2012年7月1日日曜日

三島由紀夫と若者たち

今日は彼女と一緒に映画を観に行ってました。(なんでデートでこんな映画を観に行くのかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、驚くなかれ提案したのは彼女の方なのですw)ココン烏丸にあるミニシアター系の映画を上映している小さな映画館で、観てきたのは「三島由紀夫と若者たち」という、いわゆる三島自決のその日を主題としたドキュメント映画。監督は「実録・連合赤軍」や「キャタピラー」などの作品で知られる若松孝二


キャタピラー [ 寺島しのぶ ]
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三島由紀夫を演じるは個性派俳優の井浦新(ARATA)さん、当初は僕の好きな俳優さんの一人でもある大森南朋(なお)さんがその役を務める予定だったそうですが、正直この役に関しては井浦さんの方がピッタリだと思いました。また前作「キャタピラー」での演技がベルリン国際映画祭で高い評価を得た寺島しのぶが今作では三島由紀夫の妻を演じています。

・映画のポスター

三島由紀夫という人物の評価は非常に難しいところがあります。というか彼の思想とか政治観というものは、一見すると単純なのによく見れば複雑であるというよく分からないものなんですね。一重に右翼ないし民族派の懐古主義的で保守的な論客と捉えるにはどうも無理があるような気がするんですよ。この映画にも出てきますが、彼は全共闘,つまり左翼派の学生らと討論したことがありました。そのとき彼は「既成概念の打破」とか教養主義ないし知識人の自惚れといったものへの否定みたいなところにおいては賛同すらしているのです。つまるところ彼らと三島との違いは、日本という国を、或いは天皇という存在を認めるかどうかその1点だったのです。この映画の中で主として描かれるのは変化を遂げつつある時代の中で「答え」を求める若者の姿とそれに共鳴し、またときにそれを諌める大文豪の姿。先述した全共闘とのやり取りはこう締めくくられます。「諸君の熱情は信じます。それだけは信じます。他のものは一切信じないとしてもそれだけは信じるということは分かって頂きたい」と。思想や概念じゃない、彼が信じたのは若者たちの‘熱意’だったのです。

                      ・読み応え十分のパンフレットは1000円也

三島と‘最期’をともにすることになる森田必勝(まさかつ)は「この国のためにこそ生きているのだと思えるような国」を理想として活動の渦に自ら身を投じることになります。とはいえ直接的なきっかけは左翼のやや暴走的な運動の在り方に疑問を持ったことであり、全共闘の主張そのものには一定の理解すらあったようです。(元・右翼活動家の鈴木邦男さんによれば高校時代は左翼思想に傾倒していて、大学では全共闘の活動に加わろうと考えていたとか何とか...。)その後彼は日学連(日本学生同盟)の前身となる早稲田学生連盟を介して三島由紀夫と出会うことになるのですが、その後の「論争ジャーナル」の創刊などに起因して三島の周りには次第に憂国の志を胸にした若者たちが集い始めます。そして結果的には‘あの事件’へと繋がっていくワケですが、この辺の経緯は西郷隆盛が士族の不平を汲み取って、おおよそ勝ち目のない戦争(西南戦争)に身を投じていく過程と似ていなくもないような気がします。実際映画の1シーンで三島が訪ねてきた若者を観て浅沼稲次郎を刺殺した青年をフラッシュバックするシーンがあるのですが、もしかすると三島さんは熱意ある若者たちを暴走させないために大方成功する見込みのないクーデターに打って出たのかもしれません。

1968年の10月21日、国際反戦デーに起因する大規模なデモが発生します。自衛隊の治安出動に乗じて三島が組織した民兵組織「盾の会」も行動に打って出ようと画策しますが、これを警察が沈静化したことで自衛隊の治安出動は絶望的となり、盾の会はその存在意義を見失い始めます。当初協力的だった元陸軍所属の自衛官・山本舜勝(きよかつ)は自衛隊との連携には二の足を踏み、また運営資金を巡るいざこざからメンバー数名の脱退を受け、更にはこれに起因して盾の会発足時からのパートナーである持丸博(因みに彼の妻は、統一協会系の似非右翼放送局であるチャンネル桜の発起人の一人である松浦芳子。彼女も元々は盾の会のメンバーであった。)までもが脱退を宣言する始末...。一方で「先生に預けた命が叫んでいる」と迫る森田らを抱え...。そんな葛藤と挫折の連続の中、ついに‘そのとき’を迎えることとなります。



1970年の11月25日、場所は自衛隊の市ヶ谷駐屯所。ここに当時の実際の映像があるんですが、劇中においてもこの演説シーンは忠実に再現されています。誠実に、そして力強く訴える三島由紀夫とそれを見守る盾の会のメンバーたち。しかし集められた自衛隊はざわつくばかりで賛同の声も反対の声も上げようとしない。しかも報道のヘリの音で三島の声は時折かき消されてしまう...。見かねた三島は「諸君の中で一人でも俺と一緒に立つやつはいないのか?…一人も居ないんだな。」と憤りと諦めの入れ混じった声を上げるのだった。正しいことなんて訴えたところで誰一人話なんて聞こうとしない。それは今も昔も変わっていないのかもしれません。もし一人でも「俺が」という人がいれば、あの人は死ななかったのでしょうか?或いはクーデターが遂行されていたとすれば...。三島由紀夫という人間の死に場所はあそこしかなかったのか?「もしも」が通用しない歴史ではあるが、その「もしも」を考えたくなるのが歴史でもある。この映画を見ながら僕はそんなことを考えていました。


若きサムライのために [ 三島由紀夫 ]
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ともあれ大文豪の三島由紀夫が命がけで訴えてもやってもダメだったというのは改めて考えるとショックな話でもあります。であるならば僕ら名も無き若い志士は、どう闘えばいいというのでしょう?彼がこの世を去ってから今年で42年、半世紀近い月日が流れたことになりますが、未だこの国は先の見えない閉塞感の中にあり、当時以上に「空っぽの国」になってしまっているのではないでしょうか?あれほどの人物が勇ましく死んだところで変わらないのだとすれば、やはり小さくとも背筋を伸ばして生きている他はないのかもしれません。三島さんがどう思うかはわかりませんが、戦い続けるという選択肢もあるはずなんです。


銀魂(第1巻) [ 空知英秋 ]
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坂田銀時(銀魂)の台詞の中に「美しく最期を飾る暇があったら、最後まで美しく生きようじゃねーか」というものがあるのですが、まさしくそれです。僕はそちらを選んでみようと思います。たとえ士道が死ぬことにあったとしても、そのときまでは闘い続けるのもまた一つの道でしょう。死ねばいいってもんでもあるまいし...。

          ・今週のパスタは帆立とベーコンのフェンネル風味クリームパスタ

映画館を出たあとは、またいつものようにtimepiece cafeに行きました。夕食の時間にはまだ若干早いくらいの時間だったのですが、昼も早かったしそろそろ...ということで。まぁ定番の場所なんですよね、やっぱりここは。上映館数が限られているのですが、観て貰いたい作品ですので、皆さん是非とも劇場まで足を運んでみてください。僕が訪れた京都シネマのほかに大阪のテアトル梅田,第七芸術劇場、広島のサロンシネマ,シネマ尾道、東京のテアトル新宿,キネカ大森、横浜のシネマ・ジャック&ぺティ、沖縄の桜坂劇場,名古屋のシネマスコーレ,福島のフォーラム福島,北海道のシアターキノなどで上映されているようなので。それでは今日はこの辺で失礼します,ジベリ!

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