2016年10月29日土曜日

水になってずっと流れるよ 行き着いたその場所が最期だとしても

・作者...のシルエットw

・幽霊船は気の向くままに霧深い海を旅する...

・これはシーパル須磨の展望階からの撮影

ということで今日は先日の須磨旅行について書いていきたいと思います。といっても今日は水族館に行く前までのことしか書きませんけど...。砂浜で何をするでもなく時間を過ごしていたときのことだけで結構なボリュームになりそうなんですよw


ちなみにタイトルはSpitzの名曲「渚」の歌詞からの抜粋です。草野さんが武蔵野美術大学在学時に、生物学を教えていた国井喜章さんから「渚は陸海空のどれでもなく、しかしその全てが関係しているエリア」と聞いたことをヒントとして作った曲だそうで、とどのつまりこの曲で渚というのは何かしら神秘的な要素を持っているものとして捉えられているのですね。


たしかいつぞやの記事で草野さんが作る曲のテーマはすべてが死とセックスに集約される...という話をしたと思うのですが、それはこの曲にも言えること。タイトルの歌詞の部分には草野さんの死生観が垣間見えます。ただ自然の思し召すままに...というそれは夏目漱石の則天去私にも通じる部分があると思います。

・どこから流れ着いたのだろう、そして僕らはどこに流れ着くのだろう...

しかしながら渚という場所は、成程何かしらスピリチュアルなものを感じる場所です。そこでは陸と海が混ざり合い、そして死と生が混在する。続いていく命があれば、その傍らには生命を終えたモノの残骸が流れ着くワケですからね。とりわけ須磨の砂浜は貝殻が砕けたような砂でいっぱいなんですけど、これだってかつての「生」の証でありその残骸とも捉えられますしね。

・砂浜にて(佇む彼女)

僕はあんまり夏の海って行かないんですよね。だって色々と煩わしいじゃないですか。特に須磨はそれこそ関西中の愚民賑やかな人たちゴキブリ共が集まりますし、騒がしくて風情もヘッタクレも無くなるじゃないですか。僕そういうのがあまり得意じゃないんでね。この辺の感覚は彼女の方も同じようで、その意味でも相性がいいのかもしれませんw

・朝の須磨海岸(ホテルの部屋からの撮影)

前に須磨に来たのは今年2月のことだったのですが、そのときも砂浜で何をするでもなく1~2時間過ごしてましたっけか。それは今回も同様で、実にお昼前までの2時間を僕らはここで過ごしていたのですね。

・これもホテルの展望室からの撮影

あ、ちなみにその前の日は何をしていたのかというと...何もしてませんw ノンビリしすぎていて結果的に鳥光にすら行けない始末だったのですね。まぁそれでも今回も2回展望風呂には行きましたし、なんだかんだ楽しんで入るんですけど・・・。

・また歩道橋に上ってみる...

夜の須磨はホントに人が居ません。そういう場所柄なので、店も比較的早くに閉まったりします。海浜公園駅の近くにマックスバリューがあるんですけど、そこも22時を前にして閉店ですからねw ついでに言っておくと鳥光のラストオーダーは21時半。飲み屋にしてはやや早めですね。

・晩酌的なw

ちなみに部屋ではこんな感じで過ごしてました。まぁ風風のたこ焼きは今回も買ったのですね。まぁこんな感じで夜は明けていったのですね。ちなみに須磨は海側だけじゃなく山側にも面白いスポットがあるようなのですが、そっちにはまだ行けてません。何やら商店街なんかもあるようなんで、そっちはまた別件で行こうかなと思ってみたり...。なお明日は千本商店街の100円商店街というイベントの視察に行く予定です。そんなところですが今夜はこれにて失礼します、ジベリ!

0 件のコメント: