前の記載から、ちょっと記載が遅れましたが、前回の続きです。「うわっ、暗っ!」と思う肩も居ると思いますが、この連載においては「明るい話」のほうが少ないです。<笑>ですので、楽しんでいってくれとは言いませんが、まぁよかったら最後まで読んでみてください。
今日の主題となるのは、ズバリ,「挫折」です。僕は生まれてから間もないころから音楽が好きだったようです。NHKでやっている「名曲アルバム」的な番組を好んでみていた記憶が何となくあります。親戚曰く「曲を聴いただけで、その作曲者と曲名を言い当てられた」とか。僕自身,何となくそんな感覚はありますね。なんか絶対音感に近い感覚を持っていたような気もしますし・・・。んまぁ、そんな才能にうちの親は目をつけてくれたようなのですが、それこそがある意味では悲劇の始まりでした。僕はその頃マンションに住んでいたのですが、そこにキーボードがあって、それで遊ぶのが好きでした。ただ自由に弾いていたかったのですね。まぁ案の定,英才教育的なノリで、僕はピアノ教室なるところに連れて行かれたのです。親としては良かれと思ってやったことなのでしょうが、当事者としては、「いややー!」って感じだったのですね。いきなり連れて行かれ、訳も分からず何やら分からない曲を練習させられ・・・。しまいには「近所の〇〇君(ちゃん)の方が上手だ。」、「アンタは下手。」などと親に言われ始めたのです。うちのオカンはやたらに他者と比べたがります。それに事足りず、何かと劣等感を植え付けようとしてました。。(僕だけでなくうちの弟も、その洗礼にあってますが、僕は長男であるが故、モロに打撃を受けましたね。更に言えば、うちの弟は少なくとも僕よりは自由に育ってます。僕のときに失敗したからか、多少,路線を変えたようです。)そうした経緯からか、僕は割りと早くから、個人主義に目覚め、「人は人、自分は自分」という、日蓮聖人の言葉で言うところの「桜梅桃李(おうばいとうり)」的な考えを持つようになり、また概して革新的になってましたね。
そんなこんなで、しばらくの間,僕はかなり内向的で、暗い性格になってました。今は何か吹っ切れたのか、あるいは悟ったのか、思いっきりポジティブで俺様的になっちゃってますけど。んまぁでも、そんなこんなでいつしか僕はピアノの演奏はおろか、音楽そのものが嫌になってましたね。そうした状況はそれからしばらく続くことになりました。
小5のときには町のジャズ・バンドクラブに(これも親が勝手に加入を決めていた)入って、コルネットだとかトランペットなんかを演奏するようになり、また「音楽っていいな」なんて思うようになり、一定の興味・関心が復活し、また,学校の音楽の時間にも歌で褒められたりすることがあるようになってました。歌う楽しさに気づき始めたのも、ここら辺からです。その後,USJショック(前記事「USJの衝撃」参照)をきっかけに、ロックに傾倒し、高校時代にはクイーンやビートルズ,イーグルスといったバンドのアルバムを、好んで聴くようになりました。リリック作成の開始も、この頃から始めました。ただ、それでも少なからず「楽器の演奏」というものには抵抗がありましたね。フラッシュ・バック的に昔の嫌な思い出がこみ上げてくるような錯覚に囚われた為です。しかし、松下奈緒さんのピアノとの出会いで、完全にそれも吹き飛ぶことになりました。正直,松下さんには感謝してます。もう大好きです。(オイオイ・・・。)
今,僕は改めて「音楽が好きだ。」と思ってます。遠回りでしたが、また「光」のある場所に戻ってきたのかな?と感じています。でも、一人じゃ限界があるから、「バンド結成」っていう結論にたどり着いたのですね。一人で何もかも出来る必要は無いと、僕は考えてます。何のために60億もの人が居るのか。協力しあって個々の長所を高めあい、あるいは短所を埋め合わせるためではないでしょうか?一人で何もかも得たとしても、そんなの楽しいはずありません。そこに「仲間」がいて、その仲間たちと笑い合えなければ、それはただ虚しいだけです。あの時代は「挫折」の時代でしたが、同時にたくさんのことを学べた時代でもあったと僕は今,考えています。必要な時代だったのかもしれませんね。その後の「暗黒年間」も・・・。今の僕がすべきことは、今の僕の目標に向かって,あるいは予てからの目標に向かって疾走することですね。諦めたりしたら、夢見た自分や、あるいは過去にもがき苦しんだ自分に面目ありませんからね。
では、長くなりましたが、今日はここで。ジべリ!(次回もこの章の続きです。次回がファイナルです。)
0 件のコメント:
コメントを投稿