「影」の話になります。なぜ「葛藤年間」なのかは、ここで分かるはずです。

 
 この時期には、殆ど「いじめ」というものの被害に遭うことはありませんでした。勉強の方で軒並みに結果が出るようになったのが、この時期でしたから。うちのオカンの「アメムチ政策」の影響も少なからずあったでしょうが。このアメムチ政策というのは、テスト(或いは成績表)が、良かったときは報酬が出て、逆に悪かったときはペナルティが発生するという、まぁある意味ポピュラーなものなのですが、極端といえば極端でした。テストについては「100点」以外はドヤされるといった感じで、80点前半に割り込もうものなら半殺しに遭ってました。前にも言ったとおり、オカンはやたらに他人と比べたがるので、僕も苦労しましたよ・・・。(どこで情報を集めたのか、A君が〇〇のコンクルで入賞したとか、どこぞの塾で1番になったとかどうだとか、「せやから何やねん,俺にどうせえ言うねん!」って思ってしまうようなことを云々と・・・)しかしながら、僕が明確な「キャラ」を持っていないことは明確でしたね。ただ「勉強が出来る」なら何人でもいますし、インパクト薄いですからね。例の友達のほうは先述したとおり、「宇宙」っていう明確なカテゴリーを持ってて、「僕も何か探さねば。」とは思っていましたが、そう簡単にそんなもの見つかるはずも無くってね・・・。
 
話は少し飛びますが、小4の学期末頃,ひとつの大きな転機が訪れます。その頃から、学校の社会科の時間に「歴史」の走りみたいなのをやるようになって、それに触発されるかのように、僕は歴史学や考古学に興味を持ち始めます。結局,現在に至るまで歴史学は僕の大きなバックボーンの一つになってます。更に言えば、僕の従姉妹のおっちゃんが、大阪に転勤にすることになったのも5年生に上がる直前の時期でした。(それが後の関西進出の大きなきっかけとなる訳で・・・。まぁ転勤そのものは寂しかったですがね。)かくして僕は様々な面で「変革」を感じていた中,次の時代へと突入します。

では次回は「瞬光月間」です,お楽しみに。今日はこの辺で,ジベリ!

第二章・葛藤年間①・親友とライバル

今回は珍しく、結構きれいな話題です。逆に言えば、これまでのようなブラック感や露骨な社会批判はありません。だから、そっちを期待してる人はこのもう少し後の記事まで待ってくださいね。
 
 小学校一年の後期,僕はそれから現在に至るまで「親友」であり続けている人物と出会ったわけですが、彼は僕にとって永遠のライバルでもあり続けているわけです。因みに、僕と彼が友達になったきっかけは、なんとレゴブロックでした。毎日のようにお互いの家を行ったり来たりしました。そのうちに、僕の弟や、彼の兄弟とも親密になり、気が付けば親同士も仲良くなってました(笑)クラスでも「仲良し」の代名詞化した程です。とはいえ結構,喧嘩はしましたね。ミニ四駆が云々とか、自転車がどうこうとか、鬼ごっこがどうしたとか何とかと、本当にしょうも無い理由で小競り合いしたものです。1,2回、絶交状態になって周りが本気で心配したこともありました。でも気が付いたら仲直りしてました。それも別段,どちらが謝ったということも無く・・・。僕らはなぜか間に誰か一人を挟んで3人組で行動することが多かったです。(間の一人はチェンジが激しかったのですが。) しかしながら、2人の時こそが、このコンビの真骨頂を発揮するときだったような気がします。外からすれば理解不能なことも、よくやってました。(僕の弟くらいですね。まともにそれに付き合ってたのは。)たまに悪ノリしすぎて怒られたこともありましたが。
 
 その当時は僕も彼も宇宙に大きな関心がありました。僕も一時期は宇宙へ行こうと考えたこともありましたから。でも、彼の宇宙への関心・興味・情熱・・・。どれも凄いものでした。「アカン、こいつには勝てんわ。」って思うのにそれ程の時間はかかりませんでしたね。気が付くと僕は「宇宙」からは完全に撤退してました。勉強なんかのレベルも一緒くらいだったので2人で勉強をすることも多々ありました。テストの点やはたまた短距離走で競い合ったこともしばしば・・・。不思議と、それが喧嘩の直接の要因になったことはありませんでしたが。でも,それが「ライバル」ってやつなのでしょうね。

2008年5月15日木曜日

挫折年間③・迫害、そして「赤」への布石

この章のラストであるとともに、この連載のひとつのハイライトでもある話が、今回でしょう。今回はひたすら「暗い」です。福田首相の政治的手腕くらい暗いです。(あのなぁ・・・。)まぁ、行ってみますか。↓


 僕の通っていた幼稚園というのはキリスト教系のところで、園内には礼拝堂もありました。イエス・キリストやモーセの話なんかもよく聞かされ、子供ながらに「立派な人だ」と思ったものです。それはさておき、早速,僕は理不尽極まりない洗礼を受けることとなりました。そう,「いじめ」です。こうやって思い出しながら書き込みをしてるわけですが、なんかもう思い出すだけで腹立たしいことばかりでしたね。靴や道具が隠されるといった定番のいじめに始まり、クラス八部に遭うわ、園内で悪いことが起こるとスケープゴートにされるわ(大方の場合,すぐに疑いは晴れたが・・・。)、石打ちには遭うわ・・・。僕はあるとき思ったのでした。「キリスト教って何なんだあぁぁー!」って<爆>(慈愛はどうした?「汝の敵を愛せよ」って守れてる人居んのか?そもそも百歩譲って、僕は敵じゃなーい!みたいな。のちにジョン・レノンの「キリスト教は、後継者がすっかりダメにした。」っていう言葉を知って、妙に頷かされましたね。(最もその背景には歴史を勉強してテロリスト然りの十字軍や残酷な宗教裁判などを知ったことや、アメリカの英雄ごっこを目の当たりにして・・・といったこともありましたが。逆にイスラームの方にはかなり好感を持ちました。一時は本気で入信を考えた位ですね。)最も、あの頃の問題に関しては宗教云々じゃ無かったんですけどね。幼稚園がそうだったってだけで、各々、宗教はまちまちだったわけですし。しかしながら、この園の先生の一部が、僕をいじめていた首班の人物と極めて親しかったことは事実で、本当に今思い出しただけでも腹立たしいですが。とは言うものの、友人が全く居なかったわけではなく、それなりに楽しい時もありましたがね。

 ところが、幼稚園を卒業し、さてもうすぐ僕らは一年生!・・・という時、一つの転機が訪れます。いきなり引越しが決まったのです。丁度,その時期というのは「バブルの崩壊」が顕著になり始めていたときで、色々と悲惨なニュースを耳にするようになっており、オトンとオカンもあり得ないくらい不仲だったため、「引越し」と親から聞いたとき、僕は内心,パニック状態でした。「ん?遂に終わりが来たか?(何のだ!)」とか、「都落ちか?」(注・そんな言葉、当時は100%知らなかったが)とか思っちゃったり。(あぁ,そういえば最近、遠出の旅行が無かったわけだ・・・。クリスマス・プレゼントが前年度より少なかったわけだ・・・。とか思ってた)何となくこの時期から「諸行無常」を知っていた気がしますよ。(んで,今考えれば、それは同時に資本主義経済の欠陥な訳で・・・。だから、あれは今考えたら僕にとって大きな「政変」でしたね。)まぁ、でも実態はそれ程悪い話ではなく、むしろかなり良い出来事だったのですが。それまでの狭いマンション暮らしが一転,庭付き一戸建てに移ったわけですから。晴れて自分の部屋も貰えて・・・。しかし、友人との別れはとても辛いものでしたね。またまた僕は一人か・・・とか思って。内向的な性格に、更に拍車がかかってましたね。
 
 引越し後(つまり小学校入学後)の半年くらいは、その後の暗黒年間のピーク時に匹敵するくらい最悪な日々でした。例のごとく「いじめ」でしたから。それに加えて、親は親で「成績第一主義」をいちはやく導入するし・・・。前の記事で書いたと思いますが、「勉強さえしていれば、幸せになれる。」とかって言われ始めたのはこの頃からでした。更にある時は「勉強していれば、戦争に行かないで済む。」とまで抜かしてました・・・。今考えたら、そんなアホな話しは無いのですが、当時は結構,信じ込んでましたね。そうした経緯もあってか、僕は一時期,「いじめられる側にも、非があるのかな?」なんて思ってることがありましたよ。それが完全な間違いであることは、もう少し後に気づくこととなるのですが・・・。あと、また例のごとく親は勝手でした。訳も分からず、次はサッカー部に入れられてしまいます。これを小4まで続けさせられてしまうという横暴ですから、もう踏んだり蹴ったりですよ。
 
 しかーし、この年には良いこともあったのです。その後も今に至るまで「親友」である人物と出会うことができたのです。生涯の友であり、永遠のライバル。そんな人物との出会いがありました。これをきっかけに、僕の人生は好転を始めた・・・とも言える訳ですから。競い合える相手であり、理解し合える仲間を得たことで、「自分」を見つけることになったのではないかな?と思ってます。
 
 かくして挫折の時代は終わり、「次の時代」に突入していきます。葛藤年間・・・。ここにきて、僕の戦う相手は外から内へと変わります。自分との戦いです。「己の道」を見つけるための航海・・・。それはそのまま「夢への躍動」でもありました。では次回もお楽しみに,ジべリ!

2008年5月12日月曜日

挫折年間②・One Setback

前の記載から、ちょっと記載が遅れましたが、前回の続きです。「うわっ、暗っ!」と思う肩も居ると思いますが、この連載においては「明るい話」のほうが少ないです。<笑>ですので、楽しんでいってくれとは言いませんが、まぁよかったら最後まで読んでみてください。
 
 
 今日の主題となるのは、ズバリ,「挫折」です。僕は生まれてから間もないころから音楽が好きだったようです。NHKでやっている「名曲アルバム」的な番組を好んでみていた記憶が何となくあります。親戚曰く「曲を聴いただけで、その作曲者と曲名を言い当てられた」とか。僕自身,何となくそんな感覚はありますね。なんか絶対音感に近い感覚を持っていたような気もしますし・・・。んまぁ、そんな才能にうちの親は目をつけてくれたようなのですが、それこそがある意味では悲劇の始まりでした。僕はその頃マンションに住んでいたのですが、そこにキーボードがあって、それで遊ぶのが好きでした。ただ自由に弾いていたかったのですね。まぁ案の定,英才教育的なノリで、僕はピアノ教室なるところに連れて行かれたのです。親としては良かれと思ってやったことなのでしょうが、当事者としては、「いややー!」って感じだったのですね。いきなり連れて行かれ、訳も分からず何やら分からない曲を練習させられ・・・。しまいには「近所の〇〇君(ちゃん)の方が上手だ。」、「アンタは下手。」などと親に言われ始めたのです。うちのオカンはやたらに他者と比べたがります。それに事足りず、何かと劣等感を植え付けようとしてました。。(僕だけでなくうちの弟も、その洗礼にあってますが、僕は長男であるが故、モロに打撃を受けましたね。更に言えば、うちの弟は少なくとも僕よりは自由に育ってます。僕のときに失敗したからか、多少,路線を変えたようです。)そうした経緯からか、僕は割りと早くから、個人主義に目覚め、「人は人、自分は自分」という、日蓮聖人の言葉で言うところの「桜梅桃李(おうばいとうり)」的な考えを持つようになり、また概して革新的になってましたね。
 
そんなこんなで、しばらくの間,僕はかなり内向的で、暗い性格になってました。今は何か吹っ切れたのか、あるいは悟ったのか、思いっきりポジティブで俺様的になっちゃってますけど。んまぁでも、そんなこんなでいつしか僕はピアノの演奏はおろか、音楽そのものが嫌になってましたね。そうした状況はそれからしばらく続くことになりました。
 
 小5のときには町のジャズ・バンドクラブに(これも親が勝手に加入を決めていた)入って、コルネットだとかトランペットなんかを演奏するようになり、また「音楽っていいな」なんて思うようになり、一定の興味・関心が復活し、また,学校の音楽の時間にも歌で褒められたりすることがあるようになってました。歌う楽しさに気づき始めたのも、ここら辺からです。その後,USJショック(前記事「USJの衝撃」参照)をきっかけに、ロックに傾倒し、高校時代にはクイーンビートルズイーグルスといったバンドのアルバムを、好んで聴くようになりました。リリック作成の開始も、この頃から始めました。ただ、それでも少なからず「楽器の演奏」というものには抵抗がありましたね。フラッシュ・バック的に昔の嫌な思い出がこみ上げてくるような錯覚に囚われた為です。しかし、松下奈緒さんピアノとの出会いで、完全にそれも吹き飛ぶことになりました。正直,松下さんには感謝してます。もう大好きです。(オイオイ・・・。)
 
 今,僕は改めて「音楽が好きだ。」と思ってます。遠回りでしたが、また「光」のある場所に戻ってきたのかな?と感じています。でも、一人じゃ限界があるから、「バンド結成」っていう結論にたどり着いたのですね。一人で何もかも出来る必要は無いと、僕は考えてます。何のために60億もの人が居るのか。協力しあって個々の長所を高めあい、あるいは短所を埋め合わせるためではないでしょうか?一人で何もかも得たとしても、そんなの楽しいはずありません。そこに「仲間」がいて、その仲間たちと笑い合えなければ、それはただ虚しいだけです。あの時代は「挫折」の時代でしたが、同時にたくさんのことを学べた時代でもあったと僕は今,考えています。必要な時代だったのかもしれませんね。その後の「暗黒年間」も・・・。今の僕がすべきことは、今の僕の目標に向かって,あるいは予てからの目標に向かって疾走することですね。諦めたりしたら、夢見た自分や、あるいは過去にもがき苦しんだ自分に面目ありませんからね。


では、長くなりましたが、今日はここで。ジべリ!(次回もこの章の続きです。次回がファイナルです。)

2008年5月9日金曜日

第一章・「挫折年間」①・不信感の萌芽

 1988年4月26日。その日が僕の生まれた日であります。別段,その日に何があったというわけでもなく、本当に普通の日だったようです。僕が生まれた家というのも、別にそれほど裕福なわけでもなく、逆に貧困というわけでもなく、まさに中産階級といった感じだったのです。父方の親戚や母方の親戚では初めてか、それに近い子供だったらしくかなり盛り上がって、また僕の命名に当たっては若干,揉めたそうです。(僕としても、自分の名前は気に入ってませんが、オカンが付けようとしていた名前というのも、後で聞きましたが、まぁどっこいどっこいって感じでした。どちらにせよ、別段,おかしな名前ではないのですがねww)父方の祖父が、自営業をやってて、オトンはそこで働いてるわけですね。この頃は今に比べれば、格段に景気はよく、軒並みに繁盛していたようです。一方で、何かとこの時期から僕は父方の親戚から疎外されていたようです。そういえば、あまりいい思い出がありませんね。よく遊んでくれていたのは、何かと母方の親戚でした。母方の祖父母の家は、農家をやっていて、みかんの収穫や田植えなんかをたまに手伝いに行っては、従弟(従妹)や弟とワイワイと走り回ったり歌ったりと、殆ど手伝わず、遊びまくっていたのを懐かしく思い出します。今でも、母方の親戚とは交友が深いですね。父方の親戚とはオカンは特に不仲で、その様子は子供だった僕の目にも明らかなものでした。
 
 そんな中、ある日のこと、オカンがしきりに悪口を言っていた親戚の人物の一人が家を訪ねてきたのですね。僕は単純に「オカンが悪く言ってるような人だ。愛想よくすることも無いだろう。」とか思って、ホントにそっけ無い態度を取って見せた訳です。まあ案の定,僕は怒られたわけです。今考えれば、「建前と本音」みたいなやつだって分かるんですけど、若干,4~5歳の人物に理解できるわけもありません。しかも、「だって・・・」と訳を説明しようとすると、「口答えするな!」とドヤされるわ・・・。正味、今考えても「なんでやねん。」と思ってしまうわけですよ。
 
 まぁ、そうやって押さえ込まれ続けていたわけですから、何かと僕は引っ込み思案になってましたね。すでにこの時から、僕は社会の矛盾に気付かされ始めていたわけですよ。まぁ、今ほどアウトロー精神が拡大した背景にはもっといろんな出来事があるわけですが。
 
 とりあえず、保護者の皆さんに言いたいことは、子供の前では人の悪口は言わないように、と。そういうことは一人で海か山か学校の屋上に行って叫びまくるか、気の合う友達と喫茶店に行って話すとか、場所を選んでください。あと、子供の話にはなるべく耳を傾けてやって下さい。それから、政府与党の皆さんにも一言。政府と国民の関係もこれに似ています。国民の声を無視しないで下さい。皆の声を聞いてあげてください。ここで僕が言いたいのはそういうことです。
 
 では、次回も挫折年間の続きになります。次の回で、なぜこの時代を「挫折年間」と僕が呼ぶのかが分かるはずです。 ジベリ!

2008年5月7日水曜日

翻訳・洋楽ロック(特別編)/Speak to me~Breath

えー・・・。投稿100ページ目の記念も兼ねて、今回はピンクフロイドの1972年発表のモンスターアルバム,『Dark side of the Moon』の最初を飾る曲である、この曲のリリックを紹介したいと思います。この歌詞は、見てもらうと分かると思うのですが、生まれてきた「新しい命」に向けられたものなのですね。前回,しばらくの間、僕の半生について書くと封切ったのですが、この曲,いや、この『狂気』というアルバムで語られていることは、僕の人生観にどことなく似てるんです。生まれてくる僕に、誰かがこのアルバムを聴かせていたのでしょうか?(親や親戚では無さそうです。フロイドファンは僕も周りに居ませんでしたし。)また、このアルバムは仏教やインド哲学にも大きな影響を受けているとか・・・。(言われてみれば・・・と思うところは有ります。)まぁ、行って見ましょう。↓どうぞ!

Pink Floyd /Breathe(2005・Live8)→http://jp.youtube.com/watch?v=fx6iIp-PvnY

Pink Floyd /Dark Side Of The Moon Video Album(Part 1)  
       →http://jp.youtube.com/watch?v=QSlUIhN8FU8



「呼吸せよ、大気の中で息を吸うのだ。

恐れることは無い。

ここを去るのだ。しかし、私の傍から離れるな。

君だけの場所を探すのだ。


長く居座り、君は空高く飛んでゆく。

君が与えるであろう笑顔,君が流すであろう涙。

そして君の触れる全てと、君の見る全て。

それが君の人生だ。



走れ、兎よ走るのだ。

穴を掘り、太陽を忘れよ。

仕事を終えても、

座り込んではいけない。

次の穴を掘り始めるのだ。


長く居座って高く飛んでゆく。

しかし、君は潮の流れに乗っているだけ。

そして大きな波の上で均衡をとっている。

君は墓場へ向かって走ってゆく。」


ロジャー・ウォーターズの書く詞は、いつも意味深ですね。この曲でも彼の才能は如何なく発揮されてるな・・・といった感じです。 

では、今日はこの辺で,次回から連載の本編に戻ります。ジベリ!

2008年5月1日木曜日

Construct the wall ~壁の構築~(プロローグ)

今回を含めた数回にわたって、僕は自分の過去について語っていこうと思います。
ここで触れるのは松山で過ごしていた幼少~高校卒業まで、つまり京に上ってくる前の19年間についてです。
 
僕は個人的にこの19年間を「不遇年間」と呼んでいます。
さらに今回の連載では、幼少期~小1までが「挫折年間」,その後の小2~4年までの時期を「葛藤年間」小5の一年間が「瞬光月間」で、その後の小6から高校卒業までの7年間を「暗黒年間」と、呼ぶこととします。 

正味,この19年間のことを細やかに綴れば、一冊の本が書けてしまうかもしれません。自分で言うのもあれですが、本当に出来れば振り返りたくない歴史なのです。「悪い」と言ってしまえば、本当にそれだけの19年でした。特に「暗黒年間」は・・・。しかし、そんな真っ暗の過去にも、僕は「楽しい」と心から思えたときが幾度もあったのです。どんな壁にぶつかっても、それを超えていけた自分がいて、圧倒的多数人が僕を迫害していたときでも、手を差し伸べてくれる人はいました。
 
いつだったか,ある人が僕に言ってくれた言葉を、僕は今でも覚えています。それが誰だったのかは思い出せませんが、その人は言ったのです。「幸せだから笑うんじゃない。幸せになりたいから笑うんだ。下を向いてたって、どんどんダメになるだけだ。」と。その時は何のことかよくわかりませんでしたが、そのずっと後に読んだ、『One Piece』に、同じようなことが書かれてあって、今更のように、その真意を知ることになったのです。辛いときこそ、希望を持つことが、笑うことが大切なんですね。笑顔って、必ずしも「結果」では無いんですよ。Queenのべーシスト,ジョン・ディーコンも、こんな言葉を残しています。「僕は苦しいときでも、なるべく多く笑うようにしようって心がけてるんだ。その方がシリアスに悩むより、余程,楽だよ。」と。流石、彼だって思っちゃいました。ホント、その通りなんですよね。下向いて悩んでても、大方,答えなんて分からないんですよ。ちょっと楽な気持ちで「いやぁ,こりゃどうも参ったなー。」なんて思ってた方が、存外早く答えに辿り着けたりするんですから不思議なもんですよ。「ピンチはチャンスでもある」なんて言葉もありますからね。
 
あと、僕がこうして過去のことを話そうと思ったのは、主に2つの理由からです。だんだんと調子が良くなっている今だからこそ、もう一度,あの不遇の時代を思い起こし、これから先の自分の糧にしていこうと思ったということ。つまりは、自分と向き合うためです。もう一つの理由は現在も、たくさんの人が「いじめ」などの不条理な現実と戦っているという事実があり、そういった「流離の英雄」たちにエールを送るとともに、「共闘」を呼びかけたいからです。一人じゃ無いのだと。これも「One Piece」の受け売りですが、人間,生まれてきたからには一人ぼっちなんてことは絶対に無いんです,それを忘れないでください。真っ暗闇の中にも小さな光があって、前進すれば、もっとたくさんの光に出会えるということを教えたいのです。生きてさえいれば、必ずまた笑える日がくるのだと。 

それと、間違えて欲しくないのは、これは『武勇伝』では無いということです。「成功本」を読む感覚で読まないでください。どちらかといえば、「失敗本」ですからwww。もっとも僕自身,まだ夢に向かって走っている身であり、そんな偉そうな事を言える身ではありませんし。
 
長くなりましたが、今日はここまでで、次回からが「本編」です。ジベリ!