日向(ひむかい)大神宮の天の岩戸
・山科川と菜の花
・これは夷川インクラインにて
今日は立誠学院という学習塾の面接に行ってきました。面接は15時からで、だいたい30分弱で終了。その後は特に予定はなかったのですが、折角天気が良かったのと、そういえば地下鉄の一日券を買ってたのとで、ちょっとその辺を散策してきました。
・何やら遺跡のようなものはあったけど...
塾があるのは山科の椥辻というところ。面接後、その辺をブラブラしつつ、本来は坂上田村麻呂のお墓を見に行くつもりだったのですが、道がよくわからなくなってしまい断念。(代わりに写真の中臣遺跡というものはチラッと見てきましたけど...)結局そこには行けず仕舞いで次の目的地を目指しました。
・久々のインクライン
目指す場所は蹴上。久々に夷川のインクラインを歩いてみようと思ったのです。(ちなみに紅葉シーズン以来の訪問)で、駅を出ると日向大神宮という神社のある場所を指す立て看板を発見。そうそう遠くはないのだろうということで行ってみたのですが、結果だけ言うと意外と距離がありました。簡単に言うと区を1つ跨ぐことになるんですよねw(蹴上駅は東山区、大神宮は山科区)
・日向大神宮は知る人ぞ知るパワースポット
・天岩戸は本殿から少し奥行ったところにある
そう、それこそが冒頭写真の天岩戸。伊勢(三重県)のものと 高千穂(宮崎県)のものが有名だと思うんですけど、これって全国各地にあるんですよね。(京都でももう1箇所、福知山にあったりします。)ではどれが本物なのかというと、多分先述の伊勢か高千穂のものだとは思うのですが、詳しいところはよくわかりません。正直中世以前の日本の歴史って結構アバウトなんですよね。考古学が発達してきているとはいえ、一方では歴史的信憑性が決して高くはない神話モノ(古事記、日本書紀など)を読み解く作業も求められるのであって...。
しかも厄介なのは水戸史観(皇国史観、薩長史観とも)の存在ですよ。万世一系なんて寝ぼけたことを未だに信用している人もいるでしょうけど、まぁ実際皇族の家系というのは実に複雑なワケで、でもそれを公に解き明かそうとするのは些かタブー視されているところがあるのですね。とはいえ当の天皇はあまりそれを気にしていないようですけど...。今生天皇は百済の王室と桓武天皇の関係について公の場で語ってますしね。では誰が頑なに万世一系を主張しているのかというと...まぁとどのつまり錦の御旗を借りてデカイ顔をしたい人たちとだけ言っておきますw
・日向大神宮全景(一部改修中)
ちなみに日向大神宮はどういう歴史のある場所なのかについても少しだけ触れておきましょう。社伝によると、ここがつくられたのは23代の顕宗天皇の頃とのことなので、西暦に当てはめると5世紀頃ということになります。その頃に高千穂の神蹟を移して創建されたのがそもそもの始まりとのことで、その後も天智天皇や醍醐天皇などから篤い信仰を受けたといいます。その他、建武の戦乱期にはあの新田義貞も戦勝祈願に訪れています。本殿の御祭神は勿論天照大神。つまり伊勢神宮と同じですね。そうしたことからここは「京のお伊勢さん」なんて呼ばれ方をされることもあるようです。
・インクライン。
参拝後は夷川インクライン周辺を散策することに。(まぁそれが本来の目的ですからねw)もうすっかり桜は散ってしまってましたが、それでもここは見所がいっぱいです。昨年のブラタモリでもちょうどこの辺が出ててタモさんが楽しそうにここを歩いていたのですが、成程鉄ヲタにとってもここは興味深い場所かもしれません。
・線路は続くよどこまでも
かつては物流の拠点だったここも今は昔。桜や紅葉の季節は沢山の人でごった返すこともありますが、基本的にここは閑散としています。観光地ナイズされ過ぎて哲学できなくなっている哲学の道よりも普段のここの方が個人的には哲学できる場所だと思いますね。「スタンド・バイ・ミー」気分で線路を歩きながら一人、色々と考え事をするのですw
・インクライン下の歩行者用トンネル(通称ねじりまんぼ)
そうこうしていると少しずつ日も暮れてきます。南禅寺まで行きたい気持ちもありましたが、それはまた後日ということにして今日のところは引き揚げて次の目的地を目指すのでした。Senichi流街歩きは後半の呑みの部へと移行するのですが、それは次の記事で書くことにして一旦ここで失礼します。
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