コトのきっかけは2008年の福田内閣時代に遡ります。なんか民主党になって急に...みたいな感じになっちゃってるんですけど、大元の構想は自民党時代からあったのですね。そもそも日本の社会保障制度というものは基本、経済成長を前提としたものだったのです。しかし高度経済成長後も、或いはバブル崩壊後もそれが見直されることはありませんでした。つまりそもそも無理だったのです。それを今の今まで続けてきたのですから、皮算用で一話分ストーリーを少なく作っといて年末に放送する話が無くなってしまった某ジャンプアニメのスタッフ並みの杜撰さです(笑)
もっと言えば「いざなぎ越え」なんて言われた2002年2月から3年ほど続いた好景気とて、国民の多くがそれを実感することは遂にありませんでした。要するに経済成長→国民の富の拡大とは必ずしもならないことをこの国は身をもって証明しているのであります。そして昨今の「税と社会保障の一体改革」の登場ですが、結論から言えばこれは財務省の暴挙であり社会の有する持続可能性を著しく無視したものなのであります。それがどういうことかは後々説明するとして、とかくまずはこの改革に至るまでの直接の経緯を見ていきましょう。
2008年、福田政権下で組織された「社会保障国民会議」においてこうした一連の社会保障改革の大もとの道筋が示されます。(丁度自民党が新自由主義的な構造改革路線からの転換を模索し始めた時期ですね。)そしてその後2009年には麻生内閣の下で次は「安心社会実現会議」が開かれます。社会保障制度の研究者であり、かつて「代々木のドン」と呼ばれた故・宮本顕治(日本共産党2代目委員長)先生を実父に持つ宮本太郎北大教授もこのとき委員の一人として参加しました。ここにおいて社会保障と雇用、そして税制改革の一体化という現在の方針と相違ないものが初めて打ち出されました。政権交代後、これを再始動させたのは菅政権でした。(先述の宮本太郎先生は、このときは座長として迎え入れられることとなりました。)その「社会保障改革に関する有識者検討会議」において今回の同改革の大枠が設計されるところとなったのです。この検討会は先述の自民党時代の有識者会議の内容を踏襲したものであり、当初は国民の安心実現という元々の理念を念頭に置いたものとして進められていました。それに「ぶれ」が生じたのは大方の予想通り昨年3月11日の東北大震災の発生でした。その後は緊迫財政を口実に社会保障の効率化や給付削減ばかりが強調されるようになっていったのです。(そう言えばメディアがこぞって生活保護の悪用例を報道するようになったのもあの辺からでしたね...。)
政府の言い分はこうです。増税はするけどこれは社会保障制度の維持のためにはやむを得ないのだと...。そして社会保障のための改革というエレメントに重点を置いて宣伝していますが、では増税したら今のひ弱な社会保障制度が改良されるのでしょうか?特に現役世代への配慮が手薄な現在の社会保障制度が根本から見直されるのでしょうか?されません。それどころか改悪されるのです。しかしその点をあまり大きな声では言いません。そして実は政府はこの改革の宣伝のために去年だけで8億円もの大金を注ぎ込んでいるのです。これがどのくらいかというと、障害者自立支援法によって生じているいわゆる「自己負担分」のおよそ2年分に相当することになります。カネがないと言いながら嘘吐きの広報にそれあけのお金を注ぎ込んでいるのです。これを無駄遣いと言わずになんと言うのでしょう?
そもそも国民に直接的な負担を強いる一方、法人減税には固執し続けていますし、米軍への「思いやり予算」も見直される気配がありません。ついでに言っときますけど法人税を下げても企業は日本に戻っては来ませんよ。だって人件費などを考えると圧倒的に海外の方が効率的ですし、マーケティング拡大の戦略上もその方が有利なんです。しかもヨーロッパの企業は法人税が安い分、「社会保障負担費」みたいなのを負担してたりしますし...。まぁこの辺は僕が2年前に書いた記事を参照してもらえたらと思います。(←皆さんこの辺騙されちゃいけませんよw)
なんか総論だけで結構長くなっちゃいましたね。そういうワケなんで詳しい話は次回からということにして今日はこの辺でしつれしたいと思います。ジベリだってばよ!
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