2009年7月20日月曜日

今更ながらのイラク戦争批判(Pt.1)

学校でレポートを書いていたので、今更ながらこんな企画を考えてみました。全体的に古い話題ですが、まぁ読んでやって下さい。意外に誤解が多いんですよね,イラク戦争って...。

まず始めに2008年4月17日の名古屋高裁で、一つの判決が下されたのをご存知でしょうか?

いわゆる一連の「イラク派兵差し止め訴訟」の一つであるこの裁判で、国は敗訴,イラク派兵に「一部違憲」との判決が下されたのでした。これは画期的にして偉大なる躍進であると云えましょう。



イラクで自衛隊は何をしているのか?そもそもイラク戦争とは何なのか?或いは集団的自衛権とは何か?そしてなぜ‘違憲’とされたのか…?こうしたレトリックな幾つかのテーマを軸に、今回の連載は進めていきたいと思います。


<其の一:イラク戦争とは何か?>

イラク戦争がはじまったのは今からもう6年も前の2003年のことになります。僕はまだ中学生でしたが、突然のニュースに唖然としていたのをつい昨日のことのように思い出します。

9.11以降,「テロとの戦い」を掲げ、その独善的な姿勢をさらに強めたアメリカ政府は、大量破壊兵器所持の疑いなどを理由に、‘成敗’を大義名分にしてイラクへと侵攻しました。当初よりこの行動には大きな疑問が持たれており、アメリカの真の狙いが石油であることは、多くの人の目から見ても明白でした。このアメリカの英雄的行動に、日本政府は当初より賛成の意を示していました。フランスをはじめとする世界の国々の大半が「反対」の意を示していた中でのことですから、これは評価に値するといっていいでしょう。

加えて言うと、結果論としてもこの戦争はイラク市民にとってマイナスとなりました。そもそも、サダム・フセインは、単に非道な独裁者ではなかったのです。たしかにクルド人をはじめとする多くの罪のない人間の命を奪ったのは事実です。しかしその一方で、地下資源による利益を国民に福祉や教育,医療などの充実といった形で還元しており、かつてのイラクは中東でも指折りの「恵まれた国家」として君臨していたのです。   
 
また,「名誉の殺人」と呼ばれる野蛮な風習を批判するなど、イスラーム圏において死活問題でもある‘世俗化’にも大きく貢献しています。いわばフセインは「上からの改革」を実施した国家の功労者でもあるのです。

ひょっとするとブッシュの方が暗君であり、暴君と言えるかもしれませんね...。
罪も無い他国の人間を殺し、それに事足らず、自国の人間の命や生活までをも蝕んでいるのですから...。靴投げられて当然ですよ,ハイ。

次回は集団的自衛権について,そして具体的に何が憲法違反とされたのか?そもそも自衛隊はイラクで何をしているのか?という3点について話したく思います。

では今日はこれにて,ジベリ!

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