2010年10月10日日曜日

国士・中川昭一さんを偲ぶ...

・在りし日の中川昭一さん(やっぱダンディー。そこにシビれる、あこがれるゥ!)

今から一年前の10月3日,反米保守の要であり、日本の保守再生のキーパーソンになったであろう中川昭一さんが突然,亡くなりました。僕はそのニュースを聞いて本当に衝撃を受けました。そして,売国奴の(中川)秀直が死ねばよかったのに...と、不謹慎ながら考えたものです。

・去年春の予算委員会休憩時間,亀井さんや麻生元首相と談笑に耽る昭一さん
(これがその時のVTR:http://www.youtube.com/watch?v=f9F_byDDESk

もう書くまででも無いことかもしれませんが、ここで改めて中川昭一さんの数々の功績を羅列したいと思います。好きだった人はこれを読んで思い出してあげて下さい。そして,あの酩酊会見しか知らない方には、これを読んで知って貰いたく思います。



~国士列伝:中川昭一編~
         ・「日本を守りたい。」,彼の想いはいつもそこにあった...。


1、小渕内閣(当時、農林水産大臣)のとき、ポジティブリスト(法規制のうち「原則としてすべて禁止とするが、認可するものだけを一覧表とする」というもの)を導入し、中国等から無差別に輸入される毒菜に一定の歯止めをかける。

2、財務大臣として金融援助をIMFに一本化し、韓国やアイスランドなどから申し込まれた二国間融資は全て断った。(2009年のいわゆる「酩酊会見」時のサミットでのこと。因みに同サミットで昭一さんは「今回のサミットにおける最大の貢献者」と、IMFの事務理事であるストロカーン氏に賞賛された。日本のマスコミはこういう部分は全く報道しなかった。辛坊治郎に至っては関西ローカルの政治系番組にて「自殺しろ」とまでほざく始末であった。)

3、政調会長として自民党内の人権擁護法案推進派の意見を断固として撥ねつけていた。(当然,外国人参政権にも反対していた。)

4、東トルキスタン問題など、中国における人権問題についても熱心に取り組んでおり、昨年の記事で紹介した「世界ウイグル会議」議長のラビア・カーディル氏とも対談している。

5、チベット問題については「隣人の問題であると同時に自分自身の問題として忘れてはならない」と、牽制した上で、北京オリンピック開催に反対する意を唱えた。

6、拉致問題に早くから取り組んできた政治家の一人であり、拉致議連の会長も務めた。(そのため、拉致被害者の家族会からの信頼は高く、その死に際しては、哀悼の意が示された。)

7、経済産業大臣の時、親中派の二階俊博が打ち出した「東アジアEPA(経済連携協定)」構想に異議を唱えた。

8、毎年,靖国神社に参拝することも欠かさなかった。

9、太平洋戦争中のアメリカによる広島・長崎への原爆投下を「米国が世界ナンバーワンの軍事力を持つための実験」と位置付け、「我々は実験台にされた」と非難した。(アメポチが多い自民党の中で、中川氏はこうして真っ向からアメリカを非難できる数少ない人物だった。)
10、日教組に対し「日教組の一部活動家は(教育基本法改正反対の)デモで騒音をまき散らしている」「(デモという)下品なやり方では生徒たちに先生と呼ばれる資格はない。免許剥奪だ」と、その活動を強く批判している。

11、官憲(役人、特に警察関係)による慰安婦募集の強制性を認めた1993年の、いわゆる「河野談話」について早期に見直しを検討すべきだとの考えを示した。

12、中国の脅威に対抗するために、インドやオーストラリアとの連携を促進するための議員連盟「価値観外交を推進する議員の会」の旗揚げに貢献した。

13、勉強熱心で有名な政治家でもあり、官僚にとっては渡した原稿をそのまま読んでくれない扱いにくい大臣だったとのこと。(余談だが、こういう形で官僚に疎まれる政治家というのは、大抵,国民にとってはいい政治家である。)

・葬儀で彼の死を悲しむ亀井さん(なんか胸が痛む一枚です...。)


14、郵政民営化には賛成ながらも、反対派には半ば同情的だった。(亀井静香さんや平沼赳夫さんとは親密であり、亀井さんとは師弟関係,平沼さんとは兄弟分のような関係にあった。盟友の麻生さんと同じく、彼も消極的賛成派であったと考えてもよい。)

15、政界きっての親台派として知られている。農水大臣再登板の際には、中華民国総統であった李登輝から祝意が寄せられている。(その後の辞任についても、台湾メディアは同情的であった。)

16、2007年に保守派の議員で集まる勉強会「真・保守政策研究会」(現:創生「日本」)を設立するにあたってのまとめ役となった。

17、日本の農業を守るべく民主党が推進を考えている「日米FTA」に反対

2009年8月30日の総選挙での落選後も、中川さんはリベンジを誓い積極的に動いていました。ただ「日本が危ないから」と...。たしかに酒癖の悪い人物でしたし、献金疑惑などもあり、決して聖人君主とは言えない人物だったかもしれません。しかし,少なくとも彼の意志は常に「この国を守りたい」という切なる想いの下にあったのです。今,尖閣問題でこの国は揺れ動いていますが、きっと彼ならば毅然とした態度で中国に立ち向かったでしょう。そうした意味でも彼の死は、自民党だけでなく日本にとって大きな損失だったと云えるでしょう(T_T)4949...


~政治家とは何か?ともう一度考える~
色々定義する人はいますが、僕は政治家というものは3つのものを守る人のことだと思うんです。一つは勿論,国民の命、次に国益,そして最後に国の尊厳。逆に言えばそれを守れない人間は国政に携わってはいけないと思うんですよ。先述したように中川さんはたしかに完全無欠な人間なんかじゃありませんでした。しかし,あの人は少なくとも先に挙げた3つを守っていた人だと思うんです。

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悲しいことに、そういう政治家が一人,居なくなったということは事実です。しかし,中川先生に安心して貰うためにも僕たちはこの国を守るべく行動しなければ、それこそ彼が浮かばれない...というものです。意思を受け継ぐ人がいれば、きっと大丈夫でしょう。

そして最後に今一度...ではありますが、ご冥福をお祈りしたところで今日は終わりにしたく思います,ジベリ!

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