先日東京に行った際、
東京新聞を買って帰ってきたのですがそこに面白い記事がありました。その記事とは5面目中央上の「ミラー」なるコーナーで記事のタイトルは
「人権大国の実態」。記事の主役の一人は外務官僚の「シャラップ上田(←メイロマさんの命名らしいw)」こと上田秀明人権人道大使。問題のシャラップ発言も然ることながら、中世(
the middle age)と中年(middle age)を言いマツガウなど外交官とは思えない微妙な英語力を披露したその姿は、さながらスベり芸とも言うべきものであり、5月22日の発言以来、ネット世界を中心に失笑の的となってきた人物です。(
実際の映像があるようです。これは恥ずかしいw)
これを見ていて思い出したのが1933年の2月24日に国際連盟脱退の名演説をした
松岡洋右外務大臣。彼はシャラップ上田とは違い抜群の英語力で脱退演説を行い(しかも原稿なし)、その毅然とした姿は当時日本中で大きな喝采を浴びるところとなったと言います。この‘大演説’を以て日本は国際連盟を脱退し、国際的に更なる孤立の道を進むところとなりました。(ともあれ実はこのときの総会で日本は国際連盟脱退を既定路線としていたワケではなく、当の松岡大臣本人も、出来る限り脱退を避ける方針だったそうです。ゆえに本人は「失敗だ」と語っていたそうな…。)
この演説は別名「十字架上の日本」とも題されます。日本の主張は正しく、それを認めない欧米諸国はさながら「イエス・キリストを磔にした」ような理不尽なものであり、「日本の正当性は必ず後で明白になる」とするものでした。成程これだけ内容のあることを流暢な英語で話されれば国民は喝采を送っても無理はないかもしれません。ただこの演説、欧米の人々にとっては寧ろ逆効果だったとも言われます。たしかに彼はプロテスタント(新教)の信者であり、クリスチャンには違いないのですが、それでもキリストを未だに白人だと信じて疑わない多くの
バカ正直な敬虔な欧米の人々にとっては「非白人種の辺境の人間が何を生意気な…」というのが総論だったからです。(語学というのはこういう精神的ないし社会的なデリケートな一面があるというのを理解する恰好の材料とも言うべきエピソードですね。)
相変わらずこの国の英語教育というものはいい加減であり、しかも多くの人にとっては現状あまり使わなくてはならない身近なスキルではないがために誰も差し迫ったものが無ければ英語を熱心に勉強しようとは思いません。巷ではやれ小学校からの英語教育だ、社内公用語を英語にするだなどと盛り上がりを見せている感がありますが、恐らく上手くいかないでしょう。彼らは根本を間違えています。
語学の原点は母国語だということです。よしんば英語をペラペラしゃべれるようになったとしても、そもそもの母国語のボキャブラリーがなければその内容というものはひどく軽薄なものになりかねません。、また松岡大臣の発言とその余波からも分かるように、外国語というのは話せればそれでいいということではありません。伝えようとしている相手のバックグラウンドに何があるのかを知る力も必要になります。それをカバーするのが学校で言うと
社会科になると思うのですが...それが議論されることは今のところないようです。
因みにこの日の東京新聞、社説は社会保障と防衛白書の2つ。社会保障については相変わらずあまり議論されない現役世代を支える制度の必要性について言及し、もう1つの防衛白書に関するものは対中強硬姿勢をけん制し、中国との対話を呼びかけるもの。どちらも読み応えのあるものでした。また26面ではTPPにより農水産物の輸出が1兆円増えるという政府の絵空時にも似た成長戦略を批判。実際の試算では壊滅状態に陥ることを指摘しています。27面でも引き続き農家を取り上げます。
戦略不足で勢いだけの政府の「攻めの農業」を批判し、まず生産者の確保が必要だと指摘しています。前々から東京新聞は凄いと聞いていたのですが、その評価は強ち間違いではないようです。今日はもう1本書きたい記事があるので一旦ここで失礼します。
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