2011年1月31日月曜日

理想とする社会とは何か?(後編)

1日空いちゃいましたが早速続きを...。因みに期末テストは明日で終わり,そっから向こうは大学院の入試勉強を頑張ります♪

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②社会構造をChange!

前回言ってきたように、少なくとも現在の我が国の社会状況は、国民の一人ひとりが「普通の幸せ」を追求出来るものではないんです。例えば‘仕事’を例にとって考えてみましょう。企業はただでさえ‘笊の目の法’と称される労働基準法すら遵守しておらず、その結果として日本の労働者というのは正規・非正規の分別無く概して冷遇されています。こうした状況下では働く側のやる気が削がれても仕方ありませんし、労働時間をいたずらに増やすことは過労に繋がるばかりでなく、家族との時間を奪ってしまうことに繋がりかねません。教育の現場も然りです。教師に碌な裁量権も与えず、その癖,学力低下の責任を教育現場に押し付ける...。これでは教師が疲弊するだけで何の意味もありません。


1、働くということに「幸せ」が感じられる社会
もし仕事をすることに幸せが感じられるような世の中になれば、僕はニートなんて殆ど居なくなると思うんですね。たしかに「働く」ということは、楽しいばかりのことではありません。誰だってお金を使う(≒遊ぶ)方が面白いに決まってます。

でも、働くことには全く‘喜び’がないのでしょうか?僕は多分,違うと思うんですよ。大学に来てから始めてバイトして給料もらったワケなんですけど、やっぱりその時って凄い嬉しかったんですね。あと,何っていうか「お金の重み」みたいなのも分ったりして...。僕は前に家庭教師をしてたんですが、教え子の成績が上がった時って自分のこと以上に嬉しかったんですよね。(←事実,本人以上に喜んでいたというw)人のために,或いは社会のために何かをするっていうことは実際それだけでやりがいのあることなんですよ。もしも会社が雇用者をもっと大切にするようになったら、そういう「働く楽しさ」みたいなのがもっと実感できるようになると思うんです。

それにしても労働者を守るということは家族を守ることであり、それは即ち国家を守ることでもあるということを政府が理解していないのは悲しいことです。企業の大小を問わずして安心して仕事に打ち込めるような環境に恵まれれば、誰もが仕事に熱心に取り組めることとなり、社会全体にとっても大きな利益になるんですけどね...。


2、「学ぶ楽しさ」のある教育
教育現場に全く競争が必要無いとは僕は思ってません。しかし「成績」だけに拘った教育をしていると結局のところ‘目標の青天井化’を招きかねないんです。それにテストを中心にした教育というのは効率的ではあるのですが、一方で授業がテストありきのものになりがちであり、結局のところ実用的ではない‘暗記中心の勉強’になってしまう可能性を持ち合わせているのです。PISA(OECDの実施している学力テスト)で日本が好成績が上げあれないのはそういう所以なのですね。

一方,僕が卒業論文でも取り上げたフィンランドではどうしているのかというと、全国的な学力テストは実施されていません。教育のイニシアチブが教育現場と地方自治体に譲渡されており、国は‘協力’の範囲でのみ携わることとなっています。評価方法ないし評価基準など一部が定められる以外は教師の自由裁量とされており、それゆえ現場の先生たちは各々で模索し、授業を作り上げていく...という手順が確立されているのです。教師が個性を生かせるからこそ、教わる側の生徒もいきいきと出来るのではないでしょうか?


3、政治家は毅然とすべし
次にこれがあります。‘国民の代表’たる政治家が毅然としていなければ、それは国家の存亡に関わります。例えば北方領土が還ってこないのは何故でしょう。日本がロシアに対してその要求をしてこなかったからではないのでしょうか?昨年の尖閣での一件とて、毅然とした対処をしていればその後の混乱も無かったんですよ。 そして民主党になってからも度々取り沙汰される「政治とカネ」の問題。もういい加減にしてほしいところなんですが、そうも行きそうにないのが悲しいところです。いわゆる‘政治の透明度’を高めなくてはこれはまた民主主義の腐敗を招きかねません。


4、これからの国際協力
前回,「助け合えることも幸せの絶対条件」と言いましたが、それは何も人と人との関係だけではありません。たとえ日本が‘幸せな国’になったとしても、隣に強権的な政府の下で国民が苦しんでいるような国があれば、弾圧されている少数民族があったとすれば、或いは環境破壊で国家存亡の危機に立たされている国があったとしたら、それを放っておいて旨い飯は食えないというものです。困っている人を助けるが如く、困っている国を助けるのもまた「幸せな社会」の確立のための絶対条件なのです。

そしてこれからの国際協力を考える上で留意しなくてはいけないのは、日本の‘長所’を生かすということです。そこで必要になるのが日本帝国時代におけるアジア政策の考察です。そこに「植民地支配」があったのは間違いありませんし、侵略戦争を仕掛けた歴史があるというのもまた否定出来ないものです。(そこを否定するような発言をするのは、少なくとも良識のない人物であろうと思います。)

ただ,一方で「いいところ」も沢山ありました。その証拠に台湾では今でも八田與一児玉源太郎を讃える人は少なくありません。インドネシア独立に際して尽力した日本人が居たというのも有名です。だから、これからはそういう‘日本のいいところ’を、次は本当に一つの友好国として生かしていくような国際協力の形を考え、とりわけアジアではそのイニシアチブを執って環境保全や民主化の推進に尽力すれば、もっと世界が日本という国を好きになってくれると僕は確信しているのです。(日本がそういう姿勢を見せていけば自主防衛路線確立に対しても、他国からの支持を得られるでしょうし...。)


ーあとがきー

僕が政治家になってからやりたいことを簡単に言うと次に挙げる3つなんです。まず第一に国民一人一人が日本国民であることに誇りを持てる国家を作ること。次に仲間はずれを作らない「共生社会」を確立すること。そして国民一人一人が主体的に社会の向上を考え、行動できる世の中にする...という言ってしまえば‘それだけのこと’なんです。そのために何をするのか?ということについては、実際,僕もまだよくは分って無かったりするんですがその辺はこれから勉強して、或いは色々な人と意見交換をすることで考えていきたいと思う次第です。皆さんも何かありましたらご提案下さい^^

というワケで今年最初の連載はこれにてお開きです,ジベリ!

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