2011年1月29日土曜日

新春連載!理想とする社会とは何か?①

連載やるって言った手前、こないだは軍鶏鍋作って食べたっていうワケの分からない「自炊アピール」で飛んじゃってたんですが、今回から2回に分けて例の連載をしたいと思います。今回書くのは、僕が理想とする社会について。そして次回はそのための方法ですね。ちょっと内容的に抽象的になってしまうところもありますが、最後まで読んで貰えると嬉しいです。

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①僕が理想とする「社会」

「どんな国に住みたい?」そう考えるのが政治を考える根本だと僕は思うんです。そして,どんな国がいいかというイメージが固まったら次はそれを実現するにはどうしたらいいか考える...。政治って実はこんなに簡単だったんです。これまでは自分の理想に一番近い政治家ないし政党に選挙の時、投票してオシマイだったんですが、昨今はその実現手段にも変化が出てきました。NGOないしNPOの登場です。僕ら一般市民も直接,地域や社会の問題解決のアクターになり得るようになったのです。
 
※1ポイントStudy:NGO&NPO
最近益々,その力に注目が集まっているNGOやNPO。俗に‘新しい公共’などと称されるこの「新しい力」についてのお話です。NGOとは言うまでもなく非政府組織の略称であり、一方,NPOとは非営利組織の略称。この2つは似たようなものではあるんですが、NGOが主に国際協力に特化しているのに対してNPOはもっと身近な国内の問題に主に取り組んでいる...という点で異なります。


僕が理想とする社会を考えたとき、一番に思いついたのは没頭できる仕事がある,ということでした。(お金はまともに生活出来るだけあればいいいかな?とw)仕事の打ち上げには仲間全員で酒を酌み交わして朝まで騒いで、休日は家族と旅行に出掛けて...。そんな「普通の日常」が送れる...ということが得てして一番幸せなんじゃないかと僕は思うんです。でも、たとえ僕がそういう生活を享受していても隣で人が餓死していたり、仕事仲間がカルト教団から勧誘され、恐喝されていたりしたとすればそれをホッタラカシにしていて果たしてそれは「幸福」と言えますか?困っている隣人を助けられること,つまりは助け合えることもまた幸せの絶対条件だと僕は言っているのです。 

・諸悪の根源はコイツだったりする(画像はリチャード・コシミズ氏のHPより)

しかし、今,この国は、それが実現できないような状況にあります。それが顕著になったのが、いわゆる「構造改革」以降です。構造改革とは何だったんでしょうか?民主党政権になっても、結局,そこに関する議論は希薄です。

※1ポイントStudy:構造改革
小泉純一郎の下で進められた新自由主義的改革の通称。いわゆる「ワンフレーズ・ポリティクス」の先がけであり、国民の多くはその内容を理解していなかった。‘痛みを伴う改革’と言ってはいたが、その打撃は社会的弱者に容赦なく降りかかる。社会保障や教育などへの投資が容赦なく削られた。その一例として、母子加算,老齢加算の廃止や生活保護基準の引き下げ、大学への補助金削減などがある。

行き過ぎた規制緩和によって大企業の横暴が許され、人件費は削られて雇用者の生活は困窮。金持ちは益々金持ちになったかもしれませんが、貧乏人は貧乏になる一方ではないですか?しかもその間に国民の資産(郵政株やかんぽの宿などの施設)が外資に明け渡され、国益は損なわれる...。それがこの10年に起こったことです。こういう社会の在り方を変えねばならないと僕は言ってるんです。では,どうするのか?それを次回は観ていきたいと思います。

今日はこの辺で失礼します,ジベリ!

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