・民衆を導く自由の女神<1830・ドラクロワ作/ルーブル美術館収蔵>
・21世紀のアンシャン・レジーム
西洋史の勉強をしていて、僕はふと気付きました。今の日本の状況は、革命前の旧体制(アンシャン・レジーム)のフランスの状況にどこと無く似てるんです。まず,最初にアンシャン・レジームとは何か?について説明します。当時のフランスには、3つの階級がありました。第一身分は「聖職者」,第二身分は「貴族」,そして第三身分は「平民」。全人口の5%である第一身分と第二身分は「特権階級」として君臨,残りの95%にあたる平民への搾取を強行していました。「王権神授説」(王権は神によって決定された絶対的な権威であるとする戯言)や「重商主義」(重金主義と貿易差額主義という理念に基いた、国利を第一に考えるもの)を拠り所に専制政治を実行、民衆,とりわけその過半数以上を占める農民たちは貧困に苦しんでいました。そんな中,この身分制度に疑問を持ち、体制の打倒へと向けて動き出す人々が現れます。ルソーやモンテスキュー,ヴォルテールといった啓蒙思想家の渓流を受け継ぐ形で...。そして1789年.7月14日、民衆によるバスティーユ牢獄の襲撃により、「革命」は幕を開けます。
では,現在の日本を見てみましょう。何かと儲けている宗教家(かの池田大作の個人資産は1兆円とか。そりゃ「庶民の王者」とか大口叩けるワケだ)はそのまま第一身分<聖職者>,次に,第二身分<貴族>に当たるのは、世襲議員、官僚,あるいは富豪。そしてあとは平民。大きく違うのは、その3者の関係です。フランス革命は、平民の高層階級に位置する有産階級が一つの大きな担い手となりました。「お金はあるけど、政治的権利が無い」といった平民階級の高層のブルジョワジーたちが、権利を求めて決起したことが、あの革命の大きな要因だったのです。なので、当初の政府は物凄くブルジョワ有利なものになっていました。(革命後も農民や貧民の暮らしは大して変わらなかったといいます。)要するに,フランス革命は、人民の権利獲得の終着点ではなく、そのスタートであったに過ぎないのです。例えば、財産による制限選挙だったのが、いくつかの段階を経て、「普通選挙」を完成させた,という事実がそのいい例です。
一方,現在の日本の政体・経済体制というのは、政府による金持ち優遇で成立しています。これは一部の金持ちによる「搾取」に他なりません。例えるならば、高層階級が半貴族化,特権身分化しているのです。「金持ちを優遇すれば、周りめぐって下々の人間の懐も満たされる」(因みに、これを「トリクルダウン理論」という)などと、未だに考える人間もいるようですが、それはあくまでお花畑に過ぎないということに、気付いてもらいたいものです。現在の日本の現状を見れば、それは明白ではないですか?同じく新自由主義を盲信するアメリカの状況を見ても分かるはずです。間違っているのは明らかです。
・闘争から連帯へ
先程,「打破せねばならない。」とは言いましたが、従来の「階級闘争」では、問題の解決は成されないでしょう。前々から言ってますが、やみくもに「対立」を煽ることでは、何の進展も見込めません。倒すべき悪は、打破しなくてはいけませんが、一つの集団を一丸に「悪」と捉えるのは間違いです。戦わなくてもいい人とまで戦うことはありませんからね。「対話」で解決できれば、それに越したことはありません。まぁ,どうしても邪魔するのなら、そのときは面倒ですが、地獄へと突き落とすのみです。「武力行使」や「テロル」で世界が変わった例はありませんが、降りかかる火の粉は払いのける,それだけのことです。人類の進展と権利獲得のためのやむを得ぬ戦いであれば、命を懸ける「理由」がありますからね。死なばもろともってヤツです。(要するに「殉教上等!」)
・「変化」の時代
フランス革命期,ヴァルミ-の戦い(1792)で、フランスの義勇軍は始めて反革命を掲げるプロイセンの正規軍を打ち破ります。その時,敵陣にあった文豪,ゲーテは言いました。「ここから,そしてこの日から、世界史の新たな1ページが始まる。」,と。僕は「現代」という時代は、そんな歴史の大きな分岐点だと思うんです。「変革のとき」が訪れているのです。自己責任一辺倒の新自由主義との決別を図り、その先にある「新時代」に、人類の進展を見ようではありませんか。「変える」ためには、「変わる」ことが不可欠です。個々が「現状の打破」を望み、意識改革すれば、ごく簡単に世界は変えられます。一歩踏み出す勇気,そして「連帯」!来るべき新時代に向けて、今こそ決起するときではないでしょうか?長くなりましたが、今日はコレにて。ジベリ!
<お詫び>
日付は書き始めた日になってます,スンマセン。(編入試験等で忙しく記事の公開は本日11月14日になってしまいました。)
0 件のコメント:
コメントを投稿