2018年10月7日日曜日

平仮名で一番好きなのは「ゆ」です

・「ゆ」って形から既に暖かみがある字だな...

・Y字路

・お祭りにも行ってきました^^

今日は仕事で久々に守口のほうまで行ってました。その後、今日は千林商店街を散策。ついでにセント酒を決め込んで桃山まで引き返してお祭りを見て、最後は彼女と一緒にラーメンを食べて帰ってくるという充実の1日を過ごしました。

・朝食、旨い!

今日のお仕事は試験監督業務。塾の仕事絡みでたまに行くのです。朝が早いのがちと難点ですが、比較的割のいい仕事でもありますw

・また歩道橋に意味なく登るw

で、終わったあとは街を散策。本来の予定では守口まで引き返して久々に守口観光をする手はずだったのですが、調べてみると千林に近いことがわかったのでそっちの散策に切り替えたのであります。千林はダイエー発祥の地としても知られる場所であり、活気ある商店街のあるところとしても知られる街。これは行ってみなくては...

・古き良き時代

で、歩くこと十数分。守口もそうですが千林もまた時間が止まっています。もう半年くらいで元号がまた変わりますが、それでもここには「昭和」があるのかもしれません。優しい雰囲気のある魅力的な街です。

・ジャーンジャーン

で、この町のいいところその②は神徳温泉というスーパーな銭湯があるということです。今回ここを訪れる決定打になったのもここのようなものですしw広々した大浴場は元より、ジェットバスや露天風呂まで備えて入浴料はたったの440円。


今回はタオル&石鹸類を忘れたのでセットの付いたらくらくセット(640円)を利用しました。(あ、ちなみに乾式サウナは別途200円掛かります。ですがミストサウナは入浴料のみで使えます^^)

・本日のセント酒はここにて。

施設内にはビールもある軽食処もあったのですが、それよりも銭湯の前に気になるお店を見付けていたので湯上りはそこに行ってみることに。それが写真にもある立呑処得一

・鯨の刺身を食べたよ

とりあえずのビールと一緒に頼んだのは鯨の刺身。あるもんですね、鯨肉。しかも刺身ってなかなか食べられませんよ... なんかこれを巡ってはシーシェパードとか豆みたいな名前の団体とかが色々煩いようですが「うるせー」と。お前ら西洋人の鯨油&ヒゲほしさで激減したようなもんだろうかと...。どこぞのコピペじゃないですけど「小一時間問い詰めたい」ものですw

・メニューも心なしか昭和模様のラインナップ

で、その鯨の刺身を肴に2杯目の日本酒を空けたところで3杯目はバクダンチューハイをば。ちなみにもう一品はホルモン焼きを頂きました。フードメニューがおおむね200~300円台なのも嬉しいところですね。ま、3杯飲んでるのでセンベロとは行きませんが、2000円でお釣りが来るくらいの感じで本日の呑みは終了。

・千林はそのうちオフでも行きたいな...

それからパン屋さんや千林の銘菓とのことの千両焼きを買って帰りの電車に乗り込みます。まだ居ても良かったのですが、次の予定がありましたので・・・

・電車内にて

あと千林の駅前にはたこ焼き屋さんがあって、これがとにかく安いので買って帰っちゃいました。たしかなんやかんやで200円でお釣りが返ってきたように思います。価格まで昭和なのでしょうか。ちと心配になるくらいの低価格でありますが、これで美味しいのですから全くよく分からないものです。多分そのへんで下手したら500円で売ってるやつと遜色ありませんw

・行脚する一行

急ぎ足で戻ったのは中書島で開催される炬火祭を見るため。ちなみにこのお祭りのルーツとも言われる壬申の乱。戦場へと向かう大海人皇子一行を民衆が松明を持ち照らしたのが由来であるとされています。しかしながら日本史の中で大きなエポックでありながら、この壬申の乱というものが一体何であるのかはあまり多くの人に知られていません。上記の講演会でも言われてることなんですが、この戦争のあと、日本史は大きな転換を迎えていたのです。というのも、この戦争の勝者である大海人皇子、つまりはのちの天武天皇こそが初めて「天皇」を名乗った人物であり、また「日本」を国号とした最初の人物でもあるのです。とどのつまり、ここに於いて倭国は過去のものとなり、現在の「日本」が形成されたのです。そして日本書紀並びに古事記を編纂したのもこの時代。




歴史というものは権力者により歪められるものであるのは古今東西変わりのないものなのですが、勿論ここでも同じことが言えるでしょう。おそらく天武天皇は自分に都合のいいように歴史を書き換えたものと思われます。そもそも壬申の乱自体が大海人皇子が正当防衛的に始めたかのように書かれてますが、これも出来過ぎた話ではありますからね・・・
あと更なるビックリ仮説がコレ。上記のRK大将の講演会でも話してますが、高句麗から逃れてきた淵蓋蘇文なる人物こそが天武天皇だったのではないかというのです。一見すると源義経=ジンギスカンのような荒唐無稽な説に思えますが、どっこい検証してみると意外と整合性のあるものですし、この時期に朝鮮半島から亡命してきた人たちが一定数居て、そういうひとたちが天武天皇の下で重用されたというのは事実のようですからね...

・炬火(たいまつ)祭、今年も無事終了。

ま、そんな物語に思いを馳せながら楽しむのもオツなものかもしれません。脳内リゾートですね、磯田先生の言うところの...。ともあれ今年も洛南の大祭がこれにて無事終了しました。

・最近月イチで行ってる大黒ラーメン

それから祭りのあとは彼女と合流してラーメンを食べてきました。(本来は合流はもう少し早くて一緒に炬火祭を見る予定だったのですが、仕事の都合などで合流が遅れてしまったのですw)ちなみに来来週には城南宮の秋祭り&伏見城まつりも開催されます。そしてそれが終わると伏見バルがあって、来月からは清酒祭りなど日本酒絡みのイベントが目白押し。伏見の熱い季節が始まります。

・11年間のご愛読ありがとうございました^^

で、突然ですが「センイチ、日々徒然日記」は今日で最後になります。で、明日からはまた別のことを始めます。では一体それは何なのか?ま、明日になれば分かりますよ^^ それでは皆様おやすみなさい。ジベリ!

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