・澱川橋梁(観月橋より。撮影は今朝)
今日は結局、うちに帰ったあと風呂に入り、そしてその後はひたすら寝ていましたw 気付けば夜というテイタラクなのですが、まぁ買い物も終わってますし、とりあえず今日のところは残り物のカレーと岡田商店で買ってきた揚げ物でも食べて明日の仕事納めに備えたいと思います。ともあれ今年最後の週刊コラムですよ。いろいろ迷ったのですが、テーマはこれにしました。
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・青春と音楽
僕は高校時代、洋楽ばかりを聴いていた。それもタイムリーなやつではなくて60~80年代のイギリスやアメリカのロックばかりを聴いていたように思う。それは大学に入ってからしばらくも変わることはなく、特に大学入学直後は我が家でピンクフロイドが流れていない日は無いといっても過言ではないほどだった。その絡みでキング・クリムゾンやELPも聴いた。思えば実に混沌とした青春だ。
しかしながら今年2016年という年はその混沌とした時代を彩ったアーティストが次々に世を去った年でもあった。1月にはデヴィッド・ボウイが火星へと帰り、それから程なくして次はグレン・フライが逝った。続く2月にはモーリス・ホワイトも去った。その翌月にはキース・エマーソンが天国へとライブに出掛け、今月初頭にはグレッグ・レイクがそれに続いた。そして挙句先日はジョージ・マイケルときた。気付けば僕も20代が終わろうとしている。青春が遠い過去のように思えてくる。
とはいえ俗に言う青春時代に僕は大していい思い出がない。寧ろそのあとや現在の方が楽しいような気すらしなくもない。いつまでが青春か、そもそも青春とは何か。そもそも人生に季節があるとすればそれは必ずしも春から始まるのだろうか...。様々な疑問が頭を過る。
音楽のジャンルで青春パンクというものがあるそうだ。僕が好きなアーティストで言うとガガガSPやフラカン、イナズマ戦隊などがここに該当するのだろう。ガガガの前田さんは「90歳になっても青春パンクをやる」と言っている。僕が好きな青春狂時代という歌の中で前田さんは「いつまで経っても僕は青春のど真ん中で」と歌い、「青春を持たないと体までだるくなるよ」と言っている。とどのつまり青春とは1つの心意気であり、気の持ちようによってはいつまでも青春を続けられるのだ。
「深夜高速」はフラカンの名曲とも言うべき1曲だろう。僕は最近になるまでこの曲にあまり共感できなかった。サビの「生きていてよかった」に一種のしつこさを感じていたのだ。しかし去年くらいになって久々にこの曲を聴いたときにこう思ったのだ。「まさに今の自分だ」と。青春ごっこを続けながら気付けば20代後半。手間すら照らせているのか定かではないヘッドライトの照らす先を「未来」だと信じて歩み続ける自分。「生きていてよかった」と心から言えるその日が来ると信じてただひたすらに邁進する自分。そう、僕もまた深夜高速を走る見苦しい大人の1人なのだ。もしかすると僕は同族嫌悪に陥っていただけのかもしれない。今はもう全てが吹っ切れた。青春ごっこを果てしなく続けていこう。見苦しくったって構わない。
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SMAPはどうやらホントに解散してしまうようですね。色々思うところはありますが、思えば僕が洋楽に出会ったのはキムタクの主演ドラマがきっかけのことでした。Queenと出会い、そこが洋楽或いはロックの入口となり今に至る。そういうバックボーンなんですよね。
高校時代、居場所がなかった僕が出会った1つの希望が音楽だったような気がします。そしてその音楽がきっかけで後に出会いがあったりもするのですが、ホントにそうした意味でも音楽(あるいは芸術)は偉大だなと改めて感じたりもします。来年はどんな音楽と出会えるのか、そしてどんな人と出会えるのか...それが今から楽しみでもあります。そんなところでありますが、本日はこれにて失礼します。ロックンロール...じゃなかったジベリ!
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