・「本能寺の変」で知られる明智光秀
1582年の今日6月2日、織田信長は志半ばにして本能寺でその生涯を終えたのですが、この事件を起こした張本人こそこの明智光秀なのであります。(あ、ちなみに画像は戦国無双の明智光秀ですw)僕は予てより明智光秀=天海大僧正という説を唱えてきたのでありますが、それは一旦置いておくとして今日は本能寺の変とは何だったのか、明智光秀はどうしてこんなことをしたのか...ということをもう一度考えてみたいと思うのです。というのも先日たまたま興味深い記事を見つけてしまったのですよ。
・本能寺の変に新事実、光秀が信長を殺したホントの動機(NAVERまとめ)
http://matome.naver.jp/odai/2140357145531014701
どうやら去年の6月にその文書は見つかったようなのですが、それは何かと言うと長宗我部元親が明智光秀の家臣である斎藤利三に宛てて書いた手紙なのです。元より本能寺の変は四国攻めに関する意見の相違が原因であるという説はあったのですが、ここにきてそれが更に有力になった格好です。武力で以て四国を落とそうとする信長に対して家臣が長曾我部と血縁関係を有する光秀は和睦案を提示。意見の対立の過程で本能寺の変が起こった...ということのようです。
先述の「戦国無双」など多くの作品の設定で用いられているように、そもそも明智光秀は元から織田信長を嫌っていたワケではありません。それどころか信長を心酔する忠臣とさえ思えるようなところもありますし、当の信長も光秀をそれなりに重用していたように見えます。しかし、2人は四国攻めをめぐって対立。長曾我部を守るために光秀は行動に出たということのようです。ま、真相は闇の中ですが...。ともあれでは光秀が守ろうとしたのは長宗我部だけだったのかといえば、そうでもないようです。やはり守ろうとしたもう1人の人物とは徳川家康だったようです。
・本能寺で信長が無警戒に近い状態であったのはなぜか(しばやんの日々)
http://blog.zaq.ne.jp/shibayan/article/158/
これも元々あった学説ですが、そもそも本能寺で討たれる手筈になっていたのは徳川家康だったようなのです。連合軍として武田勝頼を打ち倒すなど信長と家康の関係は一見すると悪くないようにも見えますが、家康の有能さに加えて三河武士の団結力の強さを信長は恐れていたとも言われています。しかも信長のせいで家康は自らの長男(松平信康)を殺すことになってしまってたりもしますからね...。後顧の憂いを絶つために一計を案じ、家康を本能寺へと招いて家康を殺してしまおうというのが信長の計画、そしてその実行部隊が明智光秀の一軍だったということですよ。そういえば本能寺には大量の爆薬があったと言いますが、信長は家康も光秀もボカーンしてアボーンにする算段だったのやもしれません。この時点で2人とも信長にとっては邪魔者ですからそのくらいやってもおかしくはありませんよ。
ところが様々な紆余曲折からその光秀一行は信長を討つことに。「敵は本能寺にあり」は有名な言葉ですが、その「敵」が一体誰を指しているのか、付き添いの兵士たちの多くは知らなかったというのも有名な話ですが、まぁそういう裏事情だとすれば妙に腑に落ちるところはありますね。その後光秀と家康はおそらく合流して中国攻めに出て行っている秀吉を万全の体制のもとで迎え撃つ算段だったのではないかと思うのですが、秀吉は秀吉で信長の計画を知っていたようなところがあり、ゆえに前代未聞の大返しが実現したと。とんでもない頭脳戦或いは心理戦。ある意味本能寺の変こそが天下分け目の戦いといっても過言ではないレベルですよ。
~余談:國體を守った(かもしれない)光秀~
・最近、明智光秀を再評価すべきでないかと考えています。(5月6日、RKブログ)
http://richardkoshimizu.at.webry.info/201405/article_60.html
これは我らがリチャード・コシミズ大将の光秀評なんですが、なかなか面白い着眼点だなと思います。織田信長は早かれ遅かれ朝廷を無きものとしていたでしょうし、もしかするとイギリス国教会よろしくの日本国教会を立ち上げてトンデモ解釈のキリスト教が日本の国教となっていた可能性もあります。そうなれば日本の神道と仏教は壊滅していたかもしれませんし、儒教文化も消え去っていたかもしれません。
・・現在の本能寺は実は7代目(撮影は2012年11月)
僕は前々から言っているように豊臣秀吉が嫌いです。しかしながら、あの人のやったことの中で1つだけ認めなければならない功績があるのです。それはキリスト教の宣教師を追放したことです。こどもの頃は「なんて残酷なことをするんだ...」なんて思ってましたが、宣教師を送り込んで次に武力を以て乗り込んでくるというのは欧米の常套手段ですし、事実として彼らは権力と密接していました。ザビエルなんてナバラ王国の王子ですからね。(あとこれは完全なる余談ですが、ザビエルにはユダヤ教の改宗者説があるようです。)現にあまり知られてはいないことではあるのですが、この時点でかなりの量の日本人が外国に連れさらわれて奴隷として扱われていたといいます。実際に有名な天正遣欧少年使節が欧州で奴隷となっている日本人を見てショックを受けているような描写もあります。秀吉はそうした勢力を排除し、その後に天下を取った家康も同様の政策を取ることになりました。そうした文脈から考えても、やはり鎖国という政策は評価すべきものだと言えるでしょう。
ま、先述のザビエルは名も無き一般人に完全論破されちゃったりしちゃってるんですけどね。そのショックであの髪型になったのかどうかは不明ですが、なんか噂によるとそこそこハンサムだったようですよ。ちなみに同じく著名な宣教師であるルイス・フロイスは日本の一般ピーポーの教養の高さや品の良さに愕然としてたりします。これは幕末に日本に来た外国人も同様のようであり、そういう記述も多く見られます。
・世界が驚嘆した識字率世界一の日本(日本の世界一)
http://www.nipponnosekaiichi.com/mind_culture/literacy_rate.html
ま、今の状況は惨々たるものですけどね。こんなもん属国ですよ属国。何故こんなことになってしまったのか、早急に責任者を呼んで問いただす必要があります。戦犯は誰か?そうだ、ペリーを呼んでこい。横田幕府を倒幕した暁には、是非ともペリーを証人喚問です...というのは半分冗談ですが、ともあれ一刻も早くこの状況を打破しなくてはいけません。なんか最終的に話が脱線してしまいましたが、本日はこれにて失礼します,ジベリ!
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