2012年6月30日土曜日

やっちゃったなぁ...オイ。

火曜日の「国際政治論研究」の発表に続き翌日はゼミでの発表,そして木曜日は就活で広告代理店の説明会に行き、極めつけに昨日は石田先生からの論文指導....いや正直今週は忙しかったのです。しかも中期報告が間近に迫っているためこの土日も休んでばかりもいられない始末...。

・夕暮れ間近の鴨川河川敷(撮影は28日)

しかしまぁ吉報もあります。「公務員試験裏ワザ大全」などといういかにも悪どいタイトルのテキストに飛び付いて勉強したのと、一応数的推理(という名の数学)の対策を気持ち程度やりましたが何か?程度の準備で挑んだ京都市の採用試験、なんと筆記試験通過しちゃいましたw!

                                  ・715...たしかにある!!

いやたしかに悪い予感はあまりしなかったけど、かといって正直受かる自信は10の中の6もありませんでした。しかし現に通過してしまった...。いや元々頭は悪くないからね、僕も。顔と声と頭は良い方だからさぁ。(←もうコイツ殴っていいですよw)とかくこれはもうやるしかない!っていうか筆記さえ受かればあとはgroundとなれmountainとなれ、勝算は低くはない。早速1次面接が来週金曜とのことだが、万全の態勢&良好な体調で挑もうではないか。

それと実は今書きたい記事が幾つかあるんで7月上旬~中旬にかけてその辺どんどん書いていきたいと思います。そして連載についてもそろそろ考えてます。そのテーマは「なぜ日本は大東亜戦争という勝てる見込みのない戦争をするに至ったか?」というもので、これまた一部の愛国心が間違った方向に動いてる方々をこれでもかと言わんばかりに刺激しかねない内容になると思うのですが、まぁ味方が増えることはあっても敵が増えることはないと言っても過言でないくらい僕は敵を作り過ぎちゃってるんでその辺は割り切っていきたいと思います。それでは今日はこの辺で失礼します。今月もお疲れ様でした,ジベリ!

2012年6月24日日曜日

週末はだいたい休めない

                    ・京都タワーを見上げて...

ということで昨日お伝えしたように今日は京都市役所の筆記試験でした。会場は立命館大学で朝9時40分からのスタートということで家を出たのは7時半頃。立命館には基本、バスでしか行けないので当然のように大混雑です。何やかんやでバスの座席も確保できましたし、早めに家を出たのは正解でした。

                              ・今回も弁当持参で行きました

会場は受験生でごった返しています。統計上1000人以上が集まっていることになるので当然と言えば当然ですが...。丁度僕の前の席には同級生のI氏の姿も。実は願書を郵便局に持っていったとき、丁度彼も願書を提出したところだったんですよね。そんなワケで恐らくこの席順だったんだろうなと思います。(まぁ僕と違って彼はわりと本気で試験対策やってたんで、仮にもののついでに受けていた僕が落ちたとしても、どうにか彼には受かってほしいところであります。)

・北野天満宮に立ち寄ったり

そして僕の出来はどうだったのかと言うと極めてビミョーです。教養問題は恐らく数学を省けば殆どパーフェクトに近い結果だとは思うのですが、如何せん数学ですよね...。専門科目(行政)はフィフティーフィフティーといったところ。ずば抜けて好感触でもなくやっちまった感じも無く...です,ハイ。そうなるとあとはお家芸の作文ですが、今回の主題は「最近5年間でもっとも後悔したことと、そこから学んだこと」ときた。何を隠そう僕は後悔と言うものをしたことが無い。Voyageの方の「航海」なら人生と言う名のそれを一丁前に渡ってますが...。結局作り話をするのも忍びなく、正直に「私は生来後悔と言うものをしたことが無い」とした上で、その心構えと真意について語りました。正直これは大博打です。でもね、僕に言わせれば後悔なんてものは「結果」でしか物事を捉えられないつまらない人間のすることであって、士道と仁義を重んじる人間は「反省」はしても後悔なんてものは絶対にし得ないんです。(とは言え主題を真っ向から否定しているワケで、これは大博打以外の何物でもありませんw)


・今日はちょっと豪勢にサラダ&白ワインをセットに頂く

試験終了後、立命館のバス停は込んでいるであろうというコトで、少し歩いて白梅町のバス停に行こうと思ったのですが、いざ行ってみるとバスが定刻通りに来ず、だいたいここまで来たんだからちょっと天満宮にでも寄って行こうじゃないか?という思いつきもあって、結局天満宮を軽く参拝してからバスに乗ることにしました。その後河原町まで引き揚げて、とりあえずtimepiece cafeでゆったりと夕食を食べてきました。今回食べたのは今週のパスタ「京茄子と新しょうがのボロネーゼ」なのですが、これがホントに僕の好きな味で食べてて幸せな気分になりました。今週末はテスト2連戦もあってほぼ休めてない状態なのですが、火曜日は「国際政治論研究」の発表もありますし、その後はゼミでの論文報告もあり、まだまだ休めないのが実情です。まぁでも今日はとりあえず「平清盛」でも観ながら寛ぎたいと思います。それではみなさんごきげんよう、ジベリ!

2012年6月23日土曜日

写真では伝わらないこともある

                            ・この花の名前を僕はまだ知らない(盧山寺境内にて)

今日は京都新聞社の筆記試験でした。そして明日が京都市の筆記試験なのですが、どういうワケか僕はこの日程を逆に覚えていたようで、なんと気付いたのは立命館大学の到着して受験票を見たときでした。(←アホですかw!)これはマズいということで急きょ引き返し、家に戻ってから午後スタートの京都新聞の筆記試験に備えたのですが、もしもこれが午前中のスタートだったらと思うとゾッとします。運はいいとは言えない僕ですが、まぁ悪運だけは何故か強いんですよね。そしてそのおかげで幾度も助かっているワケですがw

                  ・京都御所にて(中央奥に大文字山が見える)

まずは教養問題。京都の伝統行事の細かいところや京滋の難読地名なんかも出題されてて難易度はやや高めです。(梅小路公園にその昔平清盛の屋敷があったとは...。)まぁ何問かやっちゃった感のあるところもあるのですが、まぁ何とか乗り切ったかな?という感じで全体の手応えとしてはまずまずといったところでしょうか?そしてその次は作文。毎回これに助けられているといっても過言ではない節があるのですが、今回のテーマは「今会いたい人」。数秒間考えた挙句、2人の顔が僕の中に浮かび上がります。一人は我らが亀井静香先生。そしてもう一人は我らがYUIさん。どちらでも原稿用紙2枚では書き足りないくらい思い入れのある人物なのですが、YUIさんだと募る想いから冷静さが失われてしまうのではないかという懸念があり、ましてやロキノンの記者になるでもないだろうという現実的アプローチもあり、このプランは断念。多少冷静に語れて、且つ政治学を学んできた人間の素養を示せるかもしれないという若干の皮算用もあり結局亀井先生について書くことに...。書き始めるとまたいつものようにペンが進み、最終的にはなかなかの自信作になりました。

                             ・京都御所は物凄く広い

誤字脱字等のチェックをしたあと僕はその作文を足早に提出し、試験会場をあとにしました。試験会場の京都新聞本社は京都御苑の目と鼻の先にあるのですが、まぁ折角ということでちょっと立ち寄っていくことに...。この時点で時間は16時くらいでした。本殿は基本的に閉ざされているのですが境内は立ち入り自由になっていてちょっとした市民の憩いの場ともなっています。御所を後にして向かったのはその目と鼻の先にある梨木神社。ここは公家の開明派として知られ、王政復興と明治維新に貢献した三条実萬(さねつむ)・実美(さねとみ)父子を祀った神社で、また萩の名所としてもその名を知られます。

          ・緑で溢れ返っている梨木(なしのき)神社の境内

もともとこの辺りには公家の屋敷が建ち並んでいたようで、この場所には丁度三条家の邸宅があったそうな...。また境内にある井戸,「染井の水」は京都三大名水の一つに数えられる名水で、ぺッドボトルなどを持参する参拝客の姿がこの日もチラホラ見えました。僕も次回行ったときは汲んでこようと思います。(実は試験会場にはぺッドボトルのお茶を持って行ってたんですけど、飲み干して捨ててきちゃったんですよね^^;)

・盧山寺境内にて

梨木神社を出たあと向かったのは盧山寺(ろざんじ)というお寺。ここは「おみくじ」の起源となるものを作ったことで知られる元三大師の開祖とされる圓浄宗のお寺であり、また同敷地内にはかつて紫式部の住居があったことでも知られているのだとか...。そんなワケで小ぢんまりとした寺院ですが、見どころは意外にあります。(是非近くに来た際は立ち寄ってみてください^^)こうしてまた道すがら神社仏閣に立ち寄りながら、荒神口方面に抜けてバス停へ。ここから次は北山の方に行ってきます。実は気になってるベーグル屋があるんですよね。

 ・お洒落なカフェ・雑貨屋の建ち並ぶ北山界隈

北山はイノブンやネオマートといった雑貨屋の店舗があり、またチャペルなども立ち並ぶお洒落な町で、パン屋や洋食屋なんかも沢山あります。(時に京都市って日本一パンを消費してる市町村なんだとか。意外でしょw?)そのベーグル屋もこの一角にあるものとばかり思っていたのですが、実際には鞍馬街道を挟んだ閑静な住宅街ゾーンの方にあるのです。知る人ぞ知る心霊スポットでもある深泥池(みどろがいけ)からほど近い小さなアパートに果たしてその店はありました...がどうやら売切れたらしく、今日はもう閉店しちゃってました。

                   ・北山にはヴィレッジヴァンガードの路面店もある

閉まってるもんはしょうがないということで、まぁ折角なんでこの辺のパン屋で何か食べようということでカフェスペースもあるという進々堂へ。ベーグルは取り扱っていないのか、ここにはありませんでしたが、結局丁度焼き立てだったスコーンとほうれん草と玉子の総菜パンのようなものの2つと、アイスコーヒーを頂くコトに...。(これで合計約600円也)

・くるみレーズンのスコーン(写真左)とほうれん草タマゴ(写真右)   

だいたい週1は絶対パン屋さんに行ってるくらい、まぁ僕はパンが好きなんですよ。京都来てからは特にそうですね。よくこのブログにも出てくるエッフェルっていうパン屋さんがありますが、果たして僕はあの店に総額幾ら落としているのか...。攘夷志士の日常は戦いの連続であり、勉学と修行の日々なのですが、こうして時には息抜きをすることも忘れません。それが長期戦を闘うコツでもあるのです。

           ・北山のバス停付近より撮影(深泥池方面に向かって...)

今日はもう一つ、このあと立ち寄った場所があるのです。それが上賀茂神社。こんな日も暮れ出した頃から一体何をと思う方もいらっしゃるかと思いますが、別段夏を先取りして肝試しを満喫しようと思ったワケではありません。を観に行ったのです。

              ・夕暮れ時の上賀茂神社境内

上賀茂神社はご存知の通り世界遺産にも登録され得居る由緒ある神社なのですが、境内に小川が流れており、初夏には蛍が舞い踊る幻想的な光景を目に出来るということで蛍観賞の名所としても著名な場所なのです。そういうワケでこの時間にもかかわらず境内にはたくさんの親子連れの姿が見えました。

・写真中央にボンヤリと見える光が蛍である

そして蛍はと言うとこの写真なのですが...まぁ写真にしてみると殆ど伝わらないんですよね。これはやっぱり実際に観に行かないとこの感動は分からないと思います。闇夜の中にまばゆく光る蛍が何匹も飛び交っているあの光景、そういうものに市街地からそれほど離れていない場所でお目に掛れるというのも京都という町の魅力の一つなのではないかな?と改めて思う夜でした。子どもの時にこういう自然に触れられるっていうのは実は幸せなことなんですよね。僕の地元でも蛍なんて見ようと思ったらそれこそ山奥まで行かないと見れませんでしたから...。

・上賀茂神社前のロータリーにて

現代社会というものは、ただでさえ自然との距離が離れすぎているきらいがあり、それは都市部ともなれば尚更のことなのですが、そんな中で「持続(ないし維持)可能な社会」とか「環境を大切に」って言ったところで説得力も何も無いんですよね。それよりはこうやって自然を身近なものに感じる機会を作ってあげた方がいいのであり、もっと言えば都市に自然を取り戻すことが必要なワケです。どんな大都会であれ、そこが地球の一部であるという事実に変わりはなく、人間がその自然の中で生きるものの一部であるという事実も変わらないのですから。皆さんもときには‘自然’に帰依って(かえって)みてはどうでしょうか?きっと何か新しい発見があると思いますよ。それでは今日はこの辺で失礼します,ジベリ!

2012年6月21日木曜日

図書館防衛戦争

週末には京都市の1次試験&京都新聞の筆記試験を控え、相変わらず僕は図書館&研究室に入り浸っている毎日を送っているのですが、またいつものように新聞を読んでいると許しがたい記事を見つけてしまったので、急きょブログにまとめることにしました。

・これが渦中の大阪府立中之島図書館(開館は1904年)

6月20日の京都新聞朝刊、見出しには「中之島図書館廃止へ」とあります。一体何事かと思ったら、「近代建築物として価値の高い建物を、隣接する中央公会堂などとともに観光拠点化し、集約効果を高める」ことを狙っての発言とのコト。松井知事が「例えばあそこで事業をしたいという公募事業者はものすごい数がいるはずだ」と言えば、橋下市長もこれに呼応して「一等地で建物も素晴らしい。あんなところに図書館を置く必要はない」と言い出す始末。一等地で歴史的な建物は図書館として使うべきではないようです。一体どこの国の常識でしょうか?要するにカネがほしいだけでしょう。公共サービス削減と自治体の収益増を同時に遂行できる格好の大義名分というワケでしょ?でもちょっと待って下さいよ。

・ニューヨーク公共図書館はマンハッタンの一等地、5番街にある(20世紀初頭設立)

僕は子どものころから比較的読書が好きで、図書館に入り浸っては気になった本を色々と読んできた人間でした。夢中に本を読んでいる僕をカネ持ちのクラスメートは「そんなに欲しかったら買えよ」とか言ってましたけど、それが自由にできないからああして図書館のお世話になっていたワケで...。まぁ僕はよく考えたらあの頃からやたらにカネを持ってる人間が嫌いでした。特に対して汗水たらさずにカネだけは持ってるみたいなヤツが...。(なんで後々社会主義に傾倒していくのも無理は無かったのかもしれません。)何にせよ、図書館という場所が比較的近くにあったということが僕にとっては非常に幸運だったのは言うまでもありません。たしかに中之島図書館の周辺は比較的裕福な方々が住んでらっしゃると思うので、そもそも図書館なんてなくても本くらい自分で買える...ということなのかもしれませんが、もしかしたら僕のように図書館という場所を重宝している人たちが居るかもしれませんし、そう言う人たちから、ただ単に観光地として使いたいからという理由でその場所を取り上げてしまうのは暴挙に他なりません。橋下は金欲にまみれた俗物であり、愛国者を語る価値は一切ありませんし、こんな人間の実行しようとしている教育改革が正しいはずがありません。(って...改めて言うことでもないかw)



それから図書館はただ単に本を置いている場所ではないんです。‘知識’の集積所であり、図書館司書と呼ばれる人たちがそれらを管理ないし運用しているワケです。そういう専門的知識を要する仕事だからこそ、難しい資格試験が科せられているのです。誰もがそこにある‘知識’にアクセスすることができ、それを糧と出来る場所、そういう意味で図書館という場所はその町の教育を支えるアキレス腱でもあるのです。ただでさえ活字に触れない子どもが増えつつあるという今日、図書館をなくすというのはそれをより加速させ得る愚策以外の何物でもありません。寧ろ図書館の利用を振興し、子どもたちが本を読むよう促すことが必要なはずなのです。(だからこそ例えばフィンランドでは図書館法において図書館ないし情報サービスの整備を自治体の責務としているのです。)とにかく無性に腹が立ったので記事にまとめました。大阪の皆さん、そろそろ目を覚ましてください。それでは今日はこの辺で失礼します,ジベリ!

2012年6月20日水曜日

閉塞感を打ち破る「非効率」

相変わらず僕は研究室~図書館で一日の大半を過ごしている日々を続けているワケですが、最近は新聞(主に赤旗と京都新聞)や政治系論評誌(世界、インパクションなど)のほかにビジネス誌なんかも読むようになっていて、こないだプレジデントという雑誌の6月18日号を読んでいたら興味深い記事があったので今日はそのことを書きたいと思います。その記事の著者は夏川賀央(がお)という作家で、「なぜ効率ばかり追求すると利益が減るのか」という核心的なタイトルのもと、脱マニュアルについて論じているのですが、これが本当に面白い!まさに今の日本が抱えている構造的欠陥を鋭く指摘しているんです。

「いま、企業が成功を収めようと思ったら、アップル社のiPadのようにきわめて革新性の強い商品を作り出すか、リッツカートルンのように突出したサービスを提供するか2つに一つしかない」

という若干ツッコミどころありげな一文から始まるのですが、日本の会社が「どちらも出来ずに伸び悩んでいる」というのは紛れもない事実でしょう。「ものつくり大国」と言われた日本は一体どこに行ってしまったのでしょう...。そして、そもそもどうしてこのような事態になってしまったのでしょうか?その答えを著者は「効率性を追求しすぎた」ことに見出します。正直一読してハッとしました。言われてみればそうかもしれません。新自由主義的な‘合理性の追求’を追求するあまり、日本の会社の多くからは隙間の部分や‘余計なもの’が一切取り除かれてしまったのです。それはそれで一見小奇麗にも見えるのですが、言い換えればそれはただ単に窮屈で伸び代がない空間に他ならないのです。




なるべく没個性的な人物を採用し、マニュアルを徹底して画一的な社員を作り上げる。これでは新しい意見など出てくるはずもありません。しかもサービス残業などでオフの時間をやみくもに削り、ずっと会社に拘束されているような状況を作り上げている...。精神的にも肉体的にも余裕のない日常の中では妙案など出てくるはずもないのです。‘余裕’とか‘遊び心’ってやっぱり大切なんですよ。ソフト面においてもハード面においても一見非効率な「余白」を作り出すことが出来れば、今この国に充満している‘閉塞感’を打ち破ることも出来るんじゃないかな?とこの記事を読んでて思った次第です。もともと僕らは創造性に富んだ国民だった筈なんです。それを取り戻すためにこそ一見非効率で余計に見えるものを、もう一度社会に取り入れることが必要なんだと思います。学校にしろ会社にせよ、恐らくそういう視点が欠落してるんですよ。「余白を楽しむ」、そういう精神で行きましょうよ?たとえば会社だったらサービス残業を取り止めるとか、体育会系信仰を捨てるとか、或いは社員に有給を消化させるとか...。学校現場だったら指導要領を少し減らすとかクラスにアシスタント制を導入して教員の事務作業等を軽減するとか....。そんなことでいいんですよ。その余白からきっと閉塞感を打ち破る‘何か’が出てくるんだと思います。




いつもに増して抽象的な話しになってしまったのですが、とにかく個人的に面白い着眼点だと思ったので記事にまとめてみたまでです。他にも同誌にはLCC(ローコストキャリア)のカラクリについて書かれている記事やセブンイレブンのいわゆる「ドミナント戦略」について書かれている記事も載っており、読みどころ満載と言ったところです。いや正直、ビジネス誌も捨てたもんじゃないですよ。(ちょっと政治誌寄りですが「東洋経済」なんかも面白いですね。)そういうワケなので、機会があったら皆さんも読んでみて下さい。それでは今日はこの辺で失礼します,ジベリ!

2012年6月19日火曜日

いやいや、もう手口は分かってますから

バイトが急に無期限の休職になるなど不穏な事態が相次いでいますが、相変わらず僕の周りでは妨害行為が絶えません。あの人たちの妨害行為は次の2種類に分別されます。

一つは金銭的妨害。これまでにも内定していたバイトを急に断られたり、決まっていた仕事が直前になって取り消しになったりといったことが数回ありました。一度や二度なら偶然だと思いますが、それが数回ですからね。始まったのは丁度僕が創価に関する批判を始めた2009年頃でした。何かの偶然でしょうか?今回の突然のバイト失職騒動についてはよく分かりません。っていうかこのブログでは創価や統一協会をはじめとするカルトやその他裏社会のゴロツキの有象無象の皆さんの批判を絶え間なくやってきてるんでたとえ僕の言動が原因だとしても自分でも何を敵に回しているのか把握出来てない節があるんですよねw(←オイw!)

そうそう、バイトと言えばこないだ腹の立つことがありました。早急に次の仕事を探そうというコトで多忙なスケジュールの合間を縫って職探しをしているワケなのですが、こないだの土曜にバイト面接に行った京都駅からほど近くの某所というのがビックリでした。僕は来年には卒業なので基本あと8か月程度しか働けないワケですが、開口一番に「1年以上勤務できない方はお断りしている」というのです。募集ページにも書いてあったというので仕方が無いと思って引き返したのですが、帰宅後そのページを見てみると...

応募資格◆未経験者大歓迎!
◆学生・フリーター大歓迎!
◆22:00以降は18歳以上の方
◆高校生不可


そうなんです!一言も書いてないんですよ。向かいのホーム、路地裏の窓そんなところにあるはずも無いのに一応他の蘭も見ましたがどこにも見当たりません。。もう交通費と時間を返せと...。そんな書いてることとやってることが違う店は誰も信用しませんよ。だいたい内装も汚いし設備も旧式だし、正直ジャン○ラが進出したら3日で潰れそうな店ですよ。あと受付にスタッフが固まってましたけどもうアホかと。何だその驚異の人口密度は、山手線じゃあるまいし...。その分際で1年以上勤務必須とは笑わせます。(※この記事の流れ上、あたかもカルトと関わっているかのような印象を与えてしまってはいけないので店名は伏せておきます。)

もう一つはいわゆる離間工作。これは別に政治的なものでなくとも、例えば僕がバンドを組もうとすると毎回何らかの妨害行為を受けます。よくあるのがメンバーが集まってセッションをしようという段階になったところでメンバーの一人が音信不通になり、それが数回続いてバンドが機能不全に陥るというケース。これもたしかに1回や2回なら偶然で片付きますよ。でもそれが4度5度と繰り返すようなことは通常あり得ないでしょう。平将門の墓を荒らしたとか、大石寺に仇なして偽物の御本尊を量産したなどの前科でもあれば話しは別ですが、僕はそういったことは一切していませんので...。今思えばゼミ内にも工作員が流入していたのかも?などと考えてしまう節があります。連絡網が回っていなかったり、取り立てて別の意見もないのに反対意見をゼミ時間の終わり際に一方的にぶつけて、その癖僕が「皆さん何か意見があればメールしてください」と言えば一計も案じることはなく、どころか会合にも一度も姿を見せなかったような方が現に数名居ましたから...。(そしてそういうのに限って何故か就職出来ている不思議w)

肝心の志士会についてはどうなのかと言うと、今のところ別段特異な形での妨害は受けていませんが、とりあえずスパムメールは絶え間なく来ていますし、定期的に罵詈雑言をコメントしてくださる固定客もいらっしゃるようです(笑)

とはいえ彼らがどれだけ妨害工作によって僕から何かを奪えたとしても僕の才能や僕自身が与えられている「天命」を奪い去ることは出来ないのです。そもそもゴロツキの皆さんもジリ貧だそうじゃないですか?僕の邪魔をしている余裕があるなら少しでも借金をお返しになった方がいいですよ。もともと文学部の史学科志望だった僕が紆余曲折から政治学科に流れ込んだのも、志士会を組織して攘夷運動を開始するに至ったのも、創価や統一協会による暗殺の手から逃れたのも偶然ではないでしょう。僕に天命があるからに他なりません。天命と能力を与えられた以上はそれを社会のために使う義務があります。そういう信条の下で僕は活動しているので、私利私欲や自らの野心を何よりも優先したいという方は志士会には入らないで下さい。もしその義務を果たさなければ天命は奪い去られ、私利私欲のためのみに能力を使い続けることがあれば自ずと滅亡の道をたどるに違いありません。天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさずとは老子もよく言ったものです。長期的に見るとやっぱり悪いことは出来ないように出来てるんですよ,この世の中というものは...。


それからゴロツキの皆さん、もし今後僕宛てに脅迫メールなど送ってくることがあれば、アドレスも含めてこのブログに遠慮なく載せさせて頂きますのでドシドシ送ってください。電凸も構いませんよ。録音してyoutubeに流しますので。是非その汚らしい声を世間にぶちまけてください。ついでに体中の体液をぶちまけてお死にになってはどうでしょうか?というか頼むから死んでください。(ちゃんと300円あげるからw)


それでは今日はこの辺で失礼します,ジベリ!

2012年6月12日火曜日

今、シリアで起こっていること

昨年より続くシリアにおける一連の武力衝突騒動,メディアはこぞってシリア政府(ないしアサド大統領)の批判ばかりを繰り返しますが、実態はどのようになっているのでしょうか?調べてみると色々面白いことが分かったので今日はそれをお伝えしたいと思います。(殆ど文字ばっかりの味気のない記事ですが、読んでもらえると嬉しいです^^)

まずシリアという国がどこにあるか確認しましょう。皆さん地図帳の25ページを開いて下さい。何!?ロッカーに置いてあるだと?ちょっとロッカーにある人挙手!そんなに居るのか...。じゃあ今すぐ取ってきなさい。はいそこ喋らない、地図帳取りに行くのに私語は要りません!(←なんだその地理の時間あるあるはw)

トルコの北隣で東側にはイラク、そして南隣にヨルダンとイスラエルがあり、また地中海側ではレバノンとも国境線を交えている国、それがシリアです。海を挟んでキプロスとも隣接しており、ヨーロッパ世界からも程近い位置にあることが伺えます。大統領であるアサド氏の顔を思い出してもらったらわかると思うのですが、住民にはアラブ系というよりはむしろ白人に近いような外見の方々も多くいらっしゃるんですね。また歴史的にもヨーロッパ世界とのかかわりが深く、たとえばアレキサンダー大王の時代にはその王国の広大な領土の中に組み込まれるところとなっています。(王国分裂後はセレウコス朝として存続)その7世紀にはイスラーム初の世襲王朝であるウマイヤ朝が興り、それ以来イスラーム文化圏に置かれることとなりました。15世紀以降はオスマン帝国の支配下に置かれ、独立は1918年を待つこととなります。しかしこの独立は束の間で終息を迎えます。2年後の1920年には第一次大戦でオスマン帝国がドイツ側についたことに起因してセーブル条約を以てレバノンとともにフランスの委任統治下に置かれたからです。そしてその後の独立は第二次大戦後の1946年を待つことになりました。アサドさん自体が世襲なので勘違いしている方も多いかと思うのですが、彼自身は国民による選挙で選出されているのであって一応シリアは共和制(つまり民主主義)国家なのです。(テレビではあまり報道しませんが、アサド支持派によるデモも実際には何度も行われているのです。)

・シリア大統領のバッシャール・アルアサド

しかし、なぜアメリカ政府(及びイスラエル、そしてユダヤ金融資本)の皆さんはシリアを目の敵にするのでしょう?これまで何度か言っていたようにイラク・リビアのときはそれぞれ「ドル防衛」という建前に隠された‘真意’があったワケですが、シリアにも何かあるのでしょうか?恐らく今回の目的は単純に反イスラエル(ないしシオニスト)国家である現政権を叩きのめそうということだと思います。それから去年の9.11に関する連載「完全な断絶」についてお話したのを覚えているでしょうか?これはイスラエルからパレスチナを完全に排除し、反シオニスト勢力を遠ざけて中東世界を作り替えようとせん計画なのですが、今回のこともその一環なのでしょう。先述したとおりシリアはイスラエルと国境を交えているのであり、シオニスト勢力にとっては邪魔な扱いなのです。


・シリア反乱はシオニスト陰謀 シリア人学生が告発するメディアの嘘
http://www.youtube.com/watch?v=Gu0WEN-T1Jo

まずこちらの動画をご覧下さい。これはフランスを旅行で訪れているシリア人学生がテレビのインタビューに答えているものなのですが、要約するとこういうことです。アサド大統領は国家のために働いているのであり国民の大半は現政権を支持している。今国内で武装蜂起している人たちはモサドやCIAといった‘外の勢力’に陽動されているものであって政府は正当な防衛行動を遂行しているに過ぎない,と。繰り返すようですがこれはフランスの番組です。シリアのテレビ局でもなければイランや中国、ロシアといったシリア擁護側のメディアでもないのです。しかもフランスといえば先のリビア介入においてはアメリカに次いで積極的に関わっていた国です。つまり‘あちら側’の勢力下にある国のメディアなのであり、そこが恣意的にこのようなインタビューを放送するとは考え難いものがあるのです。とはいえ連日聞こえる「虐殺」とやらは?女性や子どもまで犠牲になっているなんて話も聞きますがその辺どうなのよ?と思ってまたニュースを洗い直していると、こんなものが出てきました。

・BBC、イラク戦争の写真をシリア虐殺の写真として偽装掲載
http://www.asyura2.com/12/warb9/msg/363.html

この記事によるとイギリスの国営放送であるBBCが使用したシリアで起きた虐殺の写真というのが実はイラク戦争時のものだったというではないですか!完全なる捏造です。因みにBBCはこのことについてその後一切謝罪はしていない模様です。(それにしてもBBCって9.11のときといい今回のことといい、何かとやらかしちゃってますねw)何でしょう?メディアってどの国もこんなもんなんでしょうか...。そして注目してほしいのは次なんです。6月4日にホウラで起きた虐殺事件、少なくともこの件に関してはどうやら政府側は寧ろ被害者のようなのです。

・シリアのホウラ虐殺の犠牲者はシリア政府支持者
http://www.salem-news.com/articles/june022012/bbc-syria.php

・アサド氏、ホウラでの虐殺を非難
http://www.cnn.co.jp/world/30006837.html

一般的な日本のメディアの言い方ではまるでシリアでの虐殺=アサド政権による国民への弾圧といった風ですが、実際のところはそれさえも疑わしいのです。(CIAは1965年のインドネシア大虐殺などの前科がありますし、モサドにとっても粛清は常套手段です。)

それから今回の騒乱はやはり「宗教間対立」を少なからず内包している模様なのです。アサド氏はシリアの中でも少数派のアラウィー派に属しているワケですが、国民の大半、実に70%はスンニ派の信者なのです。要するに少数派の政権が倒れると迫害が始まるのではないか?という恐怖心が泥沼の対立を助長しているというのです。そして恐らくこの‘切り崩し’こそがシオニストの狙いなのではないか?と僕は推測します。というかこれってあの人たちがよく使う手口なんですよ。リビア然りイラク然り...。そうして内部抗争を激化させて政権を打ち倒し、その後親米・親イスラエルの政権を樹立する。それは石油の権益を搾取するという経済的要因以上に先述した「大イスラエル建国」という大いなる野望によるものが大きく、加えて言えば‘イスラエルの安定’を目指したものなのだと思われます。

勿論アサド政権が100%クリーンで何の問題もない聖人君主かといえばそれは怪しいでしょう。ただ未だ世俗化も碌に進んでいない中東諸国においてある程度の強権を維持することは無用な宗教対立を防止するための抑止力ともたり得るということだけは覚えておいてください。中東の民主化、抑圧からの解放というのは大義名分としてはよく分かります。しかしそれは軍事介入では実現し得ないものですし、そもそも介入している側は別の思惑で動いている...これでは解決なんてするはずもありません。そんなものはアフガンやイラク、リビアを見れば明らかでしょう。とにかくアメリカ主導によって行われているシリアへの軍事介入を非難する声を明らかにしたところで今日は終わりにしたいと思います。これを読んで皆さんも少し冷静に中東情勢を見て貰えれ光栄です。それでは今日はこれにて,ジベリ!

2012年6月8日金曜日

髪切ってきた

・黙れ、イメチェンだ。

ということで今日は久々に髪を切ってきました。また例によって河原町のクンクンルーホーです。まぁ行き馴れてるんですよね。何気に居心地の良い場所なんで定期的に行きたくなる場所だったりもします。と言っても前に行ったのは今年の2月なんで実際4ヶ月くらい放置だったワケですがw


・timepiece cafeの今週のパスタ

まぁ折角河原町に出るんだったらというコトで、今日のランチは久々にtimepiece cafeで食べてきました。相変わらずここのパスタにはハズレがありません。バイトが休職になって、とっとと次の仕事を探さねばいけない状況であり、加えて論文の準備や継続中の就活への対応など色々と忙しい時期ではあるのですが、まぁたまには息抜きをしようというコトです。ただでさえバカバカしい人生ですが、あまりバカバカしくならずに余裕と遊び心を持って程よくだらけて生きていきましょう。上の写真の通り髪も夏仕様にスッキリしたところですし、心機一転また頑張るとしましょう!短めですが今日はこの辺で失礼します,ジベリ!

2012年6月6日水曜日

法務大臣交代劇の舞台裏

先日は森本防衛大臣についてお話したのですが、もう一つ今回の人事で見逃せないのが法務大臣の交代劇なのです。実は前法相の小川敏夫さん、あることを実行しようとしていたのです。具体的な話は追ってしていくことにしますが、簡単に言うとある事件に対してある権限を発動させようとしていたのです。(注:政治学科という場所の性格上、法学部を出ていながら僕は憲法・行政法・国際法以外の法律系科目を勉強しないままに現在に至ってしまったため、今日の記事ではウィキ先生のお世話になっていますw)

実は法務大臣は各検察官に対して指揮命令ができる一般的に「指揮権」と飛ばれる権限を有するとされているのです。注意してもらいたいのは‘一般的に’という点。では個々の事件に対してはどうなのか?というと「検事総長のみを指揮できる」という但し書き付きになるワケです。実際この「指揮権」なる権限を発動させた例は過去に一度しかありません。その時の法務大臣は5・15事件で犠牲になった犬養毅首相の三男にあたる犬養健という人物。彼は佐藤栄作(当時自由党幹事長)を1954年の造船収賄事件(いわゆる造船疑獄)から逃れさせるためにこの権限を発動させたのでした。そもそも「指揮権」というものは起訴権限を独占する検察権力へのチェックアンドバランスを狙って作られたものだったのですが、それが一政治家の保身に使われてしまったことへの批判は大きく、彼は大臣を辞することとなり、また同時に政治生命そのものを事実上断たれることとなったのでした。とはいえこれは彼の独断というワケではなく吉田内閣としての決定だったという傾向が強く、実際なかなか指揮権を発動しない犬養大臣を吉田首相は「罷免させて新しい大臣に(以下略...)」とまで後に語っています。

法務省の訓令である処分請訓規程(昭和二十三年法務庁検務局秘第三六号訓令)と破壊活動防止法違反事件請訓規程(昭和二七年法務府検務局秘第一五七〇号訓令)では検事総長が法務大臣の指揮を受けるべき事件として「内乱罪、外患罪、国交に関する罪等」・「破壊活動防止法違反」など国家の存亡にかかわるような事例を提示しています。決して個人の政治思想的理由や増してや特定の人物及び団体の保身のために発動していいものではないのです。

小川大臣はある事件に対してこの半ばタブーとされてきた権限である「指揮権」を発動しようとしていたのです。その事件とは何か?陸山会事件です。虚偽の捜査報告書を作成した東京地検特捜部の田代検事を起訴すべくこの権限の発動を試みていたのです。何度も言うようですがあの裁判は完全な茶番です。状況証拠も無しに「そうなんだろう」というだけの理由で裁判が続けられていたのですから、あの裁判への介入は一政治家の保身という一言では片付けられないのです。「検察へのチェック」という意味で正当性があり、加えてそもそも東京地検特捜部の裏にどこぞのウォール街の連中の思惑があることを考えれば、それを阻止するのは国家の正当防衛であるという意味でも先述の条件を満たします。大臣は正しいことをしようとしていたのです。まぁそれを野田首相に相談したのが運の尽きだったというほかはありません。当然承認は得られずしかも事実上首を切られるテイタラクですからね。自爆覚悟で強行突破ということもできたみたいですし、その点に関しては脇が甘かったのか、はたまたそれほどの覚悟を持ち合わせていなかったのか...。

・参考:6月5日毎日新聞紙面(毎日なんぞ所詮、創価の新聞なので社説などは大して読む価値はありませんが、少なくとも何があったかを推し量る材料にはなるのですねw)

まぁ小川さん自体が色々と問題のある人物であり、外国人参政権や人権委員会の設立を推進する彼を僕が支持するワケもないのですが、ただこの行動に関しては間違っていないと思ったのでちょっと記事にまとめてみました。まぁでも後任の滝実さんもわりとまともそうな人なので...。(消費税増税推進派なのは頂けませんけど^^;)

それに何せ前大臣が‘タブー’に挑んでまでやろうとしたことに対して新大臣とて何のアクションも起こさないということは許されないでしょうから今後の動向に注目したいところです。それにしてもあれですね。野田ってホントにカスですね。誰ですか?あんなのに投票したヤツは。世の中にはけしからんバカが居るものですね。どうせバカならせめて笑えるバカになって貰いたいものです。そんなワケですが今日はこの辺で失礼します,ジベリ!

2012年6月4日月曜日

新防衛大臣・森本敏の正体

野田政権のムダな悪あがきとしか考えられない今回の内閣改造ですが、その目玉(?)がもしもしコーヒーこと田中直紀防衛大臣の後釜として入閣した森本敏なる人物です。初の民間人・そして防衛大卒業者の起用というコトですが、一体この森本敏なる御人、いかなる人物なのでしょうか?今日はそのことについてお話したいと思います。

①拓殖大学大学院教授
森本敏(さとし)さんは先述したように防衛大卒の人物で、航空自衛隊除隊後に外務省に入省し、更にその後国際政治、軍事及び防衛分野などの研究をする学者へと転身した異色の経歴を持つ人物なのですが、彼が教鞭を取る拓殖大学とは一体どのような場所なのでしょうか?拓殖大学というのはそもそも1900年に、台湾の開拓のための人材を育成する教育機関として開校されたところで、大学としての運営は1922年からスタートしています。(因みに当時の名称は東洋協力大学)そうした経緯のある大学なので、戦後も国際協力の人材育成に力を入れており、留学などの制度も充実していると言います。そしてまぁそういうエレメントの強い大学なので当然と言えば当然なのですが右傾向の強い大学であり、加えて言えばフジサンケイグループ的な親米保守の学者・論客を有しているところでもあります。そして森本教授もその例外に漏れません。教鞭を取る傍ら、メディアへの露出の機会も多い人物ですが、果たしてこれまでどのようなことを主張してきたのでしょうか?

②フジサンケイグループの名物ご意見番
先述したようにメディア露出の機会も多い森本氏ですが、とりわけ産経新聞や論評誌「正論」でその名前を目にすることが少なくありません。僕も実際に何度かテレビで観たことのある人物ですし、彼の書いた論評も読んだことがあります。まぁフジサンケイグループの御用達っていう時点でもう大分アイタタなのですが、一応彼がどういうスタンスの持ち主なのか説明したいと思います。

③TPP賛成&原発推進
まずTPPについては「交渉への日本の取り組みを明白にすべし」(2011年9月22日の産経新聞より)としており、更にその後の11月18日には-ニュースポストセブンの記事において「日米同盟を堅持する のであれば、NOという選択肢はないはずだ。」とまでホザく始末です。前...なんとかさん並みのアメポチ精神が伺えます。そして原発に関しては「産業の発展、成長のために原発は必要。ただし、稼働から30年以上経過した原発は廃炉とし、第4世代の新型炉に置き換えていく」 (2011年8月17日・24日号の雑誌 「SAPIO」より)との文面から読み取れるように推進論者。もうこの時点で何だかなぁ...といったところなんですが、しかもこのタイミングですからね。大飯原発をどうするかっていうときにこの人事。確信犯としか思えません。またイラク戦争開戦前の2003年2月には産経新聞にて「イラク問題について米国の立場と行動を支持する声明」を発表。アメリカのイラク侵略を後押しする持論を展開しました。(しかもその記事が2004年、フジサンケイグループ主宰の「正論大賞」を受賞する始末ですから呆れてしまいます。「極論大賞」ならごもっともなのですがw)

また中国脅威論を根拠に日米軍事同盟強化を訴える論客の一人でもあり、集団的自衛権の行使を主張する人物でもあります。こんな人物を防衛大臣に指名するのですから野田首相も末期も末期といったところです。早く小沢さんや亀井先生に席を譲って、とっとと国会から出て行ってもらいたい次第です。あと、どうせ民間人を防衛大臣にするのなら是非とも副島隆彦先生あたりを入閣させればいいと思います。手短ですが一刻も早くこのことを記事に書きたかったので研究室からお送りしました、今週も頑張りましょう,ジベリ!