2008年3月26日水曜日

情けは人の・・・

人とは時に、よく分からないことをすることがある。これをすれば何かが得られるとか何とかを逸脱した行動を取ることがある。まさに今日、僕はそういう場面に出くわしたのだ。

僕は今日、特に何処に行くでもなく、自転車を走らせていた。それこそ心の赴くままに。心地よい春風を切るように河川敷を走った。そうして伏見桃山の商店街に差し掛かったときだった。駐輪場で僕と同年代か少し下かといった感じの女性が将棋倒しになった自転車を直していたのだ。すると何を思ったのか僕は自転車を止めると、それを手伝い始めたのだった。全てを直し終えると、彼女は僕に礼を言って、京阪の伏見桃山駅のホームの方へ向かっていったのだった。

ただそれだけのことなのだが、僕はその後いろいろと考えることになった。「一体、僕は何をやったのだろう。」と。相手がもし小っこいガキんちょでも、そこら辺のオッサンでも、僕は同じことをしたのだろうか。それとも相手が若い女性(しかもかなり美人)だったから助けたのか?と。だとするとそれって最低だ。「下心」っていうか何と言うか。男として、人間としてどうだろうか。しかし少なくともこの時恐らく僕は「これをすれば・・・」的なことは考えていなかった。だから多分、それが誰であっても助けたのだろう。それが今喧嘩している地元の阿呆だったにしても同じように助けただろう。(「何してんだよ、バーカ。」的なことは言うだろうがw)

事実,それをしたことによって僕は何を得た訳でもない。いや、貰った。「ありがとうございます。」というお礼の言葉と笑顔をだ。物質的な何かでは感じ得ない「幸福感」を貰ったのだ。だから僕にとって今日という日はなぜかとてもキラキラと輝いている。金銭的な何かでは絶対に作り得ない輝きを彼女は、今日という日はくれた気がする。何の変哲も無い日常の中の「暖かさ」や「充実感」を。彼女にとっての「今日」も、そういう日であってほしい。名前も何も知らないが。

すれ違う人の誰もが何かの「闇」や「痛み」を持って生きている。(若干、松下奈緒さん『Rain』の歌詞が入ってるけど)それって大抵の場合は絶対に分かり得ないし知り得ない。でも、自分の何気ない行動で人に「幸福」を与えられたなら、「笑顔」を作れたならば(笑われるという意味ではなく)、僕は物凄く幸せだ。「情けは人の為ならず。」いい諺があるものだ。まさにその通りなのだ。じゃあ今日はこの辺で。

皆さんにとっての「今日」も輝きますように。ジベリ!

1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

確かに…