2017年10月25日水曜日

【週刊コラム】一滴の朝露、映るセカイ【第43回】

選挙後最初の週刊コラム。今回のテーマはちょっと政治寄りです。小池さんが「排除」するといったことでも話題になったアレが今回の主題であります^^



・リベラルとは?
台風直撃の中実施された第48回衆院選は与党側の勝利に終わった。しかしながらよくよく見ると自民の議席は変わっていないし、公明に至っては減っている。いわゆる「改憲勢力」と目される維新や希望は議席を減らしているし、日和主義的な議員の多い両党は今後一気に瓦解する可能性も低くはない。




この選挙はリベラルの勝利であったと言っても過言ではないだろう。ひとしお目立つのはやはり立憲民主党の大躍進だろう。聞いた話によると、投票日(つまり22日)の朝刊では産経新聞ですら一面の写真には枝野さんの演説風景を載せていたというではないか。安倍信者は今こそ怒るべきだ。そして産経新聞の不買運動をするべきではないか?




「動員」された人たちもこれじゃあ何のために声を張り上げたのか分からないと落胆しているのではないか。「マスコミ帰れ」という‘民意’を産経や読売こそ伝えるべきだったんじゃないのか?それにしてもあの数多の日の丸は皆が持参したのだろうか?もしも自民党のスタッフが配っていたということになればそれは公選法違反の可能性も出てくる。




 閑話休題。今日の本題はそこではない。そもそも「リベラル」とは何なのかということである。簡単に言えば自由主義ということになるのだが、どうもそれではニュアンスが違って見える。




「自由」と言えば昔ゼミで面白いことがあった。休み明けの発表の課題について後輩に聞かれたので「テーマは自由だよ」と答えたのだけど、その子は自由課題という意味ではなく政治的な「自由」について書くのだと解釈したようなのだ。それはそれで面白かったし、そもそも定義の難しいリベラリズムは議論の元としても大いに役立った。




人によって定義は違うだろうけど、少なくとも「憲法を変えていこうとするのが保守で、護憲派がリベラル」というのは間違いである。リベラルというのはそもそもで言えば革新派を意味するものでもあるし、保守というのは現体制を守ろうとするものだから必然的に本来は護憲であるはずなのだ。身も蓋もない話をすればリベラルにも改憲派はいるし、保守にも護憲派がいる。それが日本の本来の政治体制だった。だからこそ自民党に一定数護憲派がいるのだし事実として戦後70年の間、憲法は変わっていない。




「自由」は人や立場によって姿を変える。だから自由=いいものだとは言えない。それは恐らく誰でもわかることだろう。大切なのは誰にとっての自由であり、それによって誰かの自由が脅かされるようなことが起きた場合にどうすればいいかを考えることだ。




リベラルには「自由」以外にも多様性だとか寛容性といったような意味も含有されることがある。僕がトランプやルペンを支持しているのは上記のような事態を鑑みてのことだ。だから経済的或いは外交・安全保障ではリベラルだけど、たとえば外国人参政権には反対だし、英語の公用語化にも反対だ。あくまで弱者を切り捨てないためのリベラルであってそのためにはある程度「国家」という装置を重視しなくてはいけないというスタンスだし、ついでに士族出身だからか何なのか血とか伝統にうるさい。昔大学で僕のことを「国粋主義的コミュニタリアン」と言った教授さんが居たけれど、この評は正しいと言わざるを得ない。




今回の選挙では小林よしのりさんが立憲民主党の応援に立ったというが、もし自民党がこのままのスタンスで突き進むのであれば右翼論壇は次々に立憲民主党や共産党の側に立つだろう。僕らは安倍政権の本質を知っている。ただの反日グローバリストに過ぎないと。そのために右翼ファッションをまとっているただの詐欺師に過ぎないと。かつて薩摩と長州が手を組んだが如く、右翼と左翼が手を組んででもあれを倒さねば。新たな戦いへ向けて僕は今、武者震いしている。
---------------------------------------
・もう空が持ち上がる...

あ、そうそう。これは月曜に出勤する途中に撮った写真なんですけど、虹がかかってたんですよね。嵐が去り、長らくの悪天候から明けた空にかかる虹に僕は妙に晴れやかな気分になりました。きっとここから変わっていく、ここから変えていく。希望の党は瓦解するでしょうが僕らの「希望」は今ここで花開こうとしている。そんな未来を垣間見ています。ちなみに今日はこれから神戸に行きます。2日間とりあえず仕事を離れて心の洗濯をしてきます。それでは皆さんよい一日を。ジベリ!

0 件のコメント: