・2020年東京五輪 復興と経済成長の起爆剤に(読売新聞社説)
http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20130909-OYT1T01260.htm
・2020年東京五輪 成功は世界への約束だ(産経新聞社説)
http://sankei.jp.msn.com/sports/news/130910/oth13091003280001-n1.htm
・20年東京五輪 未来への遺産を作ろう(毎日新聞)
http://mainichi.jp/opinion/news/20130910k0000m070133000c.html
朝日新聞は、数日でリンクが切れてしまうのでハナっから載せてませんが、まぁ似たり寄ったりの論調と言ったところ。この中では毎日
・東京五輪決定 復興と希望の新風を世界へ(京都新聞社説)
http://www.kyoto-np.co.jp/info/syasetsu/20130910_2.html
・20年東京五輪/被災地の復興を支える大会に(神戸新聞社説)
http://www.kobe-np.co.jp/column/shasetsu/201309/0006324960.shtml
・2020年 東京五輪 成功の条件 原発事故を封じ込めよ(東京新聞社説)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2013091002000139.html
たしかに全国紙よりは懸念のトーンが強めですが、最終的には浮かれ倒している感が否めないところであり、あまりいいとは思いません。そうした中、辛辣だったのがこの2つ。河北新報と琉球新報。
・東京五輪決定/復興の開催理念磨きかけて(河北新報社説)
http://www.kahoku.co.jp/shasetsu/2013/09/20130910s01.htm
五輪開催地に東京 夢と感動 世界と共に 被災地復興を忘れるな(琉球新報社説)
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-212228-storytopic-11.html
特に琉球新報の社説の鋭い点は、今回の東京五輪開催を原発や放射能云々以外のところでの懸念についてまで取り上げている点なのです。オリンピックは「平和の祭典」なんぞと呼ばれてはいますが、そんなキレイなものではないということは恐らく多くの人の知るところでしょう。たとえば今でこそさも平和を象徴する行事のように思われている聖火リレーですが、これが初めて行われたのは1936年のベルリンオリンピック。ナチスドイツがゲルマン民族こそがギリシャの伝統を受け継ぐ最良の民族であることを誇示するために始めたものだったのです。やたらに国威発揚を促している安倍政権が、「ナチスに学べと発言した閣僚を有する自民党が、これを利用しないと考える方がむしろ無理があるように思います。2020年の東京五輪は「最悪の政治ショー」になってもおかしくないのです。
ここで話題を戻します。上記の通り、新聞は概して大はしゃぎなのですが、そんな中で冷静な見解を示すところが1つ。そう、我らが日刊ゲンダイです。1面の記事の上半分を使っての大見出し「東京圧勝」のあとに「例によってイベント大好きの多新聞・テレビは大はしゃぎ」との中見出しが続き、その後いよいよ本題に。「7年後の五輪決定への良識層のこれだけの見方と懸念」との見出しに始まるこの記事は、被災者切り捨てのお祭りムードをけん制するとともに五輪が国威発揚のための道具として利用される懸念にも言及するものに...。まさに僕が言いたいことと同じようなことを書いてくれているのが、またもや日刊ゲンダイなのでした。
そんな心配をよそにメディアも大衆も「経済効果」に浮かれています。下衆の極みとはこのことを言うのでしょうが少し冷静に考えてみましょう。果たしてオリンピックにはどれほどの経済効果があるのでしょう。1964年の東京五輪、輝かしい時代の1場面としてしばしば取り上げられる出来事なのですが、調べて見るとこんな記事が見つかりました。
・1964年の東京オリンピック開催が初めての国債発行につながった
http://xn--xlro74ciuuldj.jp/1964tokyo-olympic-209
俗に証券不況とも呼ばれる昭和40年不況を日本は僅か1年で脱却するのですが、戦後初めて、1回限りのつもりで1965年に発行された赤字国債は、その後麻薬のように20年近くも毎年発行されるものとなったのでした。記事の中でも書かれているのですが、その理由は公共事業が産業化したことにあります。それらは主に地方で顕著なのですが、もともと臨時の仕事に過ぎなかった公共事業が、こちらもあたかも麻薬のように機能し、地方の産業そのものになってしまったのです。つまるところ、東京五輪は昨今まで続く地域衰退の主要な要因の1つとさえ言えるのです。
加えて言うと、実はオリンピック後に不景気に陥る(またはその材料が生み出される)のは64年の東京五輪が例外と言うわけではありません。たとえば過去6回(※北京まで)の夏季五輪のあと、翌年の経済成長率が減少していないのはアトランタ(アメリカ)の1例のみなのです。(しかし勘ぐった見方をすれば、アメリカの経済成長率が低下しなかった理由はその前後にIT革命がはじまったことに加えて、同時期に起こったコソボ内戦にあるんじゃないか?というのが個人的な分析であり、要するに軍需ゆえの結果ではないかということです。この辺はもう一度調べる必要がありそうですね。)
つまるところ、大きな需要への反動としてこの経済停滞は起こり得るのですが、果たして我が国ではどうなるのでしょうか?参考までに直近の例で98年の長野冬季五輪の例を見てみると、どうやらこちらもその後不況をもたらした模様で、短観の景況感は10年間ほぼ一貫して全国を下回り、県財政も悪化している模様。地方と大都市と言うことで、勿論条件は大きく異なりますが、どう転んでも大きな経済的起爆剤にはならないというのが大方の分析のようです。祭りが好きなのは僕も同じです。そりゃ楽しいに越したことはありません。しかしながら、そもそも今は浮かれている場合ではないでしょう。オリンピックよりも先にやるべきことがあるはずです。まだまだ言いたいことは色々とあるのですが、まぁ今日のところはこの辺で失礼します,ジベリ!
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