・これが渦中の大阪府立中之島図書館(開館は1904年)
6月20日の京都新聞朝刊、見出しには「中之島図書館廃止へ」とあります。一体何事かと思ったら、「近代建築物として価値の高い建物を、隣接する中央公会堂などとともに観光拠点化し、集約効果を高める」ことを狙っての発言とのコト。松井知事が「例えばあそこで事業をしたいという公募事業者はものすごい数がいるはずだ」と言えば、橋下市長もこれに呼応して「一等地で建物も素晴らしい。あんなところに図書館を置く必要はない」と言い出す始末。一等地で歴史的な建物は図書館として使うべきではないようです。一体どこの国の常識でしょうか?要するにカネがほしいだけでしょう。公共サービス削減と自治体の収益増を同時に遂行できる格好の大義名分というワケでしょ?でもちょっと待って下さいよ。
・ニューヨーク公共図書館はマンハッタンの一等地、5番街にある(20世紀初頭設立)
僕は子どものころから比較的読書が好きで、図書館に入り浸っては気になった本を色々と読んできた人間でした。夢中に本を読んでいる僕をカネ持ちのクラスメートは「そんなに欲しかったら買えよ」とか言ってましたけど、それが自由にできないからああして図書館のお世話になっていたワケで...。まぁ僕はよく考えたらあの頃からやたらにカネを持ってる人間が嫌いでした。特に対して汗水たらさずにカネだけは持ってるみたいなヤツが...。(なんで後々社会主義に傾倒していくのも無理は無かったのかもしれません。)何にせよ、図書館という場所が比較的近くにあったということが僕にとっては非常に幸運だったのは言うまでもありません。たしかに中之島図書館の周辺は比較的裕福な方々が住んでらっしゃると思うので、そもそも図書館なんてなくても本くらい自分で買える...ということなのかもしれませんが、もしかしたら僕のように図書館という場所を重宝している人たちが居るかもしれませんし、そう言う人たちから、ただ単に観光地として使いたいからという理由でその場所を取り上げてしまうのは暴挙に他なりません。橋下は金欲にまみれた俗物であり、愛国者を語る価値は一切ありませんし、こんな人間の実行しようとしている教育改革が正しいはずがありません。(って...改めて言うことでもないかw)
それから図書館はただ単に本を置いている場所ではないんです。‘知識’の集積所であり、図書館司書と呼ばれる人たちがそれらを管理ないし運用しているワケです。そういう専門的知識を要する仕事だからこそ、難しい資格試験が科せられているのです。誰もがそこにある‘知識’にアクセスすることができ、それを糧と出来る場所、そういう意味で図書館という場所はその町の教育を支えるアキレス腱でもあるのです。ただでさえ活字に触れない子どもが増えつつあるという今日、図書館をなくすというのはそれをより加速させ得る愚策以外の何物でもありません。寧ろ図書館の利用を振興し、子どもたちが本を読むよう促すことが必要なはずなのです。(だからこそ例えばフィンランドでは図書館法において図書館ないし情報サービスの整備を自治体の責務としているのです。)とにかく無性に腹が立ったので記事にまとめました。大阪の皆さん、そろそろ目を覚ましてください。それでは今日はこの辺で失礼します,ジベリ!
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