2016年10月20日木曜日

【週刊コラム】一滴の朝露、映るセカイ【新連載】

ということで今日から件の週刊コラムの連載を始めます。何を最初の話題にするかは散々悩んだところではあったのですが、よく考えたら「タイトルの説明してないじゃん」てことに気付いたので、ずぼり第一回目のテーマはこちらです。


~タイトルについて~
大学院に入ったばかりの頃、2人居た基礎演習の先生のうちの1人に都市計画を専門とする矢作弘さんという教授さんが居ました。まぁこの先生の語録だけで打線が組めそうな、何というかちょっとユーモアのある教授さんなのです。(そう言えばヤハギンとか矢作っちなんて愛称も付いていたような気がしますw)

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まぁ2年時に僕がこの先生の授業にふとした理由から出れなくなってしまい、その後別段何がったでもないもののどこか疎遠になってしまったのが悔やまれるところなのですがね...。実はこの先生、ちょっと経歴も特殊なんですよね。なんと元々の職業は新聞記者なのです。この人の性格もスタンスも何となく知っているので何故その新聞社なのかは常々疑問には思っていたのですが、まぁなにか機会があればそこに関しては聞いておきたいと思います。とかくそういう異色の教授さんであるということを言いたかったのです。

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その矢作先生がよく言っていたのが「一滴の朝露にも世界が映し出される」ということなんです。有り体に言うと小さな事象からも大きな出来事の片鱗が伺える...ということなんですが、これってホントに学問の基礎なんですよね。であると同時にこのスタンスって地方紙の記者の考え方と類似しているのです。だから僕はしばしば面接でも先生のこの言葉を引用していました。




このスタンスを「木を見て森を見ずの典型」と切り捨てたがる人もいると思います。成程言わばこれはミクロの視点なワケですね。そしてそれを批判する人はきっとマクロ視点でモノを見るべきだと言うのでしょう。だけど、どちらが正しいかじゃないんです。だってどっちの視点も必要ですから。勿論一番いいのは双方をバランス良くやることです。だけど、取っ掛りでいきなり全体を見ようとすると、何一つ頭に入ってこないのが関の山。だから先ずは1つ1つに視点を当てていくのが望ましいでしょう。では一体どの木に焦点を当てるか。これが研究者や記者の手腕やセンスの問われるところなのでもあります。




まぁ大概はすぐにいい木を見つけられはしません。だけど何本も木を見ているうちに、どの木を詳しく見るべきかが分かってくる。そういう気長な世界なのですね。そうした意味で先日ノーベル医学・生理学賞を受賞した大隅良典さんの受賞後の会見でのコメントは非常に有意義でしたね。大隈さんは「“役に立つ”という言葉が社会をダメにしている」と言いました。要するに、学問を成果・応用ありきで見ようとしている昨今の風潮を嘆いているんですね。その昔、とある科学者が自分の発明が何に役立つのかと聞かれたときに「生まれたての赤ん坊が何の役に立ちましょうか?」と返したという逸話がありますが、そもそも科学に限らず学問とは往々にしてそういうものなのです。

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矢作先生はそういえば「分かるってのはね、分からないってことなんだよ」なんてことも言ってました。要するに1つのことが分かってもそれでゴールにしてはいけないんだということです。1つ分かったら、それによって3つくらい分からないことが出てくる。それでこその学問だということでしょう。このコラムや週末スタートの週刊ニュースを通して、或いはその他の記事を通してでもいいのですが、僕はなるべく多くの木を見ていきたいと思うのです。そして様々な理解を皆さんと共有し、そして不理解も共有する。要するに一緒に考えていきましょうということです。そういう気持ちで今後も記事を書いていきたいと思いますので何卒お付き合いください...という挨拶を以て、第一回のコラムを締めくくりたいと思います。

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