2025年8月25日月曜日

敗戦の日に寄せて(2025)

・昨晩は沖縄料理屋で呑んだ。

数日遅れましたが今年もこの寄稿文を書きます。少しばかり連勤で忙しかったのです。最近は家に帰るとすぐに寝てしまうもので。今年は戦後80年の節目に当たります。

日本のいちばんキショい日

敗戦から80年の節目に当たり、僕は改めて思ったことがある。どうにも日本人というのは一度決まったことを覆すという作業が苦手なのではないか。もっと言えば一度決まったことに反対するのは悪だと思っているのではないか。最近またそんなことを考えるようになったきっかけの一つは万博である。国政政党で万博反対の声を今に至るまで上げているのはれいわ新選組くらいである。今回の万博をめぐっては工事の遅れや不払い金の問題や基準値超えのメタンガスのことなど開幕前から山ほど問題点があり、そして案の定特に開幕直後はトラブルが絶えなかった。しかしながら今回の万博の何が一番の問題かというと、それが半ばカジノの前座のように開催されているということなのだ。実際にその動きは早い。なんと開幕まもない4月14日にはIR建設に向けた工事がはじまることを全国紙が報じている。こんな馬鹿げたことがあるだろうか。というかここまで馬鹿にされてそれでも本質に気付かない多くの人々に心から辟易としてしまう。

思えばオリンピックのときもそうだった。もうどう考えても平常の開催は困難であったにもかかわらず中止の決断をすることはなくイベントは取り行われ、そして終わったあともその総括すらしていない。(しかしながら汚職を巡る裁判自体は今も続いている。)やはりこのときも反対派は冷ややかな目を浴びた。小学校来の親友とも意見が合わず、あれ以来些か距離が出来てしまった。


翻ってあの戦争について考える。どこで道を間違えたのか。リルートの機会はなかったのか。その総括は十分なのか。これらを追求しなければ真の戦後は訪れないし、この国はまた同じ過ちを繰り返すのではないか。改めて言う。「終戦」ではなく「敗戦」だ。我々は策を誤り負けた。その事実から逃げてはいけない。とあるサッカー漫画の名言を引用するなれば、我々に必要なのは敗北と向き合い絶望できる強さなのではないか。戦後はまさに絶望からのスタートだったはずだ。我々はそれを忘れてはいまいか。過ちを繰り返さないためにもう一度敗戦を直視しないか。80年の節目に僕はそんなことを考えている。民主主義とは多数決の全権委任ではない。為政者の軌道修正ができる民意のことである。我々こそが主権者なのだから。


2025.08.25

志士会代表、天王寺センイチ

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・楠公さんの夏祭りに来たよ。

ちなみにこれを書くに当たって色々と試行錯誤している最中、ふと1945年の80年前ていつになるのかと計算してみたのです。1865年は慶応元年、つまりは明治維新前夜ということになるのです。いわゆる薩長幕府て実は80年足らずの命だったのですね。尤も薩長幕府はその後横田幕府と名前を変えて今も続いているのですが、何れにせよ我々は今一度「敗戦」と向き合うべきだと思うのです。前にも言いましたが民主主義ってめんどくさいんですって。でもその手間を省いちゃいけないんです。気がついたら取り返しのつかないことになりかねませんから。些か説教じみた内容ですみません。「先生」と呼ばれる生き物の悪い癖だと思って下さい。それでは本日はこれにて失礼致します。ジベリ!

2025年8月3日日曜日

鬼滅の刃無限城篇第一章

・僕はぎゆしの推しです

やっと観に行けました。なんか特典みたいなのは貰えませんでしたが、そんなもんどうでもいいくらいに感動しましたし最高に楽しめました。2時間半(予告編などを含むと実質3時間)を感じさせないくらいに全集中してましたよw

・遅めの外出

原作だと良くも悪くも端折られてたモブ鬼&モブ隊士たちにも一応の見せ場はあり、特にモブ最強との定評もある村田さんは水の呼吸をちゃんと使ってます。(勿論エフェクトは薄めですがw)

あとは無限城篇影のMVPこと愈史郎君も魅せてくれます。「人に与えないものはいずれ人から何も貰えなくなる」という一言は数ある漫画の名言の中でも屈指の名言だと改めて思いましたね。ちなみにこの台詞には続きがあります。曰く「欲しがるばかりの奴は結局何も持ってないのと同じ。自分では何も生み出せないから」と。炭治郎君ら同期組と切磋琢磨し、柱たちと死線をくぐり抜けてきた善逸は師匠に言われたように一つの型を極めていき、そして新たな型を生み出すまでに至ったのに対して兄弟子は最後まで自分のことだけを考えて生きていた。鬼となり何も遺せず消えていったのは必然だったのでしょう。あそこまで利己的な人間は現実にはあまりいないでしょうが、似たような人は少なからずいますね。反面教師にしたいものです。


しかしながらやはり今作の主役は猗窩座もとい狛治君ですね。その昔僕は猗窩座の声優を中村悠一さんと予想してたんですが、今回の過去篇を観てからは特に石田彰さんがこのキャラに命を与えてくれてよかったなと改めて思ったものです。(ちなみに中村悠一さんという予想は今回の劇場版で思わぬ形で回収されましたw)

・かなフィムの誕生日会でパスタ作った俺家庭的


一足先に映画を観ていたかなフィムからは「絶対泣く」と言われてたのですが案の定中盤からは泣きっぱなしでしたw 猗窩座の死は原作時は寿退社なんて揶揄もされていたようですが、堕姫&鬼いちゃんとともにこのカップルも幸せになって貰いたいものです。(勿論狛治のお父さんと道場の師範も込みで。)

・義勇さん義勇さん義勇さん義勇さん

しかし今回の映画、誰が〇〇億の男と比喩されるのでしょう。善逸人気をストップ高に押し上げたのは間違いなくあの戦闘でしたが猗窩座vs義勇さん&炭治郎ペアの戦闘がメインっちゃあメインだし...。というか改めて義勇さん強すぎるしカッコ良すぎるでしょ。今回の収益を猗窩座の結婚祝いにするのもありっちゃあアリーベデルチですが、義勇さん推しとしては義勇さんを億超えの男にしたい気持ちも山々すぎて富士山なワケで。まぁ少なくともあと2回くらいは映画館行きますよ。そんくらい最高でした。ちな今日はこのあと生配信やります。皆様YouTubeで逢いましょう。ジベリ!

2025年6月24日火曜日

再び憂鬱について。

 6月は憂鬱の季節だ。つまり我々物書きにとってはベストシーズンである。しかし憂鬱という字面は何とかならないものか。とりわけ鬱という字の難しさだ。こんな字を書いていたら余計に鬱蒼としてしまう。もう少し簡単な字面に出来なかったのか。


しかし改めて憂鬱とは何だろうか。6月だから憂鬱なのか、憂鬱だから6月なのか。空がどんよりしているから憂鬱なのか。好きな女の子といちゃつけないから憂鬱なのか。そもそも憂鬱について考えるから憂鬱なのかもしれない。かの芥川龍之介は「ただぼんやりとした不安」を理由に自ら命を断ったという。憂鬱もまたぼんやりとしている。憂鬱を抱えながら我々は生きている。みんな偉いじゃないか。生きているだけでみんな偉い。死ぬまで生きる。それはとてつもなく偉いことなんだろう。みんなを、そして自分を褒めてやりたい。

2025年5月28日水曜日

NAGISAにて

 々の生まれ故郷での時間もあっという間で明日の午後には帰路に着く。以前松山を訪ねたのは10年前。それから本当に色々なことがあったものだ。三津浜のカフェーでヘーゼルナッツラテを飲みながら海を眺める。はしゃいでいる若者たちは高校生かはたまた大学生か。あんな時代が僕にもあったろうか。

渚(海辺ないし浜辺)とは何処となく神秘的な場所である。Spitzの草野さんの言葉を借りるならば渚は海と陸の中間地点だ。或いはあらゆる意味での中間地点とも言うべきか。何せ草野マサムネという人の原点は死生観(死とセックス)なのだから。あの他に類を見ない神秘的な歌詞やメロディもそう思うと妙に腑に落ちる。


思えば僕は随分曖昧な立場にいるものだ。正道と邪道、正気と狂気、優秀とアウトロー。不安定な身分と立場。だがそれでいいしそれがいい。砂浜はいつも不安定、物語はちと不安定。曖昧な世界を、いわば渚の上を僕は今日も歩いていく。次に故郷の土を踏むのは何時だろうか。生きていればまた逢える。しばしの別れだ我が故郷よ。今宵は存分に呑み明かそうぞ。

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あとは浜辺といえば浜辺美波ちゃんを思い出しますね。(←やかましいわw)いや似てるんですって、うちのかなフィムと。んなワケでなんかついつい見ちゃうんです。神様仏様かなフィム様と言わなければならんくらいに頼りっぱなしで頭は一切上がらんのですがあっちの頭は上がりっぱなしというか...←(うん、黙ろっかw)まぁまとめるとみんなのお陰でやれてるぞいということになります。こんな僕ですが、どうか愛想尽かさないでどこまでも付いてきて下さい。それでは皆様ご機嫌よう。ジベリ!

2025年4月29日火曜日

物書きの憂鬱

憂鬱という言葉を知ったのは小学校の高学年だったと記憶している。テレビ番組で「なぜ6月になると憂鬱になるのか」みたいなのをやっていた。6月には祝日がない。やたらと雨が降る。1ヶ月前には大型連休があるし1ヶ月後には夏休みが始まる。谷間のように6月は横たわる。子どもながらに感じていたあの気分を憂鬱と呼ぶと知ったのだ。尤も6月にも楽しいことはあるし雨だからといって悪いことばかりではない。ただあのどんよりとした空の色と祝日がないというそれだけのマイナス要素が何故だが心を曇らせるのだろう。

・須磨山頂遊園のブレンドコーヒー(500円也)

などと回想しながら僕はこの原稿を4月末に書いている。目の前にはスカイブルーにきらめく世界と須磨の海岸が見える。祝日とあってか店内は子どもたちでいっぱいだ。よしんば自分が親であればあのくらいの子どもがうちにもいたのだろうか。いやはや全く想像がつかない。

・新開地にて。

物書きとは憂鬱な生き物である。おそらくグルメライターであれ風俗ライターであれそうだろうと思う。(まぁ知ったことではないが...)そもそも我々は実に不安定なのだ。何より言葉と向き合うということ自体が酷な作業なのだ。だがしかし面白くもある。だからこそ僕は結局物書きを続けているに違いない。子どもたちよ、物書きなんざやるもんじゃない。うんと自分をすり減らしたいのであれば話は別だが。

2025.04.29 天王寺センイチ

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物書きなんて辞めてしまいたい気持ちは山々すぎてヒマラヤなのですが、どっこいこんなおもろいことも無いんです。YouTuber(というか配信者なのか?)も勿論ですが僕はやはり物書きもやりたいのです。人生は総合点。これからも多角的に挑みますよ。そんなこんなですが本日はこれにて失敬。ジベリ!



2025年3月11日火曜日

薙ぎ払え杉の木の丘を涙の日々に終止符を

 

・久々の立ち飲み毘

久々に仕事を休みました。多分1年半ぶりくらいの話です。ぶっちゃけかなフィム不在なら出来ない芸当です。マジで頭上がりませんw


ちなみにタイトルは打首獄門同好会の楽曲からの抜粋です。だいたい花粉のせいです。しかも今日は気圧に起因する偏頭痛と謎の耳鳴りのトリプルパンチですからもうポツダム宣言状態ですよ...

・マークドなーるほど♪

とりあえず僕はもう少し自習してから帰ります。まだ明日は仕事ですし木曜には行きたいところもありますし...。夜にはまた生配信やる予定ですしまた皆さま遊びに来て下さいまし。ジベリ!

2024年12月31日火曜日

どんなスピードで追いかけたらまた君に巡り会えるだろう

・ソバヤソバーヤ

大晦日の買い物を終えて帰ってきました。ついでに藪そばにも寄りました。昨日も言ったように今年の大晦日はこのあとたまにYouTubeにも話題として出てくるお姉様と過ごしますw

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ちなみにタイトルはOmoinotakeっていうバンドの幾億光年からの抜粋です。なんだかんだまだどこかで家出中のアシスタントを思ってるんですかね僕も。


・で、あるか。

 ちなみにSpotifyはこんなランキングになりました。後半から聴き出した柴田聡子さんはランク外でしたか...

・コンポタ味好きやったな、あいつ。

未だにアシスタントが突如として出ていったこととかまだ完全に乗り切れてはない気もするのですが、一方でYouTubeはちょっと軌道に乗り出していたり支援してくれる人も少しずつ増えたりといい兆しもあります。



政治の世界もれいわ新選組が勢力を拡大したりトランプ大統領が再選したりと事態は確実にいい方向に向かってます。殊更戦いを続けるしかありませんね。相変わらず開店休業みたいなWEB新聞もといブログですが、来年はもう少し物書きもやりますのでご愛読頂けると幸いです。それでは2024年もありがとうございました。ジベリ!