2017年3月5日日曜日

【週刊コラム】一滴の朝露、映るセカイ【第14回】

・昨晩は鍋パでした^^

ということで今月初のコラムです。今日のネタは前回からの継続でちょっとまた「勉強」について色々と考えてみました。あ、ちなみに神戸の記事で言っていた僕が買って帰ったものというのは写真の福寿というお酒です。ホントは酒心館の蔵見学にも行きたかったんですけど、まぁそれはまた来月にでも行こうと思います。

・学問か楽問か
今月末でいよいよ僕は大学をお払い箱になる。10年に及ぶ大学生活が一応の終幕を見ることとなる。とはいえ僕は数少ない同志を頼って大学には時たま顔を出すだろうし、もっとそもそものことを言えば僕はこれからも学問を続けていく。


有り体に言えば生涯学習ということなのだろうけど、そう言ってしまうと何か堅苦しいようにも思う。僕にとって学問とはある種の楽しみでもあるからだ。勿論大変なこともある。何でこんな大変なことやってんだろうなんてふと考えることもある。だけど不思議とそこでやめようとはならない。その「向こう側」に面白さがあることを知っているからだろう。

 ふと学校の時間割を思い出す。国語、数学、社会科...堅苦しい名前が続く中、1つだけ「楽」という字が入るものがある。そう、音楽だ。しかし音楽は道楽ではなく立派な学問だ。学問か楽問か...。その間にあるものは何なのか?



 尤もその手前に「が苦悶」というのもあるかもしれない。ただただ苦痛でしかない時間を学校で1度も過ごしていない人は居ないのではないだろうか?たとえば僕にとっては数学がそうだった。とどのつまり僕は少なくとも数学では「学問の向こう側」に行けなかったのだろう。しかし中には数学が楽しいという人もいる。どこかで見たニュースによると最近は数学ブームみたいなのもあるそうだし、そういえばそういうことが江戸時代にもあった。僕が社会科学を社会科楽だと思うのと同様に、きっと数学を楽しいと思う人たちにとって数学は数楽なのだろう。


「分かる」ことは面白いことだ。「分からない」もまた面白いのだけど、それは分かる過程の面白さを知っていればこそのこと。そう考えるとやはり学校という場所は重要だ。自分にとって「楽問」になり得る分野を見つけ出せる可能性の一番高い場所はそこなのだから。学ぶ楽しさ、それを教えられる先生。自分も一塾頭としてそれを教えられるような人にならなくては...。どうやらまだまだ勉強が必要だ。
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・ノートわず

ということで相変わらず我が家の仕事場(?)は散らかりたい放題です。今日はとりあえず1日休みではあるのですが、おそらく家でゆっくりしてるんじゃないかと思います。ちょっと最近疲れ気味ですしね・・・。そういうワケなのでまだお昼ではあるのですが今日はこれにて失礼したいと思います。ジべリ!

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