2009年7月5日日曜日

七月王政と自民党

皆さんは1830年のフランス七月革命をご存知でしょうか?世界史を高校で勉強されていた方は、顔と名前くらいはご存知のことでしょう。この革命によって王であるシャルル10世は退位,仏ブルボン朝は終焉を迎え、国民王’ルイ・フィリップを擁立する七月王政なるものが確立された。市民から人気のあった王フィリップは、当初,庶民寄りな姿勢を見せたのだが、その後は彼を擁立していた上層ブルジョワジーに流されるままとなり、1840年以降は首相であるギゾーとともに共和派の諸改革に反対し、反動政治を推し進めた。そして‘47年に反政府派による改革派の会合である改革宴会を禁止したことで、ついに民衆の不満は頂点に達し、結局翌年の2月革命で同体制は終焉を迎えることとなる。(余談だが、この革命によって建てられた第二共和政は、財政上の困難や、熾烈な権力闘争,右派と左派の対立などの事情により実質1年も持たずして終焉を迎え、ルイ・ナポレオンの治世へと移ってゆくこととなる。)


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なぜ今、この話をするかというと、最近の自民党の動きがこれに似ているからだ。すなわち東国原宮崎県知事の擁立計画だ。なるほど市民から人気のあるあの人を‘トップ’に立てれば、もしかすると低迷する自民党への支持を回復させられるかもしれない,とまぁ自民党にとって彼はいわば‘利用できる存在’なのだ。あとの無い自民党は‘見え透いた人気取り戦略’という、冷静な目を以て判断すれば自殺行為に他ならない手段に打って出たのである。これぞ末期症状というものなのだろうか?こうなってくるとプライドも方向性もあったものではない...。(麻生さんには若干,同情する。)

    もう終わりだ,さらば愚民党。

良かれ悪かれ、民主党への政権交代は、最早,確実なものだ。霞ヶ関という、自民党の最大の‘おともだち’とも言えるところにメスを入れようとしている民主党,互いに旨い汁を吸い合ってきた自民党と官僚たちは今,内心ガクブルなのではないだろうか?だからなんとか‘与党’の座を守るためにも、同じく中央省庁を快く思ってはいない‘庶民の人気者’を自らの陣営に招き入れ、一定の譲歩をしながらも徐々に取り込んでゆく...といった方が有利だ,とでも思っているのだろう。(あくまで憶測だが...)

東国原知事のこれまでの功績には、評価すべき点も多々ある。国政に進出したい気概も分らないでもない。ただし、今はまだ飛び立つべきではない。宮崎でやることは他にもある筈だ。任期を終えてからでも遅くない。そしてその時は、自身で政党を起こしてみてはいかがだろうか?本気で‘国を変える’のならば、少なくともそのスタートは‘真っ白’であるべきだ。既存の団体・組織の力を借りねばならぬようでは、ハシゴを外される心配から、思い切ったことができず、しまいには先のルイ・フィリップのように、完全なマリオネットに成り下がってしまい、支持者を絶望させるのが慣れの果てというものだろう。

前の記事で散々民主党の批判をしてきたし、今でも僕は民主党に票を投じるつもりはない。そもそも何度も言うように自民党も民主党も似た者同士なのだ。‘違い’がよく分らない。繰り返しにはなるが、先の代表選などかつての派閥政治時代の自民党まるでそのものであり、その体質もまた到底信用するに足りるものではない。「政治とカネ」の問題においてもまた然り,だ。要するに民主党にとっての勝負はこれからだ。政権を取った後からが本当の闘いだ。掲げていた政策の実践は元より、自民党との方向性の違いを明確にし、党内の体質改善に着手できるかどうか,ここに全てが懸っている、といっても過言ではないだろう。

何にせよ、この記事で言いたいことは次の3つだ。まず第一に、末期症状丸出しの自民党への弔い,そして東国原知事への牽制球,最後に民主党への現時点での批評だ。加えるならば、有権者たちへの呼びかけを含んでいる。大事ではない選挙は無いが、次の衆院選はこれからの日本のターニングポイントにもなり得る極めて重要なものなのだ。繰り返しにはなるが、慎重な判断を,そして何より投票に行くことを、皆に強く求めたい。七月王政の件は、若干の誇大解釈があるかもしれないが、概してそういうことだと僕は理解している。難しい話になってしまったが、今日はこれにて失礼する,ジベリ!

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