2009年6月17日水曜日

傘の話し

先週の水曜のことだ。五限目の授業が終わり、さて家路に着こうと思った矢先のことだった。教室の脇にある傘立てから、僕の赤い傘が無くなっていた。昨年の11月にも同じような形で傘をなくしている。その傘がとても気に入っていたので、同じやつを探そうと半年探し、ようやく見つけた傘をだ。悔しいやら腹立たしいやら...である。

雨も降っていたし、恐らく誰かが持って帰ったのだろう。気持ちは分らないでもないが、それでも人のものを勝手に持ち出す行為は理解に苦しむ。なぜ一言,声をかけてくれなかったのだろうか?もし「傘がないので貸してくれ」と言われたら、僕は家も近いのだし、快く貸しただろう。

僕はもう2年も反体制に身を置いている人間だ。しかし,僕は人の道に外れたことをした覚えはないし、それが誇りでもある。盗んだ傘では雨の下は歩けても、お天道様の下は堂々と歩けないというものだ。罪により痛みから免れるくらいなら、仁義を突き通して痛みを背負う,それが自らのあるべき姿だと思っている。「革命家」を語る以上,いやいや、それは人として当然と云うべきことだろう。

何にせよ、無断で傘を持ち帰った彼(或いは彼女)を僕は心配している。何の気なしに罪を犯し、それがだれに裁かれるでもなく、償う機会すら与えられないその人のことを...。

今日はこんな感じで,ジベリ!

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