・暇を持て余す日曜の午後...
さっきの記事で言っていたように、今日は本来であれば下鴨神社の古本まつりに行っていたハズなのですが、生憎の雨のため急遽キャンセルに。結果だけ言うと今の今まで家に居るのが実のところです。まぁ時期に雨は上がりそうなので、そうなったら銭湯にくらいは行ければなと思っています。
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ご存知のとおり、SEALDsは明日をもって解散します。各々がそれぞれの道を歩み始める運びとなるようです。そもそもSEALsの目的は立憲主義を守ること。ゆえにチーム内には様々な思想を持った人がいました。共通するのは安保法制や安倍政権の下での改憲に漠然とした危機感を抱いているということだったのではないでしょうか?そもそもノンポリが全盛のこのご時世にしてみれば、SEALDsの登場とその活躍はセンセーショナルなものでした。この団体が右翼なのか左翼なのかは大変に難しいところ。そりゃまぁ右翼ではないでしょうが、別段特定の政党やセクトとのつながりも見当たりませんし、立憲主義を守るというのは右翼でも左翼でもない当たり前のことですからね。その他の主張やよって来る人たちの顔ぶれから敢えて言うなら「左翼的な団体」とくらいは言えるかもしれませんが、それ以上でもそれ以下でもないのです。
ただSEALDsの至らなかった点は、そういう特性を持ちながらも右翼を味方につけることができなかったことであるとは思うんですよね。そもそも安保法制は右翼であればこそ怒るべきものです。僕はちょうど去年の今頃、安保法制に関することをTwitterで書くときには#アメリカのための安保法制というタグを付けてツイートしていました。そうすると安倍信者はだいたい黙るんですよね。それからシナガー、シナガーと喚く輩にはこれをぶつける。シールズ等を“68年以来の云々”と形容するhttps://t.co/wyfUKuIEKg のリード文が間違っているのは、現在の運動は首都圏(のしかも永田町周辺)でのみ盛り上がり、ちっとも全国化しておらず、わずかに地方に波及する場合の影響関係も常に一方通行的だというところにもある。— 外山恒一 (@toyamakoichi) 2016年2月29日
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ではシールズ後の社会運動とはどうあるべきなのか?僕は主導権を右翼が握ることに1つのカギがあると考えています。トランプやマリーヌ・ルペンのような人物の登場を待つのもいいかもしれませんが、誰かが言っていたようにヒーローというのは待っていて登場するものではありません。気付いた人から動けばいいのです。担い手は独立党か我が志士会でしょうか?ともあれそういう右からの反安倍運動の先鋭化が不可欠だと思うのです。最近では小林よしのりさんもこっち寄りですし、中野剛志さんもそういうところがあるように思います。(あと三橋貴明さんもいつの間にか反安倍にくら替えしたようですね。目覚めてくれて何よりです...)こうして見ると、実はそれなりに役者は揃ってるんですよね。あとは大同団結と行動あるのみ。
でも具体的にどう「行動」するか。僕はこれには2つの柱があると思います。1つは勿論反TPPであり、すなわちそれは反グローバル資本主義の旗揚げです。そしてもう1つは勿論不正選挙追求です。そもそもこの国の政府は立法司法行政の総てにおいてとっくに国民のためになど働いていないのですよ。
インチキまみれの選挙を糾弾することでその気運を高めるのです。勿論それ以外にも脱原発や特別会計の廃止、辺野古移設の白紙化など、やることは盛り沢山ではあるのですが、まずはその2つ。それを突破口として反安倍革命を、そして彼らの飼い主である金融ユダヤ追放というある種の攘夷を成し遂げる。これが次の戦いの形なのです。SEALDsは序章に過ぎなかった、ポストSEALDsの攘夷運動こそが真の革命であった。のちにそう呼ばれるような戦いを繰り広げようではないですか!
2016年8月14日、志士会代表・天王寺センイチ
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