2012年7月1日日曜日

三島由紀夫と若者たち

今日は彼女と一緒に映画を観に行ってました。(なんでデートでこんな映画を観に行くのかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、驚くなかれ提案したのは彼女の方なのですw)ココン烏丸にあるミニシアター系の映画を上映している小さな映画館で、観てきたのは「三島由紀夫と若者たち」という、いわゆる三島自決のその日を主題としたドキュメント映画。監督は「実録・連合赤軍」や「キャタピラー」などの作品で知られる若松孝二。


キャタピラー [ 寺島しのぶ ]
価格:3917円(税込、送料無料)

三島由紀夫を演じるは個性派俳優の井浦新(ARATA)さん、当初は僕の好きな俳優さんの一人でもある大森南朋(なお)さんがその役を務める予定だったそうですが、正直この役に関しては井浦さんの方がピッタリだと思いました。また前作「キャタピラー」での演技がベルリン国際映画祭で高い評価を得た寺島しのぶが今作では三島由紀夫の妻を演じています。

・映画のポスター

三島由紀夫という人物の評価は非常に難しいところがあります。というか彼の思想とか政治観というものは、一見すると単純なのによく見れば複雑であるというよく分からないものなんですね。一重に右翼ないし民族派の懐古主義的で保守的な論客と捉えるにはどうも無理があるような気がするんですよ。この映画にも出てきますが、彼は全共闘,つまり左翼派の学生らと討論したことがありました。そのとき彼は「既成概念の打破」とか教養主義ないし知識人の自惚れといったものへの否定みたいなところにおいては賛同すらしているのです。つまるところ彼らと三島との違いは、日本という国を、或いは天皇という存在を認めるかどうかその1点だったのです。この映画の中で主として描かれるのは変化を遂げつつある時代の中で「答え」を求める若者の姿とそれに共鳴し、またときにそれを諌める大文豪の姿。先述した全共闘とのやり取りはこう締めくくられます。「諸君の熱情は信じます。それだけは信じます。他のものは一切信じないとしてもそれだけは信じるということは分かって頂きたい」と。思想や概念じゃない、彼が信じたのは若者たちの‘熱意’だったのです。

                      ・読み応え十分のパンフレットは1000円也

三島と‘最期’をともにすることになる森田必勝(まさかつ)は「この国のためにこそ生きているのだと思えるような国」を理想として活動の渦に自ら身を投じることになります。とはいえ直接的なきっかけは左翼のやや暴走的な運動の在り方に疑問を持ったことであり、全共闘の主張そのものには一定の理解すらあったようです。(元・右翼活動家の鈴木邦男さんによれば高校時代は左翼思想に傾倒していて、大学では全共闘の活動に加わろうと考えていたとか何とか...。)その後彼は日学連(日本学生同盟)の前身となる早稲田学生連盟を介して三島由紀夫と出会うことになるのですが、その後の「論争ジャーナル」の創刊などに起因して三島の周りには次第に憂国の志を胸にした若者たちが集い始めます。そして結果的には‘あの事件’へと繋がっていくワケですが、この辺の経緯は西郷隆盛が士族の不平を汲み取って、おおよそ勝ち目のない戦争(西南戦争)に身を投じていく過程と似ていなくもないような気がします。実際映画の1シーンで三島が訪ねてきた若者を観て浅沼稲次郎を刺殺した青年をフラッシュバックするシーンがあるのですが、もしかすると三島さんは熱意ある若者たちを暴走させないために大方成功する見込みのないクーデターに打って出たのかもしれません。

1968年の10月21日、国際反戦デーに起因する大規模なデモが発生します。自衛隊の治安出動に乗じて三島が組織した民兵組織「盾の会」も行動に打って出ようと画策しますが、これを警察が沈静化したことで自衛隊の治安出動は絶望的となり、盾の会はその存在意義を見失い始めます。当初協力的だった元陸軍所属の自衛官・山本舜勝(きよかつ)は自衛隊との連携には二の足を踏み、また運営資金を巡るいざこざからメンバー数名の脱退を受け、更にはこれに起因して盾の会発足時からのパートナーである持丸博(因みに彼の妻は、統一協会系の似非右翼放送局であるチャンネル桜の発起人の一人である松浦芳子。彼女も元々は盾の会のメンバーであった。)までもが脱退を宣言する始末...。一方で「先生に預けた命が叫んでいる」と迫る森田らを抱え...。そんな葛藤と挫折の連続の中、ついに‘そのとき’を迎えることとなります。



1970年の11月25日、場所は自衛隊の市ヶ谷駐屯所。ここに当時の実際の映像があるんですが、劇中においてもこの演説シーンは忠実に再現されています。誠実に、そして力強く訴える三島由紀夫とそれを見守る盾の会のメンバーたち。しかし集められた自衛隊はざわつくばかりで賛同の声も反対の声も上げようとしない。しかも報道のヘリの音で三島の声は時折かき消されてしまう...。見かねた三島は「諸君の中で一人でも俺と一緒に立つやつはいないのか?…一人も居ないんだな。」と憤りと諦めの入れ混じった声を上げるのだった。正しいことなんて訴えたところで誰一人話なんて聞こうとしない。それは今も昔も変わっていないのかもしれません。もし一人でも「俺が」という人がいれば、あの人は死ななかったのでしょうか?或いはクーデターが遂行されていたとすれば...。三島由紀夫という人間の死に場所はあそこしかなかったのか?「もしも」が通用しない歴史ではあるが、その「もしも」を考えたくなるのが歴史でもある。この映画を見ながら僕はそんなことを考えていました。


若きサムライのために [ 三島由紀夫 ]
価格:550円(税込、送料無料)

ともあれ大文豪の三島由紀夫が命がけで訴えてもやってもダメだったというのは改めて考えるとショックな話でもあります。であるならば僕ら名も無き若い志士は、どう闘えばいいというのでしょう?彼がこの世を去ってから今年で42年、半世紀近い月日が流れたことになりますが、未だこの国は先の見えない閉塞感の中にあり、当時以上に「空っぽの国」になってしまっているのではないでしょうか?あれほどの人物が勇ましく死んだところで変わらないのだとすれば、やはり小さくとも背筋を伸ばして生きている他はないのかもしれません。三島さんがどう思うかはわかりませんが、戦い続けるという選択肢もあるはずなんです。


銀魂(第1巻) [ 空知英秋 ]
価格:421円(税込、送料無料)

坂田銀時(銀魂)の台詞の中に「美しく最期を飾る暇があったら、最後まで美しく生きようじゃねーか」というものがあるのですが、まさしくそれです。僕はそちらを選んでみようと思います。たとえ士道が死ぬことにあったとしても、そのときまでは闘い続けるのもまた一つの道でしょう。死ねばいいってもんでもあるまいし...。

          ・今週のパスタは帆立とベーコンのフェンネル風味クリームパスタ

映画館を出たあとは、またいつものようにtimepiece cafeに行きました。夕食の時間にはまだ若干早いくらいの時間だったのですが、昼も早かったしそろそろ...ということで。まぁ定番の場所なんですよね、やっぱりここは。上映館数が限られているのですが、観て貰いたい作品ですので、皆さん是非とも劇場まで足を運んでみてください。僕が訪れた京都シネマのほかに大阪のテアトル梅田,第七芸術劇場、広島のサロンシネマ,シネマ尾道、東京のテアトル新宿,キネカ大森、横浜のシネマ・ジャック&ぺティ、沖縄の桜坂劇場,名古屋のシネマスコーレ,福島のフォーラム福島,北海道のシアターキノなどで上映されているようなので。それでは今日はこの辺で失礼します,ジベリ!

2012年6月30日土曜日

やっちゃったなぁ...オイ。

火曜日の「国際政治論研究」の発表に続き翌日はゼミでの発表,そして木曜日は就活で広告代理店の説明会に行き、極めつけに昨日は石田先生からの論文指導....いや正直今週は忙しかったのです。しかも中期報告が間近に迫っているためこの土日も休んでばかりもいられない始末...。

・夕暮れ間近の鴨川河川敷(撮影は28日)

しかしまぁ吉報もあります。「公務員試験裏ワザ大全」などといういかにも悪どいタイトルのテキストに飛び付いて勉強したのと、一応数的推理(という名の数学)の対策を気持ち程度やりましたが何か?程度の準備で挑んだ京都市の採用試験、なんと筆記試験通過しちゃいましたw!

                                  ・715...たしかにある!!

いやたしかに悪い予感はあまりしなかったけど、かといって正直受かる自信は10の中の6もありませんでした。しかし現に通過してしまった...。いや元々頭は悪くないからね、僕も。顔と声と頭は良い方だからさぁ。(←もうコイツ殴っていいですよw)とかくこれはもうやるしかない!っていうか筆記さえ受かればあとはgroundとなれmountainとなれ、勝算は低くはない。早速1次面接が来週金曜とのことだが、万全の態勢&良好な体調で挑もうではないか。

それと実は今書きたい記事が幾つかあるんで7月上旬~中旬にかけてその辺どんどん書いていきたいと思います。そして連載についてもそろそろ考えてます。そのテーマは「なぜ日本は大東亜戦争という勝てる見込みのない戦争をするに至ったか?」というもので、これまた一部の愛国心が間違った方向に動いてる方々をこれでもかと言わんばかりに刺激しかねない内容になると思うのですが、まぁ味方が増えることはあっても敵が増えることはないと言っても過言でないくらい僕は敵を作り過ぎちゃってるんでその辺は割り切っていきたいと思います。それでは今日はこの辺で失礼します。今月もお疲れ様でした,ジベリ!

2012年6月24日日曜日

週末はだいたい休めない

                    ・京都タワーを見上げて...

ということで昨日お伝えしたように今日は京都市役所の筆記試験でした。会場は立命館大学で朝9時40分からのスタートということで家を出たのは7時半頃。立命館には基本、バスでしか行けないので当然のように大混雑です。何やかんやでバスの座席も確保できましたし、早めに家を出たのは正解でした。

                              ・今回も弁当持参で行きました

会場は受験生でごった返しています。統計上1000人以上が集まっていることになるので当然と言えば当然ですが...。丁度僕の前の席には同級生のI氏の姿も。実は願書を郵便局に持っていったとき、丁度彼も願書を提出したところだったんですよね。そんなワケで恐らくこの席順だったんだろうなと思います。(まぁ僕と違って彼はわりと本気で試験対策やってたんで、仮にもののついでに受けていた僕が落ちたとしても、どうにか彼には受かってほしいところであります。)

・北野天満宮に立ち寄ったり

そして僕の出来はどうだったのかと言うと極めてビミョーです。教養問題は恐らく数学を省けば殆どパーフェクトに近い結果だとは思うのですが、如何せん数学ですよね...。専門科目(行政)はフィフティーフィフティーといったところ。ずば抜けて好感触でもなくやっちまった感じも無く...です,ハイ。そうなるとあとはお家芸の作文ですが、今回の主題は「最近5年間でもっとも後悔したことと、そこから学んだこと」ときた。何を隠そう僕は後悔と言うものをしたことが無い。Voyageの方の「航海」なら人生と言う名のそれを一丁前に渡ってますが...。結局作り話をするのも忍びなく、正直に「私は生来後悔と言うものをしたことが無い」とした上で、その心構えと真意について語りました。正直これは大博打です。でもね、僕に言わせれば後悔なんてものは「結果」でしか物事を捉えられないつまらない人間のすることであって、士道と仁義を重んじる人間は「反省」はしても後悔なんてものは絶対にし得ないんです。(とは言え主題を真っ向から否定しているワケで、これは大博打以外の何物でもありませんw)


・今日はちょっと豪勢にサラダ&白ワインをセットに頂く

試験終了後、立命館のバス停は込んでいるであろうというコトで、少し歩いて白梅町のバス停に行こうと思ったのですが、いざ行ってみるとバスが定刻通りに来ず、だいたいここまで来たんだからちょっと天満宮にでも寄って行こうじゃないか?という思いつきもあって、結局天満宮を軽く参拝してからバスに乗ることにしました。その後河原町まで引き揚げて、とりあえずtimepiece cafeでゆったりと夕食を食べてきました。今回食べたのは今週のパスタ「京茄子と新しょうがのボロネーゼ」なのですが、これがホントに僕の好きな味で食べてて幸せな気分になりました。今週末はテスト2連戦もあってほぼ休めてない状態なのですが、火曜日は「国際政治論研究」の発表もありますし、その後はゼミでの論文報告もあり、まだまだ休めないのが実情です。まぁでも今日はとりあえず「平清盛」でも観ながら寛ぎたいと思います。それではみなさんごきげんよう、ジベリ!

2012年6月23日土曜日

写真では伝わらないこともある

                            ・この花の名前を僕はまだ知らない(盧山寺境内にて)

今日は京都新聞社の筆記試験でした。そして明日が京都市の筆記試験なのですが、どういうワケか僕はこの日程を逆に覚えていたようで、なんと気付いたのは立命館大学の到着して受験票を見たときでした。(←アホですかw!)これはマズいということで急きょ引き返し、家に戻ってから午後スタートの京都新聞の筆記試験に備えたのですが、もしもこれが午前中のスタートだったらと思うとゾッとします。運はいいとは言えない僕ですが、まぁ悪運だけは何故か強いんですよね。そしてそのおかげで幾度も助かっているワケですがw

                  ・京都御所にて(中央奥に大文字山が見える)

まずは教養問題。京都の伝統行事の細かいところや京滋の難読地名なんかも出題されてて難易度はやや高めです。(梅小路公園にその昔平清盛の屋敷があったとは...。)まぁ何問かやっちゃった感のあるところもあるのですが、まぁ何とか乗り切ったかな?という感じで全体の手応えとしてはまずまずといったところでしょうか?そしてその次は作文。毎回これに助けられているといっても過言ではない節があるのですが、今回のテーマは「今会いたい人」。数秒間考えた挙句、2人の顔が僕の中に浮かび上がります。一人は我らが亀井静香先生。そしてもう一人は我らがYUIさん。どちらでも原稿用紙2枚では書き足りないくらい思い入れのある人物なのですが、YUIさんだと募る想いから冷静さが失われてしまうのではないかという懸念があり、ましてやロキノンの記者になるでもないだろうという現実的アプローチもあり、このプランは断念。多少冷静に語れて、且つ政治学を学んできた人間の素養を示せるかもしれないという若干の皮算用もあり結局亀井先生について書くことに...。書き始めるとまたいつものようにペンが進み、最終的にはなかなかの自信作になりました。

                             ・京都御所は物凄く広い

誤字脱字等のチェックをしたあと僕はその作文を足早に提出し、試験会場をあとにしました。試験会場の京都新聞本社は京都御苑の目と鼻の先にあるのですが、まぁ折角ということでちょっと立ち寄っていくことに...。この時点で時間は16時くらいでした。本殿は基本的に閉ざされているのですが境内は立ち入り自由になっていてちょっとした市民の憩いの場ともなっています。御所を後にして向かったのはその目と鼻の先にある梨木神社。ここは公家の開明派として知られ、王政復興と明治維新に貢献した三条実萬(さねつむ)・実美(さねとみ)父子を祀った神社で、また萩の名所としてもその名を知られます。

          ・緑で溢れ返っている梨木(なしのき)神社の境内

もともとこの辺りには公家の屋敷が建ち並んでいたようで、この場所には丁度三条家の邸宅があったそうな...。また境内にある井戸,「染井の水」は京都三大名水の一つに数えられる名水で、ぺッドボトルなどを持参する参拝客の姿がこの日もチラホラ見えました。僕も次回行ったときは汲んでこようと思います。(実は試験会場にはぺッドボトルのお茶を持って行ってたんですけど、飲み干して捨ててきちゃったんですよね^^;)

・盧山寺境内にて

梨木神社を出たあと向かったのは盧山寺(ろざんじ)というお寺。ここは「おみくじ」の起源となるものを作ったことで知られる元三大師の開祖とされる圓浄宗のお寺であり、また同敷地内にはかつて紫式部の住居があったことでも知られているのだとか...。そんなワケで小ぢんまりとした寺院ですが、見どころは意外にあります。(是非近くに来た際は立ち寄ってみてください^^)こうしてまた道すがら神社仏閣に立ち寄りながら、荒神口方面に抜けてバス停へ。ここから次は北山の方に行ってきます。実は気になってるベーグル屋があるんですよね。

 ・お洒落なカフェ・雑貨屋の建ち並ぶ北山界隈

北山はイノブンやネオマートといった雑貨屋の店舗があり、またチャペルなども立ち並ぶお洒落な町で、パン屋や洋食屋なんかも沢山あります。(時に京都市って日本一パンを消費してる市町村なんだとか。意外でしょw?)そのベーグル屋もこの一角にあるものとばかり思っていたのですが、実際には鞍馬街道を挟んだ閑静な住宅街ゾーンの方にあるのです。知る人ぞ知る心霊スポットでもある深泥池(みどろがいけ)からほど近い小さなアパートに果たしてその店はありました...がどうやら売切れたらしく、今日はもう閉店しちゃってました。

                   ・北山にはヴィレッジヴァンガードの路面店もある

閉まってるもんはしょうがないということで、まぁ折角なんでこの辺のパン屋で何か食べようということでカフェスペースもあるという進々堂へ。ベーグルは取り扱っていないのか、ここにはありませんでしたが、結局丁度焼き立てだったスコーンとほうれん草と玉子の総菜パンのようなものの2つと、アイスコーヒーを頂くコトに...。(これで合計約600円也)

・くるみレーズンのスコーン(写真左)とほうれん草タマゴ(写真右)   

だいたい週1は絶対パン屋さんに行ってるくらい、まぁ僕はパンが好きなんですよ。京都来てからは特にそうですね。よくこのブログにも出てくるエッフェルっていうパン屋さんがありますが、果たして僕はあの店に総額幾ら落としているのか...。攘夷志士の日常は戦いの連続であり、勉学と修行の日々なのですが、こうして時には息抜きをすることも忘れません。それが長期戦を闘うコツでもあるのです。

           ・北山のバス停付近より撮影(深泥池方面に向かって...)

今日はもう一つ、このあと立ち寄った場所があるのです。それが上賀茂神社。こんな日も暮れ出した頃から一体何をと思う方もいらっしゃるかと思いますが、別段夏を先取りして肝試しを満喫しようと思ったワケではありません。蛍を観に行ったのです。

              ・夕暮れ時の上賀茂神社境内

上賀茂神社はご存知の通り世界遺産にも登録され得居る由緒ある神社なのですが、境内に小川が流れており、初夏には蛍が舞い踊る幻想的な光景を目に出来るということで蛍観賞の名所としても著名な場所なのです。そういうワケでこの時間にもかかわらず境内にはたくさんの親子連れの姿が見えました。

・写真中央にボンヤリと見える光が蛍である

そして蛍はと言うとこの写真なのですが...まぁ写真にしてみると殆ど伝わらないんですよね。これはやっぱり実際に観に行かないとこの感動は分からないと思います。闇夜の中にまばゆく光る蛍が何匹も飛び交っているあの光景、そういうものに市街地からそれほど離れていない場所でお目に掛れるというのも京都という町の魅力の一つなのではないかな?と改めて思う夜でした。子どもの時にこういう自然に触れられるっていうのは実は幸せなことなんですよね。僕の地元でも蛍なんて見ようと思ったらそれこそ山奥まで行かないと見れませんでしたから...。

・上賀茂神社前のロータリーにて

現代社会というものは、ただでさえ自然との距離が離れすぎているきらいがあり、それは都市部ともなれば尚更のことなのですが、そんな中で「持続(ないし維持)可能な社会」とか「環境を大切に」って言ったところで説得力も何も無いんですよね。それよりはこうやって自然を身近なものに感じる機会を作ってあげた方がいいのであり、もっと言えば都市に自然を取り戻すことが必要なワケです。どんな大都会であれ、そこが地球の一部であるという事実に変わりはなく、人間がその自然の中で生きるものの一部であるという事実も変わらないのですから。皆さんもときには‘自然’に帰依って(かえって)みてはどうでしょうか?きっと何か新しい発見があると思いますよ。それでは今日はこの辺で失礼します,ジベリ!

2012年6月21日木曜日

図書館防衛戦争

週末には京都市の1次試験&京都新聞の筆記試験を控え、相変わらず僕は図書館&研究室に入り浸っている毎日を送っているのですが、またいつものように新聞を読んでいると許しがたい記事を見つけてしまったので、急きょブログにまとめることにしました。

・これが渦中の大阪府立中之島図書館(開館は1904年)

6月20日の京都新聞朝刊、見出しには「中之島図書館廃止へ」とあります。一体何事かと思ったら、「近代建築物として価値の高い建物を、隣接する中央公会堂などとともに観光拠点化し、集約効果を高める」ことを狙っての発言とのコト。松井知事が「例えばあそこで事業をしたいという公募事業者はものすごい数がいるはずだ」と言えば、橋下市長もこれに呼応して「一等地で建物も素晴らしい。あんなところに図書館を置く必要はない」と言い出す始末。一等地で歴史的な建物は図書館として使うべきではないようです。一体どこの国の常識でしょうか?要するにカネがほしいだけでしょう。公共サービス削減と自治体の収益増を同時に遂行できる格好の大義名分というワケでしょ?でもちょっと待って下さいよ。

・ニューヨーク公共図書館はマンハッタンの一等地、5番街にある(20世紀初頭設立)

僕は子どものころから比較的読書が好きで、図書館に入り浸っては気になった本を色々と読んできた人間でした。夢中に本を読んでいる僕をカネ持ちのクラスメートは「そんなに欲しかったら買えよ」とか言ってましたけど、それが自由にできないからああして図書館のお世話になっていたワケで...。まぁ僕はよく考えたらあの頃からやたらにカネを持ってる人間が嫌いでした。特に対して汗水たらさずにカネだけは持ってるみたいなヤツが...。(なんで後々社会主義に傾倒していくのも無理は無かったのかもしれません。)何にせよ、図書館という場所が比較的近くにあったということが僕にとっては非常に幸運だったのは言うまでもありません。たしかに中之島図書館の周辺は比較的裕福な方々が住んでらっしゃると思うので、そもそも図書館なんてなくても本くらい自分で買える...ということなのかもしれませんが、もしかしたら僕のように図書館という場所を重宝している人たちが居るかもしれませんし、そう言う人たちから、ただ単に観光地として使いたいからという理由でその場所を取り上げてしまうのは暴挙に他なりません。橋下は金欲にまみれた俗物であり、愛国者を語る価値は一切ありませんし、こんな人間の実行しようとしている教育改革が正しいはずがありません。(って...改めて言うことでもないかw)



それから図書館はただ単に本を置いている場所ではないんです。‘知識’の集積所であり、図書館司書と呼ばれる人たちがそれらを管理ないし運用しているワケです。そういう専門的知識を要する仕事だからこそ、難しい資格試験が科せられているのです。誰もがそこにある‘知識’にアクセスすることができ、それを糧と出来る場所、そういう意味で図書館という場所はその町の教育を支えるアキレス腱でもあるのです。ただでさえ活字に触れない子どもが増えつつあるという今日、図書館をなくすというのはそれをより加速させ得る愚策以外の何物でもありません。寧ろ図書館の利用を振興し、子どもたちが本を読むよう促すことが必要なはずなのです。(だからこそ例えばフィンランドでは図書館法において図書館ないし情報サービスの整備を自治体の責務としているのです。)とにかく無性に腹が立ったので記事にまとめました。大阪の皆さん、そろそろ目を覚ましてください。それでは今日はこの辺で失礼します,ジベリ!

2012年6月20日水曜日

閉塞感を打ち破る「非効率」

相変わらず僕は研究室~図書館で一日の大半を過ごしている日々を続けているワケですが、最近は新聞(主に赤旗と京都新聞)や政治系論評誌(世界、インパクションなど)のほかにビジネス誌なんかも読むようになっていて、こないだプレジデントという雑誌の6月18日号を読んでいたら興味深い記事があったので今日はそのことを書きたいと思います。その記事の著者は夏川賀央(がお)という作家で、「なぜ効率ばかり追求すると利益が減るのか」という核心的なタイトルのもと、脱マニュアルについて論じているのですが、これが本当に面白い!まさに今の日本が抱えている構造的欠陥を鋭く指摘しているんです。

「いま、企業が成功を収めようと思ったら、アップル社のiPadのようにきわめて革新性の強い商品を作り出すか、リッツカートルンのように突出したサービスを提供するか2つに一つしかない」

という若干ツッコミどころありげな一文から始まるのですが、日本の会社が「どちらも出来ずに伸び悩んでいる」というのは紛れもない事実でしょう。「ものつくり大国」と言われた日本は一体どこに行ってしまったのでしょう...。そして、そもそもどうしてこのような事態になってしまったのでしょうか?その答えを著者は「効率性を追求しすぎた」ことに見出します。正直一読してハッとしました。言われてみればそうかもしれません。新自由主義的な‘合理性の追求’を追求するあまり、日本の会社の多くからは隙間の部分や‘余計なもの’が一切取り除かれてしまったのです。それはそれで一見小奇麗にも見えるのですが、言い換えればそれはただ単に窮屈で伸び代がない空間に他ならないのです。




なるべく没個性的な人物を採用し、マニュアルを徹底して画一的な社員を作り上げる。これでは新しい意見など出てくるはずもありません。しかもサービス残業などでオフの時間をやみくもに削り、ずっと会社に拘束されているような状況を作り上げている...。精神的にも肉体的にも余裕のない日常の中では妙案など出てくるはずもないのです。‘余裕’とか‘遊び心’ってやっぱり大切なんですよ。ソフト面においてもハード面においても一見非効率な「余白」を作り出すことが出来れば、今この国に充満している‘閉塞感’を打ち破ることも出来るんじゃないかな?とこの記事を読んでて思った次第です。もともと僕らは創造性に富んだ国民だった筈なんです。それを取り戻すためにこそ一見非効率で余計に見えるものを、もう一度社会に取り入れることが必要なんだと思います。学校にしろ会社にせよ、恐らくそういう視点が欠落してるんですよ。「余白を楽しむ」、そういう精神で行きましょうよ?たとえば会社だったらサービス残業を取り止めるとか、体育会系信仰を捨てるとか、或いは社員に有給を消化させるとか...。学校現場だったら指導要領を少し減らすとかクラスにアシスタント制を導入して教員の事務作業等を軽減するとか....。そんなことでいいんですよ。その余白からきっと閉塞感を打ち破る‘何か’が出てくるんだと思います。




いつもに増して抽象的な話しになってしまったのですが、とにかく個人的に面白い着眼点だと思ったので記事にまとめてみたまでです。他にも同誌にはLCC(ローコストキャリア)のカラクリについて書かれている記事やセブンイレブンのいわゆる「ドミナント戦略」について書かれている記事も載っており、読みどころ満載と言ったところです。いや正直、ビジネス誌も捨てたもんじゃないですよ。(ちょっと政治誌寄りですが「東洋経済」なんかも面白いですね。)そういうワケなので、機会があったら皆さんも読んでみて下さい。それでは今日はこの辺で失礼します,ジベリ!

2012年6月19日火曜日

いやいや、もう手口は分かってますから

バイトが急に無期限の休職になるなど不穏な事態が相次いでいますが、相変わらず僕の周りでは妨害行為が絶えません。あの人たちの妨害行為は次の2種類に分別されます。

一つは金銭的妨害。これまでにも内定していたバイトを急に断られたり、決まっていた仕事が直前になって取り消しになったりといったことが数回ありました。一度や二度なら偶然だと思いますが、それが数回ですからね。始まったのは丁度僕が創価に関する批判を始めた2009年頃でした。何かの偶然でしょうか?今回の突然のバイト失職騒動についてはよく分かりません。っていうかこのブログでは創価や統一協会をはじめとするカルトやその他裏社会のゴロツキの有象無象の皆さんの批判を絶え間なくやってきてるんでたとえ僕の言動が原因だとしても自分でも何を敵に回しているのか把握出来てない節があるんですよねw(←オイw!)

そうそう、バイトと言えばこないだ腹の立つことがありました。早急に次の仕事を探そうというコトで多忙なスケジュールの合間を縫って職探しをしているワケなのですが、こないだの土曜にバイト面接に行った京都駅からほど近くの某所というのがビックリでした。僕は来年には卒業なので基本あと8か月程度しか働けないワケですが、開口一番に「1年以上勤務できない方はお断りしている」というのです。募集ページにも書いてあったというので仕方が無いと思って引き返したのですが、帰宅後そのページを見てみると...

応募資格◆未経験者大歓迎!
◆学生・フリーター大歓迎!
◆22:00以降は18歳以上の方
◆高校生不可


そうなんです!一言も書いてないんですよ。向かいのホーム、路地裏の窓そんなところにあるはずも無いのに一応他の蘭も見ましたがどこにも見当たりません。。もう交通費と時間を返せと...。そんな書いてることとやってることが違う店は誰も信用しませんよ。だいたい内装も汚いし設備も旧式だし、正直ジャン○ラが進出したら3日で潰れそうな店ですよ。あと受付にスタッフが固まってましたけどもうアホかと。何だその驚異の人口密度は、山手線じゃあるまいし...。その分際で1年以上勤務必須とは笑わせます。(※この記事の流れ上、あたかもカルトと関わっているかのような印象を与えてしまってはいけないので店名は伏せておきます。)

もう一つはいわゆる離間工作。これは別に政治的なものでなくとも、例えば僕がバンドを組もうとすると毎回何らかの妨害行為を受けます。よくあるのがメンバーが集まってセッションをしようという段階になったところでメンバーの一人が音信不通になり、それが数回続いてバンドが機能不全に陥るというケース。これもたしかに1回や2回なら偶然で片付きますよ。でもそれが4度5度と繰り返すようなことは通常あり得ないでしょう。平将門の墓を荒らしたとか、大石寺に仇なして偽物の御本尊を量産したなどの前科でもあれば話しは別ですが、僕はそういったことは一切していませんので...。今思えばゼミ内にも工作員が流入していたのかも?などと考えてしまう節があります。連絡網が回っていなかったり、取り立てて別の意見もないのに反対意見をゼミ時間の終わり際に一方的にぶつけて、その癖僕が「皆さん何か意見があればメールしてください」と言えば一計も案じることはなく、どころか会合にも一度も姿を見せなかったような方が現に数名居ましたから...。(そしてそういうのに限って何故か就職出来ている不思議w)

肝心の志士会についてはどうなのかと言うと、今のところ別段特異な形での妨害は受けていませんが、とりあえずスパムメールは絶え間なく来ていますし、定期的に罵詈雑言をコメントしてくださる固定客もいらっしゃるようです(笑)

とはいえ彼らがどれだけ妨害工作によって僕から何かを奪えたとしても僕の才能や僕自身が与えられている「天命」を奪い去ることは出来ないのです。そもそもゴロツキの皆さんもジリ貧だそうじゃないですか?僕の邪魔をしている余裕があるなら少しでも借金をお返しになった方がいいですよ。もともと文学部の史学科志望だった僕が紆余曲折から政治学科に流れ込んだのも、志士会を組織して攘夷運動を開始するに至ったのも、創価や統一協会による暗殺の手から逃れたのも偶然ではないでしょう。僕に天命があるからに他なりません。天命と能力を与えられた以上はそれを社会のために使う義務があります。そういう信条の下で僕は活動しているので、私利私欲や自らの野心を何よりも優先したいという方は志士会には入らないで下さい。もしその義務を果たさなければ天命は奪い去られ、私利私欲のためのみに能力を使い続けることがあれば自ずと滅亡の道をたどるに違いありません。天網恢恢(てんもうかいかい)疎にして漏らさずとは老子もよく言ったものです。長期的に見るとやっぱり悪いことは出来ないように出来てるんですよ,この世の中というものは...。


それからゴロツキの皆さん、もし今後僕宛てに脅迫メールなど送ってくることがあれば、アドレスも含めてこのブログに遠慮なく載せさせて頂きますのでドシドシ送ってください。電凸も構いませんよ。録音してyoutubeに流しますので。是非その汚らしい声を世間にぶちまけてください。ついでに体中の体液をぶちまけてお死にになってはどうでしょうか?というか頼むから死んでください。(ちゃんと300円あげるからw)


それでは今日はこの辺で失礼します,ジベリ!