2012年10月31日水曜日

東京・川越旅行記(番外編)

・西武電鉄の黄色い電車

・東京都美術館のモニュメント

もう10月が終わろうとしていますが、一応この連載続いてたんです。まぁ本編としては一応あれで終わりでもいいのですが、実はまだまだ載せたい写真も書きたいこともあるので、その辺を中心に本日は番外編をお送りしたいと思います。


1、からくり時計

・川越祭りをモチーフとしたからくり時計(撮影は14日)

川越駅東口すぐの商業施設アトレ川越には「からくり時計」が設置されています。1時間に一回、正時になると動き始めるのですが、普段は時計がある以外は全て壁の中に格納されているので一見してもここにからくり時計があるとは分からないと思います。からくり時計は毎年10月の第三土曜~日曜にかけて開催される「川越まつり」をモチーフとしており、祭り囃子とともに笛や太鼓を持った子どもたちや絢爛豪華な山車なんかが登場します。川越を訪れた際には是非ともチェックして貰いたいスポットです。


2、ちょっと東京へ...
・メトロポリタン美術館展は来年の1月4日までの開催

川越の滞在中、実は一度東京へ出てるんですよ。(それでホントはそのまま帰っちゃう予定だったんですけど、なんか事情が変わってまた川越に帰ることになったんですよねw)それでどこに行ったかというと東京都美術館に行ってきたのです。「メトロポリタン美術館展」ってのが開催されててそれを見てきたんですよね。後ろのポスターにもあるゴッホの作品(糸杉)をはじめとしてNYのメトロポリタン美術館に収められている名画が一堂に集まったこの展示会ですが、個人的には好きな画家であるクロード・ロランの作品が見えたのが嬉しかったところでした。

・会場には緑で造られたモニュメントが多数

それから上野公園は「第29回東京都市緑化フェアTOKYO」(※先日28日で終了)というイベントの会場の一つになっているらしく、公園のあちらこちらに様々な植物や植物でできたモニュメントが置かれていました。特に目を引いたのは農村をモチーフとしたコーナー。

・林檎の木と透き通る秋の空

身近な野菜に始まり、稲穂や写真のリンゴの木なども置かれており、ついつい足を止めてしまいました。(また会場内には林檎や農作物などを売っているコーナーもあります。)特に熱くもなければ寒くもない今の時期は、こうやって緑の中を散策するのもいいかもしれません。

・上野駅前から見たスカイツリー

そうそう、スカイツリーも見てきましたよ。っても上野から遠目で見ただけの話ではあるのですがw(まぁしばらくは人でごった返してると思いますし、何より入場料がね...。東京タワーと同じくここも二重取りされるみたいですし^^;)ともあれ一応見たぞということですわ。それにしても独特のフォームをしてますね。風情があるかどうか、或いは趣味がいいか悪いかは別にして...ですけど。(←お前何か恨みでもあるのかw?)




まぁ要するにあれですよ。僕ら庶民は通天閣で充分だと。100歩譲って東京タワーで事足りるだろうと。今月初めに亡くなった金子哲雄さんのことでも考えながらそのうちまたあそこには行きたいものです。


3、サイゼリヤ

・この日はハヤシライスを食べた

彼女の家の近くにサイゼリヤがあるのですが、滞在中は何度かここに行ってました。(一度、昼も夜もここだったということもw)まぁ安いんですよね、ここは。それなりに量も食べれて結構美味しいものもあって、しかも長居できて...となるとまぁここに行き着くワケです。

・ペペロンチーノと白ワインと...

あと個人的にはお酒が手軽に飲めるのも嬉しいですね。ワインは白と赤とそれぞれ置いてくれているので、料理に合わせて選ぶこともできます。あとこの鶴ヶ島のサイゼリヤは、昼であろうと夜であろうといつも賑わっています。(彼女曰く、「町の憩いの場になっている」らしいです。うちの近所にあるフレンドリー的なポジションなんだと思いますw)


4、帰りの新幹線にて

・とりあえずお疲れさん

どんな楽しい旅にも終わりはあります。長い滞在でしたが19日にはついに京都へ向かう新幹線に乗り込むこととなりました。帰りに品川駅のエキュートで弁当とポテサラとビールを購入。あまり乗客のいない夜の新幹線で久々に一人の食事をしていたのでありました。彼女の方がこっちに来ることが多いのであまり見送られるのに慣れていないところもあるのですが、やっぱり帰るというのは寂しいものですね。

・Get Back Home...(彼女の家の近くにあるスーパーに行った帰りに撮影)

こういうときにこそ作詞だろ...とは思うのですが、個人的にはこういうときに何もしないことが多いです。っていうか出来ないんですよね。(多分、感傷的になり過ぎてるとダメなんですよw)そんなワケで夕食を食べたあとはtwitterをいじったりメールを打ったりした以外は実際に殆ど何もしてません。そういえば曲も聴きませんでしたね。なんかそんな気分にもなれなくて...。まぁそんなところですが旅行編はこれにて終わりにしたいと思います。皆さん今月もお疲れ様、ジベリ!

2012年10月30日火曜日

駄菓子には大抵思い出補正がかかっている

・川越は小江戸の異名を持つ由緒ある街(中央やや左に見えるのが時の鐘)

間もなく10月も終わろうとしていますが、少しずつ寒くなってきましたね。僕はというと本日修士論文の秋季の報告会を無事(?)終えてきた次第であります。まだまだ完成まで道は長く遠いのですが、とりあえず今日は連載の続きを書いていきたいと思います。ようやく川越ですw

・これは鶴ヶ島駅(東武東上線。撮影は10月12日夕方)

前の記事でちょっと書いたような気がしますが、このブログにも度々登場する僕の彼女というのが実はここ川越に住んでいるのです。本来僕は品川区のリサーチが終わった翌日の夜には京都に帰る予定だったのですが、そうこうしているうちに遅くなってしまい泊まって帰ることになったのです。(そしてもう1日もう1日とやっているうちに、それがとうとう1週間後になってしまったというワケです。←お前w)

・厄除けで有名な喜多院

「小江戸」の別称を持つ川越は、各地に歴史ある寺社が立ち並ぶ由緒正しい街なのですが、10月13日川越観光の最初の目的地はその代表格である喜多院というお寺。門前にあるのはこのお寺に縁のある天海大僧正(南光坊天海)の像。(下写真参照)ご存知の方も多いと思うのですが、この天海なる人物は非常にミステリアスなお方なんですね。

・喜多院の門前には天海大僧正の像がある

徳川家康も長寿で知られますが、天海はそれを凌ぐ長寿であり、なんと107歳まで生きていたのです。江戸幕府ではブレーンの一人として絶大な力を持ち、とりわけ寺社の再建復興など宗教政策において力を発揮したとされています。そして実はこの人物、明智光秀なのではないか?との説が長らく主張されているのです。

・東照宮を彷彿とさせる造りの鐘楼門

光秀といえば本能寺の変で織田信長を倒し、そこから山崎の戦いで豊臣秀吉に敗れるまでの短い間、世に言う「三日天下」を築いたことで知られている人物なのですが、そもそも本能寺の変の黒幕は未だによく分かっておらず、また光秀の死についても不可解な点が多いのが実情です。(ここについて話すとそれだけでまた連載がひとつ出来てしまうことになるので割愛しますが、僕は家康黒幕説を支持する次第です。)そして徳川家康と間に浅からぬ関係があったという点も見逃せません。事実、家光の乳母(育ての親)として抜擢された春日局はもともと光秀の重臣、斎藤利三の娘だったのです。

・これは多宝塔 

今の喜多院は多方江戸時代に造られたものなのですが、このお寺自体の歴史はその遥か昔、なんと7世紀末の880年に遡るのです。創設したのは浅草寺をはじめとする多くの寺社を開山したことでも有名な慈覚大師円仁であり、当時は「星野山無量寿寺」と号していました。無量寿寺はそもそも3つの寺から構成されており、それぞれ北院、南院(今はない)、中院と呼ばれていたのです。では誰が今の呼称に改めたのかというと、その人物こそ天海なのです。(喜びが多くありますように...との願いが込められているそうです。素敵ですね^^)

・中庭にも注目

喜多院は江戸幕府ないし徳川家と非常にゆかりのある場所でもあるのです。そもそも喜多院は1638年の大火で山門を除く全てを消失しており、その再建を手がけたのが時の将軍、徳川家光だったのです。特筆すべきなのは、そのときに江戸城の一部(紅葉山御殿)がここに移築されている点です。その後の明暦の大火(1657年)などによって殆どを焼失した江戸城ですが、ここに一部ではあるものの築城当時の面影を見れるところがある...というのは大変貴重なところです。


・五百羅漢像
喜多院のもう一つの見所は、この五百羅漢像なのです。羅漢というのは平たく言えば仏教におけるとりわけ優れた修行者のことであり、この五百羅漢というのは仏陀に常に付き添っていた弟子たちのことであり、仏陀入滅後に行われたというかの第一回の仏教結集(仏典の編纂)に集った人々なのです。それゆえ古くから日本や中国で彼らは敬われており、各地でこれと同じようなものが作られているのです。本当に500あるのかどうかは数えたわけではないので定かではないのですが、よくよく見るとそれぞれ異なった顔つき・表情をしており、また持ち物や連れている動物なども多種多様で、見る者を飽きさせません。江戸時代末期におよそ50年の歳月をかけて作られたというここの五百羅漢は日本三大羅漢に数えられるほどのものなのだとか...。(諸説あり)

・レトロな車体の観光バス

喜多院を出たあとは、写真のバスに乗り込んで次の目的地を目指します。このレトロなバスは川越旧市街地の名所を周る観光バスで、500円で1日乗り放題になるのです。これで喜多院は勿論、氷川神社や後に登場する菓子屋横丁なんかにも行けちゃうワケです。因みに川越といえば恐らく皆さんが思い出すのは映画「ウォーターボーイズ」のモデルとなったことでもその名を知られる川越高校だと思うのですが、その川越高校もこの喜多院からそう遠くはない場所、もっと言えば川越城本丸御殿(今回は未登場)の目と鼻の先の場所にあるのです。(東大合格者をコンスタントに出すくらいのレベルの高校なんですよ...)

・江戸時代の名残を残す蔵造りの町並み

次の目的地は時の鐘や菓子屋横丁のある旧市街地のメインストリートとも言うべき場所である「蔵造りの町並み」です。冒頭の時の鐘や、西洋風の造りが目を引く埼玉りそな銀行川越支店(上の写真の左手中央奥にちょっと写っている)などが丁度この近辺にあり、ついでに言うと市役所なんかもこの近郊にあります。

・時の鐘は「日本の音百選」にも選ばれている

この周辺には古くからあるお店も多く並んでおり、また観光客も多いため土産物を取り扱うところも少なくありません。川越の名物というのが実はサツマイモなのですが、お土産にもこれを素材にした和菓子なんかが多く見られます。また次回の記事にでも載せますが、サツマイモと時の鐘をモチーフにした「ときも君」なるゆるキャラも最近売り出し中だったりしますw

・いも恋(川越はサツマイモの産地としても有名である)

これは時の鐘の隣にある右門というお菓子屋さんの「いも恋」という名前の芋饅頭なのですが、これ芋と餡子の二重構造(?)になっている珍しいものなんです。丁度スイートポテトに餡をのせたようなイメージなんですけど、その割に甘すぎずあっさりしています。蒸し立てのホカホカが食べれるので、是非近くに立ち寄った際には1つ買って食べてみてください^^

・駄菓子屋が立ち並ぶ菓子屋横丁の風景

蔵造りの街並みから程近くにある旧市街地の隠れたメインスポットが、駄菓子屋が軒を連ねるここ菓子屋横丁なのです。ここでは明治初期よりお菓子の製造をしていたそうなのですが、これほどまでに駄菓子屋が集中するようになった直接のきっかけというのが実は関東大震災なんです。その際に大打撃を受けた東京に代わって駄菓子を製造供給する拠点となったのです。

・おでんを食べてみた(1つ100円也)

菓子屋横丁には昔懐かしの駄菓子が盛沢山です。子供も大はしゃぎ間違いないのですが、もしかするとそれ以上に大人ないし大人に片足を突っ込んだ人たちこそテンションの上がる場所のような気もします。気が付けば荷物が駄菓子だらけになっていても何ら不思議はありません。決して体にいいものではなく、取り立てて美味しいものでもないのですが、どうしてか買ってしまうんですよね。その辺は今も昔も変わらないのかもしれませんし、ずっと変わらなくていいのだと思います...。因みにこの近辺では駄菓子のほかにも写真のおでんのような軽食もところどころで売っているので、ついついつまみ食いしてしまいますw

・川越駅西口からの風景

家を出たのは昼前だったのですが、川越駅に戻る頃には日も暮れ始め、辺りは次第に暗くなり始めていました。川越駅周辺にはたくさんお店もあるので、この近くで何か食べて帰ってもよかったのですが、この日はところどころで何かと食べていたこともあり、この時点では2人ともまだお腹が減っていなかったのです。そんなワケでとりあえず彼女の住んでいる鶴ヶ島まで引き返し、その近辺で夕食を食べることにしました。

・がってん寿司で夕食を...

それで行ったのが「がってん寿司」という回転寿司のお店。関西には無いお店なので僕も全然知らなかったのですが、値段的にはかっぱ寿司とかスシローよりは割高の、比較的高級感のある回転寿司...といったところで、ネタにも結構こだわっている感じがします。(あと、この寿司屋にはなぜかドリンクバーがありますw)特に美味しかったのは丁度写真に写っている炙りサーモンと季節の具材をふんだんに使った味噌汁、それからウニです。相変わらず寿司屋になんて滅多に行けるご身分ではないのですが、まぁたまには贅沢もしたいものです。そんなところですが本日はこの辺で失礼します、ジベリ!

2012年10月28日日曜日

湯浅誠さん、来たる。

今日は我が龍谷大学にビッグなゲストがやって来ました。社会活動家の湯浅誠さんです。反貧困ネットワークやもやいといった団体での活動で広くその名を知られ、とりわけ「年越し派遣村」の村長を務めたことで大きな話題となりました。また民主党政権においては今年2月まで内閣府で参与も務めていました。

・湯浅誠さんは今年2月まで内閣府の参与も務めていた


その時の成果が目に見えるように芳しいものでなかったことなどから、評価については賛否が分かれる湯浅さんですが、そもそも湯浅さんとしては半ばブラックボックス化している行政に入ってみることでその実態を知りたいという思いもあったのだとか。成程入ってみなければ見えてこないところも沢山ありますからね...。


このあとに少しディスカッションをできる時間もあったのですが、それも含めて有意義な機会となりました。やや残念だったのはそれにもかかわらず来場者があまり多くなかったこと。学生の皆さんにもう少し来てもらいたかったところです。


~追記:川越土産、好評の模様~

・五家宝、残りわずか

川越からのお土産として研究室に持って行っていた五家宝(ごかぼう)というお菓子があったのですが、好評だったようでもうあと2本くらいしか残ってませんでした。気に入って貰えて嬉しい限りです。(その川越観光については近日記載予定w)そんなワケですが、本日はこの辺でお暇します,ジベリ!

2012年10月25日木曜日

東京・川越旅行記②

・夕闇に浮かぶ大村益次郎像

ということで前回の続きです。東京駅を出てまず最初に向かったのは2009年以来、毎年一度は参拝している靖国神社。昨年2月同様に今年も彼女と一緒に参拝します。昨年来たときはそうでもなかったのですが、なんか僕の影響で最近そういうのに興味を持ってくれたらしく、今年は2人揃って感慨深い気持ちで参拝してきました。

・夕暮れ時で人もまばらな靖国神社境内

1回目は2009年の7月、2回目は2010年の4月、そして3回目は昨年の2月...ときて今年は10月の参拝となったワケですが、秋季の参拝はこれが初めてなんですよね。桜の季節の賑やかな靖国も、それはそれでいいのですが、秋の夕暮れというのは何とも耽美的であり、且つ荘厳な雰囲気を感じさせるものであります。

・靖国神社本殿と秋色の空

皆さんがどう思って靖国神社を参拝しているのかは分かりませんし、別段それに口を出す気もないのですが少なくとも僕は日本とアジアの平和と更なる繁栄を願っているのであり、付け加えるのであればそのために自分も力を尽くす...という誓いを立てている次第です。

・神門には菊の御紋が掲げられている

また今の連載とも関わるところですが、僕はどこぞの石原とかいう都知事のように‘あの戦争の何人かの明らかな責任者’を自分なりに外して合掌するようなことは一切していません。じゃあ聞きますけどいわゆるA級戦犯と呼ばれている人たちが何をしたというのですか?その人たちがいなければ戦争をせずに済んだのですか?違うんですよ。彼らはアメリカなど戦勝国のご都合で裁かれたのであって、何ら明白な責任者という訳ではないんです。今の日本は彼らを含めた英霊たちの犠牲の上にあるのだということを忘れてはいけません。

・豊田屋は池袋にある古き良き佇まいの居酒屋である

その後、宿泊するホテルのある池袋まで移動した僕らはお腹も減っていたのでとりあえず夕食を食べることに。今回行ってきたのはこの写真の「豊田屋」という居酒屋さんです。実はこのお店、このブログでも何度か名前が登場しているネットジャーナリストのリチャード・コシミズさんお薦めの店なんですよね。

・ハムカツとか黒ビールとか...

この近くにオフィス持ってるんですよね、たしか。僕は実際に講演会に行ったことはないのですが、you tubeでいつもその様子を拝見させてもらっています。(独立党も我が志士会も考え方は対して違わないのでw)時たまその講演会でもここの名前が出てきていて気になってたんですよね。小ぢんまりした店内はサラリーマンを中心とした沢山の客でごった返しており、古き良き時代の居酒屋といった趣を色濃く感じました。

・二杯目はホッピーを呑んでみたw

上の写真の通り、一杯目はヱビスの黒ビールを呑んだのですが、折角東京ということで二杯目はホッピーを呑んできました。関東だと比較的ポピュラーな飲み物(今風に言えばビアテイスト飲料になるのかなw?)で、これを甲類の焼酎と割って飲むのがメジャーな飲み方なんですね。

・焼き鳥とか焼き豚とか...

しばらくここで飲み食いしたあと、〆にということで丁度近くにあった天下一品に立ち寄ります。ラーメンを食べてもよかったのですが、お米が食べたかったこともあり僕は炒飯を食べてきました。ホテルにチェックインしたのはたしか21時前頃だったように思います。そしてこの日は早くに就寝し、明日へ備えました。

・サンシャイン60ビル(この近くにかつては巣鴨プリズンがあった)

翌朝、まず最初に向かったのはサンシャインシティ。その一角、丁度サンシャインビルの真下に位置する公園内の隅の方にひっそりと佇んでいる、とある記念碑を見に行ったのです。それは何かというと、いわゆるA級戦犯の慰霊碑。なんでそれがこんなところにあるのかと疑問を持たれる方もいらっしゃると思いますが実はこの周辺にその昔、悪名高き巣鴨プリズンがあったのです。

・東条英機らはこの地で処刑された

そして東條英機らはここで処刑されたのです。しかしその慰霊碑にはただ「永久平和を願って」と記されているのみであり、辛うじて裏にはその説明が書いているものの訳を知らない人が一見したところでこれが何であるのかすら分からないような状況です。しかしそれでもここに手を合わせに来ている人は平日のこの日(10月12日)でも数人見えるなど、完全に忘れられたものではないということは分かり、そこは幾分か安心したところでもあったのですが...。彼らは戦ったんですよ、まだ終わっていなかったあの戦争を。半世紀以上が経過した今もその名誉が傷付けられたままというのは悲しいものです。

・東池袋駅付近にあったフクロウの像たち

その後、少しサンシャインシティを散策したあと東池袋駅へと向かって、そこから次は東武東上線で川越へと向かっていきました。本来はこの日に京都に戻る予定だったのですが、そうこうしているうちに時間が過ぎてしまい、1日延期ということになったのでした。(それが1日、また1日となっていき、まさか翌週の金曜まで滞在することになるとはこの時は想像だにしていませんでしたけど^^;)そんなところですが、本日はこの辺で失礼します、ジベリ!

2012年10月22日月曜日

東京・川越旅行記①

・リニューアルから間もない東京駅丸の内駅舎

ということで、以前言っていたように今日から数回に分けて先々週~先週にかけての東京及び川越での滞在について書いていきたいと思います。1回目の今日はとりあえず初日10月11日のヒアリングとその後の東京駅見物についてお送りします。

・JR京都駅のホームにて

家を出たのは朝9時頃。10時30分頃出発の新幹線に乗って品川を目指します。ここからおよそ2時間の旅の始まりです。前に新幹線に乗ったのは恐らく小学5年の時だったと思うので、実に10年振り以上ということになります。しかもこっちの方に新幹線で行くのは初めてですからね。ワクワクしないはずがないと言うものですよw

・窓からの景色(多分滋賀県のどこか)

久し振りの新幹線だからというのも勿論あるんですけど、やっぱり旅先に向かう時というのはどうしてもソワソワしてしまうものです。窓の外に見える景色も、なぜだかキラキラして見えてくるものです。今回もまた例によってオムニバスCDを前日に作っていたので、それを聴きながらぼんやりとそのキラキラした景色を追い掛けていました。

・品川に到着!

およそ2時間以上に及ぶ旅立ったのですが、時折窓の外の景色にカメラを向けたり、twitterをチェックしたりしていると時間はあっという間に過ぎてしまいました。品川駅に到着したのは12時40分頃。そこから京浜東北線に乗り換えて大井町へ。

・ヒアリングに訪れた品川区役所

なぜ品川区役所なのかというと、そもそも僕は今、市民教育についての研究をしているのですが、それを科目として実施している恐らく国内で唯一の事例というのがここ品川区の市民科という科目なのです。もともと無理をお願いしてのヒアリング受け入れということもあり、30~40分ほどの時間ではあったのですが、それでも論文の材料としては十分な収穫を得ることが出来ました。

・お昼ご飯はケバブサンドです(500円也)

その後、15時から遠恋中の彼女と東京駅で待ち合わせすることになっていたので、少し急ぎ足に東京駅へと向かいます。途中、よく考えたら僕は昼食を録に食べていなかったということでどうにもお腹もすいていたので、偶然目に入ったケバブサンドを売っているTORAというお店に立ち寄ることに。ちょっと先を急いでいたので、チキンケバブのサンドをテイクアウトすると足早に大井町駅へと向かい、結局それを食べたのは東京駅でしたw

・構内には東京駅のジオラマも...(因みに待ち合わせは結局ここになったw)

八重洲の大丸前でスタンバって彼女を待ちつつケバブサンドを食べていると到着のメールが...。どうやら降りた場所が丸の内側だったらしく、そちらに来てくれとのこと。(東京駅を利用されたことのある方はわかると思うんですけど、この駅結構広いんですよね^^;)

・沢山の人で賑わう東京駅(丸の内側)

まずはリニューアルされて間もない丸の内駅舎を見物。もともとの駅舎を忠実に再現したということですが実際に見てみると、その完成度の高さに驚きます。これだけのことが出来るんですね。(だから京都会館だって何とかなるんですよ。耐震のことがあるから改修はしょうがないとしても、あの雰囲気を壊さずに修復することは充分に可能なのです...。)

・天井も素敵です

丸の内駅舎には東京ステーションホテルも併設されているのですが、このホテルというのがまた素敵なところなんですよね。(まぁその分、お値段も帝国ホテルレベルだったりするのですがw)それから丸の内側のホーム近くには「平民宰相」の異名で親しまれた原敬が大塚駅の駅員である中岡艮一(こんいち)に刺殺された場所を示すプレートがあります。(下写真参照)

・原首相遭難の地を示すプレート

因みに東京駅ではもう一人、首相が暗殺の憂き目に遭っています。「ライオン宰相」の異名を持つ浜口雄幸です。こちらは狙撃によるものですが、なんとかその場では一命を取り留めます。しかしその後様態は悪化し、結局浜口内閣は総辞職。その後事件から1年足らずで彼はこの世を去ります。その場所は現在の新幹線中央乗り換え口の近くで、原敬遭難現場と同様にこちらもプレートが置かれているそうです。

・丸の内駅舎前にはこのようにオフィス街が広がっている

まぁ長い歴史を持つ東京駅だけあって、ここは幾つもの歴史の‘その時’を目撃してきたのでしょう。2人もの首相が命を落としているということですが、それぞれ死の悔やまれる人物でした。どうせなら今の首相とかこないだの首相のような死んでも何ら悔やまれない(どころか歓迎されそうなw)人がそういう目に遭ってほしいものなのですが、どうにも悪いやつに限って死なないものです。そんなところですが、とりあえず今日はここまでということにしておきます。次回は靖国参拝&池袋での夕食などについて書きたいと思います。それでは今日はこの辺で失礼します,ジベリ!