2015年6月29日月曜日

試験のあとは酒を呑みがち

・同志社大学今出川キャンパス(1年ぶりの登場)

・西園寺家ゆかりの白雲神社は御所の中にある

・折鶴会館(2度目の登場)

タイトルは俺あるあるです。(RG風)今日は公務員試験を受けるために同志社大学まで行ってました。いや同志社大学になってくれて良かったですよ。2年前までは立命館まで行かねばなりませんでしたからね。(※立命館は遠い上にアクセスが悪い)同志社はうちからだと地下鉄一本乗り換えなしで行けるんで、かなり楽なんですよね。

・なかなか絵になるキャンパス

同志社大学は数年前に奥さんの八重を主人公にした大河ドラマがあった新島襄ゆかりの大学で、いわゆる関関同立の一角に並べられる由緒ある大学...なのですが、まぁ僕の直接知っている同大生にはあまりロクな奴が居なかったので、いいイメージがないのが実情ですw

・食えるときに食っとかないとね(松屋の牛めしは290円也)

ちなみに今年からは年齢制限の都合上、上級Ⅰが受けられなくなったので、上級Ⅱを受けることに。「あぁ...」とは思っていたのですが、結果だけ言うと個人的にはとっととこっちを受けとけばよかったという感じでした。というのも従来だと①一般教養、②専門科目(行政)、③作文という流れだったのが、上級Ⅱは①一般教養、②政策論文だけで終わりなんですね。で、個人的には作文とか小論文の類がお家芸なので、本当に楽なんですよw



ちなみに一般教養についてはⅠもⅡも一緒で、25問の必須問題と15問の選択問題(25問より選択)の計40問を回答するというものになっています。必須問題のところに京都に関する問題が1問あることを除けば、別段地域色はありません。ちなみに政策論文はどういうものかというと、与えられた資料をもとに課題を見出して、自ら見出した問題意識に基づいて書き進めていくというもので、800字以上1200字未満の文量が求められます。

・今年も甘いものは持参しました^^

ちなみに今年のテーマは自転車。京都は自転車大国(?)ではあるものの、たしかに走りにくい街だと感じることはよくあります。与えられた資料に加えて実体験上の所感なども踏まえた上で書き進めていき、だいたい制限時間の10~20分前には完成している状態でした。とっとと提出して帰ってもよかったのですが、公務員試験では終了後に告知などがあるのでそれは出来ないのですね。何度か読み直したあとは、しばらく「無」の時間が続きましたw
・京都御所も結構久々の登場

終了後は大学の目と鼻の先にある京都御所をしばし散策。御所は結構広いです。長く政治の中心であったこの場所にはそれを思わせるような史跡も多くあり、また敷地内には神社がいくつかあるのです。

・意外と長い歴史を持つ白雲神社

そんな中で今回参拝してきたのは白雲神社というところ。冒頭に書いたように、ここは「最後の元老」の2つ名で知られる西園寺公望、その西園寺家にゆかりのある神社であり、また音楽の神様としても信仰されているそうです。

・攘夷志士、来島又兵衛が戦士した場所

御所の史跡と言えば蛤御門こと新在家御門なのですが、今の弾痕の残るその門については過去の記事で触れたので、今回はもう1つ別のものを紹介したいと思います。同じくその蛤御門の変(禁門の変とも)の際に激戦地となった門の付近一帯。そこに樹齢300年とも言われる立派なムクの大木があります。禁門の変の際に長州藩士、来島又兵衛(銀魂の来島また子の元ネタ)が戦死したのはだいたいこのあたりだったそうです。

・今出川キャンパスの門前に残る石碑

ちなみに幕末ネタでもう1つ言っておくと、現在同志社大学の今出川キャンパスのあるあたりに昔は薩摩藩邸があったそうです。そしてそこで結ばれた同盟こそが、かの薩長同盟なんですね。知らない人も居るかもしれませんが、同盟を結ぶまで薩長は犬猿の仲だったんですよ。禁門の変だってそもそもは薩摩と会津が長州をハブったのが原因の1つですからね...。ただ厳密に言えば、両者は同盟後も互いを牽制しあう仲であり、あまり睦まじい間柄ではなかったようです。そして会津は今でも長州に恨みを持っているようで、もし会津の娘が長州の男と付き合おうものなら半殺しに合うとか合わないとかw

・梨木神社(1年振りの参拝)


それからまた梨木神社へ。例のマンションは建設された模様ですが、まぁ辛うじてそこまで境内および御所近辺の景観を損ねてはいない様子でした。勿論名水も汲んできましたよ。(道中結構飲んじゃいましたけどw)

・京都新聞本社(早く俺を記者として雇えw)

神社を出たあとは、ちょっと用のあった郵便局に立ち寄ったり気になったお店に入ったりしながらブラブラと四条烏丸の方へと向かって行きました。先月末に行った西院が気に入ったので、また少し飲んでこようと思い立ったのです。


・レトロでお洒落な京福電車(西院駅にて)

で、阪急電鉄にて西院まで。ちなみにこの地名、普通に読むと「さいいん」なんですけど、場所によっては「さい」って読んだりもするんですって。(実際京福電車の西院は「さい」と発音されています。)ちなみに地名の由来は第53代天皇の淳和天皇(在位823~833年)の離宮がこの近くにあったことにあると言われています。(※異説あり)

・今日は「こうちゃん」という居酒屋に...

で、本来はまたこないだのっていう立ち飲み屋に行くはずだったんです。ところがどうやらあの店は日曜が定休だったようなので、敢え無く別の店を探すことに。西院はディープなお店が多くて、一旦入ってしまうとなんて事はないんですけど、何分コミュ障の僕には初見が無理ゲーだったりします。何度か店の近くをステルスモードでスクランブルしたのち、折鶴会館の端にあるこうちゃんというお店に入ることに。

・生ビールは330円で、おでんは1つ100円から

店はL字型のカウンターテーブルのみというコンパクトな造りで、多分マックスで10数人くらいしか入れなそうな塩梅。でも居心地は物凄く良かったです。とりあえずのビールとおでんをオーダーし、晩酌タイムを始めます。

・ホルモンミックス(写真中央)はこのボリュームで500円

お酒はビールに日本酒、焼酎に酎ハイと様々で色々楽しめるのは勿論のこと、料理が多種多様なのも魅力の1つ。焼き鳥におでん、刺身などの海産物にホルモン焼きなど本当にバリエーション豊かです。しかも値段のわりにボリュームありですから死角なしですよ。(じゃこおろしですら写真の通りのボリュームですからねw)結局お酒3杯と5~6品の料理を食べて、それでも会計は2000円少々ですからコスパは見事という他ありません。

・四条大橋からの眺望(五条方面)

その後、近くの店で〆のラーメンを食べて今日はお開き。西院を出て河原町に戻ったのは23時前のことでした。明日はまた仕事なので、本日はこの辺りで失礼したいと思います。それでは皆さんお休みなさい、ジベリ!

2015年6月27日土曜日

ねむれない京Tonight Vol.14

・最近のビートモーターズのハマり方が凄まじいw

昨日はLOVE LOVE LOVE主催の対バンイベント、ねむれない京Tonightを見るべく京都MUSEに行ってきました。前回このイベントに行ったのは2年前の12月。そのときも会場はここでした。今回のラインナップはLOVE LOVE LOVEとザ・ビートモーターズの2組。ビートモーターズのライブはほんの3週間ほど前に行ったばかりなのですが、まぁホントに今ハマりにハマってるバンドなんですよw



まずはビートモーターズ。ここ数ヶ月でこれで3度目の訪問。僕の今のライブ熱を支えているのは他でもないこのバンドだと思われます。ブルース調の出囃子で登場したメンバー。(今回の秋葉さんのTシャツは白でしたw)1曲目は「メリーゴーランド」で、前回同様締めの曲は「ブルースはもうごめんだってな」。今回は対バンということで、前回のワンマンに比べればボリュームはやや少なめですが、それでもパフォーマンスはいつも通りで、大満足の1時間でした。(ちなみに今回のセットリストはこんな感じ。29日追加)

M1 メリーゴーランド
M2 アンドレア
M3 ちくちくちく
M4 いつかのサマータイム
M5 魔法の言葉
M6 ヘビーメタル
M7 夕方のチャイム
M8 マリー
M9 なんていったの
M10 サンデーモーニング
M11 幻
M12 恋するふたり
M13 イタリア料理を食べに行こう
M14 ガールフレンド
M15 ブルースはもうごめんだってな


演奏後、ステージは暗転し、切り替え作業へと移ります。待つこと10分程度で本日の主役であるLOVE LOVE LOVEが登場。およそ2年半ぶりの再会なのですが、また今回も「サイダー」のダンスを練習せずに来てしまい、申し訳ないばかり...。久々の寺井さんはなんか少しメレンゲのクボケンジさんに似てきたような印象。そんな寺井さんを筆頭にメンバーはノリノリ。漫才のようなMCも安定の面白さでしたw

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ライブの1曲目に相応しい「1,2,3」で始まり、本編では定番曲の「マッシュ」や「サイダー」、「レイニーデイ」などを演奏。「マッシュ」で軽く泣きそうになったのと、またしても見よう見まねで踊った「サイダー」がハイライトかといったところ。アンコールでは「ぶらり京都」を演奏して終了。前回は演者さん全員でっていうことだったのですが、今回はLOVE LOVE LOVEのみだったのがちょっと寂しかったところ...。12月5日には同じくここ京都MUSEでワンマンライブがあるとのことだったので、是非ともまた行きたいところです。

・ベーコン&マスタードは210円也(ちなみに赤ワインは450円)

ライブのあとは西冨屋コロッケのバー営業に。人気コロッケ店が週末だけやってるバー営業ということで、その人気は折り紙つき。僕もここのコロッケのファンになって以来、ずっと行きたかったんですよね。1杯目は赤ワインとそれに合いそうな創作コロッケを1つ。

・タコのガリシア風コロッケ220円と白ワイン450円

で、2つ目は白ワインに合いそうなシーフード系のものをオーダー。そして3杯目にはチンザノロッソを飲んで、且つ安定感バツグンのプレーンコロッケ(170円)を食べてオシマイに。ちなみに創作コロッケには他に奈良漬&レモンピール(下メニュー表参照)なんかもありました。

・多種多様な創作コロッケが並ぶ

あと個人的にはレギュラーメニューのサーモン&ディルなんかもオススメだったりします。イメージ的には全体的にお酒に合う大人のコロッケといった感じなのですが、別に白ご飯にだって多分合うので、飲まない人にも是非とも食べて貰いたいところです。

・またモンさん登場w

ちなみに物販ではまたCDを一枚買ったのと、缶バッジも1つ買ってきちゃいました。次行った時には是非ともバントTシャツを買いたいんですけどね、まぁ今回は予算の都合上見送っちゃった感じです。今日は1日休みなんですが、明日の公務員試験を含めて今後採用試験が目白押しなので、おとなしく勉学に励みたいと思います。そんなところですが、本日はこれにて失礼致します,ジベリだってな。

2015年6月21日日曜日

松葉騒動と大阪都構想は一体である

・岐路に立つ梅田(撮影は2013年9月)

結局は自主退去という形になったそうですが、件の松葉騒動の本質についてはあまり理解されていないように思います。なので今日はメディアの報じているものとは全く違う視点からこの騒動について考察してみたいと思います。


1、都構想とは何だったのか?
そこでまず考えるべきなのが、先月17日に行われた住民投票なのです。あれは現行の大阪市を廃止して新たに5つの特別区なる自治組織に再編することの是非を問うものでした。反対票が僅差で上回り、これはひとまず回避されて言い出しっ屁の橋下さんが今期限りでの政界引退を表明するという顛末になったのですが、まず1つ確認しておきたいのが、もしあの投票で賛成が上回ったとしても大阪都になるワケではなかったということです。そして藤井聡さんなどが主張するように、これによって大阪の財政が良くなる見込みもありませんでした。橋下徹という人間のサティスファクションを満たすこと以外に何も生み出さないものだったのです。

・賛成区と反対区(産経新聞より)

しかしながらマスコミの扇動などもあって市民にはセンセーショナルに捉えられることとなり、賛成票と反対票は拮抗。年齢層で見ると20~40代の比較的若い世代が今回賛成票を投じることになりました。また、地区別で見ると梅田や淀屋橋といった通称キタと呼ばれる地域で賛成が多く、昔ながらの下町の多く残るミナミほか周辺部では反対が上回るという結果に終わっています。



 これくらいの分析は他の人もやっていることかと思われるのですが、実はこれだけでは今回の結果を正しく分析しているとは言えません。だって若年層でも20代では41.2%が反対に投じていますし、たとえばミナミの代表格である浪速区(新世界や難波の一部もこの区に位置)や中央区は賛成が多数でした。神戸新聞さんは5月19日付の記事で賛北否南なんて書いてましたけど、これでも些か語弊があります。つまるところ、地域や年齢での分析はあまり意味を成さないということかもしれません。

・カジノ頼みの都構想(笑)

ただ強いて言えば湾岸部が揃って反対というのが個人的には面白く思います。府知事時代に肝入りで庁舎移転を進めていたコスモタワーのある住之江区を筆頭に湾岸部は全区で反対が多数ですよ。たしか湾岸部にはカジノ誘致の構想もあったようなのですが、一事が万事あまり住民からは歓迎されていなかったのかもしれません。(僕もカジノについてはパチ屋勢力の駆逐や国営化による財源確保という意味で過去には関心があったのですが、橋下さんはマルハンとベッタリですし、加えて本場のラスベガスでもカジノは斜陽産業になりつつあるとのことなので、今はどちらかというと反対的な立場です。)



 あと反対派は途中から「大阪市が無くなる」という市民の郷愁に訴えかける手法に切り替えましたよね。早い話、僕はそれこそが勝因だった気がするのです。逆に変化を求める傾向にある若者は橋下さんのやっている「なんとなく新しくて勇ましいもの」に惹かれたということでしょう。(勿論高齢者の強い反対の背景には敬老パスの有料化などの影響もあるでしょうが...)当然ながら大阪市を廃止したところで二重行政は解消されません。特別区と大阪府の間で二重行政が発生するのが関のヤマンボウです。また下の記事で保坂展人さんが主張するように、特別区の権限はあまり強いとは言えないものなので、地方分権の流れにも逆行するものなのです。

・保坂展人(世田谷区長)が指摘「都構想より『区』の権限強化を」(日刊ゲンダイ)
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/160046

繰り返すようですが、仮に大阪市が解体されて特別区になったとしても何もプラスにはならないのです。ただ大阪市という自治体が地球上から無くなるのみです。自治体など統治機構というのは基本的に人為的なものには他なりませんが、時間が経てばそれは良くも悪くもアイデンティティの材料になり得ます。それを壊そうとしたのが橋下改革の総決算だったという実にくだらない話だったのです。特に考えもなく、なんとなくの変化を求めていた人たちも、そこに至って事の重大さに気付いたのかもしれません。
 


それからもう1点特筆すべきなのは、時間が経過するにつれて反対派が強くなっていった点です。それも「大阪市側のカネにモノを言わせた大掛かりなプロパガンダにも関わらず...ですからね。ともあれ、これは当然なのです。もともと中身のないものを議論しようとしているのですから時間とともにみんな気付いていきます。いわゆるB層も少しずつ覚醒に向かっていくのです。これは国政における安保法制と一緒ですね。だったら安保(或いは改憲)も国民投票にすればいいじゃないかという声もあると思いますが、そこについては僕はかなり慎重です。だって不正選挙があるんですもの。反対世論が一定強くなったところで国民投票をブチ上げて不正集計。僅差で賛成の勝利(という結果を恣意的に作り出す)...みたいなシナリオがある気がしてならないからです。


2、否定される「戦後」
話を松葉に移します。僕に言わせれば、そもそもあの場所がどういうところだったのか、それがまず理解されていないように思うのです。あの場所は大阪の戦後史を語る上で欠かせない場所だったのです。結論から言えば、あの周辺は先月の記事で出てきた十三や豊田屋でお馴染みの池袋北口がそうであるように、闇市をベースとして作り出された場所でした。

串カツ「松葉」騒動…戦後が消えても「大阪の思想」は残るのか(産経WEST)
http://www.sankei.com/west/news/150617/wst1506170053-n1.html

大阪駅前には昭和17(1942)年に完成した地下道があった。空襲で家を失った人々は、路上生活を余儀なくされ、雨をしのげる地下道をねぐらにする人も多かった。地下道を管理する大阪市は、治安対策と衛生面の改善のため、「道路占有許可」を与えて地下道に店舗や飲食店を誘致した。

橋下さんは「あの地域にしては破格の値での賃貸」なんて言ってましたが、そもそもあそこにはそういう歴史があったのです。阪神百貨店(および阪神電鉄)としてはあの場所を小奇麗にしたいのでしょうが、その過程でアイデンティティを喪失させていることには気付かないのでしょう。阪神電鉄があそこをどのように再開発するのかは知りませんが、その如何によっては僕は金輪際阪神百貨店を利用することはないでしょうね。

・神宮外苑にこんなものを作るのが保守なワケがない

しかしながら大阪のみならず、現在日本ではあらゆる意味で「戦後」の否定が行われているような気がします。安倍政権のやっていることは戦後レジームからの脱却に名を借りた戦前回帰ですし、建築物で言えば国立競技場の取り壊し&建て替えがそれに該当するでしょう。為政者はなぜそのようなことをするのか。それは戦後の‘遺物’が国民の底力によって作られたものであると知っているからではないでしょうか?だから意識下で忌まわしく思っているのでしょう。


3、橋下市政には大阪への愛がない
週刊アサヒ芸能に井筒和幸監督のコラムのコーナーがあるのですが、6.25特大号のそのコーナーで井筒さんは松葉についてこう語っています。

大阪のほんまの文化を知らない連中は「店に非がある」とか勝手を言うてるが、スタバで憩っているような連中に何がわかるんや。あの場所に再開発なんていらない。居座ってくれ。永久に営業してくれ。大阪の景色を守ってくれ!(本文ママ)

まぁ井筒さん自体が色々と問題のある人ではあるのですが、少なくとも大阪への愛着は感じますし、「あの場所に再開発なんていらない」というのは僕も賛成するところです。百歩譲って再開発するにしても、トイレをきれいにしてバリアフリー対策を取るくらいのことで十分なんですよ。梅田にはまだ新梅田食道街(1950年開業)など昭和の匂いのするところが多数ありますが、そうしたところがずっと残ってくれることを祈るばかりです。

・意外と(?)古いものも沢山ある梅田(お初天神はこの近くにある。)

個人的に好きなんですよね、梅田って。古いものと新しいものが雑多に並んでる感じが。ビルの谷間にさながらオアシスのように佇んでいる露天神社(お初天神)とその近辺のレトロな路地なんて感動モノですよ。橋下さんのやっていることには一事が万事、大阪への愛情が見えてきません。これは安倍政権もそうですね。そういう人たちに限って愛国とか保守とかって自称するのは何故でしょうね。一体あの人たちは何を守ろうとしているのでしょう...。松葉は撤退してしまいましたが、大阪市は残りました。二重行政の脱却も大切でしょうが、それ以上に今回の騒動を機に大阪の人たちが大阪という街と改めて向き合うようになってくれるといいなと思う次第です。僕は今日はこれから1泊2日の神戸旅行に出掛けるので、ボチボチ失礼したいと思います,ジベリ!

2015年6月20日土曜日

体中の全部で優しかった君だけを思い出そう



今日はまた石黒さんのところで呑んできました。月1はここで語らいながら飲むのがここ最近のパターンになっています。タイトルはメレンゲ「夢の続き」という歌の歌詞からの抜粋。なんか色々思うところがあったのでこんな感じにしてみました。

・神戸のアンパンマンミュージアムにて(撮影は2014年2月)

結局別れることを報告するまでこの場では言わず仕舞いになっていたことなんですが、僕は前の彼女との間に子どもが1人居たんですよね。とはいっても血のつながりはありません。あっちがもともと離婚経験者で子持ちだったんですよ。で、ある時期からは3人で出掛けたりすることもあって、ホントに僕は家族のように思ってたんですよね。よく「子は鎹(かすがい)」なんて言いますが、子どもの事を思って別れを躊躇ったこともあるくらいでした。

・おばんざいのバイキング(1000円)と瓶ビール(400円)

今日、石黒さんところで呑んでると、丁度となりに子どもを連れてきてるお客さんがいて、その子が丁度あっちの子どもと同い年くらいだったんですよね。それで色々思い出すところがあって感傷的な気分になっていたのです。最終的にああいう結末だったこともあり、どうしても悪いことばかり思い出してしまいますが、多分また時間が経てばいいことも思い出したりするんでしょう。そのときにはちゃんとあの4年半には意味があったんだって思えるんだと思います。

・家で一人呑み...

ともあれ僕もそろそろ先に進まなくてはいけないのも事実。実は破局して向こう、何かと元気付けてくれたり傍にいてくれたりする人がいて、明日は一緒に神戸に行くことになってるのです。呑んで切り替えて明日に備えるのです。そんなところですが、本日はこの辺で失礼します,ジベリってことで。

少年Aの手記騒動について

いわゆる酒鬼薔薇事件の被告である少年A(事件当時14歳。現在は)が手記である「絶歌」を出版したことでマスコミもネット界隈も大騒ぎ。そして結局はそれがバカ売れしてしまうというテイタラクなのですが、ここで一度、今回の事件(?)の本質について考えてみましょう。

1、冤罪説
もともと酒鬼薔薇事件には冤罪説が付きまとっていました。小沢事件や菅谷さんの1件を挙げるまでもなく、この国は冤罪で満ち溢れています。我らが亀井先生が死刑制度に反対する論拠の1つはそれなのですが、元警察官僚の亀井さんが言うあたりに事の深刻さがあるような気がします。



・神戸の「酒鬼薔薇聖斗」事件の少年Aが冤罪である根拠まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2135125485498707001

このサイトを見てもらったら分かると思うのですが、少年A逮捕の直接の動機は自白なんですね。しかし自白の強要なんてこと、警察はしばしばやってますからね。(小沢事件のときもそんな感じのことありましたよね?たしか...)逆に彼が犯人ではないという論拠がこれだけあるというのが事実なのです。ではもし彼が犯人ではないとすれば真犯人は誰なのか?色々と恐ろしい話です。

2、疑問点が多すぎる
話を手記に戻しますが、分からないのが今回の出版のタイミングなんですね。なぜ今なのか全く分からないのです。そしてこれを出版しているのは太田出版という出版社。当時太田プロ所属だったビートたけしさんの著書を出版するために1985年に事務所から独立する形で作られた出版社です。サブカル系の本や漫画を多く出版しているところで、最近ではテラスハウスの本なんかも出したりしています。それだけの会社がなぜこんな危険な綱渡りをするのかがまず分かりません。本が売れたとしてもバッシングに晒されること請け合いですし、それは下手をすれば会社自体の存続を危うくします。なぜそんなことをしたのか?

そこで考えるのがタイミングです。TPPはアメリカで暗礁に乗り上げ、安保法制や派遣法改悪など国民の生活や命にかかわる重大な法案の議論が進み、東京では若者によるデモも行われ、大学教授が異例とも言える規模の反対声明を発表し、更には大阪では老舗串カツ屋の松葉などが撤去を迫られる事態(←これについてもまた後日...)が進行する最中での出版騒ぎ。結果としてニュースでは多くの時間が少年Aの出版騒動に割かれるようになり、TPPや安保法制や派遣法改悪に触れる時間は短くなってしまいました。(大メディアの扱い的に少年A>串カツ>安保・派遣・TPPだったような気がします。)これが狙いだったんじゃないですか?つまり今回の出版騒動は政治的なテーマから目を逸らすために人為的につくられた‘騒動’だったのではないかと僕は言いたいのです。

で、ここからは憶測。冤罪説もある少年Aに印税生活をさせ、太田出版にも利益を与える。その代わりに陽動作戦のアクターを演じて貰う...と。加えて言えば少年Aの冤罪に関する口止めの意味もあるかもしれません。だから多分、太田出版が潰れたり少年Aが‘消される’ことはないとは思うのですが、こればかりは分かりません。(あ、俺が消されるのか。コイツはウッカリw ←余裕だなお前w)


3、Son of Sam law
もう1つ。アメリカのニューヨーク州にサムの息子法(Son of Sam law)というものがあります。これはどういうものかというと、犯罪加害者が自らの犯罪物語を出版・販売して利益を得ることを阻止する目的で制定されたものなんですね。要するにニューヨーク州では「絶歌」の出版なんざ出来ないのです。これは日本でも制定するべきですよ。だいたいこういうのって2匹目のドジョウみたいなのが出てきますからね。政府としても国民に目を向けてないことだらけでしょうから、また同様のことを仕掛けてきても不思議ではありません。アメリカ(もといユダヤ金融資本)の野望のために日本人の命を差し出す安保法制なんかの前に、パソナを肥え太らせることを目的とした派遣法改悪なんかの前に、やることがあるはずです。

2015年6月17日水曜日

人はいつでもふるさとを身につけている

・秋山好古像

・三津浜のメインストリートと思しきところ

・Ticket to Ride(背景に見えるのはコスタ北条跡地)

京都には今から30分くらい前に帰ってきました。数日ぶりに我が家に戻った僕を迎えたのは使徒(パターン黒、またの名をゴキブリ)であり、熾烈な戦いが始まることとなったのですが、先程なんとか退治することに成功し、我が家を奪還した次第であります。



ちなみにタイトルはフランスの詩人、ラ・フォンテーヌの残した言葉からの抜粋です。室生犀星の「故郷は遠きにありて思うもの」を想起させる素敵な言葉ですね。またしばらくは帰省の予定もありませんし僕はこれからもずっとこの伏見で生きていくつもりですが、どこかで故郷を想う気持ちも大切にしたいものです。

・かつて通っていた塾の入っていたビル

ホテルをチェックアウトしたあと、僕は本日の目的地である三津浜を目指して移動開始。キャリーバッグも持ってるので、本来であれば路面電車に乗っちゃってもいいんですけど、ちょっと街の景色も見たかったので徒歩での移動。JR松山駅のロッカーに荷物を入れて電車の旅へ。

・古町駅には電車が沢山...

近くの量販店を覗いたりしていたこともり、結局電車に乗ったのは古町駅から。そこから三津浜を目指します。伊予鉄の郊外線は高浜線・横河原線・郡中線の3つがあるのですが、三津浜はこのうちの高浜線の沿線上にあります。

・国民的ドラマのロケ地だった梅津寺駅

いつもはもう少し手前の三津浜駅で降りてそこから歩くのですが、今日は何となくもう少し電車に揺られていたかったので梅津寺駅まで乗ることに。おそらくこの駅で降りるのは初めてのこと。この駅はドラマ「東京ラブストーリー」のロケ地として使われた場所のようであり、駅のホームにはそれを記念するものが置かれていました。(ここ以外にもあのドラマには内子町など愛媛の名所がいくつか登場しますね^^)



ちなみにこのドラマが放送されていたのは1991年の1~3月。僕は3歳にすらなっていない頃ということになるので記憶にはありません。俗に言うトレンディドラマの代表格ですね。うちは今テレビが映らない状態であることもあり、ここ数年ドラマなんて観てませんけど、成程この頃のテレビには勢いも影響力もあったのですね...。

・かつてはここも賑わっていた

まぁテレビ自体が過去の遺産となりつつある今日この頃ですが、梅津寺には過去の遺産がもう1つ。それがここ梅津寺公園。かつてこの地には「梅津寺パーク」という遊園地がありました。松山で唯一の遊園地だったのですが、そんな梅津寺パークも少子化や巨大テーマパークの隆起に伴って2009年に閉園。跡地の一部には地元サッカーチームの練習場ができたりしましたけど、その他は長らく休眠状態...だったのですが、どうやら再開発の計画が決まったようであり、あの場所には温浴施設などがつくられるそうです。(あれ?でもあの近くって健康ランドとかなかったっけか...)

・かの日本海海戦でも功を上げた海軍参謀・秋山真之

あと、この近くには「坂の上の雲」でお馴染みの秋山兄弟の像があります。「騎兵隊の父」として知られる兄・好古の像(記事冒頭写真)は海側にあり、弟の真之さんの方の銅像は山側の奥行った獣道の先にあります。

・ちーん(2度目)

とまぁ回り道はそこまでにして、本ちゃんの目的地へ。そう、ブエナビスタです。しかし店の前まで行ってみると上記のような張り紙が。昨日に引き続き「なんて日だ!」状態っすよ...。一応僕1年半振りの帰省なんですけどね。わざわざその日に仕入れますかと、わざわざその日に店閉めてますかと。(まぁそれを引き当てる僕も僕なのですがw)

・梅津寺の砂浜

まぁ閉まってるもんはしゃあないということで、とりあえず浜辺てまたちょっと遊んで帰ってきましたけども...。そういえばいつか彼女をここに連れてくるっていう約束をしてたんですが、まぁそれも最早叶わぬものですね。見せたかった景色、食べさせてあげたかったもの。まだまだ沢山あるんですけど、それは次に付き合う人にしてあげるとしましょう...。

・ここもお気に入りの場所

おっと暗い話はここまで。ここからは明るく行きましょう。折角なのでまた街を散策して帰ろうということで向かった先は湊三嶋大明神社。小さな神社なんですが、僕のお気に入りの場所の1つなんですね、ここは。

・じゃかじゃん、大吉っ!

今回はおみくじも引いてきましたよ。気付けば今年も前半部が終わりつつあるのですが、果たして今年の下半期はどうなるのか...。それを占う一枚ですが、結果は見事大吉!「さびしさに 何とはなくて来てみれば うれし桜の 花ざかりかな」というそこはかとなくタイムリーな短歌のようなもののあとに解説が。曰く「おもうがままになる運」であるそうで、短気をいましめて身を慎み何事にも心静かに他人とよくよく相談して事をすすめていれば、すべて心にままになるのだとか。また願望は「心長く思うてせよ。叶いましょう」とのことなので、地道に挑戦し続けていきたいと思います。あと恋愛は「愛を捧げよ 倖せあり」とのこと。たしか5年前のお正月に見た文面ですね、これは。(たしかあのときも破局直後だったっけかw)

・渡し舟からの景色

神社を後にすると、渡し舟に乗って向こう岸まで。「三津の渡し」として知られるこの船はまだこの地が城下町だった室町時代に起源を持つものと言われており、今でも住民の足として重要な交通機関となっています。(乗船料は無料で、また自転車での乗船も可とのコト。)

・まるで猫になったような気分で路地裏を歩く

下船後、いつもであればそのまま船着場を辿って駅まで行くのですが、今日はちょっと違うコースを歩いてみようということで商店街方面へ。この辺は旧市街地とでも言うべき場所なのか、趣ある路地が延々と続いています。

・やたら鋭い目つきの猫さん(この辺のボス的存在かとw)

港町には猫が付きもの。細い路地をさながら猫のように歩いていると、ホントに猫に出くわしました。取り立てて猫が好きすぎるワケではないのですが、なんか猫の写真って多いんですよね。たぶん被写体として好きなんだと思いますw

・三津浜焼き

本来はブエナビスタでお昼を取るはずだったのですが、まぁ閉まっているものはしょうがないということで、今回は前から気になっていた三津浜焼きなるものを食べてみることに。今回行ってみたのは冒頭写真にも出ている「みよし」というお店。まぁ早い話が広島焼きの変化型なんですよね、これ。三津浜界隈にはこんな感じのお好み焼きを出しているお店が沢山あり、こうして昼間っから呑んだりも出来るのであります。

・長距離列車は居酒屋である。

その後、駅に戻って買い物を済ませると、いざ帰りの電車に乗り込みます。まぁ写真のとおり、今回の鉄道の旅もとにかく呑んでますね。どのくらいとハッキリは言えませんが、写真のウイスキーはものの2時間で空のボトルになってましたからw

・宇田津のシンボル的存在であるゴールドタワー

で、そうこうしているうちに電車は香川県を通過。宇田津での切り替え作業を経て、電車は瀬戸大橋へと入っていきます。こうなってくると予讃線の旅もとうとう佳境です...。

・岡山駅到着は19時頃

で、岡山駅。当初の予定では大阪で一度下車して、勢いそのまま串カツでも食べようかという算段だったのですが、気が付けばもう夕方でそれは難しくなってきたので予定を変更し、岡山駅で駅弁を買ってそれで夕飯を済ませることに...。

・いざ、試合開始!(せとうち日和は1000円也)

それが何を意味するかといえば、このまま居酒屋鉄道が続くということであり、僕は「孤独のグルメ」が如く弁当と向き合うことになったのでした。駅弁の名は「せとうち日和」。弁当とビール、どの分量で食べていくか?そう、これはある種の心理戦なのです。

・終盤戦(というか写真撮るの忘れてたw)

あなご飯(左上にちょびっと残ってるやつ)に豚の唐揚げといった岡山の郷土料理に加えて、海老の天ぷらや鶏の照り焼きがメインを張り、煮物やお浸しがキッチリと脇を固めるなかなかの強豪。お口直しには栗きんとんも控えています。そしてビールはエビスビール(ロング缶)。今回取った先方はズボリ、バランス戦法。とどのつまりメインと脇役を交互に消費しつつビールを飲み、要所要所でご飯ものを消費。そして最後の一口としてあなご飯を気持ち程度残しておくという進め方。



ついついメインばかりを食べたくなる衝動を抑えて慎重に食べ進み、そしてビールの分量も調整。バランスが大切です。ラストの一口で穴子を食べ、そのあとにビールを飲み干す。デザートの栗きんとんを最後の最後に食べて試合終了。結果は見事勝利!しかしなかなか手応えもとい食べ応えのある弁当でしたよ。やっぱりこういう彩りのあるお弁当はいいですよね。。美味しい御飯と美味しいお酒。そこに景色まで加わるのですから、やはり電車の旅ほどいいものはありませんよ...。

・新大阪にて

新大阪に到着したのは21時半頃。新幹線はここまでで、あとは快速電車で京都まで。1年半振りの帰省の旅はかくして終わっていったのでした。京都までの電車は意外と混雑しており、座るのも困難な状態。駅で買った雑誌を読むこともままならないほどでした。

・ようやく京都駅

ともあれ無事、京都駅まで辿り着き、そこで乗り換えて稲荷駅まで退却。家に帰ったのは22時半頃のことでした。そして息つく間もなくゴキブリとの格闘を終え、今はこうしてブログを書いている状態なのですが、なんと明日は仕事なのです。よって僕はもう寝なくてはなりません。体調崩したら元も子もないですからね。まぁまた心機一転頑張りましょう。それでは本日はこれにて失礼致します,ジベリ!