2025年6月24日火曜日

再び憂鬱について。

 6月は憂鬱の季節だ。つまり我々物書きにとってはベストシーズンである。しかし憂鬱という字面は何とかならないものか。とりわけ鬱という字の難しさだ。こんな字を書いていたら余計に鬱蒼としてしまう。もう少し簡単な字面に出来なかったのか。


しかし改めて憂鬱とは何だろうか。6月だから憂鬱なのか、憂鬱だから6月なのか。空がどんよりしているから憂鬱なのか。好きな女の子といちゃつけないから憂鬱なのか。そもそも憂鬱について考えるから憂鬱なのかもしれない。かの芥川龍之介は「ただぼんやりとした不安」を理由に自ら命を断ったという。憂鬱もまたぼんやりとしている。憂鬱を抱えながら我々は生きている。みんな偉いしゃないか。生きているだけでみんな偉い。死ぬまで生きる。それはとてつもなく偉いことなんだろう。みんなを、そして自分を褒めてやりたい。