2013年8月15日木曜日

バカデミズム宣言

敗戦日という屈辱の日でもある本日8月15日、僕は志士会の頭目として1つの宣言を発表したいと思う次第です。それこそが今日のタイトルでもある

バカデミズム宣言

これは権威主義の権化と化したアカデミズム、そしてその内包するところである試験エリートによる官僚支配への宣戦布告であり、真実を追求し真理を追い求めるジャーナリズムの復権を目指すものであります。であるならばなぜジャーナリズム宣言ではないのか?その答えはただ1つ。我が国におけるマスコミは殆どのところ形骸化し、すっかりアカデミズムの含有する権威主義の権化と化しているからに他なりません。それらが力を持ったところで何になるというのでしょう?何の意味もなさないのです。

・バカデミズムとはルネッサンスである
では僕は教養主義や知識人を否定したいのかと言えば、勿論そうではありません。それではまるでポルポトではないですかw 寧ろそれらを復興させるのが「バカデミズム」だと僕は言いたいのです。誰々が言っているからこうだとか、前例がないからやらないとか、政府が発表していないから事実ではないだとか、そういう腑抜けた風潮をぶっ壊すためにこそ立ち上がる必要があると僕は言っているのです。言うなればそれは論理性や合理性の追求であり、本来の意味でのエリートの復権を目指すものなのです。



14世紀のヨーロッパでは技術革新やイスラーム文化の流入により、ルネサンス(文芸復興)が起きました。それは一方では教会権力からの解放という意味合いを持っていたと言えるでしょう。つまりある種の権威からの脱出、そしてそれに伴う真理の追求が成されたわけです。であるならば、今こそそれをもう一度やってやろうということです。アカデミズムという権威と対抗し、本来この国が持っていた土壌(自然との共生、和の精神など)を活かしつつ、真理を追究しようということなのです。

・アカデミズムは最大の敵であるとともに、良きパートナーである
アカデミズムとは権威主義という側面においては敵に他なりませんが、その他の面においてはどうでしょう?先程も言ったように、僕は教養主義や知識人を否定していうのではありません。何よりアカデミズムの作り上げてきた莫大な‘知の蓄積’はまさに人類の宝です。僕らとて、それを利用しなければ真理の追究は成し得ないのです。言うなればアカデミズムとバカデミズムは好敵手ということかもしれません。



いつぞやに言ったかもしれないのですが、志士会が目指すのは真のエリートなのです。エリートは何も高学歴を指すものではありません。第一義的には‘心意気’なんです。知を以て社会に貢献する、志士会的に言うと日本という国に貢献するという強い意志が何よりも大切なのです。知識や教養はその後から付いてくればそれでいいんです。とかく、そういう思いで僕はこの活動を続けたいと思っていますので賛同してくれる方は是非ともうちに来てください。僕はそういう人たちに、ただ酒を酌み交わす仲間として居てほしいのです。暫定的にリーダーなんぞをやっている自分でありますが、もしも不甲斐ないことをやっていたら遠慮は要らないので引きずり下ろしてください。無能な大将を斬るのは罪ではありません。それに僕は何もリーダーをやりたくてここでの活動をしているのではありませんので。あくまで尽忠報国の志のために、そしてバカデミズム(合理性と論理性、そして真理・真実の追求)の精神のもとに活動したいがためにやっているに過ぎませんから...。

今日はこのあと下鴨納涼古本まつりに行くのですが、その後もう1本記事を上げようと思っているので、しばしの間失礼します。

0 件のコメント: