2008年6月4日水曜日

暗黒年間③・抑圧

前も言ってたと思いますが、最近かなり疲れてます。梅雨の時期ってなんか苦手なんですよね,昔から。空もドンヨリしてて、なんか気分まで暗くなりそうで…。んで書き込みも大幅に遅れてます。ホント,すんません。そして内容もひたすら暗いですが、今回も最後まで読んでみてください。

 
中学入学後の学力テストの結果は上々でなんと学年第四位でした。好調のスタートでした。。一方,この学校では1学期の学級委員(総務と呼ばれていた)は、前属の小学校の方(綿密には6年次の担任らしい)が決めるのですが、なんと例の友人が指名されていたのです。しかも僕と同じクラスの…。(指名基準は未だ謎です。学力というわけでも無さそうでしたし、人格の問題でも無かったみたいですから。なんせ,あのアホ教師のことですからね…)初めこそ僕と彼は仲良くしていて、部活(因みに剣道部)も同じところに入ったのですが、次第に仲はこじれていくことになります。スタートから「4番」なんて成績を収めたものですから、クラスメートの中には「なんでお前が総務じゃないんだ?」なんていう人物も居た訳です。最も,そのことを誰よりも疑問に思っていたのは僕ですし、また彼自身も当初は疑問に思っていたようです。そうした「疑念」がもとで疎遠になり始めた,と言ってしまえばそれまでなのですが、僕としても,もう少し上手く振舞えば…という後悔はありますね。彼は次第に僕に対する誹謗中傷を吹聴したり、部活の先輩に対し、あたかも僕が悪口を言っていたかのようなデマを流すなど、徐々に僕に対して敵対的になっていました。一方,成績の好スタートは僕に思わぬ弊害をもたらしました。周囲(特に親)からの過剰なプレッシャーです。僕は中学の三年間,人間関係優等生コンプレックスの二重苦との戦いに明け暮れることとなりました。

 2学期に入ったくらいからはもう無茶苦茶になってましたね。1学期の最後の方で僕に批判的になっていた人物が一人居たのですが、厄介なことにそいつと彼が仲良くなっていて…。表面ヅラの良い彼に毒されたのか、気がつけば僕の味方は周りに居ませんでした。部活の方でも味方は皆無で、僕は学校にいる間中,精神が休まりませんでした。マジメに何回か命の危険さえ感じましたからねからね。「何で反撃しないの?」って思う方もいらっしゃるでしょう。簡単なことです。正当防衛とはいえ、武力を使ってしまえば内申点にマイナスが付くことになります。すると高校への進学に支障が出て,という悪循環を生むことになってしまう…と親などから聞かされていたため、容易に反撃できなかったわけです。それにむこうが元は友達でもある訳ですから、僕としてもなんとかして話し合いで解決してしまいたい,と思ったのでした。しかし彼は(あるいは彼らは)完全に毒に漬かってしまっており、どうにもなりませんでした。結局,二年時の6月くらいに僕は学校側に直訴し、一応の解決を見ました。あれが最善の手段だったのかは,正直僕にもよく分かりません。でも,そうしなければ僕は早かれ遅かれ殺されてました。
 
 しかし,彼との交友関係が完全に修復されることは最後までありませんでした。一方、その後思わぬ事態が発生しました。部の顧問がこれ見よがしに僕以外の部員の頭を丸めさせたたため、このナイーブであるはずの一件は全校中の話題となり、誰が言い出したのか校内では「陰謀説」(僕が部活を潰そうとしてデマを流した,などといった事実無根のもの)が流れ出し、僕はそれ以前よりも冷たい目で見られるようになり、部内でも先輩に冷遇されるようになってました。それどころか,教職員の一部にも「協調性が無い」とか「黙ってればいいのに」などと言う人が居たそうですからね・・・。もう無茶苦茶ですよ。じゃあ何ですか?弱者は抑圧され続ければいいとでも言うのですか?「いじめ」というのは個人間の侵略戦争です。だからいじめられる側にも責任があるなどということは絶対に無いのです。そんなことも分かっていない人物が教職員(なんと政治家にも…)になっているのだから、世も末です。
 
その後,僕自身も少し変わっていることに気付きました。原則,他人を容易に信じることは無くなっていました。信じることも疑うことも無くなってました。信じているものといえば自分くらいで、それ以外は全てが敵にしか感じられなくなってました。(そんな状況が5年ほど続きます)

僕と彼らとの「違い」は何だったか,それは「加害者でなかった」ということくらいです。被害者と加害者,英雄と戦犯,勝者と敗者。その両者はどれほど異なり,どこまで近いのでしょうね。友人を戦犯にしてしまったという意味では僕も、ある意味では加害者なんですよ。友達を助けてやれなかった訳ですから...。
とてつもなく重たい話になってしまいましたが、今日はここで失礼します,ジベリ!

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