2017年10月4日水曜日

【週刊コラム】一滴の朝露、映るセカイ【第41回】

ということで今日2つ目の記事は今月初の週刊コラムをやります。で、お題なんですけど本来書こうと思っていたものがぶっ飛ぶようなニュースが入ってきたのでそっちをやります。本来のものはお預けです、ハイ。ともあれまずはこちらをご覧下さい。
当初聞いていた話では「亀井さん本人は希望の党から比例で出馬して後継者を小選挙区に...」ということだったように思うのですが、どうやらそうではなく先生は政界を引退されるようです。些か寂しい気持ちもありますけどこればっかりは仕方がありませんね。ということで今回のコラムはこのテーマです。

・拝啓、亀井先生
僕が先生と慕ってきた亀井静香さんが政界を去るという。正直なことを言えば、今回の選挙戦を戦って貰いたかった。先生の力が必要だと僕は今でも思っている。




亀井静香という政治家(あるいは人間)は実に面白い。「ハトを守るタカ」を自称するとおり、その姿勢はかたやリベラルであり、かたや国粋主義者という不思議なスタンスの持ち主だ。昔ながらの義理人情を重んじる性格であり、少し怖そうに見えることもあるが一方でユーモアに富んでいて親しみやすい。この人が首相になっていたらどんなことをしたのだろう。そしてどのタイミングだったのだろう。時々僕はそんなことを考える。



「政治に無関心な人はいても政治に無関係な人はいない」、かつて先生はそんなことも言っていたという。大学院の修士時代、シティズンシップ教育(市民教育)の拡充を考えてきた僕はいつもこの言葉を念頭に置いていた。無関係だと思い込まされているだけで、自分には関係がないと思わされているだけで、結果として蚊帳の外に置かれている人々がこの国には多くいる。そんな現状をディストラクションするためにこそ僕はシティズンシップ教育の必要性を論文で主張したし、今もその思いは変わらない。




先生と僕のもう1つある。それはグローバル資本主義に異を唱え続けてきたことだ。世界をいわゆる「1%の富める者と99%の搾取される人々」の構図にしている新自由主義に抗ってきた政治家の1人が亀井先生だった。地方に根ざし、そして地元(広島)の人に愛されてきた人だからこその視点なのかもしれない。前に二階さんが地元であまり好かれていないという話をしたが、他方亀井さんについては地元で嫌われている話は殆ど聞かない。勿論人となりのこともあるのだろうが、こうしたスタンスも影響しているであろうことは想像に難くない。
嘆かわしいのは自民党の「変化」だろう。そもそもかつての自民党は地域に根ざした地方の声を聞く政党だった。金銭面では色々と汚い話もあったが一方で地域経済を守ってきたのも事実だろう。しかし今の自民党にはそういう性格がなくなってしまった。そして更に嘆かわしいのはその変化に気付いていない有権者が少なくないということだ。目を覚ましてほしい。今の自民党に田中角栄はいない。小沢一郎も亀井静香もいない。変わってしまったのだ。
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ま、でも亀井さんにはひとまず「お疲れ様でした」と伝えたいですね。そして、あとは我々若いもので受け継ぐ他はありません。

・希望の党の公認を辞退した篠原孝氏が激白「小池さんのクツは舐めない」
https://dot.asahi.com/dot/2017100400097.html

あと篠原孝さんですが、排除リストに名前が上がりながらも希望の党から公認を得はしたものの、「あんな踏み絵は踏めない」とばかりに結局無所属で戦う道を選んだようです。漢ですね、篠原さんはやっぱり。国民新党時代の同志である亀井亜紀子さんもまた出馬されるようですし、こうして篠原さんも戦っているのです。亀井イズムを継承する政治家は沢山居るのです。僕はまぁ政治家じゃないですが当面ジャーナリストとして亀井イズムの継承者になりますよ。そんなところでありますが、本日はこれにて失礼します。(というかまだ月見ができてないんだけどw)とりあえずジベリってことで。

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