2013年5月21日火曜日

あくまでサイクリング。

・近鉄の電車をパシャリ

・伏見は水の街なのです

ここへ来ての就活2連戦で流石にバテ気味だったのですが、それも半日も寝ていると吹っ飛んでしまうもので、午後からはちょっとその辺りをサイクリングしてきました。と言うのも僕は昨年同様、伏見名水スタンプラリーなるイベントに参加しているのですが、その期限が今月末だったんですね。

・古くから厄除けに御利益があるとされている城南宮

最初の目的地は城南宮。僕の以前のバイト先の近くなのですが、昨年の5月以来一度も行っていないのでおよそ1年振りの参拝になります。(そしてこのブログに出るのもそれ以来のことです。)城南宮は方除け(九星気学に基づくものであり、方角による災厄を防ぐものとされる。古文でよく出てくる「方違え」もその一環。ついでに言うと節分の恵方巻きもその九星気学に基づくものなんですよ。)や旅の安全にご利益があるとされる神社であり、古くから広い信仰を集めてきました。

・城南宮本店裏手にて(遠方に見えるビルは京セラです)

因みに城南という名前、城というのは平安京のこと。つまり平安京の南にある社ということで城南宮なんですね。また城南宮本殿の裏手には厳島神社や稲荷神社など様々な神社の祠があり、1周するだけで様々なところに参拝できてしまうようになっています。(なのでお賽銭は多めに持っていきましょうw)

・かつては「鳥羽の西大路」とも呼ばれていた鳥羽作道

城南宮の境内を半ば突っ切るようにして一本の小道があります。これは鳥羽作道(とばのつくりみち)と呼ばれるものであり、朱雀大路の入口である羅城門(羅生門とも。芥川龍之介の小説に出てくるアレです。場所的には東寺の近くに該当)から鳥羽を経由して淀(競馬場のあるところですね)に通じていた古代道路なのです。現在では殆ど経路の跡も残っていないのですが、ここはその面影を残す珍しい場所でもあるのですね。


・鳥羽作道を経て...

その後、次のスタンプ設置場所である清和荘なる場所へ。(因みに城南宮からその場所までは自転車で5~10分程度の距離にあります。)まぁ料亭のような場所であり、ぶっちゃけ僕ら貧乏侍にはほとんど幼児のない場所なんですが、この建物の前にはひとつ特筆すべきものがあります。

・近藤勇遭難の地を示す石碑

新選組の近藤勇が油小路事件(新選組と高台寺党こと御陵衛士の抗争)の遺恨で、狙撃された場所を示す石碑があるのです。この際負傷したことから、近藤勇はその直後の鳥羽伏見の戦いに参戦することができず、代わりに副長の土方歳三が新選組の指揮を執ることになったのでした。僕自身、新選組自体にはあまり興味がないのですが、「銀魂」が好きなもんでどうしても最近は‘真選組’の方を投影させちゃうんですよね。(そして動乱篇を思い出して感傷的になるw)


・大黒寺は別名を薩摩寺という

ともあれ次の目的地は別名で薩摩寺とも呼ばれる大黒寺。(ホントはその前にもう一つ菊正宗の酒蔵にも行ってるのですが、ホントにスタンプだけ押して帰ってきちゃったので写真もありませんw)かの弘法大師の開祖とされる、大変長い歴史を持つ寺院なのですが、なぜここが薩摩寺と呼ばれているのかというと、かつてこの近くに薩摩藩邸があったことに大きく関係しているのです。

・有馬新七ら9烈士の眠る墓地

関ヶ原での退き口などが今も伝説として語られ、「鬼島津」の二つ名を以て称えられる戦国武将・島津義弘が、自らの守り本尊と同じ出生大黒天が祀られていることを知って元和元年(1615年)にこの地を薩摩藩の祈祷所としたのでした。(大黒寺というのも、このときに付けられた名前なのです。)また昨年の記事にも書いたのですが、先述したような経緯からここの境内には寺田屋事件(薩摩藩士の内ゲバの方)で犠牲になった有馬新七らのお墓もあるんです。

・これは京阪電車(丹波橋駅付近にて)

もうこの時点で17時を回っており、スタンプを押せる場所も近くにはなかったので今日のところはこれにて撤収ということに...。途中、電車の写真を撮ったりしながら、深草方面へ向けて自転車を走らせます。

・藤森神社

その後、藤森神社にも行ったのですが、スタンプ押印は17時までだったのでそれは後日ということにして、軽く参拝したあとに「不二の水」(他に2つとないおいしい水の意)と称される名水だけ汲んで帰ることにしました。藤森神社の水は今でも汲みに来る人が多く、近くの住民にとって欠かすことのできない場所になっています。

・「不二の水」と呼ばれる藤森神社の名水

京都はよく「食べ物が美味しい」と言われるのですが、それはそもそも水が美味しいからなのかもしれません。伏見はその語源を伏水、つまり地下水にあると言われるほど水に恵まれた街なのですが、だからこそ酒の名所であり食べ物も美味しいのでしょう。その昔は金融・文化の中心地でもあった伏見ですが、今は専ら京都随一の住宅地であり、実際伏見区は一番人口が多い区でもあるのです。この町の人々の営みを支えてきた伏見の水は、きっとこれからもこの街を、そして京都を潤わせ続けるのでしょう。そんなところですが本日はこの辺で失礼します,ジベリ!

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