2013年2月27日水曜日

三宮高架下はパラダイス

・三宮駅の高架下には多くの呑み屋がひしめき合っている

今日は研伸館でお馴染みの株式会社アップの2~3次試験で西宮の方に行ってきました。神戸方面に来るのは先週のプチ旅行以来1週間振りのことなのですが、西宮という場所には未だ行ったことがなく、初の上陸だったのでしたw

・阪急西宮北口駅近辺にて(試験の帰りに撮影)

お昼前くらいに京都を出て、例によって京阪と阪急を乗り継いで西宮へ...。もともと2次試験(筆記)と3次試験(一次面接)は別日程ということになっていたのですが、所々の事情で同日に行ってくれるとのこと...。ただでさえ交通費のかさむ就活において、こういう気遣いはありがたいものであります。筆記試験は一般常識と英語と世界史。得意科目のはずの世界史は意外にマニアックな問題が多く、思いの外苦戦でした。(あと意外にド忘れしてる部分があるんですよね...)面接の方は終始フレンドリーな流れで幕を閉じ、あとは結果を待つばかり...。ということなのですが、果たしてどうなるのやらw

・焼き鳥と板わさと串カツと、そしてビール

西宮を出たあと、折角ということで一足伸ばして三宮まで行って夕食を食べてから帰ることにしました。今日立ち寄ったのは高架下にある「おおえす」という居酒屋。ドリンクは殆どが500円以下、そしてフードメニューはだいたい200~300円というリーズナブルなお店。店内は沢山のお客さんでごった返していました。

・焼酎とおでんのコンビは最強である

そして2杯目は大分麦焼酎・二階堂を。これはおでんと一緒に頂きます。おでんという食べ物は焼酎や日本酒とよく合うのです。明日で2月も終わり、もうすぐそこまで春が来ているワケですが、おでんの美味しい季節が終わってしまうのは少しばかり寂しい気がするものです。相変わらずの花粉症で少し疲れ気味ですが、明日は別段予定もないのでのんびりと過ごしたいと思います。損なところですが本日はこの辺で失礼します。今月もお疲れ様、ジベリ!

2013年2月26日火曜日

いいぞ日刊ゲンダイ!

本日2月26日発行の日刊ゲンダイ。三面の記事にはこんな文字が!

「大新聞のTPP報道は全部嘘っぱちだ」


よくぞ言ってくれた!これを言う新聞がホント皆無に等しいんですよ。話しによるとあの東京新聞までもがTPPに賛成する論調なのだそうではないですか...。そんな中ですよ、ちゃんと言うことを言ってくれるメディアがこの日刊ゲンダイなんですって!半分以上スポーツと芸能の記事で、しかも数ページはエロコーナー....そんな下世話な夕刊紙ですが、ここが日本で一番まともなメディアなんですねw

「これぞ大本営発表の典型」との小見出しのあと、「これぞ世論誘導の極みではないか?」との問題提起。米側の譲歩を勝ち取ったとして‘成果’を強調する大新聞の偏向報道をぶった斬っています。記事にもあるように、そもそも安倍首相は今回のアメリカとの交渉で何ら具体的な成果を上げていません。「すべての物品を関税撤廃の対象としてテーブルに置く」というアメリカ政府本来の要求を確認したに過ぎないのです。しかもアメリカの方は日本に対して市場開放を求める分野として保険と自動車を明言しています。他方で日本が例外品目に挙げたい医療や農業について、今回の声明で何か明文化されているかといえば、何らされていません。安倍政権は交渉が始まる前から交渉に負けているのです。(そういえば戦前、負けている戦争を敗戦の本当に直前まで勝っていると報道し続けていた国がありましたね...どことは言いませんけどw)

この日の日刊ゲンダイは本当に読み応えのあるものでした。1~2面では先日このブログでも取り上げたアベノミクスを「10年前に否定された政策」とぶった斬り、そして3面では「福島の子どもたちはチェルノブイリより危険」として福一周辺での小児甲状腺がん患者の急増にまでメスを入れるのです。

まともだよ・・・
まともすぎるよこの新聞!!!

極めつけに5面の斎藤貴男氏による「二極化・格差社会の真相」なるコーナーでは大阪留置所における極めて甚大な人権侵害に言及。震災がれきの受け入れに関する住民説明会で抗議活動を行っていた30代の女性。当初建造物侵入の容疑で現行犯逮捕された彼女でしたが、何故かその後威力業務妨害容疑に切り替えられて拘留を続けられることとなったそうなのです。この時点で既におかしな話なのですが、それよりもひどいのがこの留置所での扱いです。この女性は持病としてアトピーや混合性不安抑うつ障害の持病が有り、服用しなければならない薬があるにもかかあらずそれが許可されないというのです。しかも睡眠導入剤の服用も禁じられたことから発作的なパニック障害と過呼吸を併発する過換気症候群に悩まされているのだとか・・・。これは人権侵害であると同時に、記事でも言及されているように日本国憲法36条が「絶対に」禁止している拷問に該当する可能性すらあるのです。この国はいつの間にそんな恐ろしい国になってしまったのでしょう...

それにしても日刊ゲンダイが一番まともだなんてこの国のマスメディアは一体どうなってるんだ。特に大手新聞社は揃って人民日報かプラウダ(旧ソ連の新聞)と同レベル。一体どうしてこんなことになってしまったのか、責任者に問い詰める必要がある。そんなところでありますが、本日ほこの辺で失礼します。因みに明日はというと、西宮で研伸館(もとい株式会社アップ)の2~3次試験を受けてきます。また面接もあったりしてドキドキですが、頑張ってきたいと思います,ジベリ!

2013年2月14日木曜日

植物園

・まゆまろ(作者の帽子を被せてみる←久々w)

昨日から遠恋中の彼女が京都に遊びに来ているのですが、今日はちょっと北山の京都府立植物園に出掛けてきました。ここは去年のクリスマス・イブにポインセチア展を観に来て以来2度目の来園だったのですが、そのときは夜間だったので明るい時間に来るのは初めてだったりします。

・日替わりランチ

家を出たのはお昼前だったので、とりあえずランチをどこかで食べることに...。いろいろ考えた挙句に河原町のガストに行くことに...。今日は朝御飯もファミレス(フレンドリー)だったので、お昼にして本日2回目のファミレス利用ということになります。僕は写真手前の日替わりランチを食べてきました。(余談ですけど京都ってあんまりガスト無いんで殆ど利用する機会はないんですよねw)

・ほぼ原寸大で再現されているミケランジェロの「最後の審判」

その後、今日は植物園へ。その前に隣接する陶板名画の庭に立ち寄ります。ここは安藤忠雄さんが設計した室外型の美術館であり、庭園内にはミケランジェロの「最後の審判」やダ・ヴィンチの「最後の晩餐」をはじめとする沢山の名画が飾られています。


・迷路のような園内には幾つもの名画が飾られている

外の空気を感じながら悠々と名画に触れる...という他ではなかなか味わえない感覚に浸ることができる場所であり、なかなか楽しい時間を過ごすことができました。これからも近くに寄った際には立ち寄りたい場所であります^^

・今日はバレンタインデー!(嫁もとい彼女からの贈り物)

植物園に入ってからちょっとベンチで一休み。今日は2月14日ということで彼女からの贈り物。今年はスコーンを焼いてくれました。彼女からバレンタインデーの贈り物を貰うのはこれで3年目ということになるのですが、やはり嬉しいものです^^

・大きな気が沢山...

それから園内を散策。閉園まであと1時間程度とのことであまり広い範囲を見て周ることはできませんでしたが、それでも十分に森林浴を楽しむことができました。

・椿もまだまだ見頃です

園内には梅園があり、もうあと1~2週間もすれば見頃を迎えるだろうとは思うのですが、今はまだビミョーな頃合のよう。でも椿は見頃を少し超えたとは言え、このようにまだまだ綺麗に咲いています。こうして四季折々の花や木々を見ていると、移ろう季節が味わえて良いものです。

・なんだかいい感じの空の色...

あっという間に時間は過ぎていき、もうすぐ閉園の時間に...。京都は寺社仏閣だけではなくこういうところが市内にあるという、やはり恵まれた場所なんだなと改めて実感したところであります。

・進々堂で一服

植物園を出たあとは、近くにある進々堂で一休み。パンとコーヒー(彼女の方は紅茶)で一服してから今日は帰って行きました。明日の予定はまだ決まってませんが、とりあえず明後日はイオンモールで開催されるという「京都ご当地キャラフェスティバル」に行ってこようと思っています。そんなところですが本日はこの辺で失礼します,ジベリ!

2013年2月12日火曜日

空知英秋の漫画革命

怒涛の「エッセイ10連発」も、これで終わりになります。最後のテーマはズバリ「銀魂」。空知英秋という漫画家が起こした‘革命’に触れつつ、この作品の魅力に迫っていきたいと思います。銀魂は空知英秋さん作のジャンプ漫画で、連載開始は2004年の2号。アニメは2006年よりテレ東で放送が始まりました。2010年春には初の劇場版として「新訳・紅桜篇」が上映。そのおよそ半年前に公開されたONE PIECEの劇場版「Strong Wordl」の4分の1の興行収入を上げました。(←凄みが伝わらないw)


・万事屋ファミリー(ネットの拾い物)

ゴリラ原作もとい空知英秋さんはこの漫画のジャンルを「SF人情なんちゃって時代劇コメディー」といったように表現しているのですが、たしかにこの漫画の世界観は複雑であり、容易に理解することは難しいように思われます。とはいうものの、はっきり言ってそんなものどうでもいいんです。(アニメ版の神楽ちゃん曰く「設定気にした方が負け」)基本1~3話完結で、どこから読み始めてもだいたい流れが分かってしまうのがこの作品のいいところの一つですから。銀魂はジャンプの王道であるバトル漫画であると同時に極めて秀逸なギャグマンガでもあり、そうかと思えばシリアスな人情モノも出来てしまうという非常に器用な作品でもあります。ギャグとシリアスの落差を味わうのも、この漫画の楽しみ方の一つだと言えるでしょう。(ギャグはとことん下品なものから時事ネタ業界ネタまで幅広く、それをバカ丁寧に「アニメ化」してくれるスタッフの愛を我々はひしひしと感じていますw)

・坂田銀時と桂小太郎(「劇場版銀魂 新訳・紅桜篇」劇中より)


1、王道への挑戦
この漫画はある大きな‘革命’を成し遂げています。それはバトル漫画的な傾向を持ちながら「必殺技」のようなものが登場しないということです。従来であればジャンプ漫画において、キャラクターが技名を叫びながら攻撃するのは半ばお約束のようなものでした。孫悟空然りモンキー・D・ルフィ然り...です。しかし坂田銀時にも桂小太郎にも土方十四郎にも高杉晋助にも、そういう描写は一切されていません。(それがない事を時たま自虐的に取り扱ってはいますけどw)

勿論キャラクターが技名を言うものに意味のあるものもたしかにあります。漫画ではありませんが、たとえばハリーポッターがそうです。魔法を使うのに呪文を唱えるのは鉄則であり、逆にその手順なしに魔法を使える(因みに無言呪文という)のは、上級の魔法使いのみという設定もありました。しかし例えばドラゴンボールでは技名を言うことにあまり意味はありません。(事実、無言でかめはめ波を撃っているキャラも居たりしますw)先述したONE PIECEでも技名を言うことにあまり意味はなく、やはりこちらでも無言で能力を発動させるシーンが何度も描かれています。バンナムがゲームを作りやすいようにするためかどうかは別としても、つまるところジャンプ漫画の王道である「技名スタイル」に深い意味はないのです。

2、人間味のある登場人物たち
しかし銀魂の最大の魅力は格好良すぎない背伸びしない主人公、坂田銀時をはじめとする登場人物たちにあると言えるでしょう。子どもは分かりやすい主人公に憧れます。完全無欠なヒーローを夢見て自分もそうなりたいと願うものです。しかしそんなものにはなれるはずもなく、僕らは「普通の大人」になっていきます。殆ど全ての人が退屈なモブに成り下がっていくのです。坂田銀時という人物は、やる時はやる男なんですが基本はマダオです。まるでだめなオッサンに片足を突っ込んだいい年した大人なのです。かつての戦いで失ったもの、その悲しみを抱えながらも背筋を伸ばして真っ直ぐに生きている主人公に僕らは親近感を覚えるのです。万事屋の面々や真選組の面々、或いは銀時の旧友である桂小太郎。そしてかぶき町や吉原の愉快な面々...。その誰もが完璧じゃない。みんながいいやつでみんながバカ。ぶつかり合い、助け合いながら楽しくそして懸命に生きている。そんな姿に共感するんです。


・銀魂の登場人物たち(これも拾い物)

ひとつなぎの大秘宝も、何でも願いを叶えてくれる7つのボールもこの世界にはありません。あるのは些細な幸せくらいのものです。だけどそれでいいんです。それさえあれば何とか楽しくやってけるんです。銀魂はそんなことを思い出させてくれる作品です。そうした意味で銀魂は是非、大人にこそ読んで欲しい漫画なのであります。アニメも毎週木曜の18時から絶賛放送中ですのでそちらも観てもらえればと思います。そして...です。今年の夏には銀魂が再び映画館に帰ってきます。しかも次は空知先生のオリジナルストーリー...。これはもう見るしかありません。そんなところですが本日はこの辺で失礼します。次回からはまた通例の記事に戻りますが、これからもどんどん記事を上げていくので皆さんこれからも読んでください,ジベリだコノヤロー!

「挑戦者」に厳しい国、日本

YUIさんと小沢一郎さん。この2人には共通することがあります。それは「挑戦者」であるという点です。日本という国はレールの上にいる人には優しいのですが、このレールから外れて何かに挑戦しようとする人たちには厳しい傾向にあります。今日は先述の’2人の革命家’を通じてその日本人の構造的な欠陥とも言うべきものを解き明かしていきたいと思います。

1、アーティストYUIの挑戦
YUIさんは昨年末に自身2度目となる活動休止を発表しました。そして昨年12月31日~1月1日にかけて放送されたCDTVのライブを最後に活動休止に入りました。音楽業界、そして世間の求める‘YUI’と自分の求める音楽との間に大きな溝ができたことがどうやらその原因の一つなのだそうです。ファンの1人としては勿論寂しい気持ちはありますが、あの人がそこまで思って決めたことなのですから応援しようと僕は思ったものです。ところが世間では彼女の決めたことを「我侭だ」という声が少なからずあるというのです。そうした論調は彼女が名前を変えてインディーズでの音楽活動を始めたことが明らかになって以降更に強まることとなり、ある番組では「(YUIさんは)閉店すると言いながら営業している靴屋のようだ」と詐欺師呼ばわりする人まで現れる始末です。

しかしちょっとしたファンであれば知っています。もともとYUIさんはオフのときに時たまバンド活動ををしていたということを。有名になってからもたまに路上で弾き語っていたことを。今回のライブ活動(因みにflower flowerというバンドで活動しているそうな...)はその延長にあるものであり、それ以上でもそれ以下でもないのです。それにしてもflower flowerで彼女はどんな音楽をやっているのでしょうか?是非とも早く聴いてみたいものであります。

ところでYUIさんが音楽業界に嫌気がさした理由として、アイドル的な売り方をしたい事務所との衝突のほかにいわゆるタイアップ商法というものがあるそうな...。タイアップが付けば曲が売れるし、知名度も高くなるからアーティストにとってはいいことばかりのようにも見えてしまうのですが、そうではないのですね。作る曲を制約されることもあるでしょうし、また曲作りのペースだって思い通りにはいかなくなりますから...。自分の作品を大切にするYUIさんだからこそ、自分の曲に対するこだわりはとても強かったのでしょうし、壊されたくない世界観とかメロディって絶対あったと思うんですよね。それでも折り合いを付けながら今までやってきたのだと思うと本当に胸が痛みます。やっぱり一番辛いのはYUIさん自身なんですよね...。同じような思いをしているアーティストもたくさん居ると思うのですが、彼女の「決断」を機に、少し音楽業界とかそれを取り巻く環境も変わっていくといいなと思う次第であります。


2、挑み続ける政治家、小沢一郎
そして小沢一郎さんです。言わずもがな小沢さんは93年の自民党離党&細川連立政権樹立を皮切りとして「壊し屋」の異名を取るほどに政党のスクラップアンドビルドを繰り返してきた人として知られています。多くの人は未だに小沢一郎という人物を「金権政治の権化」だとか「悪徳政治家の代表」のように思っているようですが、実際はそんなことはありません。少なくとも今、国民生活を守る側として戦っているのは小沢さんの方であり、それを排除しようとしている勢力の背景には、やはり星条旗とダビデの星が見え隠れしています。(とはいえかく言う僕も、数年前まではメディアのイメージに‘洗脳’され、特に根拠もなくして小沢さんのことを批判していました。本当に申し訳なく思っています。あの人がどういう思いを胸に政治と向き合っているかは、こちらを見てもらうとよくわかると思います。)

昨年末の総選挙で小沢さんの所属する「日本未来の党」は大敗北を喫しました。(尤も未だ不正選挙の疑念は残りますが...)最終的には代表(当時)の嘉田由紀子までもが小沢さんを攻撃し始める事態となり、程無くして未来の党は分裂することとなりました。そうして誕生したのが「生活の党」であり、その後紆余曲折を経て小沢さんはその党首となるのですが、大手メディアは打ち合わせでもしたかのように批判的な論調を張りました。

というか大手マスメディアは小沢一郎という政治家が何をしても攻撃するのです。裏に引き下がれば「院政だ」と批判し、表に出てくれば「遂に出てきた」とばかりにやっぱりそれはそれで批判する。ここから読み取れるのは大手マスメディアが余程彼を敵視しているということですが、ある意味それは当然の帰結です。つまるところ大手マスメディアは官僚の代弁者なのです。まずこの点を理解しなくては後々の話がわからなくなります。また小沢さんが記者クラブやクロスオーナーシップ(新聞社が放送業(テレビ・ラジオなどのメディア)に資本参加するなど、特定資本が多数のメディアを傘下にして影響を及ぼすこと)の廃止を主張していることもその一因と言えるでしょう。意外に思われる方もいるかもしれませんが、テレビや新聞ほど既得権益に凝り固められた業界はないのです。

それでも小沢さんは諦めません。なぜでしょうか?本当に日本を変えようと、この国を真の独立国にするために戦おうという強い意志があるからです。亀井静香先生にしても小沢先生にしてもそうですが、もう政治家としても若いと言える年ではありません。それでも老体に鞭打って先生方は戦っているんです。それを見て僕たち若い者がどうして動かないでいられるでしょうか。少なくとも僕にはそんなことは出来ませんね...。


3、レールが正しいとは限らない
冒頭で述べたように、日本人というのはレールの上を走っている限りはそうした人物を評価する傾向にあります。逆に言えばレールから外れたり、レールそのものを疑う人に対しては至極厳しいのです。それがいわゆる島国根性の所以なのかどうかはわかりませんが、3.11に端をなす福島の問題はその成れの果てなんじゃないかな?と僕は考えています。「みんなのやってるようにやればいい」、「みんなと違うのは悪いこと」、「とりあえず上に従えばいい」...そういう意識構造が先述の原発の問題を含めた今日この国が抱える多くの問題の根本となっているのではないでしょうか?今こそ国家的な意識改革が必要です。きっとそれは困難を極めるでしょうが、戦う意志のある人はたしかに居ます。僕を含めた志士会の面々だってきっと同じ気持ちだと思います。

ルールを守るのは大切なことです。伝統を守るのはいいことです。しかし、それが間違っていると思ったときはそれを変えていくことだって必要なんです。守るばっかりが保守ではありません。伝統をより良い伝統へと昇華させるために尽力するのが本物の保守ではないでしょうか?戦うフィールドは違いますが、YUIさんも小沢一郎さんも立派な求道者です。こういう人たちがもっと応援されるべきなのです。

アベノミクスがダメなこれだけの理由

最近はテレビを付ければ常にこの話題です。安倍新政権が進めようとする一連の経済政策の総称が「アベノミクス」ということなのですが、果たしてこれは成功するのでしょうか?ここではそれについて論じていきたいと思います。

1、アベノミクスとは?
アベノミクスとは安倍新政権が構想する一連の経済政策の総称であり、安倍とエコノミクスを足して造られた造語です。少し現代史を勉強している方はアメリカのレーガン政権が行った「レーガノミクス」なる経済政策をご存知かもしれませんが、言うまでもなくそのオマージュということになります。(因みにアベノミクスという名称は主に経済学者やマスメディアが用いてるものであり、安倍政権が自ら命名したというものではない模様です。)

2、問題点
アベノミクスには「3本の矢」と呼ばれるものがあります。それは主要な政策である財政出動と金融緩和と成長戦略です。3本の矢と言えば毛利元就が3人の息子に結束して毛利家の反映のために尽力することを諭した逸話なのですが、先述した3つの政策は、そもそも合わせる意味がよく分からないものです。この3つを実行しても何ら相乗効果を期待できないのが実のところなのです。

それを説明するためにまずはそれぞれの政策について考えていきましょう。まずは財政出動。デフレ脱却のためには「政府が率先して金を使え」と僕はこれまでに何度か言ってきましたが、これはその条件に当てはまります。どこに中身の精査はひとまず置いておくとして、方向性だけは少なくとも間違っていないことを確認するにとどめたいと思います。(それにしても不思議な話ですね。民主党のときは「カネがない」といっていた財務省がホレホレとお金を出すというのですからw)

次に金融緩和。「大胆な」という触れ込みからも分かるように、相当ドラスティックなものを自民党は想定しているようですが、果たしてこれは効果があるのでしょうか?ここで大きなアクターとなるのは日本銀行です。日銀が通貨の供給を増やすことでインフレを作り出そうというのです。そんなことが可能なのか?と思う方もいると思いますが、これ確かに出来るんです。

しかし、それで「インフレ傾向」になったとして我々の生活にはどのような影響が出るのでしょう?多くの人が第一に指摘するように、よしんばその小手先の金融政策で物価が上昇傾向に転化したとしても、給与が上がらない限りはあまり意味がありません。物価が上がったところで経済規模は縮小するスタグフレーションという最悪の帰結を招きかねないのです。(そしてこれは大多数の庶民の生活に大きな打撃を与えるでしょう。)しかもそこに電気代値上げと消費増税が重なるのですから消費はさらに冷え込むことが想定されます。そうなれば日本経済は死に体です。たしかに安倍さんは経済3団体に賃上げ要請をしてきたようですが、経団連を筆頭にそれを聞きいてるところが果たしてあるのかは疑問ですし、批判逃れのための口実作りとの見方は否定できません。(そもそも竹中平蔵をブレーンとしている時点で...ねw)

そして3つ目は成長戦略。経済成長を志向してのものだとは思うのですが、何をやるのかはよく分かりません。とりあえずカネを使うということであれば、それこそ自民党本来のバラマキ政策にしかなり得ません。成長分野をどこにするのか?それを定めなければ長期的な国家成長には結びつきません。尤も安倍政権には長期的な計画はおろか、中期的な見通しすらないのだとは思いますけどね。つまりこれは参院選に向けた実績アピールでしかないのです。そう考えるとアベノミクスはいとも簡単に理解出来てしまいます。


3、円安は絶対悪か?
安倍政権が日銀を介した金融政策によって招こうとしているもう一つのものが「円高」です。円安は輸入には有利で輸出には不便。皆さん学校でそう習ったことと思います。ゆえに「貿易立国である日本」には円高が有利...とみなさん考えているでしょう。何も間違ってはいません。しかしみなさんひとつ大きな間違いをしています。日本はもはや貿易立国ではないのです。輸出で利益を得ている人の方が少ないのです。また車を買う人が増えるなんて意見もありますが、それも甚だ怪しい話です。というのも燃料である石油が円高によって値上がりするワケですから。(そして繰り返すようですが消費増税も待ち構えています...)また円安によって輸出が増加する見込みも殆どないのが実情なのです。だって考えてみてください、企業の工場はこぞって海外に行ってしまったのですから。しかも日本のものつくりは停滞傾向にあります。この先時代を変えるような新商品の開発でもあれば多少はそうした傾向が変わる兆しにはなるでしょうが、会社が株主の顔色を伺って内部留保を溜め込んでいる現状では少なくとも難しいと言えるでしょう。

あと、いつだったか言ったような気がしたのですが昨今のドル安は、何も円高の所以というだけではありません。相対的に見て米ドルの需要が減少傾向にあり、その価値を弱めていることをわすれてはいけません。(ユーロにしてもそうですね。)


4、誰のための経済政策か?
果たしてアベノミクスは、誰のための経済政策なのでしょうか?先述したように、「円高」で儲かるのは事実上輸出業者のみであり、これは少数派のための‘政策’であると言わざるを得ません。もっとハッキリ言えば大企業のためのものでしかないのです。つまり自民党がこれまでやってきたいわゆる「大企業優遇」政策と何ら変わりはなく、そしてそれは新自由主義という失敗したメソッドに則ったものでしかないということです。尤もそうしたものは安倍晋三という人物のバックボーンを見ればより明白になります。彼は元々「上げ潮派」と呼ばれるグループと近しい関係にあり、つまるところ小泉・竹中流の構造改革路線のフォロワーなのです。ぶっちゃけアベノミクスは米国流のカジノ経済と何ら変わりはないものなのです。

今日は最終日ということで、あと2本の記事のアップをしなくてはならない計算になっているので一旦失礼しますが、またすぐに戻ってきますw

2013年2月11日月曜日

尖閣資源共同管理論

Twitterの方で一度「近々尖閣について書く」と言っておきながら今日まで事実上の‘棚上げ’にしていたのですが、今日はその尖閣問題について書いていきたいと思います。一応始めに言っておきますが、かなり日本にとって厳しい内容になると思います。しかしいつも言うようですが、現状を正しく認識しない限り、問題の解決はありえないのです。その辺を踏まえた上で一読ください。


1、尖閣諸島とアメリカ
もし尖閣諸島に中国海軍が進出してきた場合、アメリカはどういう対応をするのでしょうか?日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(日米安全保障条約)の第5条にはこうあります。「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危険に対処するように行動することを宣言する」と。尖閣は日本の施政下にあるので、もしも尖閣諸島に中国海軍が侵入してきた際には米軍が出てくることになる...と思いきや実はそうではないのです。実は日米間の合意として「島嶼部への侵攻への対応は日本独自が対応する」ことが想定されているのです。つまり尖閣に中国が侵攻してきた時点で対応するのは自衛隊なのです。そして、もしもここで守り通せなければ管轄は中国に移るため、日米安保の対象ではなくなってしまうのです。(2012.孫崎)

それにしてもよく出来たお話しだと思いません?まるでこうなることを想定して戦後の工作を誰かが長い時間をかけてしてきたような印象さえ受けます。(そして本当にその可能性があるから笑えないのです...。)


2、日中を不幸にする強硬論
前にも言ったような気がしますが今や日本と中国は互いに欠かすことのできない貿易対象国なのです。つまりお互いにとってお得意先なんです。その両国が戦争をする...というのがそもそもナンセンスな話であるという点を先ず理解しないと、ことの本質は分からなくなってしまいます。でもこの2つの国が戦争してくれると助かる国がひとつだけあります。そう、アメリカです。なぜなら一つには武器が売れるからであり、もう一つには大国になりつつある中国の力を削ぐことができるからです。

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もし日中で軍事衝突が起こったとき、アメリカが恐らく取るであろう施策はいわゆる「オフショア・バランシング」といったものであると考えられます。これはかつて英米が日本の手を以てロシアの頭を叩かせた(石橋湛山の日露戦争評)’のと同じようなものだと考えてもらえればいいかと思います。つまり、ある国が敵対する国の国力を削ぐために第三国を‘支援’してその敵対国と戦争をやらせようという思惑です。日露戦争は一定の意味合いではたしかに「防衛戦争」と言えますが、実態は先述のようなものだったのです。現に日露戦争によって日本は遼東半島での権益や朝鮮半島での優越権を獲得しましたが、経済的にはただただ支出を招いたのみで、その後の景気悪化の一因にもなりました。(内情だけ見れば「痛み分け」だったということです...。)

・日露戦争の風刺画(ビゴー作)

しかも...です。日露戦争の時は明石源太郎などによる工作活動(ロシアにおける反政府勢力の支援など)に代表されるようないわゆる‘根回し’が比較的しっかりとされていました。しかし今はどうでしょう?断言しますが、根回しのできない戦争に日本は勝てません。よしんば今から何かを仕掛けようとしても現在日本には諜報機関すらありませんので、事実上不可能です。また、日露戦争当時、我が国は兵器開発においても独自の技術を多数持っており、それらが緒戦の勝利につながったことは言うまでもありません。ところが今日本は独自の兵器開発を殆ど半世紀していないも同然であり、アメリカの圧力もあるのでこれもまた現時点では事実上不可能ということになってしまいます。

じゃあそのアメリカから武器を買えよ...という方もいるかもしれませんが、それとて限界があります。もし補給路を絶たれるようなことがあればそこでゲームオーバー。コンティニュー画面はありません。しかも先述したとおり、もし一度尖閣が中国の掌中に入れば、そこは日米安保条約の対象にはならないのです。つまり、戦争をしても失う一方なのです。


3、今こそ石橋湛山に帰れ
先の連載の中盤で、石橋湛山のお話をしたのを覚えている方はいるでしょうか?彼はワシントン会議直前の1921年に「一切を捨つるの覚悟」という社説を書きました。植民地の一切の放棄を謳った彼の論説は大きな議論を呼ぶこととなりました。湛山は「植民地一切放棄」というウルトラCとも言うべき施策により、植民地経営にかかる経費を国内の発展のために使えるようにするとともに、政策のインパクトによる日本の国際社会での発言力の高まりを狙ったのです。




僕は尖閣の領有権については一旦棚上げした上で、資源の日中共同管理および開発を進めることを主張したいのです。実のところ中国が欲しているのはそれであって島そのものではないのですから...。尖閣はたしかに日本固有の領土であり、中国の主張も一理あるとは言え、それは中国の領有権を確固たるものにするほどの根拠を持ったものではありません。それを踏まえた上でなぜさながら売国奴のような発言をするのかというと、「共同開発」というカードは日本にとってまず有益であるとともに中国の顔を一定立たせることができ、しかも日中戦争を誘発したいアメリカの思惑をひとまず叩き潰すことができるからです。

どの道このまま中国との関係を悪化させたところで資源の開発になど漕ぎ着けず、しかも両国の間で戦争が起こる可能性すらあるのですから、ここは日本が大人になってもいいのではないでしょうか?間違ってはいけないのが、ここで主張しているのが「尖閣の共同管理」ではなく「尖閣の資源の共同開発」だという点。領有権については事実上‘棚上げ’にする...というのが鉄則です。

そして今、日中の両政府がするべきなのは国民を落ち着かせることだということを、ここで主張しておきたいと思います。これは大東亜戦争の連載とも被るところなのですが、一旦世論が戦争へと傾いてしまうと、取り返しのつかないことになりかねないのです。やみくもに国交衝突を煽るような政治家は日中ともに信用してはいけません。そういう人間の背後にはきっと「ダビデの星」が見え隠れしていることでしょう。

ー参考文献ー
孫崎亨「尖閣問題 日本の誤解」(「世界」2012年11月号)

2013年2月10日日曜日

まちづくり論②(街歩きのススメ)

先ほどの記事ではいわゆる「まちづくり概論」のようなものをお届けしたのですが、次はもう少し砕けた立場から「まちづくり」を見ていきたいと思います。僕の趣味の一つに‘街歩き’というものがあります。このブログでも度々名前だけは登場していると思うのですが、ここではその「街歩き」を皆さんにオススメするとともに、その視点から理想のまちづくりについて考えていきたいと思います。

・桃山の龍馬通り商店街(撮影は昨年12月)

1、そもそも街歩きとは?
街歩きにとって重要な点は、それがウォーキングでもなければ食べ歩きでもないということです。つまり「街を歩く」のが主たる目的であって、よしんば歩くことが健康にいいとしても、その途中でいいお店を見つけて立ち寄ったとしても、それらは副次的なものであって主たる目的ではないということです。

・伏見稲荷近辺にて(撮影は1月)

じゃあ街を歩いて何をするんでしょう?「街歩き」の際にカメラは必需品です。「面白い」と思った景色を写真に納めるのです。では写真を撮るのが主たる目的かというと、そうでもありません。別に思い付いたら一句詠んでもいいですし、気になったお店があったら入ってもいいのです。要するに街を歩くことを楽しめば、あとは自由なのです。

・こちらは百万遍近郊にて(先日街に出た際に撮影)


2、街歩きが楽しめる街
歩いて楽しい街は、きっと住みやすい街です。だって一番人間のスケールに近い感覚でその街を感じているのですから間違いありません。逆に歩いて楽しくない街はあまり住み心地が良いとは言えないはずです。車がビュンビュン走って排気ガスで煙たく、また歩いても歩いてもチェーン店とパチ屋しかないような町は最悪です。そんなところでは生活しないほうがいいに決まっています。

・これは家の近所にて...(撮影は昨日の夕方)

だってそんなところでどうして情緒的になれますか?まず歌は書けません。仕事に関するいいアイディアだって浮かばないでしょう。だいたいそんなところで生活していても心が病んでしまうだけです。未だに少し田舎に行くと車社会で自動車なしでは何もできないようなところが沢山ありますし、都会でも騒々しいだけで趣がないところが沢山あるのですが、それがそもそもはおかしいのです。もう少し人間らしい視点を街に取り戻してもいいのではないでしょうか?そういう話が本来であれば保守政治家の口から出て然るべきだと思うのですが...聞こえてきません。未だに「もっと大きく」なんて言ってる人たちまでいる始末です。街も社会も「適正な規模」に戻しませんか?それを僕は提案したいのです。そんなところですが、本日はこの辺で失礼します,ジベリ!

まちづくり論①

エッセイ10連発も3日目に入ったのですが、意外に記事一本を書くというのは大変であり、ぜェぜェ言ってるところだったりしますw そんなところですが、今日のテーマはズバリ「まちづくり論」。それを大きなテーマとして2つの記事を書きたいと思います。

1、まちづくりとは?
昨今、よく耳にするとしてこの「まちづくり」というものがあると思うのですが、そもそもこれは何を意味するのでしょうか?まちづくりというのはそのまま「街作り」ではあるのですが、どうしてもこう漢字で書くと「シムシティ」的な感じになっちゃうんですね。要するにハード面の意味でしか捉えられていない傾向にあるということです。しかしながら通例「まちづくり」というときには行政サービスや地域振興のためのイベント(いわゆる町おこし)も含めたソフト面での意味合いも含有されることとなります。

2、近年の「まちづくり」への注目
今日では多くの自治体がこの「まちづくり」を主要なテーマとして取り上げており、役所においても「まちづくり課」なるものが設置される場所も少なくはありません。この背景には一体何があるのでしょうか?1つには経済状況の変化があります。戦後日本は莫大な経済成長を背景に都市の‘拡大’を中央集権的に延々と進めてきました。しかしそれは限界を迎え、次第に持続可能な都市計画という方向性にシフトすることとなります。

2つ目には豊かさの本質の変化が挙げられます。少なくとも衣食住には困らなくなった我が国はより良い社会の模索を始めます。つまり「最低限度のもの」から「より良いもの」を求める方へとシフトしていったのです。そうした中で従来の中央集権的な都市計画への批判も起こり始めます。その街に相応しい都市設計や行政サービスの模索が始まったのです。(つまるところ、「この街じゃなきゃいけない理由」を作ることを始めたのであります。)

3、「ないもの作り」か「あるもの探し」か?
ある町が何かしらの「まちづくり」(あるいは町おこし)をしようと考えたとき、することは大きく分ければ次の2つです。1つは「ないもの作り」であり、もう一つは「あるもの探し」です。前者はディズニーランドを作った浦安市を想像してもらえればいいと思います。後者は昨今話題のB級グルメを活用した町おこしや、その町の歴史人物や歴史的な建造物、或いはその町が登場する作品などを用いた町おこしが当てはまるでしょう。(バリィさんをはじめとする「ゆるキャラ」による町おこしは両者の混合型といったところでしょうねw)

しかしながら、「ないもの作り」というのは実のところあまり上手くいきません。その街にそれを持ってくることの必然性がなければ多くの場合は最終的に失敗に終わりがちです。その意味で浦安市の事例は例外中の例外と言えるでしょう。(逆に失敗例としてはデンマークのテーマパークを作った倉敷市なんかがありますね。)とはいうものの、「何もない街だってあるじゃないか?」そんな意見もあると思います。しかし本当にそうでしょうか?それは気づいていないだけかもしれませんよ。

4、よそ者と若者とバカ者と
ではどうしたら「あるもの」に気づけるのでしょうか?ズバリ外の視点を取り入れるのです。たとえば...です。港町で生まれた人間にとって身近に海があるのは当然であり、それがあることには何ら特別性はありません。しかしそこを訪れた人にとっては違います。海辺の街並みの風情に心惹かれるかもしれませんし、夕日の美しさに感動するかもしれません。そうなんです!意外と身近なところに「何か」はあるものなのです。

昨今、まちづくり(ないし町おこし)には3つのアクターが必要だと言われています。それはよそ者と若者とバカ者です。この3つには共通することがあります。それは失敗を恐れないことです。故に彼ら(ないし彼女ら)は果敢な挑戦ができるのです。また富士宮やきそばの仕掛け人である渡辺英彦さんはそこに「ホラ吹き」を加えると以前、テレビで言ってました。つまるところ、「根拠のある大風呂敷」を広げられる人が必要ということかもしれません。そしてその大法螺にとことん付き合うバカが居れば完璧...ということでしょう。

ここまでは文字通り「まちづくり概論」をお届けしたのですが、次はちょっと違う視点からまちづくり論を考えていきたいと思います。しばしお待ちください^^

2013年2月9日土曜日

「やればできる」という妄想

僕の出身高校の校歌に「やればできるは魔法の合言葉」という一節があります。高校野球で一世を風靡したおよそ10年前、この言葉は一時全国区となりました。努力するのはいいことです。サボるのは悪いことです。しかし「(やれば(努力すれば)できる」というのは人間の生み出した最悪の誇大妄想であると僕は思っています。どういうことでしょうか?本日の最後のテーマはこれを取り上げたいと思います。

1、可能性と不可能性
森見登美彦さんの作品である「四畳半神話大系」に出てくる樋口清太郎(通称:樋口師匠)という人物のセリフに「可能性という言葉を無限定に使ってはいけない」というものがありました。樋口師匠は続けてこう言います。「我々という存在を規定するのは、我々がもつ可能性ではなく、我々がもつ不可能性である」と。不確定な可能性というものに望みを託すことこそが人間の苦悩の大半の要因であるというのです。至極辛辣ですが、言っていることはよく分かります。

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たとえば僕は力士や野球選手にはなれません。でも幼い頃から力士や野球選手になることを夢見て努力してきた人間に、いきなり学問をやれといってもそれは無理な話であり、よしんば当人がそうなりたいと考えたとしてもそれは困難を極めるでしょう。たしかに、ごく稀に何でもできる人がいます。小学校に一人くらいはいませんでしたか?成績優秀でスポーツもできて芸術にも秀でて、しかもコミュ力もあって...みたいな人。でも彼(ないし彼女)だってどこかで「選択」を迫られます。ずっと万能人間のまま居続けることはないのです。どこかでどの道を行くのかを決めなくてはならないのです。ある部分では‘貴重な’可能性を切り捨てなくてはならないのです。

その点僕は簡単でした。昔から社会科が抜きん出て得意であり、また答えの決まっていない問題についてあれこれと考えるのが好きでしたから。僕は自分の作詞の原点を俳句だと思ってるのですが、それだって昔から比較的得意なことでしたし、僕自身そういった創作活動にのめり込むのが好きな方でしたから...。その道を選んでも大してお金にはならないとしても、その道を進むのが一番自然だったのです。史学科を落ちたことで多少の進路変更はあったかもしれませんが、それは能力云々を越えた‘運命’のようなものだったんじゃないかな?と今は考えています。(もし僕があのまま文学部に行っていたら僕がここまで政治にのめり込むことはなかったかもしれませんし、少なくとも志士会は存在しなかったでしょうw)


2、それでも努力はするべき
タイトルを見てずっこけた人もいるかもしれませんが、何も僕は努力を放棄して怠け倒していればいいと主張しているワケではないのです。それでも努力はするべきなのです。問題は‘何に向かって’それをするのか?ということ。自分は何をしたいのか?そのために自分はどういうことができるのか?それを考えることがそもそもの原点になります。

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そういうことを考える場をつくらずして職業教育とかキャリア教育とか言ってもそれは本末転倒というもの。まず自分と向き合わなければいけませんし、その上で自分を肯定的に捉えなくてはいけないのです。自分を受け入れられないまま「否定」で全てが始まっているからこそ、この社会は「閉塞感」なんぞに包まれているのです。考え方一つでそんなものは壊せます。「何でもできる」じゃなくて、「何か出来ることがある」。そう考えましょうよ。それだけで少しは楽になります。そんなところでありますが、本日はこのへんでお暇します,ジベリ!

復亜論

先ほどの記事で「ならぬことはならぬものです」という一文を書いたのですが、これは会津若松に伝わる「什の掟」というものの中に記された最後の一節です。因みに「什」とは藩士の子どもたちを教育するための一種の町内グループ(自治組織とも言える)のようなものであり、什の掟はそこのルールということになります。(下記参照)

一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言を言ふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめては(原文)なりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

そしてこれの最後に先述の「ならぬことはならぬものです」という一文が加えられるのです。『国家の品格』藤原正彦さんが取り上げたことなどから全国的に有名になったこの「戒めの言葉」ですが、成程これらは現在でもそれなりに説得力のあるものと言えるでしょう。(1と6と7を除けばw)何より最後の文言である「ならぬことはならぬもの」(要するに「ダメなものはダメ」)というのは物の真理を現していると言えるでしょう。前々回のエッセイの中で、合理的見解が抽象論より重んじられがちである...という我が国の意思決定プロセスの問題点を指摘しましたが、では僕はすべてを合理的にすればいいと思っているかといえば、そうではないんです。よしんばそうするのが一番いいとしても、それでは社会全体がひどく冷たいものになってしまいます。(そして新自由主義というものの本質がその「冷たい社会」を作るためのものであるという点もここで指摘しておきます。)

この世の中には合理的・論理的な見方だけでは判断できない(説明できない)ものが沢山あります。それだけでは説明できない物事がこの世の中にはあるのです。それゆえに神とか悪魔といったものを人は信じるのではないでしょうか?宗教とか道徳というものは、そもそもそういうものだと僕は考えているんです。

1844年にフリードリヒ・ニーチェはその著書である『ツァトラウスはかく語れり』の中で「神は死んだも同然である」と言いました。この解釈を巡っては勿論色々なものがあるのですが、僕は彼の発言こそが現代社会のスタートだったように思うのですヨーロッパ的に言えば自然というものは淘汰するものでしかありませんでした。それゆえ利便性の追求により環境破壊をすることも他の動物を絶滅に追い込むことも厭わなかったのでしょう。(ようやく彼らが気付いたのは環境破壊により人間自身が危機に追い込まれることに気付いた後でした。)

しかしアジアでは「自然」とはそのまま神であり、共存するべきものとして捉えられてきたのでした。日本の神道も然り、中国の老荘思想も然り、或いは仏教にもそういった一面があると思います。明治維新以降、ヨーロッパからの思想流入でそれらは衰えてしまいましたが、今こそそれらを取り戻す時が来たのだと僕は考えています。科学技術の発展により地図から空白は消え、宇宙の構造についても少しずつですが分かり始め、かつてに比べればたしかに「分からないもの」は減ったように思います。しかしそれでも分からないものはあります。どうして自分が生きているのか、或いは生まれてきたのか?というものは分かりませんし、美しい絵画に心惹かれる理由も素晴らしい音楽に感動する理由も論理だけでは語り尽くせません。その意味で芸術には「神」が宿っていると言えるでしょう。また人と人が惹かれあう理由、これも論理を越えたものがあります。恋愛が学問化できないのは、そこに神が宿っているからなのでしょう。

だから今主張したいのは、「アジアに帰れ」ということです。それは科学技術を放棄せよという意味ではありません。寧ろそれらをより活性化させるためにこそ、これを主張したいのです。欧米が世界を席巻したのなんてほんの数世紀で、それまではアジアの方が優れていたのですから...。日本が中心となってアジアの叡智を世界に広めていこうではないですか。

大河ドラマ「平清盛」はなぜコケたのか?




昨年の大河ドラマ「平清盛」は平均視聴率が14.5%と歴代最低水準の超低空飛行で幕を閉じました。当初より苦戦が報じられていたのですが、実のところ僕は結構このドラマよく観てたんです。それは一つに僕が天邪鬼な性格であるが故のことだったのですが、もう一つ言うと平清盛っていう人物自体が比較的好きな歴史人物だったからなんですね。平清盛といえばまず思い出されるのが「平家物語」ですが、そもそもあれは源氏が天下を誇ったあとに造られたものであり、中立性を著しく欠いているのは言うまでもありません。冷静に、そして客観的に平清盛という人物を見たとき、どのようなものが見えてくるのでしょうか?


1、過小評価されている人物の一人
多くの人が忘れているのですが、それまで護衛集団くらいの立ち位置だった武士団の地位を大きく向上させたのは、他ならぬ平清盛です。世界史では「ムハンマドなくしてシャルルマーニュ(カール大帝)なし」なんて言葉があるのですが、それと同じように「清盛なくして頼朝なし」なのです。(もっと言えば足利尊氏も徳川家康もなかったかもしれません...)武士で初めて太政大臣になったのも清盛でした。

また日本の経済史を考える上では貨幣経済の礎を築いた人という側面もあります。たしかに富本銭や和同開珎など貨幣が造られてきたことはそれまでにもありましたが、長期的に見るとこれらはあまり普及しませんでした。そもそも当時の日本には銅が不足してました。しかし末法思想に起因する仏具需要の高まりもあり、銅が必要な状況にあったのです。そうした状況を鑑みた上で清盛は宋の銅銭を大量に輸入し、それをそのまま「通貨」として流通させることを考えたのです。ではそれまでは何が基軸になっていたかというと、実は絹なのですね。(絹本位制とでも言いましょうか?)勿論絹で徴税している朝廷権力とのせめぎ合いは不可避でしたが、平家失脚後も貨幣経済へのシフトは更に進行していくこととなったのです。日本の経済史を見るとき、平清盛は避けては通れない人物なのかもしれませんね。

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それから港町神戸の基盤を作ったことも大きな成果と言えるでしょう。日宋貿易の発展のために作られた大輪田泊は港湾都市神戸の重要なバックボーンとなったのでした。とはいえ現状、神戸港に行ってウルトラマンに思いを馳せる人はいても、「清盛ありがとう」と思う人は殆どいないでしょう。本当はそう思って然るべきなのです。皆さんが神戸で素敵なクリスマスを過ごせるのだって実は平清盛が居たからなんですよ。(←そうなのかw?)

それから「平家にあらずんば人に非ず」に象徴される清盛の独裁者イメージですが、これとて平家物語に出てくる一幕というだけの話であり、実際にそう発言した確証もありません。清盛が嫌われているのは恐らく貴族の支配力を弱めたことに起因しているのではないかと思います。朝廷機構を中心とした政治から武家政治へとシフトするきっかけを作ったワケですから恐らく朝廷の古くからの権力者たちには嫌われていたことと思います。もしかするとそのことが潜在的に影響しているのではないでしょうか?

また経が島(きょうがしま)という人工島を作る際、人柱を建てるよう進言する公家の者たちの意見を一蹴したという逸話からも分かるように、平清盛という人物は決して残虐な人物ではないのです。(そもそも清盛が冷酷非道の人物であれば、源氏は平治の乱のあとに滅んでいてもおかしくなかったのですから...。)


2、ドラマがコケた理由
僕はあのドラマが数字を残せなかった理由について僕は次の3つがあるのではないかな?と思っています。第一には清盛という人物が概して一般大衆受けするセレクトではなかったというところです。(逆に織田信長や伊達政宗、坂本龍馬あたりであれば否応なしに大衆ウケは狙えるでしょう。)先述のとおり「平家物語」の悪者イメージが強く、また上述したような歴史上の意義も殆ど理解されていません。そうなると食いついてくるのは少し歴史に精通している人々...ということになるのですが、そういう人たちにとってはツッコミどころが満載(前半の義朝と清盛の中途半端な一騎打ちなど、僕から見てもそれはないだろうという描写がたしかにありましたw)で、逆に「時代考証はどうなってるんだ?」という批判的議論を呼び起こすことになってしまったのでしょう。

第二にはこのドラマが清盛を英雄ないし革命家といったような新しい視点から見るという斬新な視点を取り入れた一方で、終盤に近付くにつれて平家物語のイメージに引きずられてしまったことがあると思います。権力を握った者の腐敗みたいなのを描きたかったのだとは思うのですが、あまりにその変化がドラスティックであり、個人的にはまるでスターウォーズのアナキン・スカイウォーカーを見ているような気分でした。(その場合後白河上皇がパルパティーンポジでしょうかw?)

もうこの際、源氏を「恩を仇で返す悪者」くらいの描写にしても面白かったかもしれません。「中立的」とか「事実に忠実」なんて言ったところでそれには限度というものがあり、少なからず見方に偏りが出てくるのは不可避の現象だと思いますから...。




とはいえ個人的にはそれなりに面白いドラマだったという印象なんですけどね。先述の時代考証の話しにしたって、それはそれでシュールな笑いのネタに見えなくもないですし、清盛役の松山ケンイチさんの演技も秀逸でした。(嫁が韓国で出産するという手の込んだステマに手を出さなければ完璧でした。←どこに突っ込んでんねんw)それから時たまBGMとして流れるカッチーニの「アヴェマリア」が印象的でした。文字だけ見てると平安時代のものにそんな曲が...と思う人も居るかもしれないのですが、これが本当にその場面にピッタリなんです。

そして3つ目にはそもそも論として「テレビ離れ」が進行していることがあるのだと思います。大本営発表を垂れ流しにし続けるメディアに多くの人が愛想を尽かせてきているのは明白でしょう。そしてドラマやバラエティにしても同じような内容のものしかなく、テレビ自体に食傷気味になっていることも多少は影響しているのかもしれません。(ぶっちゃけ積極的にテレビ観てるのなんて高齢者とB層くらいでしょうからw)

3、「八重の桜」はどうなるのか?
となると気になるのは今年の大河ドラマである「八重の桜」でありますが、果たしてヒットするのでしょうか?夫の新島襄にしても多くの人には同志社大学を作った人くらいの認知度しか無い(というか僕も大河で取り上げられるまで八重のことは知りませんでしたw)と思うので人物の知名度からすればかなりの苦戦が予見されます。主演の綾瀬はるかさんが比較的人気のある女優さんではあるので一定数観る人はいると思うのですが、民放ではキムタク神話も崩壊しつつあるようですから、役者の魅力だけで...というのは些か無理がある話だろうと思います。

そもそもこのタイミングで会津の絡むエピソードを持ってくること自体がなんか胡散臭いというか白々しいというか...。しかも話しによると国交省の復興予算がこのドラマのPR費用として3.4億円も使われているそうではないですか?聞いて呆れます。(「ならぬことはならぬものです」と誰か役人さんたちに言ってあげてくださいw)なので少なくとも現状は、下手をすると清盛以下の視聴率ということもあり得るのではないかな?というのが僕の分析です。

1日にエッセイ2つというマニフェストにもかかわらず昨日は一つでしたが、今日3つ書く事で帳尻を合わせたいと思います。それでは皆さん、また後ほど^^

2013年2月8日金曜日

ファミレスに家族で来ている客は意外に少ない

・サラミとパンチェッタのピザと白ワイン(合わせて600円くらい)

今日は類グループの一次試験でお昼前から大阪で、しかもその後はバイト...。それから近くのサイゼリヤで夕食を食べて先ほど家に帰ってきました。忙しい1日だったのですが、一次試験の面接も好感触で、仕事明けにお酒も飲めたので、まぁいいとしましょうw(エッセイは今日の分はとりあえず一つのみになるかもですw)


・電車の一番前の席ってなんかいいよね^^

家を出たのは10時半頃で、そこからいつもの通りお京阪で淀屋橋まで...。地下鉄に乗り換えて類グループ本社のある西中島南方で下車。(会社は駅の目と鼻の先にあります。)実はここ、去年も入社試験を受けたところであり、訪れるのはこれで3度目なのですが、果たして本日はどうなるのやら...。

・新淀川大橋を歩いていく...(向こう側に梅田の街並みが見える)

一次試験はペーパーの適性試験とちょっとした面接。去年受けたときはスンナリ通った試験なので、そこまで心配することはないのですが、それでも面接は緊張します。面接に行ってみると、どうやら去年と同じ人だったらしく、しかも僕を覚えていてくれた模様...。会社の案内パンフをよく読んでくれているとか、志望動機がしっかりしているとか褒められる一方で、これまでにない好感触!


・都会の片隅的な写真でアヴァンギャルドを気取ったりする(新淀川大橋の下にて)

颯爽とした気分で試験を終えたあと、時間に少し余裕もあったので戯れに梅田まで歩いてみることに。新大阪から程近い西中島周辺はちょっとした繁華街になっているのですが、阪急の南方駅を越えた辺りから景色は一変。ビルや町工場の立ち並ぶ閑散とした景色が続きます。

・もうすぐ梅田に着きます...

先ほどの写真に登場した新淀川大橋を渡ったあともしばらくはその物寂しい景色が続くのですが、そこから程なくして阪急の梅田駅が見えてきます。(テレビ大阪のスタジオや、梅田ロフトなんかもその周辺にあります。)梅田の地下が半ばダンジョンと化しているのは比較的有名なお話ですが、地上の方もなかなかにカオスであり、迂闊にしていると現在位置を見失いかねません。

・これがその景品である

阪急の梅田駅の近くにはキデイランドがあり、スヌーピーやムーミンなど多くのキャラクターの商品が置かれています。中でも珍しいのが「リサとガスパール」のガチャガチャがあるということ。(実際ここ以外では見たことがありませんw)12月に来た時にはマスコットが当たるやつがあって、そのときにガスパールの方のマスコットを手にしていたのですが、どうやらシリーズが変わってしまったらしく、景品は手提げ袋になっていました。まぁでも折角なんでまた1度だけやってきましたよ。(言わずもがな上の写真がその景品ですw)その後、ミスドでどー地下鉄で淀屋橋まで向かい、淀屋橋駅のキオスクで飲み物と日刊ゲンダイを買ってから電車に乗り、今日は夕方からバイトだったのでそのままバイト先の宇治まで向かっちゃいました。

・宇治神社(こちらには参拝できます^^)

案の定、早く着きすぎてしまったので、少し辺りを散策することに。京阪の宇治駅は世界遺産にも登録されている宇治上神社の程近くにあり、また10円玉の絵柄の鳳凰堂でその名を知られる平等院も徒歩圏内にある(こちらにはJRの宇治駅がより近い)のですが、どうやら今は2つとも改修中とのコトであります...。(そのため平等院は拝観料を値下げしている模様です。)

・朝霧橋(付近には「宇治十帖」のモニュメントがある)

ここでのバイトは2月スタートでまだ2回目なんですよね。そんなワケでまだ土地勘もあまり無いのが現状です。因みに何をしているかと言えば、また家庭教師をしています。やはり僕にはその類の仕事が合っているようでw

・追加オーダーのほうれん草のオーブン焼きは249円也

仕事終わりに今日はサイゼリヤで夕食を食べてから帰ってきました。流石に今日は自炊する体力は残ってなかったのと、とにもかくにもお腹がすいていたので...。週末のファミレスはさぞかし家族連れに賑わっているのかと思いきや、家族連れは実際のところあまり見えず、それよりも目立ったのはカップルの多さ...。遠恋だとこういうのが異様に寂しく感じたりすることがあるんですね。まぁ来週の中頃にはまたその彼女がこっちに遊びに来るのでそれが今から楽しみだったりするのですが、とかく本日はこの辺で失礼します、ジベリ!

日本人の意思決定プロセス

ということで「エッセイ10連発」の一発目なのですが、いきなり少し難しいテーマを取り上げることになりました。意見が2つあり、その一つが抽象的でありもう一つが具体的であるとき、合理的に考えれば後者が良いに間違いありません。しかし日本人というのはどうも抽象的な意見(今風に言えばファジーなもの)の方を選んでしまいがちなのです。

たとえば大東亜戦争前夜の日本。比較的最後まで戦争回避派が多数を占めていたことは先の連載で言ってきた通りです。それに対して開戦を主張していたのは軍務官僚を中心とする人々でした。では彼らはそれぞれどのような見解からそれを主張していたのでしょう。(ハル・ノート受諾後である1941年11月27日の会議の重臣会議にて。筆記が禁止されていたため、内容は木戸幸一の回顧録などに依拠)

それを読み解くとあることが分かります。主戦派が「とにかく戦争だ」、「もはや戦争しかない」といった旨のことを行っているのに対し、慎重派は主張します。物資の補給能力の点でアメリカと戦争等やれるものではない(岡田啓介)、戦争をするにはまず資材が必要である。その中でも石油は最も重要であるが、これが足りていない。戦争半ばに石油が不足するようなことがあれば、どうして戦争を遂行することができるか(若槻礼次郎)等々...。

このように慎重派はその論拠が非常に具体的です。また、この重役会議において、戦争に賛成したのは陸軍出身の2名(林銑十郎・阿部信行)のみで、あとは積極的か消極的かの違いはあれど、日米開戦に否定的な構えを見せたといいます。それにもかかわらず「開戦」の決断は下されたのでした。またこの会議においてハル・ノートの内容についての検討精査がなく、最初から「開戦ありきで話しが進んでいた」(若槻の回想)という点も見逃せないところであります。

因みに首相の東條英機は当初こそ戦争回避に向けて動いていた(それが昭和天皇から付与された使命でしたから...。)のですが、ここにおいては開戦論者に転じており、「物資は足りると陸軍が調査した」と若槻の意見を一蹴しています。恐らくこの辺が重光葵に「広量と世界知識が欠如していた」と評される一因かもしれません。自分自身にそういう傾向が全く無いとは言えないのであまり人のことは言いたくないのですが、要するに融通の利かない人だったのでしょう...。

今日の問題に当てはめるとたとえばTPPがその顕著な例かもしれません。反対派の主張にはちゃんとした根拠(広範な自由化を前提としており、セーフティーネットが用意されていないこと・この協定の背景にある国際的なパワーバランスから見るに、日本にとって不利なものにしかなりえないこと・参加したところで経済成長の足しには殆どなりえないこと...など)があり、それを論拠として一貫して「反対」の意を唱えています。よく「代案を出せ」という人もいますが、それについてもインドや中国などアジアでの経済的パートナーシップを強化するという具体的にしてより効果的な施策が持ち出されているのが現状です。

一方推進派はというと、経済成長のために必要であるとか、交渉に参加する時点では国益に反しない...といった具合に、概して抽象的な意見しか見受けることが出来ません。(しかも最終的には「競争に勝てないから参加しないというのはおかしい」とかほざき出すテイタラク...)であるにもかかわらず、多くのマスコミはTPPを推進しているのですから、これは異常であると言わざるを得ないでしょう。(尤もこの問題に関しては国民の意識の問題というよりもむしろ、マスコミの性格を問うべきなのかもしれませんがw)

日本人は奥ゆかしさを大切にします。だから例えば京都ではお客にそろそろ帰ってほしいときにも「そろそろ時間が...」とか「明日早いので...」みたいな言い方はしません。「ぶぶ漬けでもいかがどす?」とかなり婉曲した言い方をするのです。それ自体は一概に悪いこととは言いません。その「奥ゆかしさ」の中から繊細な知性や芸術が育まれているのでしょうから別段それを非難するつもりもありませんし、これからも大切にしていくべき「心」であるとは思います。

しかし、合理的ないし論理的な視点を見失いがちなのは、あまり褒められるところではありません。しかもその結果として「悲劇」というべき事態を招いているのですから殊更です。いいところを守りつつ、変えるべきところは変えていく...というのが保守のあるべき姿だと僕は思っているのですが、日本人の‘良さ’をより生かすためにも、そういう「反省」はきちんとしていくべきであると考えています。

「1日に2つのエッセイ」とか言っておきながら今日はこれを書くだけで精一杯になってしまったのですが、どこかで帳尻を合わせたいと思いますw (エッセイとは別に今日はもう一つ書きたいことがあるので、少々お待ちください^^)

2013年2月7日木曜日

大東亜戦争の「構造的敗北」

なんかもうすっかり忘れられてるんじゃないか?との懸念が払拭できないのですが、一応連載は続いていたのです。前の記事で言っていたように一応本編はこれで終わりで、あとは余談としていわゆる陰謀論についての考察をしていきたいと思ってます。最終章のタイトルは「大東亜戦争の‘構造的敗北’」とのことなのですが、まぁ要するにこれまでの内容を総括するようなものであると考えておいて下さい。

1、意思決定プロセスの欠如
この連載の6番目の記事で、陸海軍の対立関係について書きましたが、そこでも言った通り、こうした不和は何も日本に限ったものではないのです。たとえばアメリカだって海軍と陸軍は半ば対立関係にあったのです。だからこそ大統領に権限を一本化させるために国防総省が作られたのです。しかし日本はどうかというと、憲法上の建前としてはこそ天皇が軍事のトップだったものの実際は天皇が各機関を調停したり、鶴の一声で大きな決定を下したり...ということはほぼありませんでした。明治政府発足当初はその責務を元老が担っていましたが、最後の元老である西園寺公望も1940年に他界しており、ここに於いて事実上元老はその歴史に幕を閉じたのでした。それに近い権限を有したのは内大臣である木戸幸一ですが、正直なところそれ程有能な人物ではありませんでしたし、そもそも彼一人に元老の意思決定プロセスと同等のものを求めること自体、無理しかない話しだったのです。

実際のところ昭和天皇はそうした中でかなり葛藤した人物だったんじゃないかな?と思います。明治天皇は「親政」(君主自らが政治を行うこと)だという人もたまにいますが、実際主導となったのは先述した元老やその他薩長の面々だったのであり、天皇が直々に...というには少し無理があるのが実情でした。ゆえに明治天皇はそれほど大きな責務や重圧を担うことはなかったのでしょうが、昭和天皇は違いました。海軍と陸軍,或いは政治家同士の衝突、そういったものを調停する必要が生じたのです。しかも元老のような有能なアドバイザーも居ない...。しかも自分の望まない方ばかりに事態は進行していくのですからその心中はきっと穏やかではなかったでしょう。余談ですが日本が核兵器を「実用化」しなかったのはその昭和天皇の意向によるところが大きかったようです。実際東條内閣の頃より核兵器の開発は水面下で進められていたのですが、それを聞いた天皇は強い反対の意を示します。(以下「」内はその論拠。ネット上に多く出回っているのですが、書籍では五島勉という人の「日本・原爆開発の真実」という本に記載があるようです。)

「数カ国がその新兵器開発を競っているとの事だが、日本が最初に開発し使用すれば、他国も全力を傾斜して完成させ使ってくるようになるであろうから、全人類を滅亡させる事になる。それでは、人類絶滅の悪の宗家に日本がなるではないか。またハワイに投下する計画との事だが、ハワイには、日本の同朋が多数移住し、現地民とともに苦労し今日を築きあげたところである。そのような場所に新兵器を使用することには賛成しかねる」

これは初めて読んだときホントに涙が流れました。我が国の天皇陛下はそこまで考えていたのです。それ程までに高尚だったのです。その後の状況を考えれば、昭和天皇の認識が正しいことは明白でしょう。今声高に核武装を提言している人たちに言いたいものです。お前らは昭和天皇の御言葉を無駄にするのか?と。それでも保守なのか...と。


2、日米開戦は官僚主導?
これまで言ってきたように、大東亜戦争は少なくとも東条英機や昭和天皇が独断で始めたものではありません。では一体誰(どこ)が「主導」となったのでしょう?実は官僚(特に軍務官僚)だったのです。日米開戦の決定打とされる「ハル・ノート」にしてみても、実はその解釈は様々であり、実のところ解釈がバラバラなまま交渉打ち切りに至ったところが大きいのです。この連載の6番目の記事(上述)で「東條英機はミッドウェー敗北を戦後まで知らなかった」と言いましたが、このようなことは他の場所でも起こっており、例えば開戦時の話にしても、外務大臣の東郷重徳はハワイ空爆のことは元より、アメリカとの交渉打ち切り(事実上の宣戦布告)とその空爆の開始との間に時間が30分しかないということも知らされていなかったといいます。つまるところ各セクションがてんでばらばらの方向を向いたまま戦争は始まったのでした。

因みに軍部が開戦を急いだ理由は幾つかあります。一つは資源のストックです。これは勿論日に日に減っていく一方です。そして2つ目はアメリカの動向です。このとき日本は太平洋に向けた海軍戦力で少しばかりアメリカを上回っていたのですが、日本との関係悪化を受けてアメリカは増強を進めていました。追い越されるのは時間の問題です。そして3つ目は潮の流れです。これは世の中の...とかそう言う意味ではありません。南方洋上での作戦上、潮の流れが日本にとって不利になる...というそのまんまの意味です。

因みにですが日米開戦に少しでも有利な影響を与えるはずだったドイツの躍進が途切れた(独ソ戦におけるドイツの劣勢化)のは開戦とほぼ同時期の1941年12月上旬でした。もし何らかの関係で戦争開始が遅れ、ドイツの劣勢がより明白なものとなっていれば、開戦に踏み切ることはなかったかもしれません。(まぁ要するに半ばご都合主義ということです。)

つまるところ今も昔も、この国は官僚主導なんです。要するに「構造的な欠陥」というのを是正することなく今日に至っているのですから、これは由々しき事態と言えるでしょう。


3、意思決定に優先する感情論と精神論
国力・経済力が圧倒的に不利な中、無限の拡大が出来るのは「精神論」のみでした。しかしそんなことが上手くいくはずもなく、実際結果として「敗戦」という帰結に至ったのですが、そもそもこの戦争の火蓋を切った真珠湾攻撃はどのようなプロセスで実行されたのでしょう?実は決定打となったのは海軍大将である山本五十六のゴリ押しだったのです。彼は「この作戦が許可されないのなら大将を辞める」と言い、結局その意思に押される形でゴーサインが出たのだそうです。一国の命運に関わる決断をそんなことで決めていいのか?と言いたくなるところなのですが、とかく日本人というのはこういうのに弱いところがあるんでしょう...。(そういえば最近も「政治生命を賭ける」とか言っていた首相が居ましたねw)とかくそうした一種の国民性というものも、あの戦争の敗因(そもそも勝てる見込みはなかったが)の一つに数えられるのではないか?と思います。

~おわりに~
昨年夏より(9月以降極めて遅い速度で)続いた連載も今回で終わりになりますが、読んで頂いてありがとうございした。恐ろしく長く、そして暗い話になってしまったと思います。しかし繰り返すようですが事実の把握なしでは前進できないものなので、その辺を理解した上で読んで貰えれば嬉しいなと思う次第です。そもそもこの連載をやろうと思ったのは、今まさに日本が再びこのいつかきた道を再び歩もうとしているのではないか?という漠然とした危機感が自分の中にあったからです。そしてそれは昨年12月の政権交代によって一層現実味を帯びつつあります。しかし、戦争なんてやったところで喜ぶのはアメリカぐらいのもので、我々にとっては何もいいことなんてないのです。その点をもう一度皆さんに考えて貰いたいのです。

政治の第一の目的は戦争をしないことだと亀井(静香)先生はかつて言っていました。本来政治家とはそうあるべきなのです。国家が何か大きな問題に直面したとき、戦争に訴えるのは稚拙な政治家です。本当に有能な政治家はそんなことはしません。国家がどうあるべきかを考え、また国民の生活を改善すべく福祉や教育に力を入れるものです。

ー参考文献ー
安井淳「対米戦争開戦と官僚 ~意思決定システムの欠陥~」(芙蓉書房出版)
野口和彦「パワー・シフト理論と日米開戦」(こちら

今月11日には我が憂国志士会も2周年を迎えるワケでありますが、それに併せて...ということでもないのですが明日からの5日間(8~12日)でこのブログではちょっとした企画をやろうと思っています。名付けて「怒涛のエッセイ10連発!!」。内容はエッセイに限るため、たとえばどこかに行ってきた感想とか、何か料理を作った感想みたいなのはノーカウント。つまり1日に挙げられる記事の数は(平均すれば)少なくとも2つ以上になるのです。何でこんなことをするのかというと、その理由は2つ。一つは書きたいことがとにかく沢山あるということ。そして2つには現在少し時間的な余裕があるということ。まぁそのくらいの理由なのですが、政治から芸能、或いは教育まで様々なトピックを取り上げたいと思っているのでそちらも是非読んで貰えると光栄です。そんなところではありますが、本日はこの辺で失礼したいと思います,ジベリ!

2013年2月4日月曜日

節分祭(4年目)

暦の上では今日から春なのですが、暖かかった昨日一昨日に比べ今日は少し肌寒い一日になりそうです。実は今ちょっと就活で松山に帰ってるんですけど、先日2月2日はまた今年も節分祭に行ってきました。2010年の初参加以来4年連続ですw

・大勢の来訪客で賑わう八坂神社(2月2日の撮影)

京都にはいわゆる「風物詩」と言えるようなイベントが幾つかあるんですけど、個人的に節分祭は毎年来たいものの一つなんですよね。節分祭は京都の至るところでやっているのですが、僕は毎年八坂神社のものに参加しています。

・豆まきの前には舞踊奉納が行われる

舞妓さん・芸妓さんらによる舞踊奉納のあと、豆撒きは始まります。去年は収穫ゼロに終わったのですが果たして今年はどうなるのやら...。なんと2年連続で収穫ゼロ。というか今年は確実に陣取る場所を間違えました。舞踊奉納を見ようと思ったら八坂神社の本殿側が一番いいのですが、豆をキャッチするにはあまり向いてない場所だったようですw

・福引付きの「福豆」で今年の運試し(実家にて。撮影は2月3日)

それから八坂神社の節分祭でもう一つ欠かせないのが「福豆」。これは福引券付きの豆(300円)なんですが、一等賞には電化製品や折りたたみ自転車などがあり、ちょっとした運試しが出来ます。去年は見事日本酒を当てたのですが、なんと今年も日本酒を引き当てることができました。(といっても今年はワンカップでしたけど^^;)

・これも毎年定番「笹寿し伍十」の恵方巻き(390円)

その後、錦市場の寿司屋でまた恵方巻きを買ってから京都駅にバックし、そのまま高速バスで松山へと旅立ちました。(因みに恵方巻きは今日のお昼に食べました^^)


~おまけ~


錦市場にある幸福堂っていうお店の半生菓子。これを今回はお土産として買って帰りました。一つ70円でいろんな種類のものが置いているのですが、これがズラッと並んでると宝石みたいで綺麗なんですよ。見ているだけで楽しい気分になれるので、是非皆さんもお土産に買って帰ってみてください。(渋いお茶によく合いますよ^^)そんなところですが本日はこの辺で失礼します。明日のお昼過ぎには京都に戻るので、次回からはまた京都からのお送りです、ジベリ!