2019年8月15日木曜日

【令和初】敗戦の日に寄せて①【特別寄稿】 

ということで令和初の敗戦の日なのですが、皆様は如何お過ごしでしょうか?僕はといえば相変わらず仕事でした。そのあと本来は行きたいところがあったのですが、生憎の台風のために今日は営業しておらず、結局いつものHUBに立ち寄ったくらいです。そうして何やかんやでさっき帰りました。 で、今回の敗戦の日に寄せての寄稿文なのですが、実は3つくらい書きたいものがあるんですよね。明日明後日がいつ王僕にとっての盆休みですのでそれを利用して順次投稿していく予定です。とりあえず今日のテーマはこちらです。
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・「戦後」とは
世間は今日を終戦記念日と呼ぶが、僕はずっと今日のことを「敗戦の日」と呼んでいる。もちろん心情的に理解はできる。とりあえず終わってよかったという気持ちが多くの人の中にあるのは想像に難くない。しかし、「終わってよかった。もう忘れよう」では絶対にいけない。敗戦は欺瞞を重ねてきた薩長幕府の崩壊であり、今も続く横田幕府の誕生の瞬間であった。何故このようなことになったのか、解き明かして2度と同じ道を歩まないよう自戒する必要がある。
衝撃的なデータがある。信ぴょう性は定かではないし、流石に嘘だと信じたいのだが、なんと大学生にもなって終戦記念日を知らないのが17%もいるそうだ。少なくとも僕の通っていた小学校では小6の社会科の時間に勉強したはずだし、そもそも新聞もテレビもSNSのトレンドも毎年その時期になるとそれ一色になっているのだけど、その人たちは一体どういう空間で生きているのだろうか。実に不思議である。


いや、教える側としては「知っていて当然」と思うことが一番悪いのかもしれない。そんなことは知っていて当然だし言わなくても分かるだろう。 と、そう思い込むことこそが諸悪の根源かもしれない。自国が間違った判断を重ね続けてそして負けた。そんな屈辱的で恥ずべき話など誰も積極的にはしたがらない。だが、事実は事実として受け止めなくては同じ轍を踏むのが人類というものである。

マルクスは言った。「歴史は繰り返す。1度目は悲劇として、2度目は喜劇として。」今の日本のやっていることは第三者から見たら純然たるコメディである。まぁ笑わせているというよりは笑われているのだろうが...。何れにせよ、これ以上「いつかきた道」を歩ませてはいけない。そのためにも僕はこれからも戦い続ける。

令和元年8月15日
洛南ジャーナル主筆・天王寺センイチ
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どうやら山本太郎さんは「敗戦の日」と呼んでいるようですね。以下に文面を一部転載します。

間違った判断の連続で、自国のみならず、
アジア諸国にも甚大なる被害を与えた過去。
この反省を未来永劫続けることが、
私たちそして政治の責任と考えます。

相変わらず現実逃避しかできないネトウヨの皆さんはあーだこーだと言っているようですが、常識的に考えたらこうなるんですよね。こういう政治家こそ首相になるべきですよ。
 あ、小沢さんもね。両社ともに特攻隊が本当に「ただ国を愛していた」ゆえに死んでいったと思い込んでいるどこぞの大馬鹿とは大違いです。

僕だって特攻隊として死んでいった人に敬意はありますよ。ゆえにトランプさんの言動には許しがたいところもあるのですが、常識的に考えたらそう思ってもおかしくないんですよね。 「単に愛国心のためだけに片道燃料の飛行機で軍艦に突っ込んでくって想像してみろよ!」とトランプさんは言っていたようですが、もしそんなことがあるとしたらそれこそカルトですもの...。


ちなみに特攻隊の中には実際にヒロポンが与えられていたケースが少なからずある模様です。トランプさんの発言は強ち間違いではないのです。それから補足で言っておくと特攻隊の成功率は9機に1機くらいの割合だったそうです。そして犠牲者は4000人...。
かの名パイロット岩本徹三が特攻隊に猛反対していたのは有名な話です。敬意と美化は違います。犠牲者への一番の敬意は2度とあのような事態を起こさないことではないでしょうか?そのような問題提起をしたところで本日は終わりにしたいと思います。それでは皆様また明日。ジベリ!

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