2009年10月24日土曜日

東トルキスタンに自由と平和を!

                ・東トルキスタンの国旗             


チベットといえば、ダライ・ラマ14世(法王)。そう,僕が尊敬する人物の一人です。では?東トルキスタン(ウイグル)といえば...。勿論,それは女性活動家のラビア・カーディルさんでしょう。


・(左から)ラビア・カーディルさんとダライ・ラマ法王〔ホンモノの平和主義者たち〕

             ・因みにこれがニセモノの平和主義者

「それ誰やねん?」,「ワシ知らんがな...。」そう思う方も多いかと思います。なので今日は、彼女が如何なる人物なのかご紹介したいと思います。


彼女は1947年1月27日,新疆北部のアルタイ市の自営業を営む一家に生まれました。(そうした関係から一家は「資本家」として糾弾されたこともあり、特に文革に際してはそれが顕著であったといいます。)

その後,改革開放の波が押し寄せる中で彼女は、洗濯業などで得た僅かな資金を元に中央アジアでの不動産取引や貿易で巨額の利益を挙げ、中国でも指折りの富豪に数えられるまでになり、同時に中国共産党への入党を認められ、1993年には中国人民政治協商会議全国委員に選出されるなど、いくつかの役職を任されるようにまでなります。また1995年には北京で開かれた国連の第5回世界女性会議に中国代表として出席しました。

しかしそんな矢先の1996年,政治協商会議で漢族によるウイグル人抑圧を非難する演説を行ったことなどから彼女を取り巻く状況は一変します。翌年にはその演説と夫である作家のシディク・ハジ・ロウジが行った書籍の翻訳などを理由に彼女は全ての役職を解任され、1999年にはついに逮捕されてしまいます。(逮捕の直接の理由はウルムチ市内に滞在していた米国議会関係者との接触しようとしたことでした。)
彼女の逮捕はウイグル地域及び国際社会に大きな衝撃を与え、中国は国際的な批判を受けることとなります。人権問題での更なる追及を恐れた中国政府は2005年の3月に彼女を病気療養の理由で釈放,その後彼女はアメリカに亡命することとなります。

そして翌年末には世界ウイグル会議の議長に就任し、中国からの圧力の中,世界を飛び回り、ウイグルでの人権問題を訴え続けるなど精力的に活動を続けています。(これまでに何度か来日もしており、先日亡くなった中川昭一氏の主催した勉強会などに出席も。)こうした活動が評価され、2006年にはノーベル平和賞の受賞候補の一人にも選出されています。


皆さんは彼女の最も尊敬すべき点がどこにあると思いますか?僕はそれが一度,権力の内側に入ったにもかかわらず毅然とそれへの批判を展開したことにあるのだと思うのです。権力の傘に入るというのは、恐ろしいことでもあります。欲や優越感は弱き心を簡単に支配してしまうからです。「悪い」と分かっていても、己の地位への執着心から批判することも出来ず、ついには共犯者へと成り下がってしまうことも珍しくはありません。しかし彼女はそうした‘怖れ’を捨て去り、大きな力へと立ち向かったのです。彼女の偉大たる所以はここに違いないでしょう。
そして,実はなんとこのカーディルさんが、来週の火曜日に我が龍谷大学で講演会を開催するんです。部外者の来聴もОK!みたいなので、時間のある方は来て下さい。(15時からで入場料は無料)

*また,中国政府がこれに不快感を示していることから、当日は一部の過激派による混乱が予想されますので、その点はお気を付け下さい。また,当ブログはチベットに加え、ウイグルの自由と解放を、今後も支援していきたいと思います。


ところで日本はいかにこの問題と向き合って行けばよいのでしょうか...。

まず我々にできることは、この事実をより多くの人に広めることでしょう。同じくらい深刻な問題であるにもかかわらず、チベット問題に比べてウイグルでのそれはなかなか多くの人には知られていません。まだ現状を打破するには‘声’が小さ過ぎます。しかし,声を少しでも大きなものにしていけば、何らかのアクションが期待できるかもしれないのです。

また,政府としても、こうした問題に目を閉ざしていてはいけないのではないでしょうか?「日中友好」は大いに結構です。しかし,ならばこそ非難すべき点は非難するべきなのです。それでこそ「真の友情」というものではないでしょうか?新政権がどのような姿勢で中国と向き合っていくのかは分かりませんが、是非ともこうした点を踏まえて付き合っていって貰いたいものです。
では,今日はこの辺で失礼します,ジベリってことで!
 
<参考文献>
・ウィキペディア(ラビア・カーディル)

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